野尻抱介『南極点のピアピア動画』(ハヤカワ文庫JA)書評

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 コンピューターに歌わせようという試みが初めて成功したのは1961年のこと。アメリカのベル研究所で作られたIBM704は『デイジー・ベル』を歌った。この出来事は創作家のイマジネーションを刺激したらしく、1968年に公開された映画『2001年宇宙の旅』では、人工知能・HAL 9000が機能停止間際に『デイジー・ベル』を歌うシーンが挿入された。人ではないモノが、歌うことによって魂の存在を証明しようとするかのようなこのシーンは見る者に感銘を与えた。以降、さまざまな作品において、機械が口ずさむ歌は心のメタファーとして用いられるようになっていき、同時に「歌う機械≒未来の象徴」という原風景を形成していった。

 2007年の初音ミク発売以降に起こったボーカロイドブームを醸成した一因に、前述のイメージがあったのは間違いないだろう。動作投稿サイト・ニコニコ動画には、「ニコニコ技術部」と称する工作系・開発系集団が存在するが、その形成にあたっては初音ミクが旗印としての役割を果たしている。現在のボカロ文化を支える10代の若者の間では初音ミクを無邪気に楽器として受け取める向きが強いようだが、ブーム当初の初音ミクは、ある種の価値観を牽引する偶像であった。

 かつて『2001年宇宙の旅』の脚本、小説版を手掛けたアーサー・C・クラークがIBM704に触発されたように、初音ミク(とその周辺に形成された文化)に熱狂した作家がいる。広範な科学知識に裏打ちされた作風で知られるSF作家・野尻抱介だ。本稿では、自他ともに認める「ミク廃」である野尻が2012年に発表した小説『南極点のピアピア動画』を紹介する。

 本書は動画共有サイト・ピアピア動画と、ボーカロイド・小隅レイ(ニコニコ動画と初音ミクがモデル)、そして宇宙開発を核とする連作短編集。今から約10年後の、ボーカロイドの存在が空気のように自然になった日本を舞台とするSF小説だ。

 収録作はいずれも荒唐無稽な物語である。巻頭の表題作『南極点のピアピア動画』は宇宙開発を専攻する男子大学院生が主人公。アフリカへ出奔してしまった恋人の歓心を得るために、ピアピア動画上で宇宙旅行計画をぶち上げる、という内容。続く『コンビニエンスなピアピア動画』は、小隅レイが歌うコンビニの入店音をきっかけに親密になった二人の男女が、強い紫外線と真空状態に耐える新種の蜘蛛を発見し、これを使って宇宙を目指す……という壮大な話だ。

 いずれの作品においても、無茶な計画の後押しをするのは「ピアピア技術部」と呼ばれる酔狂な人々である。科学知識とノリの良さを持つ技術部メンバーが交わす議論はバカバカしくありながらも建設的だ。さきほど本書を荒唐無稽と評したが、作中での議論が帯びる熱は、物語の非現実性を強烈な魅力へと転化する作用を果たしている。

 3作目『歌う潜水艦とピアピア動画』以降は話のスケールがさらに大きくなり、地球外知性との接触が描かれる。小隅レイの声をソナーに乗せて鯨とコンタクトしていた海洋研究開発機構の職員が、海底に潜んでいた地球外知性体「あーやきゅあ(あーや)」と接触してしまう。小隅レイの姿を模して変身したあーやは、自身の任務は未開文明の調査であること、そのために自身を複製し、人間社会に溶け込みたいことを伝える。ピアピア動画周辺に生息する面白いもの、新しいもの好きな人々の「こんな面白いもの、拡散しなくてどうしますか!」という悪ノリに支えられ、あーやは人間社会に浸透していく。彼女(?)は規則により人類に対して自身の科学技術を伝えることができないのだが、彼女の存在そのものが人類の未来や宇宙への希望を駆り立て、世界が変化していく後半の展開は圧巻だ。

 本作は国内の複数の文学賞やランキングにおいて高い評価を受けた。中でも注目したいのは、国内大学の文芸サークルの投票によって選ばれる大学読書人大賞を受賞したこと。最近、若年層の間ではボーカロイドを端的に楽器として評価する傾向があることは先に述べた。しかし、未来を象徴するものとしてのボーカロイド像は(少なくとも20歳前後の世代には)好意的に受け入れられているようだ。

 「初めての音は なんでしたか?」 

 作中で引用される楽曲『ハジメテノオト』を聞きながら、未来の象徴、希望の牽引者たる初音ミク(ボーカロイド)の価値を再確認しつつ読みたい一冊。未読の方はぜひご一読を。

■初出:『Febri』(一迅社) Vol.21

■紹介した本

『南極点のピアピア動画』

著者:野尻抱介

出版社/レーベル:早川書房/ハヤカワ文庫JA

出版年:2013年