笛の音が水辺の広場に響いた。音は湖を渡り山々にこだまを生んでいく。笛の主はやぐらの上に座している、頭から獣の皮をかぶった十五、六の少年だ。
乱舞がぴたりと止んだ。始めの舞手を除いてみなが火から少しはなれたところに座り込む。舞手たちも泥にまみれた手足をひらひらさせながら、一つところに固まって膝をついた。
みなの目が同じ方を見ていた。あがった息遣いが木々の暗がりに溶けて、次第に収まっていく。みなの視線の先にあるのは森を縫うかがり火の道だ。しばらくの間があって、まわりが木のはぜる音と虫の声ばかりになった頃、森の奥から鈴の音と共にかすかな衣擦れの音がしてきた。
火の燈った道を鈴の音がゆっくりと近づいてくる。かすかだが決して途切れずに響いている。と、暗がりの中に人影が浮かび上がった。舞手のものと似た緋の衣を身にまとっている。膝丈の衣の上には薄手の、軽やかな布を羽織っている。後ろにたらした髪の毛の揺れる音が衣擦れの音と共に聞こえてきそうだ。娘の白い顔に火影が揺れる。真っ直ぐ前を見つめる瞳にも炎が映り、ほろほろと輝いている。
娘が焚き火の前で立ち止まると笛の音がぴたりと止んだ。みな、息を詰め、瞬きもせずに娘を見守っている。
舞い手の一人が長の前に彼女を導いた。娘が目を伏せ首をかしげると長は手にしていた刺繍入りの布を娘の額に巻きつけた。
別の舞い手が小さな杯を長に渡し、長がそれを娘に渡す。娘が無言のまま杯を干し、長に返すと楽の音が再び鳴り始めた。やぐらの上で笛を吹く少年の瞳が獣の頭のしたからのぞいていて、その中天のように真っ暗な瞳の中で時に炎がひらめく。笛の音色はまさにそのひらめきをたたえていた。
笛の音に合わせて、舞い手たちがかめの水を娘の体に一すくいずつかけていく。全員がかけ終わると娘は静かに歩き出した。舞い手たちは人の輪の外まで娘を導くと、彼女から離れてまた火のまわりを舞い始めた。
娘はまっすぐに水辺へと向かった。一連の成り行きを静かに見守っていた人々は笛の音に鈴や鐘の音が混じりだすと金縛りが溶けたかのように思い思いのところに気をまわし始めた。舞を見る者、楽に耳を済ませる者、娘を見守り続けるもの、ただ目を閉じでいる者。
かなりの時間をかけて、娘が岸にたどり着いた。娘の足が水に触れると鼓の音が始まった。座っていた人々の半数が一斉に立ち上がり踊りだす。踊らない者は手拍子を打ったり掛け声をかけたりし始める。再び激しい乱舞が始まるのだ。
踊り狂う民から離れたところ、娘は少しずつ、確実に湖の中へ進みいる。始めは足首ほどの浅瀬。進むごとに水が深さを増していく。ふくらはぎ、膝。時間をかけて娘は進んでいく。乱舞の騒ぎはもう彼方遠くなっている。鼓の音もたまに風に運ばれくぐもって聞こえる程度だ。ただ、笛の音だけが水面を渡り、まっすぐに娘の耳に届いていた。
笛吹きの少年はいつまでも娘から目を離さなかった。瞬きさえせずに、笛の音を響かせている。娘は振り返ることを許されていなかったが、笛の音と共に届くものの正体にはきづいていた。そうして、支えられるように、押し出されるように、確かな足取りで入水していく。もう長い黒髪も水面を流れ始めた。腰まで、胸まで、肩まで、ゆっくりと水に浸かっていく。
静かだった。聞こえるのは笛の音と水音だけ。風に乗って届いていた鼓の音も、もう聞こえない。首、顎、耳、止まって見えるほど少しずつ沈んでいく。
獣の毛皮をかぶった少年は黒い豆粒のような頭が水面に消えるのを見た。月が映ってやわらかく光るあたりだった。彼女がいた証はかすかにゆがむ水面に映った中島の影のみ。湖はまるで何事もなかったかのように静かに水をたたえている。それでも少年は笛を吹き続けた。踊り狂う人々のそばで、強く、響かせ続けた。
星も見えないほど大きな月が、水面に影を落としていた。