いつから。始まりはいつから?
覚えている中で一番古い記憶は、風に舞う羽をつかもうとしている私の手。彼の羽は気まぐれに向きを変えて、手の中にはおさまらない。羽をつかむのに夢中になるあまり、気付いたら彼はもう飛び去っていた。
風に舞う羽と、からっぽの大空。
悲しくはなかった。また、彼がやってくると知っていたから。
それが一番古い記憶。
小さかった頃は、私もよく陸に上がった。
草はらの感触は足裏にざらついて、私の肌はすぐに干上がった。
それでも彼を追いかけるのが楽しくて、足がひりひりするまで、目がザラザラするまで駆け回った。
駆け回って、叫び声をあげて、恐竜ごっこが定番の遊び。
彼もまだ助走がないと上手く飛べなかった頃は、彼がティラノサウルスで、私がトリケラトプス。腕を曲げて、地団太踏んで、沼の淵を駆け回る。
彼が上手く飛べるようになって、私の体がだんだん重くなって陸に上がらなくなってからは、彼がプテラノドン、私がプレシオサウルス。水しぶきかけ合って、大声で叫んで、水面を滑り回る。
疲れたら、彼が沼の淵にねそべって、二人空を見ながら話をする。
大抵は、彼が見てきた珍しいものや、不思議な出来事を語って聞かせてくれる。
私は黙って彼の話を聞きながら、星に名前をつけて遊ぶ。
そうしているうちに、すぐに辺りが明るくなって、彼は飛び去って行く。
しばらくしたら、またやってきて、私の名前を呼ぶ。
―メタ!
私は、暗い水の底から上って行って水面に顔を出す。その繰り返し。その繰り返し。
どうして、始まりのことなんか考えたのかというと、彼が時の計り方のこと、話してくれたから。
いつものように水面まで上って行くと、彼が既にやって来ていて、沼の縁で膝を抱えてじっとしていた。
―3時間と12分。
―え?
―ここに着いてから、メタが来るまで3時間12分。
突き出した彼の腕に丸い箱がついていた。カチカチと微かに音がする。
―この目盛が1分。60分で1時間。この針が一周したら1時間。この針が24回まわったら1日、それが360日で1年…
新しいものを見つけた時の、彼の額が光るのが好き。彼の口から出る新しい音が好き。
―1時間、1日、1年。
―太陽が昇ってから、沈んで、また昇るまでが1日だよ。
―…
―あ、メタは太陽見たことないか。えーと、朝起きて、夜眠って、また朝起きて…って、メタは眠らないのか…
私は空を見上げて、杉の木のてっぺんにかかっている星を「太陽」と名付けた。
―分かった、明るくなって暗くなってまた明るくなるまでが1日。
―ああ!
太陽のこととか、よくわからないことがいっぱいあっても、一つでも分かったと思うことがあったら、私には十分。
彼が言っているのはたぶん、私たちは時間というものを計ることが出来る、ということ。明るくなると、水の上は眩しすぎるので、私は深く水底に潜る。暗くなると浮き上がってきたくなる。それが1日。
彼が飛び去って、いつも24回暗くなる。23回、水面に顔を出して誰もいないのを確かめて、24回目に暗くなった時に彼がやってくる。彼が来るのは、24日に一度。
それが15回で一年。15回前に彼に会ったのが、1年前。
何年前から、彼はここにやってくるんだろう。何年前から私はここにいるんだろう。
―僕たちの住んでる星はね、この時計みたいにぐるぐる回ってるんだって。この時計みたいに、24時間かけて一周するんだ。その間に明るくなって暗くなって、また明るくなるんだよ。
私は辺りを見回す。風に吹かれて杉の枝先が揺れたり、いつか彼の植えた花から露が落ちたりする以外は至って静か。
―この星がまわってるのは、目には見えないんだよ。
―目に見えないのにどうしてわかるの?
―それは…メタも太陽のこと知っていれば分かりやすいんだけどな。
彼は時計に夢中だった。私が太陽と名付けた星は、もう林の向こうに見えなくなってしまっていた。
―本当はさ、みんなそれぞれ体の中に自分の時計を持っているんだって。この時計は、この星と同じ時間で作られているけど、僕の中の時計は1日25時間なんだよ。だから毎日1時間分、西に飛ばなければいけないんだって、お父さんが言ってた。
私は、何年も前に名付けた「お父さん」の星を目で追いながら、ため息をついた。
お父さん以外にも、彼の話には沢山の人が出てきた。死んでしまったお母さんとか、南側ばかりを飛ぶおじいさんとか。けれども、ここにやってくるのはいつも彼一人だった。
―それは多分、メタの言葉が分かるのが、僕だけだからなんだ。
彼も、彼のお父さんやおじいさんも沢山の言葉を知ってる。けれども、私の言葉が分かるのは彼だけらしい。私は、私の言葉しか知らないから、彼の気持ちがよくわからないけれど、いろいろな人と話せるのは羨ましいなと思う。
彼のように背中に翼があって、何処かに飛んでいけたら、と思うこともある。
話しに夢中になっている時の、彼の額は眩しい。
彼は全体、いつでもじんわりと光っているのだけれど。
―どこへでも行けそうに思えても、一人の人間の行ける所なんて限られてるよ。
私がため息をつくと、彼もため息をつく。
―メタはあの花畑、いつでも行けるだろ。水の中の。
水の中はいつでも薄暗くて気持ちいい。小さな生き物が沢山いて、その一つ一つがほんのりと、本当にわずかに光っている。
水流に沿って光の群が流れていくのが見えて、星空の動きを速めたら、こんな感じなのかもしれないと思う。その奥には花畑が広がっている。彼が見たことのない景色。
―メタのその入墨はさ、その水中花をかたどってるんだきっと。
私の体には、隅々まで模様がついている。彼は来る度にどこからか花を持ってきては、この花びらは首の模様だとか、この花びらはこめかみの模様だとか言って、沼の淵に植える。そして、必ず、この花は、水中の花に似ているかと尋ねるのだ。
私が首を横に振ると、ため息をついて、入墨の模様をじっと見つめる。
―誰かが描いたとしか思えないよ。こんな模様、自然に浮き上がってくるなんて信じられない。きっと何代も前の、メタの先祖がさ、生まれ変わっても消えない入墨を彫ったんだよ。水の中で暮らしていきやすいように。
彼の額が眩しく光る。入墨の話をする時は、額だけじゃなくて、お腹の辺りも光って、彼の全体がいつもより明るくなる。彼の体が明るくなると、何故だか私は吐き気がする。
―他で見たことないんだよ、ほんと。
そういって彼の手は空気の上から模様をなぞる。入墨に、直接触りはしない。私がやけどしてしまうこと、知っているから。
ずっと小さい頃、恐竜ごっこをしている時に、彼が私の腕をつかんだことがあった。私は自分でもびっくりするような叫び声をあげた。初め、それが痛みなのだと言うことに気付かなかった。彼が手を離すと、その部分がドロドロにただれていた。陸に上がっていた私は、急いで沼に飛びこんだのだった。
やけどの跡は、その後3回目くらいに彼がやって来た時には消えていたけれど、あの時の痛みは私の中にしっかりと焼き付いている。
子供の頃の彼の翼は、タンポポの綿毛みたいにフワフワだったけれど、最近はめっきり硬くなって、つやつやしている。
―プテラノドンなんかの翼竜には、こんな羽は生えていなかったって言われているんだ。
彼は恐竜の話が大好きだ。ごっこ遊びはもうしなくなってしまったけれど、恐竜の話はやっぱり楽しい。恐竜は、彼も実際のところを見たことがないからなのかもしれない。私たちのどちらも見たことがないものの話をする時だけは、どちらにも同じものが見えているような気がする。
例えば彼が運んで来ては植える花。私たち二人ともに同じに見えてるなんて、誰にも言いきれない。知らない土地の何処かでそれを見つけて運んでくる彼。植えられたそれを、彼のいない23日間、見つめ続ける私。そこで風に揺れる花は二人に同じに見えるものか。
彼が見てきたことを聞くのも、それはそれでやっぱり楽しい。例えばお祭りの話。
―おくんちっていうお祭りを見たんだ。
額を光らせながら彼が話す。
―物凄く沢山の人が集まるんだよ。翼も生えてない、水にも潜れない人たちが沢山ね。そこに生えてる草一本一本と同じくらいに人が集まる。
私は、彼の指差した叢の、とがった葉先を数えようとした。1、2、3、4、数え始めた途端、草束を薙いで、一筋の風が通り抜けた。始まりを見失って、数え直す。1、2、3…小さな蛾が跳んだ。思わず目で追って仰いだ月の腹を横切る蛾の、塵みたいな影。
―それで、大勢の人が輪を囲んで、その真ん中でいろんな踊りや出し物を見せ合うんだ。龍だって出てくるんだよ。恐竜とは違うんだけどね。伝説の生き物なんだ。蛇のように長くて、そこの杉の木より大きくて、空を飛んで雨や雷を操るんだよ。
雨や雷を操る。雨や雷を操る…。雨や雷を操る?
―そうだよね、そんな馬鹿なこと。だから伝説なんだよ。でもさ、最近じゃあほんとに雨や雷を操る人達もいるらしいけどね、龍じゃないけど…って、それはともかく、おくんちでは伝説の龍が太鼓や鐘の音に合わせて踊るんだ。もちろん本物じゃないから、人間が操ってるんだけどね。でも、作り物の龍が、本当に生きているみたいに見えるんだ。
沼の奥の洞窟にも大きな海蛇が住んでいる。私が知る限り、あの海蛇は一度も動いたことがないと思うのだけど、あんな海蛇みたいなものが、空を飛ぶような感じだろうか。
―その龍の踊りをしていた人達と仲良くなったんだ。彼らはみんな幼馴染でさ、僕とメタみたいに、生まれた時からお互いを知ってるんだ。その中に一人、女の子が混じっていてね、小さい頃はさ、みんな同じ格好でお祭りに出してもらえたんだって。それが、大きくなったらさ、龍の踊りは男の人しかやらせてもらえないんだって。それで女の子は、すっかり拗ねちゃってるって言ってた。大体みんな、何人かはほっとけばいいって言ってて、でも何人かは夜になる前に女の子を迎えに行こうって言っててさ。
小さい頃から知ってる人が何人もいると言う話は、お祭りの話によく出てきた。そういうお祭りに出る人たちは、生まれた時からずっと一つのところに住んでいることが多い。毎日寝床を移動している彼には、そういう生活が不思議に思えるのかもしれない。私はずっとここにいるけれど、知っているのは彼一人だし。
―私の他にも、幼馴染がいる?
そう聞いたら彼はすぐに首を横に振った。
―同じ場所で同じ人と会えることは少ないんだよ。それに、いつも同じところに寄るとは限らないし。
いつも同じところに寄るとは限らない。それはなんだか全然本当のことのようには思えなかった。必ず24日に一度やって来る彼。少なくとも、私が水面に頭を出す回数を数えるようになってから、それは一度も変わっていない。
―ここは、別ね。
ふいに吐き気がこみ上げた。近頃は、彼がちょっと笑うだけでも吐きたい気持ちになる。それで実際に吐きだしてしまったりはしない。小さい頃、食べたものを吐いてしまったことがあるけど、大きくなってからはこみ上げてくるだけで、実際には何も吐きだせない。
―恐竜が絶滅した理由は、今も解明されていないんだって。
恐竜の骨を見てきたと言って話し始めた彼の額はピカピカに輝いていた。
―隕石が落ちてきたとか、氷河期のせいだとか。
―絶滅って?
―恐竜っていう種類の動物が一頭もいなくなるってこと。
―種類の、動物?
―例えばそこにとまってるトンボ。頭と体としっぽと6本の足があるだろ。羽に斑点があるそっちのと手前のとは同じ種類。羽に線が入っているのはまた別の種類。僕は、2本ずつ手足があって、背中に翼が生えてて、そうゆう種類。僕のお父さんも同じ種類。もう死んでしまったけど、おじいさんも同じ種類。
彼の話を聞く限り、ここ以外の場所には、背中に翼の無い、肌に入墨も無い人たちが沢山暮らしているらしい。彼らは、別の種類。
―メタは…
私には親がいない。彼の予想によれば、私は卵から孵る種類なので、最初から親がいないんじゃないかってことだった。生まれた時から親がいなかった私は、私と同じ種類の動物を見たことがない。
―私は、私が死んだら絶滅?
彼は何も答えず、じっと私を見つめていた。少しだけ吐き気がする。
―私、恐竜みたい?
彼の体が明るくなるのがわかった。
―ぼくだって、お父さんと僕の2人だけだ。もうすぐ絶滅だ。
―私たち、恐竜みたいだね
私はこみ上げる吐き気を呑みこんだ。
彼のお父さんが死んだのは、そんな話をした次の季節だった。
雪が降り始めると、水の中より外の方が暗くなる。暗すぎてよく見えないくらい。
それでも、彼はいつでも同じに明るいので、冬の空をやってくるのは見つけやすい。
けれどもその日、彼の体は植物のように光を失っていた。
静かに、穏やかに話す声はいつもと同じでも、その体の暗さは、別の種類の動物のようだった。
―僕とお父さんしか知らない言葉が沢山あったんだ。
彼は、随分昔に作った舟を沼に浮かべて乗り込み、水に指をからめて遊んでいた。
私は、彼の舟を押したり引いたりして、沼の中を行ったり来たりした。
―沢山の言葉が、持ち主を失ったんだ。
―例えばどんな言葉?
彼は岸を指差した。
―あそこに咲く、手のひらみたいな形の花の名前、覚えてる?
―プクサキナ?
―そう、プクサキナ。その名前はさ、ずっと大陸の端にある、小さな島に暮らす人々の言葉だったんだけど。もう、その言葉を話せるのはお父さんと僕だけだったんだ。それからそっちの窪みのまわりに植えた…
―キエロ?
彼がうなずく。
―キエロはね、ここよりずっと寒い、北方の人たちが話していた言葉。これももう、使うことないんだ。
―キエロの人たち、どこ行っちゃったの?
―どこ行っちゃったんだろうね。
彼の指が真っ暗になっていたので、私はそっとそれを握った。少し吐き気がしたけど我慢した。
―メタ、僕、やっぱりどうしても、あの花畑を見てみたい。この沼の中の。
彼が身をのりだしたので、舟がぐんと傾いた。
―ちょっと手伝ってくれる?
私がうなずくと、彼もうなずいて、するっと水の中に滑り込んだ。
翼が、水を拒んで、彼の体を水面に押し上げようとしたけれど、彼は腕を激しく動かして、沼の底を目指した。私も彼の服を引っ張って、沼の底へ彼を導いた。
彼が水の中にいるというのはとても不思議な感じがした。水の中は、水上では聴こえない音楽が流れている。低く、穏やかで、途切れることなく続く道のような音楽。水の流れに沿って混じり合う音楽の、一つを選んでそれに続く。冬の水中は、降りれば降りるほど明るくなっていく。底で淡く光る土や小魚の群れ。散らばるサンゴの群生の上をゆっくりと通り過ぎ、大岩の奥にある花畑まで来たところで彼の方を振り返ると、彼の瞳がまぶたの裏に隠れて、頬が引き攣れていた。驚いて肩を揺さぶる。てのひらがぴりぴりしたけどそんなこと気にしている時ではなかった。彼はぐったりとしてなんの返事も返ってこない。
私は急に恐くなって、彼の体を抱えて水面を目指した。
彼に触れた私の腕や胸には、燃えるような痛みが走って、みるみるただれていくのが自分でも分かった。
夢中で岸辺に彼の体を引き上げた。体中がジンジンと痛んで、肌が干せ上がって行くのが分かる。彼は激しくせき込んで、口から水を吐き出した。
―メタ。
重い体を引きずって、彼の呼ぶ方へ鼻を寄せる。
彼は手に、いくつかの小石を握っていた。
―この花、なんて名前?
それは、私が見せたかった花ではなかった。今までそれを花だとは思ったことがなかった。彼の手に握られた小石は空気にさらされたせいか、水の中では見たことのない模様が浮かび上がっていて、確かに、花のように見えた。石の名前は知らなかったので、私は首を横に振った。
―じゃあ、これは、「メタ」だ。
仰向けのまま、そう言って彼がこちらを向いた瞬間、猛烈な吐き気がこみ上げて来た。手をあてがうより早く、こみ上げたかたまりが口からあふれ出た。
丸くて、透き通っていて、とろとろした粒のかたまり。
身を起こした彼が近寄って来て、私が吐いた物を覗き込んだ。彼の額が明るくなっていく。彼は次に、ただれた私の体を見つめた。
―ごめん。
そうつぶやいた彼の体が少し明るくなるのが分かる。それを見た私は、何故だかほっとして、ただれた体が地面にこすれないように気をつけながら水の中に戻って行った。
私が吐いたかたまりは、次の日には何処かに消えてなくなっていた。
彼が言うには、それは卵というものらしい。それ以来私は、彼がやってくると、ときどき卵を吐くようになった。卵はいつも、次の日には消えていた。
彼の体は、春が終わる頃には随分と光を取り戻した。けれども、いくら時間がたっても、前と同じ程の明るさにまでは戻ることがないようだった。
彼は相変わらず見てきたものや人のことを話してくれた。
―映画館っていうのは、とても恐ろしいところなんだ。小さな箱みたいなところにギュウギュウに押し込められて、目の前のやたら眩しい窓みたいなものを見せつけられるんだ。その窓の向こうには、そこにはいないはずの人々の姿が映るんだ。
―ユーレイみたいに?
―ユーレイみたいに。
私はユーレイの星のすぐ右にある4つの星を「映画館」と名付けることにした。
―あ、でも映画は、メタには見えないかも。
―どうして?
―メタの視覚は、光じゃなくて、熱を感知してるんだ。だから。いや、やっぱ見えるのかな。メタには月とか星だって見えるんだもんな。星の温度、感知できるんだから、スクリーンの温度だって感知できるのかもしれない。
彼の説明は私にはよくわからなかったけど、私はふーんと相槌を打っただけだった。映画が私に見えても見えなくても、どちらにしても、私が映画を見る日はやってこない。
―複葉機を見たよ。僕みたいに翼があるんだ。と言ってもそれは人間じゃなくて、人間が乗りこめる大きな機械なんだけどね。その翼自体ははばたかないのに、空を飛べるんだ。プロペラってものがついていてさ。それで気流を操っているのかもしれない。
―少し、複葉機と、一緒に飛んでみたんだけど、とても変な感じがしたよ。周りが空だけで、同じ風に乗って、同じ速さで進んでいるとさ、お互いに、全く前に進んでないような感じがしてくるんだ。実際、思うんだ。この星は丸くって、目には見えない速さで回転してる。回転してる星の表面をいくらか進んだ気になっているけど、本当は僕の体は、元の場所から全然移動していないんだ。むしろ、ずっとここにいるメタの方が、僕より多く移動しているのかもしれない。
私は彼の話に相槌を打ちながら、太陽と名付けた星の上にある明るい星に「複葉機」と名前をつけた。星空はもう、名前でいっぱいだった。それでも名前の無い星の方が、ずっとずっと沢山ある。
彼の話はいつまでも淡々と続いた。
そして、少しずつ、ほんの少しずつ、額の光が弱くなっていくのに私は気付いていた。
相変わらず、私の吐いた卵は次の日になると跡かたも無く消えていた。そのことを彼に聞いてみたら、彼は膝を抱えて目をつぶった。
―持ち去られているんだ。
少し低い声で彼は言った。
―メタは卵から生まれたからさ。あの卵からはメタの仲間が生れてくる可能性がある。それでみんな必死になって、卵をなんとか孵そうとしているんだよ。
―みんなって?
―よく知らないけど。
―でも、どうして?
―だから、メタが絶滅しないためにだよ。
―その人たちは、私に絶滅してほしくないの?
―たぶん。
―どうして?
―さあ、僕だって、メタに絶滅してほしくない。
いつもの吐き気がこみ上げて、私は卵を吐きだした。
彼が卵を指でつつく。
―でもさ、卵を孵すには、上から魔法みたいなもんを振りかけなきゃいけないんだ。
―魔法?
―うん。でも、そんな魔法なんて、もうこの世界には存在しないんだよ。
私と彼は開きだしたチューリップのつぼみが揺れるのを黙って見つめた。彼によると、チューリップは私の左肩の裏辺りにある入墨の模様らしい。
いつまで。私たちはいつまで?
月は欠けて無くなってしまうように、花が枯れて落ちてしまうように、私たちにもいつか終わりがくるらしい。
それでも月はまたすぐに膨れ始めるし、花は春にはまたつぼみをつける。
けれども絶滅する私たちは、恐竜のように、二度と戻らない。
―ねえ私たち、絶滅したら骨になって、いつか誰かに発掘されるかな?
―どうかな。
近頃、彼の額はあまり光らない。だから私は恐竜の話をする。
―水の底から大腿骨が発見されましたって、言われるかな。
―そうかもね。
沼の淵に寝そべった彼は、寝返りを打ってあおむけになった。額が少し光っている。
―いろんな人がさ、恐竜の骨からさ、生きてた頃の恐竜の姿を予想するんだけどさ。どの恐竜もみんな、皮膚は硬くて分厚くて、岩みたいにごつごつしてるんだ。だけどホントは恐竜の皮膚は、もっとずっと柔らかで、ブドウの皮みたいだったかもしれない。
ブドウの花は、私の左腕の内側の模様。ブドウの実は、食べるとおいしい。食べる時、簡単に噛み切れるほど薄くて柔らかいブドウの皮。
―きっと、いつか、メタの骨がみつかって、みんながいろんなことを議論しても、メタの皮膚がこんな模様だなんて誰にも想像できないだろうな。
私は頬杖をついて、沼のぐるりを見渡した。彼の植えた花で埋め尽くされた沼の淵。
想像してみる。誰かに掘り起こされた私の骨。その周りに咲いた沢山の花。けれどその花の形と、その骨のかけらを結び付けるものは何もない。その花の名前を知る人もいない。プクサキナも、キエロも、チューリップも。
ここに咲く花の名前は、私たちと一緒に絶滅する。星につけた名前も、絶滅する。
恐竜が絶滅した時には、一緒にどんなものたちが絶滅したのだろう。
恐竜も、彼のように額が光ったろうか。
恐竜も、彼のように花を植えたろうか。
毎日を繰り返しながら、その繰り返しがいつまで続くのかと、考えたりしたんだろうか。
24。
彼が飛び去ってから、またやって来るまでに、私が水面に頭を出す回数。
1、2、3…
数えながら、月を見上げる。花を眺める。
終わりはどうやって訪れるのだろう。
ある時、突然、24まで数えても彼が現れなくて、そして二度と現れることがないのだろうか。
それともふいに、月が満ちたり欠けたりしなくなって、花が咲いたり枯れたりしなくなって、水中の音楽がぴたりと止んだりするのだろうか。
それで私は24まで数えなくなって、骨になって、私の言葉も持ち主を失うのだろうか。
持ち主を失った言葉も、何処かで骨になるのだろうか。花の名前も、星の名前も、彼の眩しい額の明りも。