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頭についた紫の花飾りが、キュートな歌に合わせてひらひらと跳ね、右側に傾ぐたびに画面から見切れるのを、フミはじっと眺めていた。加工アプリなのか、十数人の女の子たちはみんなおんなじに頬をほんのり赤く染め、おんなじに手足を動かし、頭についた花の色だけがみんなバラバラ。紫の花をつけたトキちゃんの頬も発熱しているみたいに赤くてなんだか変な感じ。
突然クマゼミの鳴き声が耳をつんざいて、フミはいったんタブレットから目を離し、格子窓を開けてみた。けば立つ灰色の海に重くのしかかる雲がぐんぐんと動いている。雨こそやんだようだけど、まだまだ風は強いみたいだ。
窓を閉めてもう一度画面に戻る。動画を止めて、トキちゃんの眉間のあたりをじっと見つめる。変な感じがするのは、頬の色だけのことだろうか。動画を閉じて、四年生のグループチャットに保存されている、トキちゃんがまだ転校する前の写真を見てみる。去年の夏まつり、浜辺に建てたやぐらの前で、みんなで撮った写真。真っ黒に日焼けしたトキちゃんは写真の真ん中で両手ピースしている。
「前髪が長い、のか?」
「ふーみー、上にいるのー?」
庭の方からお母さんの声が聞こえてきたのでもう一度窓を開ける。
「おかえりー」
「いや、ちょっとモノとりに寄っただけ」
フミは階段を下りて、縁側から上がりこんでくるお母さんに麦茶を飲むか尋ねる。
「いや、すぐ戻るから」
バタバタと納戸をひっくり返しながらお母さんが続けた。
「フミ、あんたさ、お祭り今日中止って、ビーチの方ぐるっとまわってカフェの方まで知らせてきて」
「えー、もうみんな知ってるよ」
「いや、ビーチの方のさ、観光の人たちとか知らないかもしれないから。念のため、ね」
「へーい…」
「傘、持っていきなさいよ、まだ降るかもしれないから」
お母さんはポリシートのロールを抱えて靴を履きなおしている。
「お母さんこのまま自治会の方でご飯食べるから、あんたそのままハルのとこでご飯食べてきて。メイもそっちにいるから」
「やった!」
ハルはお母さんの弟で、最近脱サラして島に帰ってきた。今はビーチのはずれにある民宿の一階を借りてカフェを営んでいる。フミも弟のメイも、ハルのご飯が大好き。おいしいし、おしゃれだし、おかずがいっぱいあるし、ジュースいっぱい飲めるし。
傘を持って外に出ると、むっとした空気が肌にまとわりつく。海沿いの車道に降りて、フミはまだ波の高い海を見ながら歩いた。空を見上げるとまだまだどこまでも曇り空だけれど、山側は結構明るいし、セミや鳥も鳴いているし、これから降るとは思えない。今からでも、やっぱり予定変更してお祭りやればいいのではないかと思うけれど、昨晩からの台風で本土からの船が全便欠航していたから、お盆帰省の人たちも全然島に上陸できておらずどうしようもないのだそうだ。
途中、畑に高橋さんのおばさんがいたので声をかけた。
「今日、お祭り中止だってー」
「うん、聞いたよ、残念だったね。明日は?」
「まだわからないって」
畑が途切れて雑木を抜けるとそこはビーチエリア。こじゃれた宿やマリンショップ、お食事処が立ち並ぶが、台風のせいか、開けているお店は少ないようだ。
とはいえ浜辺にはちらほら人がいて、張り出したテントの下でお酒を飲んだりお茶したりしている。
陽気な音楽を大音量で流している店の前に若い人たちがたむろしているのがみえる。おそらく夏休みの間だけアルバイトに来ている大学生たちだ。
海で遊んでいる時、お店にタオル借りたりだとか、お水やごみ袋をもらったりだとかすることがあって、そういう時に、そういう大学生たちと話をしたことがあったはず。そんな時、どうやって話していたか、頭の中でおさらいしてみる。トキちゃんが日焼けした腕を後ろに組んで、「こんにちはー」と、勢いよく声をかけていた後ろ姿が目に浮かぶ。
「こんにちはー」
後ろ手に傘をぎゅっと握りしめて声をかけると、中の一人が立ちあがった。
「はい、いらっしゃいませー」
笑顔の頬がやたらとピンク色で、一瞬、トキちゃんの赤い頬が頭をよぎる。途端にその大学生たちがトキちゃんたちと同じ踊りをしている姿が頭に浮かんでくるのを、フミは慌てて振り払った。
「いや、あの、お祭り、中止だって、あの」
「おまつり…?」
大学生たちはきょとんとしている。フミは下を向き、傘を体の前で握りなおした。地面についた傘の柄から、陽気な音楽のリズムがずんずんと響いてくる。こんな音楽を夏中ききながら過ごしている人たちは「おまつり」と聞いて何を思い浮かべるのだろうか。
「フミちゃん、どしたの?」
バイトの誰かに呼ばれて奥から店長の吉田さんが出てきた。
「ハルさんとこの姪っ子ちゃんだって」
後ろで誰かがささやいているのが聞こえる。
「今日お祭り中止だって、みんなに言ってこいって、お母さんに言われて…」
フミが口ごもると、吉田さんはかぶせるように相槌を打った。
「ああ、お祭りね、盆踊りの。今日だっけ」
フミは下を向いたまま小さくうなずいた。お祭りがいつだかわからない人に中止のお知らせする意味なんてあるのだろうか。
「お祭り明日もだよね?明日も中止?」
吉田さんに聞かれてフミは首を振る。
「まだわからないです」
「そっか。そしたら、君ら、自分のお店戻って、お知らせしてきて」
吉田さんに言われてその場にいた大学生たちが面倒そうに散らばっていった。
「張り紙も作っておこうかな。フミちゃん、ありがとね」
釈然としないままうなずいて海沿いの車道に戻ると誰かが手を振っていた。
「フミちゃーん」
「マナトくん!」
フミも手を振り返す。
「もう来てたんだ」
「一昨日こっちついた」
「お父さんとお母さんも?」
「うん、一緒に来た」
「何してたの?」
マナトくんの、裾が濡れて変色した半ズボン。
「今?今、ウミホタルの罠仕掛けてきた。フミちゃんは?」
「今日お祭り中止だって、みんなに言いに」
「え?中止なの?」
あからさまにがっかりしたマナトくんの顔をみて、フミは緩む口元を隠すように海の方を向いた。遠く、雲の切れ間がところどころにのぞいて、海面もほんのり青色を取り戻しはじめている。
「明日も?」
「明日はまだわかんないって」
それから二人でビーチに張り出した海の家やマリンショップに知らせを伝えてまわった。ビーチエリアのはずれにたどり着くころまでには、マナトくんの半ズボンもすっかり乾いていた。
マナトくんの両親も、今日はハルのカフェの上の部屋で集会に出ているというので、二人でそのままカフェに向かうことにした。ビーチが途切れて、テトラポットの並ぶエリアを歩いていく。
カーブを回ると、ガードレールに寄りかかって、二人の子供が下をのぞき込んでいた。
「ホノカちゃんたちか?」
かけよってみると、やっぱりホノちゃんとサナちゃんだった。
「フミちゃん、どうしよう」
「あ、マナトくんだ、いつ来たの?」
「一昨日」
「ホノちゃんビーサンどうしたの?」
ホノちゃんは右足をフラミンゴのように折り曲げて、片方だけはだしの足裏を左足のすねに押し付けている。
ガードレールから下を覗いてみると、奥の砂地にオレンジ色の鼻緒がちらりと見えた。そこは石張りの護岸になっていて少しは降りていけそうだったけれど、途中からは絶壁になっている。
「もう、ホノちゃんがふざけるからだよ」
眉をしかめたサナちゃんが口を尖らす。
「サナちゃんが先にやろうって言ったんだよ。お天気占い」
顔をあげたホノちゃんがサナちゃんをきっとにらむ。
「お、おもてだ。こりゃ晴れだね」
眼鏡を片手でおさえながらガードレールに寄りかかってつぶやくマナトくん。
「ねえ、前さあ、トキちゃんあの下まで降りてたよね。あっちのテトラポットの方から」
サナちゃんが誰ともなしにつぶやく。
「そうだ、なんだっけ、メイくんの帽子が飛んじゃってさ」
ホノちゃんに言われてフミも思い出した。スルスルとテトラポットをかけ下りていったトキちゃん。フミはホノちゃんとサナちゃんと顔を見合わせて、マナトくんに目を向けた。
「うわ、カニ」
叢から出てきたカニに後退りするマナトくんの腰は完全にひけている。ホノちゃんとサナちゃんがフミに目を向ける。
「フミちゃん!」
「えー、テトラポットは私無理。駄目だよ」
「だよね…」
「あー、またお母さんに怒られる…」
「トキちゃんは?トキちゃん呼んでくる?」
三人一斉に、マナトくんを見る。
「トキちゃん転校したんだよ」
「春にね」
「あら、そうなの?」
マナトくんの、お母さんにそっくりな口ぶりに、フミはため息をついてもう一度テトラポットの方を眺めた。もし万が一下まで行けたとしても登ってこられる気がしない。
「ねえ」
マナトくんがフミを見た。
「その傘使えないかな?」
いったん傘をサナちゃんにあずけて、フミはガードレールをとび超えた。大量のフナムシがシャワシャワと音を立てて一斉に散っていく。傘を受け取っていけるところまでいき、腹ばいになって思い切り腕を伸ばす。
「もうちょっと、右、右!」
ホノちゃんの声。伸ばした手をぶらぶらさせてみても、傘の先に何一つ触る気配もない。立ち上がって首を横に振る。
「ホノカちゃんとサナちゃん、どっちが腕長い?」
路上の三人が背中を合わせたりして腕の長さを比べ始めた。やんややんやした挙句、結局一番腕が長かったマナトくんが、しょっていたリュックをおろし、眼鏡をサナちゃんにあずけてガードレールを乗り越えてきた。
「え、結構こわいんだけど」
「大丈夫、大丈夫」
とホノちゃん。フミもへっぴり腰のマナトくんの手を引いてあげる。
「思ったより高くないから大丈夫!」
腰が引けたままなんとか絶壁まで来たマナトくんがささやく。
「どっちが、どうする?」
フミは腕組みした。さっきカニに慄いていたマナトくんの姿が頭をかすめる。なにかあったら手を離してしまいそう。フミは傘をマナトくんに渡した。
腹ばいになったマナトくんの足をつかんで踏ん張る。
「届きそう!」
「いけるいける!」
二人の声が上からワーワー降ってくる。
「あ、いった!」
「そのまま!引き上げて!」
腹ばいになったマナトくんの脇から傘のさきっちょがにょきっと出てきた。持ち手にはオレンジのものが引っかかっている。上で歓声が上がる。一瞬、腕の力が抜けてマナトくんの足が少しだけ下にずり落ちた。下から小さな悲鳴が上がる。
「大丈夫、大丈夫、ちゃんとおさえてる」
「絶対はなさないでよ!」
マナトくんのふくらはぎにムキっと力が入って、上半身が置きあがってきたので、フミは腕を引っ張ってあげた。
それからビーチサンダルと傘をつかんだまま護岸を登りガードレールを超えて、二人車道まで戻ってきた。
ホノちゃんとサナちゃんがかけ寄ってきて、四人輪になって小さな拍手をした。
海の方に目をやると、雲は切れ、もう夕焼けが始まっていた。
「ねえ、トキちゃんのやつ見た?」
四人でカフェの方に向かう道すがら、サナちゃんにたずねられてフミはうなずいた。
「ダンスのやつでしょ?かわいかったね」
「そうそう、なんか…」
ホノちゃんの次の言葉を待って、みんなが黙る。いろんな虫たちの声が絶え間なくそのすき間を埋めていく。
「…なんかトキちゃん、ちっちゃくなった?」
「それはない」
動画を見ていないはずのマナトくんの即答。
「それはないか…」
フミはトキちゃんの頭についた紫の花の揺れを思い浮かべた。花が大きすぎて、それでトキちゃんが小さく見えたのだろうか。
「一緒に踊ってた子たちがでっかかった?」
サナちゃんの見解にフミは首をかしげる。
「いや、そもそも小さいとか大きいとかそういうことじゃないような…」
「ねえ、マナトくん、やっぱ都会の子は大きいの?」
「いや、そんなことないと思うけど」
サナちゃんにそう返したマナトくん自体、フミ達と比べてそれほど大きいということもない。フミは改めてマナトくんを眺めた。夏休みが終わったら本土に帰っていくマナトくん。彼が都会の友達といるところを、フミ達が目にしたことはない。
「マナトくんはさ、都会ではどんな感じ?」
「どんな感じって?」
フミの質問にマナトくんが眉を寄せる。
「いや、都会でもこんな感じなのかなって」
「こんな感じってどんな感じ?」
「いやあ…」
言葉に詰まって見上げれば、空はすみれ色に変わり始めていた。
カフェに入ってきた四人を見て、ハルはカウンター越しに「おっと」と声をあげた。
「君らどこで何して来たらそんなことになるの?」
いわれてみれば、みんないつの間にかシャツも半ズボンも砂だらけだ。
「別になにもしてないよね?」
ホノちゃんが言ってみんなうなずく。
「まあいいから手洗っておいで」
促されておとなしく手を洗い、四人はテーブル席に腰かけ、それぞれリンゴやらオレンジやらマンゴーやらジュースを注文した。
「ホノちゃんとサナちゃんのお母さんたちも上に来てるよ」
「え?」
「そうなの?」
ジュースを運んできたハルに言われて、ホノちゃんとサナちゃんはあわただしく二階にかけ上がっていった。
「ハル、今日お祭り中止だって」
「うん、さっきその話してたとこ。ね」
ハルがカウンターのお客さんたちに話を振ると、お客さんたちもニコニコと相槌をうった。
「明日はまだわかんないんでしょ?」
「このまま晴れるといいけどね」
フミもうなずき返す。
すぐにホノちゃんたちが降りてきた。
「私たちもここでご飯食べてっていいって!」
「マーナトーーー!」
二人の影から飛び出してきたメイが叫び声をあげながらマナトに突進していった。
「メイ、うるっさい。やめなさい」
言いながらメイをマナトくんから引きはがす。
「マナトくん、一昨日から来てたんだって」
「はっ、知ってますー。さっきマナトのお母さんに聞きましたー」
フミの口から思わず舌打ちが出る。
「メイ、そっちからもう一個椅子持ってきて座りな」
フミが言い終わらないうちにまたしてもメイが叫び出す。
「ヤダヤタヤダ!マナトと座るー。フミちゃんがそっち行って」
「うるっさい、わかったよもう」
フミはカウンター横に置いてある予備の折り畳み椅子を一脚持ってきて広げた。
「メイ、なんか変なテンションになってるわ」
ハルに愚痴っても、ハルはニコニコしてばかりだ。
「いやあ、友達の前だとお姉ちゃん優しいから甘えちゃうんだよな?俺もお姉ちゃんいるからわかるなあ」
そう言いながら、リンゴジュースをメイに渡す。
「え、私のせい?」
「そうだよ、家にいるときのフミちゃん激コワ!」
マナトくんに引っ付いたままメイは不敵な笑みを浮かべている。
いっぽう、ホノちゃんとサナちゃん。
「この上と下の氷がひっくり返ったら明日晴れることね」
サナちゃんがそう言って、ストローで勢いよく氷をまぜた。コップの中に小さな竜巻が起こって氷がくるくると回る。しかし、上の氷は下の氷の角に引っかかって落ちずに止まってしまった。
「ダメか」
「いや、でももうちょっとで…」
ホノちゃんが身を乗り出す。
マナトくんもサナちゃんのコップをのぞき込で、眼鏡をくいっと押し上げた。
「この氷と水の境目にはね、実は別の水が存在するということらしいよ」
「別の水?」
ホノちゃんとサナちゃんが口をそろえる。とりすました顔でマナトくんが続ける。
「水は同じ水なんだけど、構造とか密度が違うから、別の水ということらしい」
紫の花をつけたトキちゃんの、眉間のあたりの映像が、ふっとフミの頭をよぎる。
「別の水…、ハル、知ってる?」
「いやあ、わからないけど…、そんなこと言ったら水も蒸気も氷も、同じものがいろんな形になってるわけだよね。そういうこと?水と氷の間に実はもう一個あるみたいな?」
とハル。
「うーん…いや…」
うなるマナトくんにみんなが注目した時、カランと氷の落ちる音がした。
「よし!」
とサナちゃん。
外はすっかり真っ暗で、月が見えていた。
聴いた曲:トニック・ラブ (アルバムⅥより) by ミツメ