低学年の頃って、運動会って、すごくすごく特別だった。今だって、楽しみな行事に違いない。でも、小さかったころの、あの、何が起こるかまるで分らない感じ、不思議なことが飛び出してきそうなドキドキ感、あの感じ、どこに行ってしまったのかと思う。
そりゃ、やっぱり、借り物競走とかって楽しいし、同じ赤組のハマ君がリレーでごぼう抜きなんかしたら、みんな一気に盛り上がる。けれど、借り物の指令の紙は先生たちが書いているって知っているし、ハマ君の足が速いのだって、ずーっと前からみんな知ってる。
それに、小さい頃には、こんな汗の心配なんて全く知らなかった。例えば、玉入れで赤組が玉三つ差で勝って、すごい歓声を上げたとき、私はその興奮した気持ちを逃さないように、一生懸命声をあげるんだけど、両手を振り上げようとして、脇のことが頭にさっとよぎって、手を下ろす。その瞬間、興奮している自分から、もう一人の自分が分離して、上から冷静に観察し始める。
こんなんじゃ、以前のようには全然楽しめない。このまま、我も忘れて楽しんだりドキドキしたりすることがどんどん無くなっていくのかなあって考えてしまう。
で、私はとうとう、ドラッグストアにやってきているわけだ。とうとう買う。
チャンスが到来したのは日曜日の朝だった。テレビを見ながらのらくらとスープをすすっていると、新聞に挟まっていたドラッグストアのチラシを入念にチェックしていたお母さんが言った。
「真鈴、今日お遣い頼める?」
スープの横に白いメモ紙が置かれる。
「おやつは?」
「五百円まで」
「ラッキー」
お遣いに行くときは、自分の好きなおやつを買ってもいいことになっている。二百円だけの時もあれば、今日みたいに五百円も許してくれる時もある。
「お母さん、篠山さんのおばあちゃんのとこ行ってくるから、お昼は昨日のカレー食べて」
そう言ってお母さんがあわただしく出て行ってからしばらくして、私はある計画を思いついた。
即刻、家計簿を出してきて、いつものドラッグストアのレシートをチェックする。品物の名前までは書いてない。これなら、メモにあるもののほかに、五百円くらいの、お菓子じゃないものを買ってもわからない。
そういうわけで、今、私は何度もシミュレーションしたとおり、シャンプーの詰め替えパックをかごに入れた後、レジにむかう途中でさりげなく、それをかごに放り込んだ。それがその場所にあることは、もうずうっと前から知っていた。もちろん誰にも見られていないかも確認した。
レジに進む。
トイレットペーパー、洗剤の詰め替えパック、石鹸に、シャンプーの詰め替えパック…どれも、小学生がお小遣いで買うものじゃない。レジのお姉さんは無表情で品物をあっちからこっちへ移して、表示される値段を読み上げているけど、きっと、この子はお遣いに来たんだな、って思っているに違いない。だから、その中に紛れ込んだデオドラントスプレーも、きっと、買ってきてと頼まれたに違いないと思うはずだ。あら、この子、こんなもの買って、臭い子なのかしら、とは思われないはず!
お会計を済ますと、素早く、できるだけ袋の外側から見えないようにスプレーを詰め込む。もう一度、周りに知り合いがいないか、さりげなくあたりを見回して確かめる。完璧だ。
何もなかったような顔で店の外に出た瞬間、心臓がでんぐりがえりそうになった。あわてて店の中に引き返す。
自転車置き場に、琴音ちゃんがいるではないか。
頭が真っ白になる。見られた?よりによって、琴音ちゃんに、一番見られたくない子に見られた?
けれども、すぐに、大丈夫だと気づいた。
琴音ちゃんの手にも、自転車のかごにもドラッグストアの袋は無い。その代り、お店の人と思われる男の人が琴音ちゃんの自転車に大きな箱みたいなものをくくりつけている。たぶん、ホームセンターの店員だ。
このドラッグストアはスーパーとかホームセンターとか、レンタルショップと隣り合わせていて、一つの駐車場を共有してる。たぶん、琴音ちゃんは、ホームセンターで店であの箱を買ったのだ。
箱の取り付けが終わると、琴音ちゃんはぺこりと頭を下げて、自転車に乗り、あっという間に消えていった。
琴音ちゃんの姿が完全に消えると、ほっと、ため息が出た。本当に見つかるかと思った。そそくさとドラッグストアから出て、自転車のかごに買い物袋を入れる。
一刻も早く家に帰りつかなければ。
けれど、あんまりとばして琴音ちゃんに追いついたらまずい。わざと遠回りの道を選びながら自転車を走らせる。
自転車に乗っている時って、一人で歩いてる時もそうだけど、頭の中がものすごく暇だ。暇だから、いろんな考えがむくむくとわいてくる。
琴音ちゃんは何を買っていたんだろう。自転車をこいでるうちに、そんな疑問がむくむくとわき起こってきた。ホームセンターで買うもので、大きな四角いもの…電子レンジ?いや、もっと大きかった。そもそも、小学生がひとりで電子レンジ買いに来るわけないか。
本当に、何かを入れるための箱かもしれない。そういえば、押入れにしまってある、服を入れるプラスチックのケース。あんな大きさだったかもしれない。でも、そんなもの、琴音ちゃんは何を入れるために買うというのか?
その時、突然、私は答えに思い当った。
水槽。カケルを入れるための水槽。そうだ、もっと大きい水槽がほしいと、琴音ちゃんは言っていた気がする。
それにしても大きな水槽だった。いくらカケルが普通のカメムシより大きいからって、あれはやりすぎじゃない? 琴音ちゃんの家には、随分長いこと行っていない。私がいない間に、カケルは、また更に大きくなったのだろうか?