「キャーッ」
叫んだ声はハンニャちゃん。本当の名前は絆(はん)菜(な)というのだけれど、みんなにそう呼ばれてる。「キャーッ」っていうのはハンニャちゃんの得意技。立ち上がったまま口に手を当てて固まっている。
クラス中の頭がぐりっとそちらに向き直る。
ハンニャちゃんの目をくぎ付けにしているのは、隣のシズカちゃんの机の上にあった。
カメムシだ。
教室中がざわめき立つ。
「ほら、静かにしなさい」
って言った先生も、腰が引けて動けない。シズカちゃんは声を出すこともできずに、顔を真っ赤にして、小さく震えている。ビー玉みたいにパッチリした目からは今にも涙が落ちそうだ。
「誰か!ちょっと、誰かっ!」
ハンニャちゃんがまくしたてる。私はとっさに椎太の方を見た。
椎太の席はシズカちゃんのななめ二つ後ろ。握ったこぶしに相当力が入っているのがここからでもわかる。
(ほら、立て。椎太、立て)
私の心の声に合わせて、椎太の腰が持ち上がり始める。
(よし、行け、行け!)
ところが今度はいくら念じても、ぴくりとも動かない。伸びあがった椎太の体は、紙一枚分椅子から離れたところで、かちっと固まってしまった。
ざわめきがおこってシズカちゃんの方に目を戻すと、ずっと前の席に座っているはずのユッキがへらへら笑いながら近寄ってきていた。ユッキはにやにやしていたかと思うと、いきなりババッとカメムシをつかんだ。いつものとろいユッキからは考えられない素早さだった。
「うわ、ユッキ!」
「げっ、素手で!きったねっ」
男子たちが騒ぎたて、女子たちは口に手を当ててキャーキャー叫ぶ。ユッキはといえば、まるで声援でも浴びてるみたいに、一層にやにやしながら、カメムシを握りこんだこぶしを目の前に突き出して、女子たちをのけぞらせている。
「こっち来んな!」
通りすがりの男子がユッキに蹴りを入れた。ユッキは前にのめって両腕をぐるぐる回す。
「あっ」
ユッキの声と共に、クラス中の叫び声が跳ね上がった。
ほどなく、私のところまで、そのにおいが漂ってきた。思わず叫ぶ。
「うわあ、くさーっ」
けれどもそんな私の声なんかは誰にも聞こえないくらい、クラス中が大騒ぎだ。
「窓開けろ、早く!」
「おまえ、つぶすなよ、つぶすなよ」
「早く捨てろ、早く!」
いろいろな声が飛び交う中、にやにや顔のユッキが、悠々と窓辺に向かい、手の中の、おそらくもう生き物とは言えなくなってしまった緑色のかたまりを、外に放り投げた。
「優希君、手を洗ってきなさい」
ユッキが教室の外に追い出されてからも、しばらくざわめきは治まらなかった。私はといえば、琴音ちゃんのことが気になっていた。
カメムシを飼ってる琴音ちゃん。今の騒ぎをどう思っているんだろう。
琴音ちゃんを見た。琴音ちゃんはまわりで起きている騒ぎなんかまるで聞こえていないかのように、相変わらず涼しい顔で、ノートに何やら書き続けていた。
* * * * *
騒ぎが治まってしばらく経ってから、手紙が一切れ回ってきた。友梨ちゃんからだ。後ろを振り返る。友梨ちゃんは頭を低くして口を手で覆っていたけど、にんまり笑っているのが目と鼻だけでもわかる。にんまり笑い返して手紙を開く。
すぐさま後ろを振り向いて鼻をつまんで顔をしかめる。友梨ちゃんが口を押さえたまま肩を揺らして笑っているのがわかる。にっと笑い返して先生にばれないうちに手紙を隠して、教科書に視線を戻す。 ユッキって、キタナイし、クサイ。って、言われてる。確かに平気で鼻くそ食べたりしてるし、なんか汚い感じがする。でも、正直、臭いのかどうかはわからない。体育とかで、隣に並んだりすることもあるけど、別に変なにおいとかしない気がする。でも、友梨ちゃんとかは、ちょっと近くに寄っただけでも本当に臭そうにしている。みんなだって、ユッキの近くにいると、本当に嫌そう。私はもしかして、鼻が少し鈍いのかもしれない。そんなことばれたら嫌だから、私もにおいと思ってるふりをしてる。ばれないか、ヒヤヒヤものだ。