第65回長崎原爆忌平和祈念俳句大会のご報告

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ご挨拶


第六十五回長崎原爆忌平和祈念俳句大会は、酷暑の中おこなわれましたが、一般の部877句、ジュニアの部1,076句と多数の俳句を寄せて頂き、協賛頂いた諸団体、選者、来賓の皆様をはじめ多数の参加者のご協力のお陰をもちまして、盛会のうちに終了することが出来ました。皆様のご協力にこころより御礼申し上げます。

来年もまた多数の皆様にご投句、ご出席をいただきますと共に、変わらぬご支援を頂きますようお願い申し上げます。

平成三十年八月

大会会長 横山哲夫

実行委員会


大会記

実行委員 倉田明彦

第65回長崎原爆忌平和祈念俳句大会(同実行委員会主催、長崎新聞社共催)は、平成30年8月4日(土)午後1時から、長崎原爆資料館(長崎市平和町)の平和資料室で開催されました。

中村昭夫大会事務局長の司会で開会され、冒頭に、原爆被害者のご冥福と、長年この大会の実施に貢献された俳人金子兜太氏のご冥福を祈って黙祷をささげました。続いて大会会長横山哲夫が開会の挨拶を行いました。まず会長は、本大会について、現在各地で催されるようになった多くの原爆忌俳句大会のなかでも本大会は嚆矢であり、他に先駆けて昭和29年第1回大会が催された最も歴史のある大会であることを紹介しました。ついで被爆者の現況について、現在の全国被爆者総数は約15万5千名であり、戦後73年を経て高齢化が進み、被爆体験の継承が喫緊の課題となっているという認識を述べました。そんな状況の中で、この大会で俳句という短詩型の形式をもって被爆の悲惨を表現し、反戦、反核の訴えを進めていくことは、「絵画におけるピカソのゲルニカ、長崎ゆかりの小説家林京子の『祭りの場』、詩人山田かんの一連の現代詩などの前人の仕事を引き継いでいくことになるのではないか」、そしてそのことは、同時に、「戦争に対する、そして被爆に対する個人の記憶を人間の集団記憶として定着し、刻みこみ、後世に残していく役割を果たすことに繋がっていくのではないか」と、この大会の意義を表明しました。ついで来賓の紹介に移り、西山常好氏(「母港」主宰)、深野敦子氏(「杏長崎」主宰)、藤野律子氏(「咲の会」代表)、福本弘明氏(「天籟通信」代表)、山田ゆう子氏(「一樹会」会員)が紹介されました。

つづいて今大会の講演講師の広瀬訓氏(長崎大学核兵器廃絶研究センターーRECNAー副センター長)が紹介され、『「核兵器廃絶へ向けて」長崎からの発信』と題して講演を頂きました。被爆地長崎から核廃絶をどのように発信していくかという観点に立って、1)「ナガサキ」の意味、2)経験へのまなざしー被爆体験の共有と継承ー、3)長崎大学の取り組み、4)核兵器廃絶へ向けての「感性」と「理性」、5)核兵器廃絶は可能か?という5項目に分けた、整理の行き届いたご講演でした。とくに、「ナガサキを最後の被爆地に」ということを人類の目標として共有できるように、長崎からの発信を続けていくことに大きな意味合いがあるということ、さらには核廃絶への「共感」は優れた芸術で「感性」に訴えることで育まれ、核廃絶への道すじは社会科学などの説得力のある論理で「理性」に働きかけることで明らかとなっていくという考えを展開されました。核兵器は抑止力としての「必要悪」ではなく、抑止には繋がるはずもない「絶対悪」であることを論理的に長崎から世界に示して、核廃絶へ繋げていくという長崎大学核廃絶研究センターの方針と抱負を述べて結語とされました。

講演に引き続いて大会応募句の表彰句についてフォーラム形式での合評会がおこなわれました。一般の部の司会は実行委員の北辻千展、倉田明彦、ジュニアの部は江良修、塩崎みちえが担当しました。大会大賞は一般の部で愛媛県の大野泰司さん、ジュニアの部で愛媛県立松山東高の武田歩さんが受賞しました(表彰句は別欄にてご覧いただけます)。またジュニア部門には、今年度から新たに長崎キワニスクラブ賞が設けられ、第一回目の受賞者に長崎県立諫早東特別支援学校中学1年の柴田華歩さんが選ばれました。ついで当日参加者による句会(大会出席者のみ当日一句投句)が行われ、中尾よし子、馬津川ゆりが合評会の司会を行い、来賓の諸先生と実行委員の選により長崎の宮崎包子氏の句「九条を考えている塩むすび」が大賞に選ばれました。表彰式は部門別に行われ、横山会長が受賞者に表彰盾、記念品を贈呈しました。

午後4時30分、実行委員会を代表して江良修が閉会の辞を述べ、会は予定通りつつがなく終了しました。

大会会長挨拶

講師 広瀬 訓氏

長崎キワニスクラブ会長 片山仁志氏

来賓、出席者の皆さん 来賓のお二人 大会大賞受賞 大野泰司さん ジュニアの部受賞者