会長挨拶
第六十六回長崎原爆忌平和祈念俳句大会記
実行委員 江良 修
第六十六回長崎原爆忌平和祈念俳句大会(同実行委員会主催、長崎新聞社共催)は、炎天の中55名の参加者を得て、令和元年年八月三日(土)午後一時から、長崎原爆資料館(長崎市平野町)の平和学習室にて開催された。
中村昭夫事務局長の司会により開会。まず大会参加者全員が起立し、本大会の発案者である柳原天風子氏、長崎県被爆者手帳友の会会長の井原東洋一氏をはじめ、原爆により亡くなられた方々の冥福を祈って黙祷を捧げた。続いて、横山哲夫大会会長が開会の挨拶を行った。「原爆投下当時の長崎市の人口24万人の約3分の1が直撃で死亡した。負傷者もほぼ同数であり、合わせると長崎市民の3分の2が被害を受けるという大惨事であった。原爆投下は当初小倉の予定だった。目視観測不可のため長崎に変更になったのだが、もし小倉に落ちていたら私は死んでいた。申しわけない気持ちでいっぱいである。現在、実際に戦争のむごさを知り、平和の貴重さを肌で感じているのは、85歳以上の方であろうか。今の日本人のほとんどが戦争未経験である。戦争体験者の減少により継承が難しくなるが、俳句など文学には人間全体に伝える力がある。この集団記憶が人間の強みであり歴史の強みである。俳句を以て戦争の悲惨さを告発し記憶に留め、平和の尊さを伝えていこうというのが本大会の理念である。昭和29年に柳原天風子氏の発案で発足した本会が、全国で最も古く長く続いている原爆忌俳句大会である。今後も継続していきたいと思っている。しかし、当然ながらマンネリ化が避けられず、類想、類似の句がある。そんな中でも、それ以上に新しい人たちによる新しい発想の句も生まれている。今年も沢山の秀句が見られた。」と述べ、最後に、「多数の後援、協賛団体の皆様、参加者の皆様、実行委員の方々に、深甚なる感謝の意を表して開会の挨拶とします。」と結んだ。
ついで、来賓として、西山常好氏(「母港」主宰)、深野敦子氏(「杏長崎」代表)、藤野律子氏(「咲の会」代表)が紹介された。また、九州俳句作家協会事務局長・福本弘明氏の名代として、夢野はるか氏が紹介された。
今回の記念講演は、「平和のために 被爆74年」と題して、寺井一道氏指導の被爆者歌う会「ひまわり」の合唱を鑑賞した。被爆者歌う会「ひまわり」は平成16年11月発足。平均年齢80歳を優に超える世界唯一の被爆者だけの合唱団で、高齢のため年々人数が減少していくが、被爆者だけの合唱団というスタンスを保つため新たな団員を募集しないという信念のもと、歌の語り部として国内外で精力的に活動を展開している。本大会では、「もう二度と」「長崎の女の子」「花でかざって」「祈り」「浦上」「明日こそきっと」の6曲を披露していただいた。合唱が始まると、その歌声に誘われ会場のあちこちからすすり泣く声が聞こえてきた。歌の伝える力を改めて強く感じた公演であった。公演終了後、会場からは惜しみない拍手が送られた。
公演に引き続き、一般の部764句、ジュニアの部708句の事前投句について合評会が行われた。一般の部は、倉田明彦、北辻千展の二名が、ジュニアの部は、塩﨑みちえ、江良修の二名が司会を担当した。ジュニアの部で、一マス空けの表記について意見があった。俳句では一マス空けるのはそれなりの意味がある場合と捉えられるので、今後、表記についての注意事項を募集要項に加える必要があると思われた。その後、合評は中高生を含め一般参加者の中からも発言があり、終始和やかな雰囲気の中で行われた。
大会大賞は一般の部では大分県の有村王志さん、ジュニアの部では長崎南山高校の森田悠揮さんが受賞した。また、昨年より、中学生を対象にキアニスクラブ賞が創設されたが、今年は、佐世保市立祇園中学校の石川胡桃さんが受賞した。
続いて当日句50句の合評が馬津川ゆり、中尾よしこの司会で行われた。当日句の大賞には、長島富美枝さんの「灼けている治人の句碑に触れてきた」が選ばれた。
各部門別に、横山哲夫会長から受賞者へ表彰楯や記念品が授与され、午後四時半頃、倉田明彦が閉会の辞を述べて大会はつつがなく終了した。
投句をしていただいた全国の俳人の皆様、生徒の皆さん、ご多忙の中大会募集句の選をしてくださった全国各地の選者の皆様に深甚なる謝意を表します。ありがとうございました。
被爆者歌う会「ひまわり」ー遺影とともにー
被爆者歌う会「ひまわり」
黙祷
長崎キワニスクラブ 片山仁志会長
ジュニア部門受賞者
一般句表彰者
一般句討論
南山高校三年 森田悠揮さん
精道三川台高校一年 櫻井琢仁さん
「口語俳句振興会賞」 寺井すみえさん
当日句披講
来賓と実行委員
ジュニア句披講
実行委員