工学系ニュース1998

投稿日: 2013/08/21 3:02:59

先週の朝日新聞に「大学・企業が企業家育成を。経団連が緊急提言。国立大学教員を民間に。社員の挑戦後押しを」という記事があった。その記事のすぐ下には「大学の特許登録、米リード」という記事があり、米国全大学が5000件の特許登録をしているのに、日本は100件、ちなみに東大は5件だけ、という記事があった(教官個人の出願分は含まれていないとの断り付き)。具体的には、企業家教育の充実、教員が企業家となること、教員が民間の役員に就任することなどが挙げられている。

経団連が大学に注文を付ける背景には、このような日米比較、特に誇張されすぎている米国大学でのベンチャーの成功例がある。「桶屋がもうからないのは、風が吹かないからだ」と言っているようにも聞こえるし、また、理工系だけの問題なのかとも思う。特に経営の問題はどうなっているのか?私の同級生で、大手シンクタンクで企業コンサルタントをやっている友人によると、新事業開発やベンチャーが大事と頭では分かっていても、失敗したときの責任問題を恐れ、誰も率先して提案しようとしない、という雰囲気が特に大企業の重役クラスに蔓延しているのだそうだ。資産のない(のが当たり前の)ベンチャーに金を貸さない金融機関と事情は一緒だ。

いずれにしても、違和感の残る記事であった。そうしたら、今度は、今日の朝刊に「21世紀の大学像、審議会が中間報告」という1面トップの記事が出た。お読みになった方も多いと思うが、「戦後最大の制度改正を伴う内容」なのだそうだ。

それにしても「ああしなさい、こうしなさい」と、大変な時代になった(もしかしたら、学生数減少によって淘汰される大学の救済への布石なのかも)。「戦後最大の制度改正」全体を整合的に説明できる理念のようなものはあるのだろうか?整合しないとすれば、大学、あるいは部局、さらには教官単位でのミッションの差別化が行われ、名前は同じ大学や教官でも、異なる理念で運営されるだろうか?また、限られたリソースですべての要求は実現できないとしたら、何かを犠牲にせざるを得ないはずで、「あれはもうやらなくてもいいよ」といったようなことはあるのだろうか?現場の1教官では、新聞以上のことは分からないのだ。

(精密機械工学専攻 鈴木宏正, 1998)