A Lucky Traveller 2001/9/11

投稿日: 2013/08/21 3:06:06

2001年9月

1. ピッツバーグにて

Sept. 11, 2001-

■8:50AM ET

9日に日本からピッツバーグに来て、昨日からASMEの学会に参加していました。朝一のセッションが終わって、次のセッションへ行こうと思って、東大の青山さんと会場のホテルのロビーを歩いていたら、大型スクリーンにWTCのビルから煙が出ているのが映っていました。新作映画の宣伝か、と思ったのですが、LIVEと出ていたので、「火事ですかね。大変なことになりましたね。」と二人で納得してセッションへ行きました。ちょうど1機目が突っ込んだ直後だったのです。

■10:30AM ET

セッションが終わってまたロビーに来て見ると、黒山の人だかりで、画面にはモウモウの煙に包まれたマンハッタンが映っていました。何事だ!と思ったら、飛行機が突っ込んだと聞いて驚きました。なんとペンタゴンにも一機突っ込んだそうです。テロです。

PM

昼休みに部屋でテレビを見て情報収集です。これらの3機の他に、もう1機は、なんとこのピッツバーグの側へ墜落したというではありませんか!また、他にもハイジャックされた飛行機があると聞いて、緊張しました。

CNNには "AMERICA UNDER ATTACK" と表示されています。ブッシュは大丈夫だが、フロリダからワシントンへは戻らず、また、どこにいるかは安全保障上から言えないとのことでした。米軍も厳戒態勢に入ったようです。

全ての飛行機に着陸命令が出ていました。日本などから飛んできた飛行機はカナダへ振り向けられたようでした。

ワシントンでは政府関係のビルから皆避難し、ここピッツバーグ空港も閉鎖されました。そして町のほとんどの店やレストランが閉まってしまいました。窓からMacDonaldが見えるのですが、閉まっていました。でも、人々や車の流れはいつもと変わらないようでした。

午後のセッションに出席しましたが、かなりのアメリカ人はロビーのテレビに釘付けになっていました。

次々と信じがたい映像が流れていきます。WTCに2機目のジェットが衝突するシーン。WTCが崩れるシーン。ペンタゴンに大きな裂け目ができ、もうもうと煙が出ているシーン。一体、何人の人が死んだのでしょうか。気分が悪くなりそうです。

さて、大変気になるのが帰国の飛行機です。いろいろな情報が錯綜していたのですが、「米国時間で12日の正午まですべての飛行機が飛ばない」のは確実でした。日本人がそれぞれ集まって、情報交換しています。冨山さんはさすがです。すでにホテルの予約を伸ばし、帰国便の予約変更なども行っているようでした。また、戦争のようなものなので、航空会社の責任ではないから、チケットが無効になるのでは、との話もありました。

■16:00PM ET

夕方のセッションで発表があるので、もう一度チェックして、セッションに参加しました。発表はそれなりでした。

■19:00PM ET

夜、レストランが開いてないのでどうしようかと思っていたら、Union Squareでは開いているところがあるとのことで、IBMの井上さんの車で、乾さんと乾さんの学生さんと4人で食べに行きました。私は、体力をつけようと思い、12オンス(300グラム)のでかいステーキを食べました。

帰ってきてから、いつもお世話になっている日本の旅行代理店(産業旅行さん)にメールを打ち、帰国便の状況を知らせてくれるように頼みました。また妻にも連絡をとったら、「ピッツバーグの名前がでていたので心配している。」とのことでした。テロが起きた時、日本は夜中だったので、電話をしなかったのですが、テレビの中継をズーッと見ていたようでした。

Sept. 12, 2001

■8:50AM ET

朝、メールを開けてみると、冨山さんの秘書の越塚さんからのメールが入っていました。皆さん、それぞれに帰国便を確保しようとして動いています。彼らはNorth West, 私はJALなので、事情は相当に違うのですが、大変参考になります。電子メールは偉大です。この日から、相当数のメールが行き交うことになります。またホームページも有効です。各航空会社の運行状況などが一目で分かります。

また、学科事務の関本さんからもご心配のメールをいただき、その中で延長分のホテル代等の領収書を取って置くようにとの指示がありました。どうか、特別のご配慮をお願いします!

■AM

大企業の方たちには、会社から指示が出ていました。大学は安否を確認するだけ。東芝の大富さんは、すでに17日のANAを、IBMの井上さんはパリ出張をキャンセルして15日のUintedを確保しており、余裕です。冨山さんはNorth Westのゴールド会員なので、難なく17日のNWを確保。いいなあ。

ホテルのフロントで予約を伸ばしました。昨日は断られた人がいるようなのですが、今日はOKです。日本人スタッフがいるのですが、レートも会議特別レート$130のままでやってくれました。

また、産業旅行さんからの回答は、こちらと同等の情報しかないということで、ただチケットが無効になることはないとのことでした。

■PM

午後にテレビを見ていたら、USAir は14日の朝6時まで飛行機を飛ばさないといっていたので、USAirに電話をして、もともとの13日 USAir 303便 Pittsburgh → Chicago の予約を14日 USAir 441 7:00AM Pittsburgh → Chicagoに変更しました。13日は、各地に散らばった飛行機を1日かけて調整するようです。PittsburghはUSAirのハブで、この便はPittsburgh発なので、これには乗れると思いました。

ホテルはChicago O'Hare空港のターミナルに隣接するヒルトンにしました。8月の出張のときもヒルトンに泊まり、今回もヒルトンでした。よく考えてみると、これまでもヒルトンが意外と多かったような気がするので、このたび Hilton Honorsの会員になっていました。会員専用電話の1-800-HHONORSへ電話して、予約しました。$190です。

また、産業旅行さんから、JALの連絡先を教えてもらい、電話をしてみました。なかなか繋がらなかったのですが、「全く再開の見通しがないので、ウィティングになる。確実に予約が入るのは24日です。」と言われ、愕然としました。後10日も帰れないの?!とりあえず、ウェイティングのリストにいれてもらいました。また、ビジネスクラスの空きも聞いたら、19日くらいならもしかしたら何とかなるかもしれないが、どうなるか分からない、と言われました。そして、毎日電話してほしいと言われました。また、できればシカゴに来て、スタンバイしなさいと言っていました。

あまりに見通しがなさすぎるので、産業旅行さんにメールで、

○シカゴ発の他の航空会社でより早い便が取れるかどうか?

○あるいは、シカゴ以外の都市からの成田行きが取れるかどうか?

を調べてもらうことにしました。

以上の状況を木村先生と秘書の辻口さん、そして妻にメールで連絡しました。

辻口さんから「現金がないと困るとかいう話も聞きましたが...海外カードがなくてお困りでしたら、冨山先生の口座に振り込んで引き出すということも可能だということなので、もし何かありあましたら連絡下さい。」というメールがありました。確かにこんな時現金は大事ですね。私はアメリカに来る時には、

○成田の三菱銀行で買う米ドルパック

○Citibank のカード

○現地でのクレジットカードのキャッシング

○円のキャッシュで両替

○円のトラベラーズチェック(基本的には使わない、非常用。)

を使っています。

以前はクレジットカードのキャッシングを多用していたのですが、手数料や利息が馬鹿にならないので、口座直接引き落としのCitibank のカードを使うようにしています。こんな事態の時には、クレジットカードなどはあまり当てにならなくなるのかもしれませんね。なお、クレジットカードは、MasterとVISAを両方持っています。前はAMEXを愛用していたのですが、年会費やマイレージへの移行などの手数料高く、また、東大はDCカードの法人会員制度があって、無料でゴールドカードがもらえるので、それを機会にやめました。本当はアメリカではAMEXがベストです。今は、DC JALカードを主にして、ショッピングマイルを稼いでいます。

というわけで、近くの銀行のATMで現金を少し多めに調達しておきました。

とにかく、明日は出発できないので、地元のCMU(カーネギーメロン大学)の嶋田さんにメールで連絡して、明日の乾さんと井上さんの見学に私も入れてもらうことにしました。

楽しみにしていた、明日のメッツ対パイレーツの試合は、今日の試合を含めて中止になりました。嶋田さんがせっかくチケットを用意してくれたのに、新庄を見れずに残念です。

Sept. 13, 2001

■11:00AM ET

JALに再度電話しました。電話はすごくかかりにくくて、この時も、11:00ころからかけたのですが、まず約10分くらいは繋がらず、その後繋がったのですが、「しばらくお待ちください」が続き、担当の人と繋がるのに20分くらいかかりました。乾さんとの約束が11:20だったのですが、せっかく繋がったのに、途中で切ることもできず、ちょうどJALと話している時に、乾さんがドアをノックするのが聞こえたのですが、応答できませんでした。

日本への出発が許可されないのと、日本からの便も許可されないので、13日の便もキャンセルとなり、担当の方の話し方からも、状況はより緊迫しているようでした。やはり、シカゴへ来て、JALに連絡を取って欲しい、と言われました。

■7:30PM ET

さて、CMUでの大変有意義な見学のあと、博物館へ行って、恐竜の巨大な化石を拝んできました。その後、嶋田さんたちは、古い教会をビアホールにしたところへ食事に行くというので、誘われたのですが、もう7:00を過ぎていたので、ホテルに帰ることにしました。

さて、ホテルに帰ってから、ちょっと迷いが生じました。

○明日はUSAir運行再開の初日だから、便のキャンセルが多く出る可能性がある。

○しかし、朝7:00の便はピッツバーグ発なので、他の飛行場から飛んでくるのと違って、キャンセルの可能性は低いのではないか?

○ただ、7:00に乗るには、3:30頃にはホテルを出なければいけないので、時差ぼけで、アメリカにきてからあまり眠っていないので、体力的にはきつい。

○もう少し遅い便にすれば今夜は眠れるけど、便のキャンセルの可能性も高くなる。

○一方、もしかしたら14日はJALがシカゴから飛ぶかもしれないので、明日シカゴでスタンバイすれば、きっとシカゴへ来れない人が多いので、乗れる可能性が高いのではないか?

などとごちゃごちゃと考えているうちに、10:00PM近くになってしいました。それで、迷ったあげく、「どうせ行くなら早いほうがいい」ということで、初志貫徹することにしました。ルームサービスでCajun Steak Saladというのを頼みました。アメリカではサラダだけで十分ディナーです。

■10:30PM ET

産業旅行さんに電話を入れて、様子を調べてもらったら、「JALはノーマル(ビジネスクラス)の客から乗せるつもりらしい」とのことでした。「他の便を予約してもらうかもしれないが、いずれにしても週末はあきらめているので、月曜日に連絡する。」といって、お風呂に入りました。

お風呂で考えたのは、「ノーマルの客から乗せられたら、私が乗れるのは、どう考えてもかなり先になるのではないか」ということでした。そこで、10:50頃に、産業旅行さんに電話を入れて「ノーマルでいいから、探して欲しい」とお願いしました。ノーマルチケットは、乗らなければ、手数料なしでキャンセルできますから。「1時間後に返事をする」とのことでしたが、返事は「今の段階では、まだ分からない。相当に混乱しているし、週末になるので、月曜日までに対応する。」ということでした。結局、1:30AMまで電話待ちで眠れませんでした。

Sept. 14, 2001

■3:00AM ET

最低2時間前までには空港へ行く必要があるので、余裕を見て、3時半にタクシーを予約してありました。産業旅行さんへの電話の後、ベッドで少しウトウトして3:00AMころに起きました。

そして念のために、USAirのホームページをチェックすると、ガアーーン。US441便はキャンセルされていました。3時間前には大丈夫だったのに!

ここで、吹っ切れました。無理をして乗れるかどうか分からないのに、あせってもしかたないではないかと。また、かなり寝不足で、「体を壊したら元も子もない」し、「今日はまだ動いても無駄」と開きなおり、メラトニンを飲んで寝ました。こんなことならビヤホールへ行きたかった!

■8:00AM ET

起床。まず、今晩のシカゴのヒルトンの予約を電話でキャンセルしました。そして、冨山さんに電話をして、朝食に誘いました。冨山さんが『非常時は安全なところから動くな』といってたけど、そのとおりだねと言って、ゆっくりと食事をしました。冨山さんがおごってくれました。冨山さんは、結構優しいところがあるんです。

朝食前にロビーでお会いした早稲田の山川先生たちがレンタカーでシカゴへ移動するというので、私も誘われました。ちょっと心が動きましたが、やはり何日もシカゴで悶々とスタンバイするのは精神的におかしくなりそうなので、友人の沢山いるピッツバーグで待つことにしました。

■10:00PM ET

朝食の後、部屋に帰ってみると、産業旅行さんから19日のUA(United Airways)の便がとれたとのメールがあり、感謝感激です。「地獄に仏」とはこのことです。夜遅くまで頑張ってくれたようです。ただ、日本からの予約でははっきりしないので、念のためUAに電話して確認してほしいとのことだったので、イエローページで調べて、電話で確認したら、オーケーでした。これで安全パイができ、リラックスです。木村先生からのバックアップもあり、感謝。

そこで、18日のシカゴ行きのUSAirを予約し、また、O'Hare空港のヒルトンホテルを予約しました。なんと、$240に跳ね上がっていました。

■12:00PM ET

このピッツバーグのヒルトンホテルにはASMEの参加している日本人が10名くらい泊まっていて、12:00PMと7:00PMにロビーに集合し、12:00には昼飯を、7:00には夕食を一緒に食べるようになっていました。合宿状態です。12:00に行くと、冨山さん、青山さん、藤田さん、大富さんがいました。一緒に、近くのfood courtへ行き、昼食をとりました。すでにANAの便の予約が取れている大富さんは、今晩はコンサート三昧です。青山先生も一緒です。

食事の後、長期戦に備えて、衣類を少し調達に行きました。青山さんと大富さんがKaufman(デパート)のバーゲンに行くというので、着いて行きました。私は安物を買って使い捨てようと思っていたので、Kaufmanに行く途中で、青山さんが「この店は安いよ。」と教えてくれた店に行ってみたところ、ディスカウントショップで、$10以上のものは見当たりません。$4のトレーナーと、一足98セントの靴下を2足買いました。帰り道で、やはり安売りの靴屋があったので、ナイキ風の$20のスニーカーを調達しました。ホテルに帰ってくると、大富さんにまた会いました。ホテルの売店で、テロを特集したTimeの増刊号を買いました。黒枠の表紙です。衝撃的な写真が満載です。

部屋に戻るエレベーターの中で、大富さんから「私はAmtrakでシカゴまで行こうと思っていて、もう券も買ってきた。」という話を聞き、なるほどと思いました。シカゴからの飛行機は予約できているわけですから、Amtrakを使えば、ピッツバーグからシカゴへの便がキャンセルされるリスクを回避し、帰国の確実性がかなり高くなります。

駅はFish Marketの辺りにあると言う事です。大富さんにAmtrakの予約の電話番号を教えてもらい、部屋に戻りました。電話をしてみたのですが、中々通じません。そこで、運動不足解消で散歩がてら、駅まで行って買うことにしました。約15分ほど歩いて駅に着きました。私の予約は19日ですので、18日にシカゴへ着けばいいので、その旨を伝えると、「17日の夜に出て、18日の朝につく便」があるということなので、それを買うことにしました。$105でした。"We have only 8 seats left."と言っています。飛行機の国内線は麻痺していますから、Amtrakも混んでいるのでしょう。

帰り道、少しブラブラしていたら、Kaufmanに行き当たりました。ちょっと覗いてみると、噂通りバーゲンをしています。ジョギングか、ホテルのアスレチックで「自転車漕ぎ」でもやろうと思っていたので、ブランド物?のTシャツを買い、また安かったのでチノパンも買いました。また、別の店で、ナイキの短パンを買ってきました。全部バーゲンです。夜は、冨山さん、藤田さん、吉岡さんたちと、Station Squareの「菊」で、恵比寿ビールを飲み、寿司とてんぷら、味噌汁を食べてきました。

ここ数日、JALとUSAirへ電話をして予約の確認・変更をし、ホテルの予約を変える、という消耗戦をしていて、ナーバスだったので、少しリラックスしました。

もうUAの予約もとれているので、JALには電話しなくてもいいかなあとも思いましたが、UAのほうはビジネスクラスなので、かなり高額です。そこで、元気を出して、JALに電話をしました。30分ほどで繋がりました。JALの話では、昨日、シカゴから1便が飛び、日本からも飛んだとうことです。しばらくの間、「もともとの予約日の順に乗せる」という、ちょっと信じがたいほどありがたいことを昨日から始めたようです。

つまり、

○14日に1便出発 9月11日の予約者が乗った。

○15日は成田からの便が飛ぶことが決定したので、その帰り便で9月11日の予約者の残りと9月12日の予約者が乗れるだろう。

とのことでした。このような感じで、順調に毎日飛ぶと、

○15日か16日には13日の予約者の一部が乗れる可能性があり、

○17日には13日の予約者が乗れる可能性が高い

とのことでした。成田行きと大阪行きを一括りにして、どんどん乗せているようです。

JALの担当の方の話し方も、かなり明るい感じになっており、「最大の努力をしてシカゴへ来て、スタンバイしてください。」ということでした。明日(15日)にシカゴからJALが飛ぶかどうかは、明日の朝電話をして下さい。」ということでした。

この時点での最大の課題は、いつシカゴへ移動するか、ということになりました。この夜は久しぶりにちゃんと寝ました。

2. ピッツバーグ空港にて

Sept. 15, 2001

■7:00AM ET

起床。メールをチェックすると、IBMの井上さんから「日曜出発の予定でしたが、その便がキャンセルされたため、現在は火曜日発の便のwaiting list に入っている状態です(木曜までは売り切れ)。乾さんも金曜朝のフライトがキャンセルで今はHoliday Innに移ってきています。」とのことでした。

■8:00AM ET

8時少し前に、食事をして戻って来ました。JALの電話は、8時から受付だったので、2分前くらいにかけたのですが、一瞬出遅れたらしく、40分も電話口で待たされました。JALの話では、今日も日本行きの便が出ることになり、基本的にはスタンバイした人の中で、もともとの予約のあった日の早い人から乗せ、また、大阪行きでも構わなければ、その人も優先するので、シカゴに来てスタンバイするのがよいとのことになり、急遽、午後のUSAirでシカゴに行くことにしました。

USAirへ電話して午後の便US2137に予約を変更し、さらにヒルトンに電話して、18日の夜の予約を変更しました。なんとレートは$159に下がっていました。週末レートなんでしょうね。

パッキングをしていたら、冨山さんから電話が入ったので顛末を説明し、チェックアウトし、タクシーで空港についたのが10:00ころでした。パーキングエリアからターミナルへの動く歩道の端までタクシーでいき、そこからは動く歩道を行きます。ターミナル周辺には一般車は近づくことができず、また周辺の駐車場も閉鎖です。でも、今日は週末のせいもあるのか、かなり空いていました。動く歩道なので、荷物があっても大丈夫です。

ターミナルにつくと、USAirのカウンターは長蛇の列でしたが、他のエアラインはほとんど人がいない状態でした。ようするにUSAir以外はあまり飛んでいないようでした。長蛇の列ではありましたが、それなりに手際がよく、約40分で順番がきました。スーツケースをチェックインしたのですが、"Follow me." とカウンターの係員のオバさんに言われて、ロビーの反対側に据えてある、今まで見たこともない巨大なX線スキャナーのところまでいき、スキャンされました。"Film Damage"のようなことが大きく書いてありました。無事チェックも終わり、それがすんだところでボーディングパスをもらいました。この巨大スキャナーの写真をとりたかったのですが、怒られそうなので止めました.

座席番号は13A。ちょっと不吉。

ターミナルへ入るところの所持品チェックは、思ったより厳しくなく、カバンを開けられることもありませんでした。ターミナルの中は、閑散としておりました。

後は便がキャンセルにならないことを祈るだけ。まあ、これがキャンセルになっても今日はシカゴ行きはあと二つはあるので(本当は三つだけど、一つはすでにキャンセル)、今日の運行率からみて、期待値は1以上だと踏んでいます。昨日ホテルで会ったUSAirのパイロットに聞いたら、「少しずつ確実に良くなってきてる。明日は天気もいいので、もっと良くなる。」と言っていたのも、今日シカゴへ移動する動機付けになりました。忘れていましたが、確かに天気も大事ですよね。あの日以来、よいお天気が続いていました。

朝はフルーツとコーヒーだけだったので、ちょっと空腹。とりあえず食べれるときに食べておこうと思い、ターキーサンドを食べました。肉がパサパサしていることが多いのですが、これは結構ジューシーでした。売店もほとんど人がいません。ちょっと覗いてみると、AT&Tのプリペイドカードがありました。早速60分のをゲット。

私はアメリカ出張中の電話は、日本にかけるときはKDDIのハローカードを使い、アメリカ国内ではAT&TのCalling Cardを使っていました。最近AT&TではMasterCardなどのメジャーなクレジットカードを持っていれば、フリーダイヤルからプッシュボタンだけで日本や国内にかけることができます。(意外と知らない人が多いんですよね。KDDIのJapan Directは割高です。)

でも、プッシュホンでクレジットカードの番号を入れるのはあまり気持ちがいいものではないので、やはり通話専用のカードがベターです。その意味でAT&TのCalling Cardは便利だったのですが、これの支払いをしていたAMEXを、しばらく前に解約していました。それで、別のクレジットカードから支払いたいとAT&Tに連絡していたのですが、AT&Tからは、プリペイドカードを買いなさい、と連絡が来ていました。確か日本では米軍の基地などで買えるとかいうことだったのですが、そんなとこまで買いにいくほど暇ではありません。このプリペイドは追加でチャージすることができます。

さて、US2137便は2:20PM発で、空港へは気合を入れて約4時間前に来たのですが、拍子抜けです。後、まるまる3時間もあるし、どうせ飛行機は遅れるだろうから、暇つぶしに、これまでのドタバタを手記として記録しようと思いました。

ゲートに着くと、待合の客は2人しかいません。手記を書くためにノートPCを繋ぐコンセントを探していると、何とその内の一人の黒人のおやじが二つしかないコンセントを独占して、PCを使っているではありませんか。しかもよく見るとゲームをやっているようです。「せめて一つ貸して頂戴」と言おうと思ったのですが、ほとんど人のいない待合室で、男二人が並んで座って、PCを使っている状況は異様な気がしたので止めました。しょうがないので、バッテリーだけでPCを使うことにしました。

これまでのいきさつをPCで書いていると、『来ました!』私の乗る飛行機が到着しました。機材の到着です。これで、キャンセルの確率はかなり低くなりました。B737のようです。乗客数は60人くらいでしょうか、混んではいません。『後はクルーだ。早く来て頂戴。』と念じておりました。ホームページで見るとクルーが揃わなくて、便が遅れたりしているから。

■1:15PM ET

『来ました!』クルーが機内へと入って行きます。ゲートの係員も、他の客に"Boarding will start in 40 min."とか言っています。もう空港が閉鎖されないかぎり大丈夫。

気が付くとさっきまでゲームをしていたおやじがいないではありませんか。早速席を移動して、電源をつなぎました。ラッキー!何か、運が開けてきた感じ!

■1:55PM ET

搭乗開始。客は20人くらしか乗っておらず、ガランとしています。そして、2:20定刻出発です。素晴らしいON TIME!ピッツバーグの日本人の中には、UAのシカゴ行きがキャンセルされて、シカゴへ行けない人が沢山居るのに信じられません。よほどひどいチケットでないかぎり、UAからUSAir への切り替えは問題ないと思うので、きっとシカゴから日本への便がでないので、切り替えを積極的にやっていないのではないかと思いました。

3. シカゴ・オヘア空港にて

■2:35PM CT

シカゴまでは少し雲があるものの、揺れもなく、あっという間についてしまいました。東部時間のピッツバーグとは1時間の時差がありますので、到着時刻は2:35でした。窓から外を見ていると、「鶴のマーク」が見えました。なんだJALがまだいるではないか!成田行きは12:00 なので遅れとしてはひど過ぎます。どうしたのでしょう。でも、機材があるということは、カウンターもまだ開いているのでしょうから、明日からのスタンバイに備えて、様子を聞きに行ってみることにしました。

飛行機は第2ターミナルに到着しました。ターミナルには、やはりあまり人がいません。バッゲージクレームで待っていると程なく荷物が出てきました。荷物をもって、ターミナル間を繋ぐATS(Airport Transit System, 無人電車のようなもの)で、国際線の第5ターミナルへ行きました。

■3:10PM CT

ここはすごい混雑です。どこも長蛇の列。JALのカウンターまで行くのも、人と荷物の間をすり抜けて行く感じです。でも、ANAのマイレージでもらった小型のスーツケースは小回りもきき、なんとかJALのカウンターに到着しました。

係員が3人ほどいますが、列はありません。JALの前はガランとしています。やっぱり満席でスタンバイの人たちも帰ってしまったのでしょう。カウンターに近づこうとすると、バゲージのX線検査のところのおじさんが、手招きしています。残念ながら今日は乗れないのです。"No, I am not checking in." と言って、カウンターに行きました。

「明日からスタンバイをしたいので、どうすればよいかを聞きに来た」と、カウンターの日系と思われる女性がいたので、日本語で話し掛けてみたら、"No, I can not speak Japanese."と言われ、その隣の女性が、"Flight to Oosaka, do you have reservation?"というので、"No"と言って、チケットを見せました。

そうしたら、信じがたいことを言います。"Do you wanna check in?"? 「はあ?」とっさに理解できませんでした。「乗れる」ということ?"Do you have a seat?"というと、"Yes, we have seats available." かなり興奮しました。"Yes, please!"? 日本に帰れます。大阪でも構いません!

そこで、慌てて、パスポートを出して、そしてX線のところへ戻って荷物をスキャンしてもらいました。例の「他人から荷物を託されなかったか?」などの二つの質問の票を見せられ、"NO and NO"。また、パスポートの他に、何か名前を確認できるものを出せというので、クレジットカードを見せました。これもFAA(米国の航空関係の役所)のセキュリティーでしょうか。フライトは、スケジュールでは3:30 搭乗開始だそうです。また、一度ゲートへ出たら、こちらへは戻れないとかの注意を受けました。「そんなことは決していたしませんから、早くボーディングパスを下さい。」

JAL029便のボーディングパスを握り締めて、ゲートへ直行!と思いましたが、ホテルの予約をキャンセルしなければなりません。カードギャランティですからキャンセルしないと一泊とられてしまいます。はやる心を抑えて、1-800-HHONORS へダイヤル。キャンセルのCF#も、ちょっと震える手で、ちゃんと書き留めました。

ゲートの前の手荷物検査のところも、思ったほど混んでいませんでした。免税店で日本人が買い物をしていましたが、もう搭乗時刻が近かったし、電話もかけたかったので、そのままゲートへ行きました。皆さん、お土産はなしです。ごめんなさい。ゲートは、M8。M9のヒースロー行きのバージン航空と隣同士で、すごい混雑状態です。

とりあえず、妻に電話連絡。日本は朝の5時。最初、ちょっと寝ぼけていましたが、要点だけを伝えました。何しろ、興奮していて、飛行機が何時に着くのかを聞くのも忘れていましたから。

次に、ピッツバーグで買ったCalling Cardで冨山さんに連絡です。初めての経験。アクセス番号を押して、後はガイダンスに従って、PINや相手の番号を入れていきます。あれれ?相手の番号が正しくない、と言って怒っています。何度かやってみて、分かりました。相手の番号を入れろ、と言われたら、すぐに番号を入力する必要があるのでした。こちらは、左手が荷物で塞がっているので、右手に番号を書いた紙をもって、それを見ながら右手で押すので、どうしてもタイミングがずれてしまいます。でも、掛かりました。冨山さんも祝福してくれました。皆さんによろしくお伝えください。次に、嶋田さんに連絡。留守電にお礼と帰国便に乗れたことを入れておきました。

■3:40PM CT

登場予定時刻を大分過ぎたのですが、中々搭乗が始まりません。どうも遅れるようです。場内放送は「FAAの指示で、手荷物は一人1個。免税品はOK。」のようなことを繰り返し言っています。JALの係員に聞いたら「到着は8時ころ」とのことだったので、妻に再度連絡し、大阪泊になるかもしれないと伝えておきました。

■4:10PM CT

搭乗開始です。バージン航空とほぼ一緒に開始です。飛行機の入り口で、JALのスチュワーデスさんが笑顔で「お帰りなさいませ」。今日はなんとなくジーンと来ます。搭乗券を見て席を探している時に、ふと気がつくと、搭乗券にJMB(JAL Mirage Bank)の番号が印刷されていません。チェックインの時に、慌てていてマイレージを登録するのを忘れていました。まあ、帰国後も事後登録できるからいいですけど。

座席は40C。なんと、エコノミーのファーストクラスとよばれる、非常口脇の席です。かなりチェックインが遅かったからですかね。ラッキー。

■4:40PM CT

ドアがしまりました。ふと横を見てみると、JFC(JAL Family Club) とかで赤ちゃんや子供を連れている家族が一家で座る、スクリーン前の4席が全部空いているではありませんか!それから、立ち上がって周りを見てみると、約80%の混み具合です。超満席かと思ったのに。スチュワーデスさんに聞いてみるとキャンセルやNO SHOW が非常に多いのだそうです。それに今日は成田と関空の2便あったので、こうなったのだと思うとのことでした。

ハンガーを離れて、4:50PM 離陸。関空まで13時間30分の予定だそうです。機内は特別変わったこともありませんが、機内食のフォークが白いプラスチック製になっていました。さすがにJALのロゴは入っていませんでした。運行を再開するまでに、様々な準備が行われていたことが偲ばれます。本当にご苦労様でした。

機内映画は8月と9月は同じプログラムです。JALは最近エコノミークラスでも個人用テレビがあり、映画を10本ほどやっているのですが、8月に2度海外出張でJALに乗っていたので、マイナーなやつ以外は一応全部見てしまいました。暇なので、まずは新聞を4紙ほど読みました。スポニチは「米軍大反撃」の大見出しです。マイカルが潰れたのも知りました。後の時間は、半分くらい寝て、半分は、この手記をひたすら書いていました。バッテリーは、機内で妻へのお土産の免税品を買ったスチュワーデスさんに頼んで、本来ビジネスクラス向けのサービスである電源の貸し出しをお願いしたので、十分にありました。「ご内分に」ということでしたが、親切な方でした。

4. 関西国際空港にて

Sept. 16, 2001 JST

■8:20PM JST

ほとんど揺れもなく、順調に飛行し、関空に着陸。横浜の自宅まで、どうやって帰ろうかなあと考えていました。まずは、新大阪まで出て、新幹線があれば乗って、無ければ一泊して、と考えていました。スチュワーデスさんに相談しました。非難口脇の席は、離着陸時にはスチュワーデスさんと対面になりますからね。着陸態勢の時に、「今日中に東京まで戻れますかね?」と聞いたら、JALの9:20発の羽田行きがあるというのです。飛行機があることを忘れていました。バッゲージクレームのところで地上係員に言えば予約できるというので、そうすることにしました。

関空には初めて来ましたが、見物する余裕もありません。パスポートコントロールはガラガラでした。バゲージクレームのところで、JALの係員に調べてもらったら、羽田行きは満席とのことでした。またまたキャンセル待ちです。

■8:35PM JST

とりあえず、荷物を受け取り、国内線のカウンターへ急ぎました。出発は9:20で、キャンセル待ちの順位は23番です。とにかく券を買いました。チケットカウンターの係員の方が、ANAとJASが先に飛ぶので、そちらのキャンセル待ちをしてはどうか、という素晴らしいサジェスチョンをくれました。

ANAのカウンターまで30Mくらいをダッシュ。カウンターで裏書してもらい、20:50発のANA150便のキャンセル待ちです。キャンセル待ちは、ゲートで行うので、手荷物検査を受け、ターミナルに入りました。手荷物検査が混んでいて、並んでいるうちに、キャンセル待ちが始まってしまいました。何とか、検査を終わって、キャンセル待ちカウンターへ行くと、またまたラッキーに乗れることが分かり、すぐ妻に帰国連絡を兼ねて電話して、便に乗りました。PHSを持ってきてなかったので連絡は公衆電話です。長距離のときは、日本テレコムのクレカードを使います。

■10:10PM JST

羽田へ無事到着。私は東急田園都市線沿線なので、羽田から自宅へ変えるには、たまプラーザという駅へ行くリムジンバスが便利です。時刻表を見ると、10:35PM発が最終でした。手荷物受け取りへ行くと、中々出てきません。10:33PM、出てきました!受け取って、バス乗り場へ30Mほどダッシュして、バスに間に合いました。バスは超満員。残り座席は2席でした。またまたラッキーです。JAL便だったら間に合いませんでした。ふだんエアロビで鍛えておいてよかった。でもバスの中で汗が噴出してきました。

■11:25PM JST

たまプラーザ駅着。ホームに行くと、なんとすぐに電車が入ってきました。順調すぎます!ラッキー。

■11:45PM JST

青葉台駅着。駅まで妻が車で来てくれたので、それに乗って自宅に到着。ほぼ24時間でピッツバーグから帰ってきました。早速、ピッツバーグの友人たちにメールを打ちました。妻に頼んで冷麦を用意してもらい、お風呂に入って、缶チューハイとメラトニンを飲んで寝ました。めでたし、めでたし。

5. 平和な日本で

日本に帰ってきてしまえば、大したことではなかったような気もしますが、私には先の見えない状態は非常に不安でした。報復作戦が始まれば、また空港の閉鎖などが起きることも予想されましたから、できるだけ早く出国したいという気持ちがありました。自分の身の安全を確保するには、自分で情報を入手し、判断し、行動すること、そして冷静な判断をするためには、お金や宿泊などに不安のないことが大事だと思いました。

多くの方に大変お世話になりました。ありがとうございます。

最後に、テロについて、一言言うとすれば、一般市民を殺戮の対象としたことに非常に大きな憤りを感じます。複数の人間が自分の死を代償にした特攻攻撃を行ったという事実が、その背後に狂信的な思想・宗教にもとづく組織的な集団の存在を物語っています。とすれば、このテロ行動は、その「組織」からのアメリカに対する戦争行為ですから、アメリカが自国防衛のために軍事行動に出るのは当然でしょう。しかし、それには大きな代償が伴い、しかも、根本的な解決にはならないことも事実です。では、そのような狂信的な集団、しかも卑しくも一国の政権が保護しようとするような集団に対抗する、軍事行動以外の手段があるのかどうか、私には分かりません。我々が過去の過ちを忘れやすいことは不幸なことですが、またまた、大量の血を流し、疲れきるまでは対話は始まらないような気がします。では、日本はどうするのでしょうか?アメリカの言うままに、「金だけでなく、血も流せ」と言われて、慌てて新法を作って派兵するのでしょうか?それは馬鹿げています。世界に誇る平和憲法を盾にして、戦争には関わらないようにします。派兵しないことよりも、解釈改憲をすることこそ、国際社会の信用を失うのです。そして、戦争によるミニバブルを好機として稼ぐのです。この大不況の中、「文明社会への兆戦だ。」といって、当事者でもない日本がわざわざ火中の栗を拾うことはないのです。これが日本の国益にかなう道だと思います。

(おしまい)