ルース・レンデル「女を脅かした男」 光文社文庫
5号のゲストの田中氏推薦の作者の一冊である。ミステリーの短編が11編集められていてどれも名品である。中でも表題となった「女を脅かした男」はいろいろな意味で興味深い作品である。
ロンドン郊外の住宅地では、森を抜けてバス停や地下鉄の駅に行き着くということも、ままあるようだ。主人公の妻は昼間でも恐がって必ず夫に迎えを頼んでいる。主人公はこんな妻の態度にヒントを得て森で「女を脅かすこと」に喜びをみいだしはじめる。ただその前後を歩いたり、後ろを走ったりしているだけで、たいていの女性は恐怖におびえる。主人公は「男としての勝利感とmachismoマチズモ」を感じるのだった。”machismo”とは辞書によれば”macho"と同様スペイン語からきた言葉で「男らしさ」や「男ぶり」を(ふつうけなして)いうものである。でも、この主人公の場合、下っ端で平凡、ぱっとしない自分の現実、酔った女性客に唾をかけられても、上司に怒られても、妻子のいる身だから我慢した上、妻には友人の夫と稼ぎを比べられ貶められる現実に「男としてのメンツを失いかけている」と感じているものだから、彼にとって「マチズモ」とは気持ちを高揚させる、気分のいいものでしかないのだ。「女を脅かすこと」で妻との性関係さえ満足いくものに変化するのだった。時には柔道有段者の女性に投げ飛ばされたとしても、また懲りずに出かけて行く主人公。彼には「女を脅かすこと」で獲得できた「マチズモ」の魅力は、簡単にはあきらめきれないものだったに違いない。
この作品は、ひとひねりした院裏檄に仕立てられているので、酢y人口の「マチズモ」へのあこがれが異様にきわだって感じられる。それは、「男」は「女」に対して「力」の上で常に優位にたっているという「観念」と同義語かもしれない。この「観念」に毒されているのは、主人公だけではない。彼の妻がまずそうである。この妻の言動や「男」への恐怖は、主人公の滑稽で人迷惑な気晴らしと同様、罪深い気がする。(その点、柔道有段者の女性の登場は「男」の思い込みの滑稽さを颯爽と明らかにしている。)夫のエスコートなしではでかけられない生活、夫の稼ぎだけに左右される生活に甘んじていいはずはない。たとえ凶悪犯がゴロゴロいたとしてもである。犯罪者もまた、いろいろな間違った「観念」の下犯行に及んでいるのかもしれない。だからなおさら犯罪にも「観念」にも用心すべきではないだろうか?
作者が鋭くしていしているように、「脅かすこと」は「力」と関係があり、「人をおびえさすこと」で「すっかりうぬぼれてしまい、それに酔いしれ、それで生きている」ある種の権力者と同様の気分のよさがあるのだと思う。こういった意味では、問題は「男」であることや「女」であることにあるのではなく。「強権的」であることの麻薬のような「気分のよさ」にあるのだと思う。この優れた心理劇は「男」と「女」のつくられた「観念」のむこうに「家庭内での暴力」や「ポルノ」「レイプ」さらには「虐待」「虐殺」といった深刻な問題の深淵さえみせてくれる気がした。
あどば〜に 6号 1999年3月