結婚「制度」という言葉は私にはちょっとなじめない。でもこの言葉は「婚姻」がもたらす社会的な規制、法的な権利と無権利の差、「家族」との経済的あるいは精神的な関係、「婚姻」関係への疑惑や不安、そんな問題を連想させる。
村瀬学氏が「あなたを待てば雨が降る。濡れて来ぬかと気にかかる」の「あなた」との関係を取り上げ、相手を自分のことのように感じ、尊重し、強権的でない関係(確かそんな風に)論じておられた。相手を意のままに動かそうとしたり、逆に無関心でいては成立しない関係だ。そんな村瀬氏は、妻との会話に「猥談」を入れるのだそうだ。これは彼なりの「婚姻」関係の不安解消の創意工夫ではないかと思う。夢のイメージだけ膨らんで弾けたこの社会では、「婚姻」関係も真摯に取り組むと、生半可ではやってられない。
経済的にも高度経済成長期のような甘い家族像は描くこともできないはず。性別役割分業で安住できる結婚も少なくなってきた。娘と二人デパート巡りしていても、結局「貴族的退廃ムード」になってくるかもしれない。時代は変わっている。専業主婦擁護の法律は改正されて欲しい。法的な婚姻関係とそうでない事実婚の関係の垣根ももっと低くなればいいのにと思う。(一部の州で)事実婚が法的に保障されているオーストラリア映画では、事実婚がさわやかに描かれていて私は好きだ。日本の元凶は旧「民法」の家制度。あの亡霊が今の政治を温存させているに違いない。一人一人の子どもや女性が尊重され、その権利が守られる「制度」であって欲しいと思う。
あどば〜に4 1998年 9月