【コラムニスト:藤島千彰】2022.3.7
はじめまして、藤島です。このコラムでは私が興味を持っている「錯覚」についてお話ししたいと思います。「錯覚」と言えば、皆さんは何を思い浮かべますか?多くの人は、静止しているはずの図形がまるで動いているかのように見える「錯視図形」などの、目に見えるものが現物と異なって見える「錯視」に関連したものを想像されているでしょう。実際に錯覚現象を体験した ことがある人も少なくないかと思います。それら「錯覚」の多くは、目で確認できる錯覚「錯視」が大半でしょう。 しかし「錯覚」には目で確認できる「錯視」の他にも、「記憶の錯覚」や「思考の錯覚」などの普段私たちが生活している上では、ほとんど意識していない内に生じているものが あるのです。 例えば、あなたの手元に一万円札があるとします。これが、汗水垂らしてやっとの思いで手に入れたものである場合と、とある懸賞金で当選した場合には、この一万円札には価値に違いがあると思いませんか?前者であれば、紙幣価値である「一万」以上に価値があ ると思い、手軽に使うことが躊躇われると思います。しかし、後者であるならば、躊躇う気持ちがより小さくなり、比較的すぐに使うことができるのではないでしょうか?このような同じ一万円札 に対しても、前提条件や過程が違えば、異なった価値を持つように感じてしまうのも「認識の錯覚」と言えるでしょう。 私たちが日常生活を円滑に過ごすことができているのは、思考や記憶などの人の心理分野で「錯覚」を違和感なく認識することができているからであり、人間と錯覚現象は切り離すことのできない関係であると言えます。