東京都

北三郎さん(仮名)

以下欄

  裁判の情報


●東京地裁

判決  2020年6月30日

 請求棄却


●東京高裁

判決 2022年3月11日勝訴

 国に損害賠償を命じる。

     → 国が上告受理申立

原告の北三郎さんの思い

私は宮城県仙台市で1943(昭和18)年に生まれました。当時は戦争中で、仙台は東北6県で一番ひどく、焼け野原だったと聞いております。私の母親は22歳で私を産んだ8か月後に亡くなりました。私は母親の顔さえ知りません。

姉さんが、「これが母さんだよ」とたった1枚の写真をくれました。

私が3歳の時、父親が戦争が終わって南方から帰ってきました。私は知らないおじさんがいたので、「おじさん、おじさん」と甘えるように近づきましたところ、「お前の親父だ」と殴られ、初めて親だとわかりました。

父は、商店を営んでおり別のところに住み、私と姉は祖父母に育てられました。私が小学2年生のとき祖父が亡くなり、その後、父親が再婚して弟が生まれました。

私は父親に、「高校だけは行かせてくれ」と何度もせがみましたが、「中学を出たら店で働け、お金がない」と父に言われました。その頃から私は反抗的になり、問題行動を理由に、仙台の教護院・修養学園に入所させられました。教護院というのは、今の児童自立支援施設で、いわゆる非行少年を教育保護する施設です。

ある時、職員から突然「病院に行くよ」と告げられました。「悪いところなんかないよ」といっても職員は聞いてくれません。有無を言わせぬ口調で、急かして歩かされて約30分、愛宕橋の愛宕産婦人科に連れて行かれました。

「先生ここ産婦人科じゃないですか。おれ、関係ないんじゃないの」と言っても、「悪いところがあるからきたんだ」と言われ、どこがどう悪いのか、職員も医師も説明しないまま、洋服を脱がされ手術台に寝かされました。背中に注射を打たれ、すぐに意識が遠のきました。手術が終わると、タクシーに乗せられて寮に帰りました。

2週間ほど激痛が続き、用を足すにも這って行かなければなりませんでした。食事は寮の友だちが運んでくれましたが、職員と話せる機会は与えられません。

約10日後、痛みが残る体を引きずりながら、再び歩いて愛宕診療所に連れて行かれ、糸を抜く処置を受けました。

1か月ほどしたある日、男の先輩から、「手術受けたんだろう、何の手術かわかるか」と聞かれました。先輩はパイプカットだと言いました。私は驚き、入所している仲間にあれこれ尋ねました。

修養学園の隣には、亀亭園という障害のある子どもたちが50人くらいいる施設がありました。一緒に野球などしましたが、そこの子どもたちもパイプカットの手術をされたと聞きました。

私は、自分が問題のある人間だから不妊手術の対象にされたのだと考えました。そして施設に入れた父親がそう仕向けたのだろうと思い、父を恨みました。

教護院を卒業した後は、東京に来て働きました。一生、結婚しないと決めていましたが、28歳の時、知人に強く勧められた女性を好きになり結婚しました。手術されたことの恨みから、両親を結婚式に呼びませんでした。

不妊手術のことは、妻に打ち明けられません。問題のある人間というレッテルは、愛する人に知られたくない。心に封印しました。

そのかわり、自分が味わうことができなかった幸せを築こうと誓いました。仕事が休みの日には、二人で飲みに行ったりカラオケに行ったり。車に乗って温泉地を旅しました。伊豆や伊香保温泉、黒部ダム。一番楽しかったのは、秋の福島県磐梯山へのドライブです。助手席に座る妻は、「こんなところまで連れてきてくれて悪いわね」と気遣ってくれました。ハンドルを切り、私は二人でどこへでも行こうと笑顔で答えました。

妻の親戚の家に行くたびに、「子どもはまだか、孫を早く抱かせてくれ」と言われました。結婚して数年後、病院を訪れ元の体に戻せないかと医師に尋ねましたが、できないと告げられました。妻が、よその子どもをあやす姿を見ると、胸が締めつけられました。子どもができないのは小さい頃にかかったハシカのせいだと嘘をつきました。

2013年5月、妻が白血病で入院、余命わずかと言われ、目に見えて衰弱していきました。40年間、言えなかったことを伝える決心をしました。

「実は秘密にしていたことがあるんだけど、聞いてくれるか」

責められると覚悟していましたが、妻は何か言いかけ、黙って頷きました。「ご飯だけはしっかり食べてね」と笑みを浮かべ、その数日後に息を引き取りました。

寺に納骨する前、妻の故郷を訪れ、「故郷にきたよ」と言いました。

妻が亡くなった5年後の2018年1月、ファミリーレストランで食事をしながら、無料の「読売新聞」を読んでいました。強制不妊手術、不良な子孫の出生防止、と書いてありました。書かれていること、佐藤さんや飯塚さんのことは、私と似ていると思いました。勇気を出して、仙台ホットラインに電話をしました。

こうして、私の手術も、優生保護法という法律に基づいて、国や行政がしていたことを初めて知りました。父親や施設を恨んでいたのは誤解だったのです。優生保護法は、間違った法律です。国に言いたい。優生保護法によって奪われた私の体をもとに戻してください。私の人生を返してほしい。国は本当のことを認めて、謝ってください。

西スミ子さん実名

以下欄

  裁判の情報


第1回 20221114

第2回 2023年1月24日

第3回 3月14日

第4回 5月23日

第5回 7月25日

第6回 10月30日

第7回 12月26日

第8回 2024年2月13日

原告の西スミ子さんの思い

私は、施設で足の手術を繰り返され、自分のことも自分で出来なくなる重度障害者にされてしまいました。14歳のころになると、生理が始まり看護師や保母から「自分の生理の始末も嫌なのに人のは尚更嫌だ」などと言われ続け、私は精神的に追い詰められました。そんな中で、「また生理なの?」「生理が無くなる手術があるよ」と言われ、生理がなくなる手術を受けた方がいいように思うようになりました。

親が優生手術をすることを承諾してしまい、優生手術を受けさせられてしまいました。

当時、その手術の意味を知っていたら絶対に受けていなかったです。

それからかなり時間がたった後、結婚をしたいと思う人に出会い、子どもが欲しくて、手術を受けた病院に行き、どのような手術をされたのか説明を求めました。長い時間待たされた後に図を書いた紙を医師が持って来て、色々話されました。説明された内容はよく解らず、解ったことは子どもが出来ない体になっていたということでした。

子どもが欲しくて乳児院を訪ねましたが、生活保護のため子どもを引き取ることは出来ませんでした。

子どもを産めていたらこのような思いはせずに済んだはずです。

このような障害者にとって残酷な法律を作った国に、きちんと責任を取って欲しいです。

私と同じような思いをした犠牲者の方々に対して、国は真摯に対応して欲しい、これが私の願いです。


優生手術に対する謝罪を求める会

旧優生保護法は、1996年に母体保護法に変わるまで「不良な子孫の出生を防止する」という目的が書かれていました。優生保護法から差別的な条文が削除されただけでした。

翌年の1997年9月から、優生保護法における人権侵害の実態を明らかにし、被害者に謝罪・補償することが、現在の優生思想や障害者差別をなくすことにつながると考え、私たちは活動を開始しました。優生思想とともに、刑法堕胎罪―優生保護法による人口政策によって、女性の産む・産まない選択が無視されてきたことに抗議する人たちも集まりました。

厚生省は「当時は合法、適法だった」と何もしないので、電話相談活動をしました。そこで、不妊手術をされた宮城県の飯塚淳子さん(仮名)と1997年に出会いました。また、広島の佐々木千津子さんのように、優生保護法にすら違反する卵巣へのレントゲン照射や子宮摘出が、月経介助が大変という理由で女性障害者になされていた実態も問題化してきました。

 国会議員への働きかけや集会、厚生労働省との交渉を重ね、障害者団体とともに国連機関に訴えた結果、日本政府への勧告がなされました。それでも態度を変えない日本政府に対して、飯塚さんは日本弁護士連合会への人権救済申し立てをし、その報道を見た佐藤路子さん(仮名)が、夫の妹・由美さん(仮名)の優生手術の被害について声をあげ、佐藤由美さんは2018年1月に仙台地裁で裁判を起こしました。その後、飯塚さんも提訴することができ、「歩むみやぎの会」とともに「求める会」も、仙台の裁判に駆けつけてきました。

 2018年5月17日に提訴した東京在住の北三郎さん(仮名)も宮城県出身、飯塚さんと同じ医療機関の前身の施設で手術されています。東京在住メンバーは、北さんの裁判も東京弁護団と一緒に闘ってきました。

 そして2022年9月26日、西スミ子さんの提訴。いまは亡き佐々木千津子さんのことを思いながら、一緒に歩んでいきたいと考えています。


産みたい人は産むことを選べる、子どものいない人生も、産まないことも選べる、

だれを好きになるか、セクシュアリティも人生も、自分で決めるのが基本的な人権です。


この人権を実現するためにも、「求める会」は活動を続けていきます。

 

優生手術に対する謝罪を求める会  連絡先:e-mail・ccprc79@gmail.com   

フェイスブックURL  https://m.facebook.com/motomerukai2017/

★カンパ大歓迎! ゆうちょ銀行 支店名:008 普通 7527630(優生手術に対する謝罪を求める会)

【本の紹介】『優生保護法が犯した罪―子どもをもつことを奪われた人々の証言』

優生手術に対する謝罪を求める会編、現代書館


http://www.gendaishokan.co.jp/goods/ISBN978-4-7684-5827-3.htm

飯塚淳子さん(仮名)の手記をはじめ、ハンセン病と優生手術、ドイツ、スウェーデンの取り組み、優生保護法と母体保護法の対照表、年表など資料充実です。2003年刊行後の動き−宮城県知事への公開質問状、日弁連の意見書、佐藤路子さん(仮名)、片方司(かたがたつかさ)さん(優生保護法廃止後に不妊手術を強要された)の訴えも収録した増補新装版を2018年2月に刊行しました。ぜひ、お読み下さい。(本体価格:2800円)