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水泳合宿に参加すると、きっと水泳理論をよく勉強している(であろう)コーチに出会えます。見極めのポイントとしては、夕食時にハマチとマグロの刺身を選手に見せながら「速筋と遅筋」について語ります。ちなみに、聞き手である選手側に筋肉の知識がない場合、食事どきの「チキン」の発音は鶏をイメージさせてしまいますので、コーチは細心の注意を払っています。
いっぽう、試合会場で「今日は勝つ!コーチはカツを食べたから」などと独自の水泳論を展開するコーチに出会うこともあります。その因果関係を栄養学的に立証することは絶望的な命題です。そもそもカツを食べたのが選手ではなくコーチなのですから。
「カツで勝つ論」は、おそらく科学的な分析によって導かれた法則ではないので「水泳理論」ではなく「水泳論」に分類しますが、このコーチの思索と実践は「研究」に当たるでしょうか。
『水泳理論と水泳論(上)』では「研究」をこのように定義しました。
「研究とは、『きっとこうじゃないかな?』と思うことを、よく見て、考えて、実験したりして『やっぱりこうだ!』そして『なんどやってもこうなる!』にしていく過程」であると。
カツで勝つ論を提唱するコーチが「きっとこうすれば勝つんじゃないかな?」と仮説を立て、実践(実戦)の中で検証する一連の行為は、「やっぱりこうすれば勝つ!」に向かう「過程」ではあると思います。つまり、「カツで勝つ研究」と呼べるのではないでしょうか。
水泳の試合において、選手の緊張は、パフォーマンスにとって良い方向にも悪い方向にも作用します。
大きな会場で、多くの声援を受け、良い緊張感が良いパフォーマンスにつながるという選手がいるいっぽう、試合というだけで緊張しすぎて練習タイムすら出ないという選手もいます。レースに向かう選手に対して、コーチができることのひとつが、選手のメンタルのケアだと思います。試合前にはどのような声掛けが効果的か、選手の性格をよく観察して、考察して。試行錯誤は尽きません。
その中で「カツで勝つ仮説」は、一定の合理性があると感じます。
説明が前後してしまいましたが、この節で論じる「カツで勝つ仮説」とは、「コーチがカツを食べると選手が勝つ」という説ではなく、「『コーチがカツを食べたから勝てるよ』と選手に伝えることが心理的に、ひいてはパフォーマンスに良い影響を与えるのではないか」という仮説です。
選手に、非論理的な空論を展開することで「緊張を和らげる」効果が期待できるのとともに、「コーチはレース前から選手のことを考え、選手のための準備をしている」ということが伝わり、信頼感の醸成につながるかもしれません。そして「自信に根拠なんて要らない、兎に角自信もって泳げ!」と選手は背中を押された気持ちになるかもしれません。特に「練習量と試合に懸ける思いなら誰にも負けないだろ!」と言ってはいけない選手に対して代替のアドバイスとなります。
「カツで勝つ仮説」について実践的研究をするこのコーチがスポーツ心理学を勉強したかどうかは別として、またスポーツ心理学に同様の先行研究があるかどうかも別として、意図せず「カツで勝つ研究」の被検者となってしまった選手にとって、コーチの声掛けは有益である可能性もあります(単なる迷惑なオヤジギャグと感じる可能性もありますが)。
つまり現実的存在であるスイマーにとって、その情報が抽象的な一般論として落とし込まれた水泳理論か否かは、パフォーマンスにとって有益か否かと一致する訳ではない、と言えるのではないでしょうか。
まとめるつもりが逆に分かりづらくなったので言いかえれば、「スイマーにとっては、科学的に正しい情報が有益なこともあるし、そうではない情報が有益なこともある」のではないかな、と感じます。