代表者挨拶

プロジェクト企画の背景

考古学は、遺跡に内包されている情報から、原始期の人類の集団関係・生活技術・資源観・経済構想、の追及を担う学術分野です。

18世紀のフランス革命によって、皇帝・王の系統を位置付ける歴史から、一定地域の人類集団を「民族」として捉えた地域社会の歴史へと転換が模索され始めました。また、19世紀のダーウィンによる進化論を受けて、人類社会の発展史観が生まれ、考古学界でも、チャイルドによって狩猟・採集生活の旧石器時代と、「農耕」・牧畜生活の新石器時代とが整理され、進化史観に対する疑義が提出されている現在に至っても、その時代変遷は考古学者の基本的時代区分として使用され続けています。

本来、採集生活と「農耕」生活の間には、人類の資源観や技術発揮に関して、単純な二分整理では足りない様々な生活があったはずです。考古学者はその実態こそを解明する位置にいますが、その立場にたった議論はあまりなされているとは言えません。土器や磨製石器の使用や農耕・牧畜のくらしで、「定住」の背景を示した新石器時代を位置付けは、近代知を共有する人々にとっては共感しやすいものでした。

日本でも1945年以降、縄文時代・弥生時代・古墳時代などと考古学的時代区分での日本史が誕生しました。しかし、土器・磨製石器・居住地遺跡などの新石器時代を定義する要素があるものの、「農耕社会」としての証拠を探す研究はあったものの、唐古・鍵遺跡や登呂遺跡で「木製農具」や「水田址」が検出されたことを受けて、弥生時代が「農耕開始期」であると考えられるようになりました。日本考古学では、本来時代を限定する際には生活技術のみで必要十分な条件を満たしうるかは問題がありますが、水田稲作は東アジアの技術移転であると考えられるので、時代画期として共感されがちでした。

生活技術の形成が、さまざまに展開したであろう縄文時代と弥生時代・古墳時代には、集団関係の内在的形成や移転による形成も、同様に展開したと考えられます。知己社会から系統社会に、そして制度社会へ移行した過程の議論も、考古学では十分に行ってきませんでした。「狩猟採集社会」と「農耕社会」(狩猟採集民・農耕民)という整理は、近代の地球上で確認された社会の形成過程こそを担う考古学者にとって、いつまでも安住していて良いものではないことは、明らかです。

現時点での情報認識

 これらの現状を打破する時が来ました。

①   「縄文時代」の遺跡情報に植物栽培や動物訓化が見え出して来たり、

②   「弥生時代」水田稲作を「完成された」と評価することの課題が見えて来たり、

③   中国東周時代の技術系の中で捉えるべき突帯文期の水田稲作技術と秦漢時代の鉄製農具と使役・栄養農法の差異が見えて来たり、

④   その水田稲作技術は、じつは弥生時代ではなく古墳時代後期に展開していたり、

⑤   弥生時代の農業生産性を大きく向上させなければ、古代国家を目指すヤマト政権は組織を運営する人々の生活に必要な徴税を行なえば、生産集団の生活は確保できなかったり、といった情報に接するようになってきました。こうした情報からは、水田稲作の実態をしっかりと捉えて常識的な解釈ではなく、遺跡情報をより充実させる必要性があることが見えてきました。さらに、遺跡情報を理解するための実験情報を収集する必要性もみえてきました。

プロジェクトで追及したいこと―未収集遺跡収集情報の必要性点検と実験情報の蓄積-

 研究史で積み上げられた水田遺構・使用器具類の調査法や記録方法が、議論のために必要十分なものであるかを検討し、未実施であるが本来必要な調査内容を明らかにすることを追求しようと考えます。

①   薄い水田作土の堆積構造を明らかにしたいと考えます。宮城県富沢遺跡のように弥生時代から古墳時代にかけて10面の作土層が確認できる事例は、この時期の稲作が頻繁な洪水による水田埋積と再生を繰り返していることを示しています。井堰と田面の比高差の調整がその都度必要となることが分かると、圃場造成と井堰再構築のための土木事業に必要な鍬鋤類の姿が見えてきます。

②   一方で3~8㎝程度の薄い作土層が累積して確認できることは、「農耕」技術は実は耕起をしていなかった可能性を検討する必要があることを示しています。

③   鎌の使用が始まり、穂刈から根刈りへと移行した可能性が高い収穫法は、残稈対応の変化を明らかにする必要性が見えています。さらに、残稈を掘り起こす券大の農法がいつからあるのかを明らかにする必要があります。現在、不耕起農法を行っておられる方の中には、残寒から翌春に伸びる稈を育てて、播種・移植によらない稲作実践者がいます。

④   牛馬使役や漢代の「糞務沢」という栄養農法の可能性がある古墳時代後期の水田稲作は、

「完成された」と言われている「弥生時代の水田稲作」と比較して、どのくらいの生産性向上を成し得ていたのかについての基礎情報を収集する必要があります。

以上のような課題にたいして、本プロジェクトでは、遺跡調査法開発と稲作実験によって追及していこうと考えています。

展開期間と毎年の情報発信について

このような構想を、成果に結びつけるためには、5年10年といった活動の長期的な展開が必要と考えられます。また開始当初の実験水田は、福岡県板付遺跡公園周辺、奈良県唐子・鍵遺跡公園周辺、静岡県登呂遺跡公園周辺、山形県西沼田遺跡公園周辺の4か所を用意しました。しかし、実験を進める中で、地形差や地質差を求めて、実験地の追加が必要になるかもしれません。

メンバーの研究成果・実験成果をもとに、これから毎年シンポジウム等を行っていきたいと考えています。メンバーは固定するつもりはありませんが、基準無く拡大することもまた問題です。私たちの活動を見守っていただき、厳しいご指摘をいただきたいと考えていますし、また、参加を希望される方はお申し出いただ着たいとも考えています。

このプロジェクトの展開に期待してください。 


プロジェクト代表 山田昌久