想定外から生き抜く力 

想定外を生き抜く力    想定外を生き抜く力 ~大津波から生き抜いた釜石市の児童・生徒の主体行動に学ぶ~
                                          群馬大学大学院 片田敏孝教授

はじめに
片田教授は防災研究が専門ですが、2004年 12月のインド洋津波でインド東海岸の被災地を実地踏査して、 過去の津波被害記録の知識を実感で知ることとなりました。津波で死亡した遺体は瓦礫に揉まれて損傷が 激しく、手足や頭が千切れ、見るに堪えないものです。更に残された遺族の悲嘆する姿は忘れられません。
~1946 年にアリューシャン地震の津波がハワイを襲い、日系人がtsunamiと叫けび、英語もtsunamiとなった~ 2011 東日本大震災の震央は宮城県沖でしたが、震源域は岩手県沖から茨城県沖まで南北 500 ㎞におよび、 この間の岩盤が割れる時間は 250 秒でした。揺れは長く続き、日本列島の地盤に新たな歪を生むことにな りました。そのため首都圏直下型大地震が4年以内に 70%の確率で発生すると取沙汰する向きもあります が、慌てないで下さい。 各人が家具の固定や家屋の耐震補強工事を行うなど、冷静に対策を事前にやっておくことが肝心です。

自然災害に対する想定とは
ここまでの被害では人は死なない様に対策を取ると言うことです。 相手は自然ですから何でも有りです。津波の到達高さは 1771 年に石垣島で 85.4mの記録があります。 著しく高い抑止力を持つことは技術的にも経済的にも現実的ではありません。 台風・豪雨の気象災害は毎年発生しています。地震災害より被災する確率ははるかに高いのです。 近年は地球温暖化の影響で、日本列島の直ぐ南で台風が発生し、日本付近の高い海水温で発達して来襲し ます。2011 年の台風 12 号では大きな豪雨災害が発生しました。この台風の群馬県での降水量は 760mm、 1947 年に関東地方で大きな被害をもたらしたカスリン台風の降水量 400mm の倍近いものでした。 埼玉県の荒川、利根川では 100 年、150 年確率の洪水対策で大きな堤防を建設中です。我々は 100 年前の 曾爺さんの時代に起きたと思われる被害をイメージ出来ませんから、大堤防が出来れば被害は起こらない と考えてしまいます。

人が死なない防災
自然に対して畏敬の念を持ち、命の重要さに思いを馳せる姿勢を持って下さい。
・想定に囚われない 釜石市は明治三陸津波の再来を想定したハザードマップを出していました。 今回の津波で多数の死者が出たのはハザードに入っていない場所でした。
・最善を尽くせ その時それ以上は出来ないことまでやって下さい。
・率先避難者たれ 本当の敵は自分の心。人を助けるのは自分が助かってからのことです。

釜石市で子供に津波防災教育を始めたのは
自分の命を守る思考を持った子供がいなかったのです。大人達は巨大堤防が築かれたために安全と信じて、 避難を考えていないのですから、子供に避難する思考がないのは当然の結果です。 「自分は大丈夫」と自分に都合の悪い情報を無視したり、過小評価してしまいます(正常化の偏見)。 釜石の豊かな自然の恵みを享受することは、その自然のもたらす災いに近づくことです。 2006 年から学校教育で逃げる文化を育てるため、10 年ひと区切りで継続して実施することにしました。 10 年経てば子供は大人になります。防災意識を持った大人が生まれます。 子供達に自分が逃げることで何が不安かを問うと「親が心配して学校に迎えに来ること」と答えます。 子供から親に「自分で逃げるから親は子供の心配をしないで自分の心配をして」と言うことにしました。 釜石では昔から「津波てんでんこ」と言われていました。津波は自分一人で逃げると言う意味です。 3 月 11 日の発災時に中学生が率先して避難を開始し、小学生も続いて予め決めてあった避難場所に逃げ、 その場所も危険と判断して更に高い場所に移動しました。子供達が自発的に判断して生き延びました。 釜石の小中学生約 2,900 人、子供の殆どが助かったことは、町に復興の機運を高めることになりました。

平成 24 年2月 12 日 さいたま市防災リーダー研修会の講演抄録