佐々淳行氏の講習要旨

自然災害、テロ・武力攻撃への処方箋
佐々淳行氏(危機管理のスペシャリスト)による平成 21 年度さいたま市危機管理セミナー(22/1/17) での 講演を以下に要約しました。

①1 月 17 日は
阪神淡路大震災(1995 am05:46)、ロサンゼルス・ノースリッジ大地震(1994 am04:31)が発生し、国連によ るイラク制裁(1991)が開始された日です。 阪神淡路とノースリッジ地震は同規模(M6.9)で、長い年月に亘って地震発生が無かった地域で起きました。

②日本政府の初期対応は全くなっていなかった
米国では発生から 15 分後にはホワイトハウスに報告され、直ちに連邦緊急事態管理庁(FEMA)が救援活動を 開始しました。日本で官邸に連絡が入ったのは2時間近く経った 7 時半頃、休暇中の警察出身の秘書官からで した。10 時の閣議まで何もアクションはなく、国土庁長官の所管を確認しただけで、首相は当初からの予定 日程をそのまま実行しました。彼我の違いは余りにも大きく、米国での死者 64 人に対して神戸では 100 倍の 死者を出してしまいました。 兵庫県知事が自衛隊に災害出動要請を行ったのは 10 時でした。自衛隊側の働きかけを受けての決断でした。 佐々氏は官邸の関係者に「被災者救助に精鋭の習志野の空挺隊 1,500 人と東富士の教育隊 1,500 人をヘリで直 ちに投入する」ようアドバイスしたそうですが受け入れられません。当時は自衛隊の即時投入に消極的でした。
③公助の開始は 48 時間~72 時間を要するので、先ずは自助、共助が重要
日本は内閣総理大臣の命令一つで事が動く体制ではなく、閣議決定を要するので立ち上がりが少し遅れます。 神戸で倒壊家屋から救出された 800 人に聞いたところ、60%が家族、隣人に救われていました。  
④阪神淡路大震災での知見
・火災の原因は漏電でした。「避難する時はブレーカーを落とす」が地震のマニュアルに加わります。 電源が入っていた機器は地震の停電で作動は止まりますが、電気が回復すると電源が再び入ります。壊れた 機器から漏電がおこって火災をおこしました。
・消防は自治体ベースで組織されているため、設備の規格がまちまちでした。
各地から応援に駆けつけた消防車はホースの規格が違うため火災現場で有機的な運用が不可能でした。
・車を離れる時はキーを付けたままにして下さい。留められて動かせない車は救援活動の妨げになります。 車での避難は渋滞で動けなくなり、車を捨てることになります。多くの車はドアロックされたままでした。
・車のジャッキは救出作業に有効な道具となります。
倒壊家屋の下敷になった人の救出を担当した人達が「車に積んであるジャッキの使用を思いつかなかった」 と後で悔やんでいました。ジャッキで数cm上げるだけで挟まった人を引き出す事ができます。
・スニーカーを人数分用意しておいて下さい。
屋内、屋外を問わずガラスの破片で足の裏を切る人が多数に上り、救急病院はその対応に苦慮しました。
・トリアージ(Triage 患者を選別して重傷患者を優先して治療する)の概念が医療現場に全くなかったのです。 搬送された患者にトリアージ・タグ(重い順に黒、赤、黄、緑に色分けしたタグ)を付けます。黒は死者な ので何もせず、重傷の赤を重点治療し、足裏の外傷は緑なので病院に行かないよう指導します。当時は先着 順で治療を行ったため、ある時期までは死者 5,500 人と集計されていたものが、最終的に 6,434 人となりま した。後まわしになった赤タグ相当の人が死亡数を押し上げたと考えられています。
・日本人の素晴らしい資質は誇るべきです。
略奪行為が全くなく、主婦のグループが団結して従業員のいないコンビニで売上金管理を行っていました。 またお金を持たずに避難した人が多く、自販機を使えない事態となりました。日銀神戸支店は 100 円玉 9 個と 10 円玉 10 個を入れた袋を 4,000 個用意して配布しましたが、後日その大部分が返却されました。
・地域の女性、子供は地域で守る活動が不可欠です。
避難所で女狩りをする暴走集団がかなりいました。多くの場合、周りは見て見ぬ振りで被害者の発生が防げ ず、被害者のことは地域ぐるみで何も触れないで明るみに出さないようにしている事例が多数ありました。 警察も直ぐに対応できませんから、地域の男性が自警団を作って活動して下さい。
⑤テロ、武力攻撃には、悲観的に準備し、楽観的に対処するのが鉄則
イラクのクエート侵攻に伴う国連の制裁決議によるイラクへの最後通告期限は 1991/01/15 でした。米国を 中心に 28 カ国の多国籍軍が組織され、いつ開戦するかという時期に日本政府は何もアクションを取りません。
起こって欲しくない事態ではありますが、邦人の避難準備、国連加盟国の義務である協力に何が出来るか、 医療部隊、輸送部隊の派遣などの検討が全く行われていません。結局は金で済ませることになり、戦費全額を 負担することになりましたが、誰にも感謝されない結果になりました。 最悪の事態を想定して対策を準備し、それが必要なくなれば止めれば良いと考えれば良いのです。
⑥日本では地下鉄サリン事件 (1995/03/20) 以降 (1995/03/20) 以降、大きなテロ事件は起きてない サリンはナチス・ドイツが発明した自律神経を冒す神経ガスです。自律神経が支える心肺機能、脳の機能な どが停止して直ちに死亡します。世界に例を見ないサリンによるテロ事件は日本でオウムが実行しました。 その後は 2008 年の秋葉原無差別殺傷事件などナイフを使った事件が度々発生していますが、救助の障害と なるのは多数の野次馬だと言われています。皆が携帯のカメラで写真を撮っており、シャッター音は異常な程 大きなものです。
⑦大きな事件、騒乱、災害が起きたときは、自宅に籠もって鎮まるのを待つのが鉄則
非常事態発生時に出歩いて巻き込まれるのは最悪、自宅に籠もるのが最善の策です。常日頃から食料、水を 3 日分は備蓄しておきましょう。公助の発動は3日掛かることに留意して下さい。
⑧無事の連絡(Negative Report (Negative Report Negative Report)を速やかに親族へ行いましょう
事件、災害の発生場所に身内、知人がいる人達は、その安否を確認しようと焦ります。そのため電話回線が 輻湊して連絡が付きません。遭遇した人からメールやNTTの伝言ダイヤルを使って無事の連絡をとります。
⑨911での知見
事件現場の貿易センタービルで勤務中の人々は真っ暗な非常階段を歩いて避難しました。暗くて煙も流れる 階段を降りるのはとても不安です。そんな中で、人々に Take it easy(落ち着いて)とか Don’t Panic(慌 てないで)と声掛けをしてリードする人が多数いました。ベトナムなどで下士官経験を持つ人達でした。災害 時の共助活動の事例と言えます。 また貿易センタービルに職場のあった日本人は殆どの人が懐中電灯を持っていて避難の助けとなりました。
⑩テロや非常事態に備えた訓練はどうするのか
国民保護法(武力攻撃事態等における我が国の平和と独立並びに国及び国民の安全の確保に関する法律 平 成 15 年 6 月 13 日法律 79 号、平成 18 年 12 月改正)に基づく避難計画と訓練計画を各自治体は作成していま す。その確認と活用を推進して下さい。

                                                                           以上