その日の夢に、シンタ先生は現れなかった。
まるでダイヤルをかちりと切り替えたように、何もかもが入れ替わっていた。
黒。
漆黒の世界だった。
はじめは何も見えなかった。
しかし、しばらくした闇の中で静かにうねっていた液体が、海だと気がついた。
黒い海の上に、少年が浮かんでいる。
顔と肩だけを出し、木片のようなものにしがみつきながら、かろうじて波に身を委ねている。
彼は、生きているのか。
息をしているのかすら分からなかった。
ただ、目だけが一方を見つめている。
赤い光。
水面に揺れている。
まるで灯台のように、ゆっくりと瞬いているその赤い光の向こうに、島があった。
火に包まれていた。空を焼き尽くすような火柱が、崖の上の屋敷から上がっていた。
少年は、静かだった。
叫びもしないし、助けも求めない。
ただ、光を見つめながら海に漂っていた。
どれだけ時間が経ったのだろう。
やがて、岸にたどり着いた。
波打ち際に転がるように這い上がったその少年は、何度もあたりを見回した。
誰かを待っているのか、誰かを探しているのか。
けれど、そこには誰もいない。
しばらくそうしていたが、諦めたように歩き出す。
水を滴らせながら、彼は島の中へ歩いていく。
崖の上の家を避けるように、茂みに隠れて、低い姿勢で進んでいく。
海で失くしたのか、彼の足元には靴がない。
洋服は濡れそぼり、海水で冷たく重くなっていた。
雲間に満月が現れる。
時間が分からない。なのに島は異様に静かだった。
屋敷が燃えているというのに、誰も消火していない。誰の声もしない。
おかしい。
カエデの中にざわりと不安が走る。
それでも夢は止まらない。止められない。
遠くから笑い声がした。
下卑た、耳障りな笑い。
人の気配に、少年は素早く草むらに身を潜める。
その表情に、何の感情もなかった。
怯えも、怒りも、悔しさもなかった。
息をひそめ、じっと笑い声が過ぎ去るのを待つ。
人の気配が消えたのか、また歩き出す。
少年は知っている道を、まるで幽霊のように進んでいった。
崖の上の屋敷は、半分ほど焼け落ちている。
煙が夜空へ伸び、海に浮かぶ星さえ覆い隠していた。
少年はその光景を、ちらりと一瞥する。
その目にも、やはり何の光もなかった。
そして、彼はあの場所に辿り着いた。
そうだ。ここは……「私たちの秘密基地」。
くだらない話をして、笑っていたあの洞窟。
今はもう、誰もいない。何もない。
それでも、彼はその中へ入っていった。
そして、ひとつの机の前に立ち、しばらく何かを見つめていた。
その表情には、わずかに震えがあった。
彼は机に顔を伏せて声もなく、慟哭した。
震える背中。握りしめた拳。
言葉にならない何かを、喉の奥で何度も噛み殺すように。
何かを、失ったような……悲痛な……
「もう見たくない……!」
カエデは分かっていた。
その群青色の髪をした少年が、誰なのか。
最初から分かっていた。
カエデは目を覚ました。
彼女は泣いていた。
夢の中のアラタの声が、胸の奥にまだ響いていた。
絶望の声。