空が裂けたような衝撃のあと、世界はただ音を失った。
アラタの身体は崖の斜面を転がり、いくつもの岩に肩や背をぶつけながら、最後に大きな岩場へ叩きつけられた。
肺の中の空気が全部押し出される音がした。
思考が、真っ白になる。
「……っ、あ……」
声にならない声が漏れる。
痛みは自分の身体ではないように遠く、だが確かに骨の軋みが全身に伝わっていた。
呼吸をするたび、胸の奥でざらりとした何かが動くのが気持ち悪かった。
──死。
それがもうすぐ来てしまうのが否応なしに理解できた。
ぼんやりとした意識に浮かんできたのは、やり残したことばかりだった。
もっと本を読みたかったし、父に話したいこともあった。お父さんはもうすぐ帰ってくるのに、母さんも悲しむだろうな。
そして…浮かんだのは──カエデの笑顔だった。
いつも無邪気で、時々むちゃくちゃで、だけど自分をまっすぐ見てくれる、あの笑顔。
せっかく友達ができたのに、もっと一緒に歩みたかったのに。
ああ、でももう二度と見られないんだな、と理解した。
ただ永遠の孤独の中で、彼の意識は否応なしに小さくなっていく。
悔しいと寂しい、悲しい気持ちが浮かんでは消えていく。とても無念だった。
目元に熱を感じる。もうよくわからないが、自分は泣いている。
その時だった。
ずるり、と湿った気配が背後から滑り寄った。
青白いものが、霧のように揺れながら近づいてくる。
視界の端でそれが膨らみ、柔らかな液体のように輪郭を崩し──アラタの身体を包み込んだ。
「……っ……!」
温かいのか、冷たいのかすらわからない感触。
それが傷口に触れても、折れた手足に触れても、何も感じない。
もう感覚もないのかもしれない。
アラタは抗うことすらできず、その何かに沈んでいった……。
やがて、視界も青くなり瞼は急速に閉じられる、骨の軋みも、血のにおいも、海風も、全部が薄くなる。
意識が溶ける直前、微かに光を見た気がした。
♦♦♦♦
そこは見たこともない知らない世界だった。
ありえない色の空が広がっている。
色とりどりのグラデーションが混じったような混沌とした空。
そんな絵具をぶちまけたような空の下は紫色の大地だった。
風が重く、緑の匂いが濃すぎるような気もした。
地上には鋭い塔のようなものが立ち並んではいたが、どれも半ば崩れて黒く燻んでいる。
常識からは考えられない常軌を逸した世界。
その向こう地平線の向こうに、巨大な黒い建物が見える。
巨大な城のようなそれを見て――「私」は郷愁を感じた。
あの場所がとても大事な場所であることを感じた。
だがこの世界は色彩は美しいのに、悲哀と悪意のような気配が満ちている。
その中を、私は走る。
青白く透き通るような身体。
振り返るたび、怯えた光を宿した目。
逃げている──必死だった。
私はあの場所に帰りたいだけなのに。
そう思っている。
だけどそれを阻む悪意が、背後から迫ってくる。
大切なものはすべて失わされた。
見たこともない軌道の星が、城の背後に昇ってくる。
赤い大きな星、それは太陽のように世界を一瞬で赤く染めてしまった。
あの城も、この世界も、私を追うものも、私自身も。
その光で暗い影を負った。
「私は帰りたいだけなのに」
アラタはその言葉をはっきり聞いた気がした。
♦♦♦♦
重いまぶたを上げると、岩場の影の下に自分が横たわっているのが見えた。
痛みは……ない。
致命傷だったはずの身体が、驚くほど静かだった。
ただ、ひどく眠い。
夢の底にまだ身体の半分が沈んでいるような、そんな感覚。
視界の上に、誰かがいた。
青白い少女──いや、海猫が人の形を真似たもの。
その姿は、夢の中で見た「あの少女」と同じだった。
彼女はアラタの胸の上に膝をつき、震える手で顔を覆っていた。
泣いていた。
自分が何をしてしまったのか、ようやく理解したかのように。
以前から知っている絶望を思い出したかのように。
泣きじゃくっている。
朝焼けがそんな彼女をゆっくりと照らしていく。
「……だい……じょう…ぶ」
アラタは声を出そうとしたが、すぐに力が抜けた。
彼女に何か言ってやらなくちゃと思うのだが、言葉が出てこない。
まぶたが落ちる。
すごく眠い。
眠りに落ちるその刹那──
彼女を通して見る明け方の空の中にひときわ輝く星があった。
明けの明星。
まるで彼女の体の中にあるかのようなその星のきらめきが、青い体内で伝播していくつもの星の情景を浮かび上がらせた。
泣いている彼女の体の中に宇宙があるような、不思議な光景だった。
アラタはそれを純粋に綺麗だと思った。
そんな意識が沈む直前に、アラタは一つ思いついた。
──星。
「……ホシがいいな……君の、名前……」
言葉になったかどうかもわからない呟きが漏れた。
それでも、アラタは安心したように息をつき、深い眠りに落ちた。