「それでは席は...」
「はーい、ここ空いてます!」
校長が言い終わらないうちに元気な声が教室に響いた。カエデは手を目一杯上げて席から立ちあがってジャンプしている。
クールに地味に、目立たず過ごそうと決めていたアラタの計画は一瞬でくだかれた。カエデがいる時点でそれは願望に過ぎなかったが。
「ああ、星杜さんの隣の席が空いてますね、ではアラタ君」
「はい」
返事をして、教壇から降りて好奇心を向ける生徒たちのいる席の方へ歩き出す。
カエデの隣の席は窓際だったが、一番後ろの席ではなかった。正直窓際で一番後ろが一番目立たなくて良かったのだが、そこにはあの目つきの悪い青年が座っていた。
ニコニコと楽しそうに笑うカエデと、睨みつけてくる奴、本当に退屈しなさそうな席だと思いながらアラタは席へ向かった。
しかしそこへ向かう途中で急に足元をすくわれた。
油断していて下を見ていなかったアラタは、机から不意に突きだされた足に気づけなかった。
アラタは盛大に転んだ。
「気をつけてくださいよ、アラタセンセ」
頭上から声が聞こえ見上げると、小柄で憎たらしい顔をした少年がにやにやとこちらを眺めているのが見えた。
その瞬間視界が狭くなったように感じた、何も考えられなくなるような感覚。
アラタはしばらく理解が遅れたが、やがて頭がぐるぐると回るような感覚に陥って気持ち悪くなった。
今まで感じたことのないコントロールできない感情、その暴走にあらがう気がなくなりそうだった。
何もかも気にせずこいつを殴りたい。瞬間的な怒りは止める気が怒らないほど甘美で。
アラタの目には殺意が浮かんでいた。
「シンタ君ドンマイドンマイこっちだよ」
カエデの声。
見るとカエデが心配そうに見つめている。
言葉は周りとアラタを心配させないようにあっけらかんとした声だったが、その表情は今にも泣きそうな顔だった。
その声を聴いて、アラタははっと我に返った。
アラタは何とか心を静めて何事もなかったかのように服のほこりを払うと自分の席へ向かうことができた。
ただ内心自分自身に対して、驚きを隠せなかった。ボクは、あんなに怒りやすかったのか。
座る際に後ろにいるずっと睨んでいた青年と目が合ったが、向こうも目を合わせる気はないらしくプイッと横を向いた。
席に座ると授業が始まった。
授業を受けつつも、アラタは先ほどの出来事をぐるぐる考えていた。
足を引っかけられたことも今後どうするか考え物だが、それよりも自分の怒りについて驚きを隠せないでいた。
アラタは自分があんなに激高しやすかったのか戸惑いを隠せない。あの感情にあらがえない自分が怖かった。自分の中にあんな強い感情があったなんて。
ただしばらくそんなことを考えていたが、いつの間にか別のことが気になってそのことは考えないですんだ。
カエデの落ち着きがなさすぎる。
カエデは授業中もやはり不真面目で、外を眺めたり、アラタにちょっかいをかけたりで、まともに授業を聞いていない。
「黒板を見ろ」とか「授業中に話しかけないで」とか、最初はわかったふりをして真面目に前に向き直するのだが、しばらくするとすぐ忘れてこちらに向き直る。
仕方なく相手をしていたが、急に変顔をしてきた時は。笑いを押さえるのに必死になってしまった。
とにかく授業中は、てんやわんやだった。 カエデのテンションは異様に高く、なにがそんなに楽しいのかよくわからない。
でも、大変で面倒臭くはあったけど、退屈はしなかったかなとアラタは思う。
授業が終わるとアラタの周りにはたくさんの生徒が集まって質問攻めだった。
「はいはーい、質問は順番でーす」
いつの間にアラタの周りに集まる生徒たちを秘書のように管理するカエデ。
皆はカエデに従って律儀に一人ずつ話す。
どうやらこのクラスの生徒は皆、カエデを慕っているようで彼女がムードメーカーとして機能していた。こんなに変な奴なのに器用だった。
正直今日は出鼻は挫かれたが、この時間のおかげでこのクラスには初日から馴染むことができた。
カエデには感謝しかなかったが、本人には気恥ずかしくて伝えたくはない。
この集まってきたクラスの生徒はみな普通の子供だった。
ほとんどが島の漁師の子供なので元気があり余っていてものがほとんどで、アラタのようなタイプは皆無に等しかった。
でも、みんな好奇心旺盛ではあったが、優しい子達だと思った。
「みんな子供らしい子供でよかった」
「シンタ君も子供なんだけど…。というかシンタ君は失礼なことに私のこと『変』ってよくというけど一番『変』なのはシンタ君だよ、ね―みんな」
生徒たちは一様に頷く。
話を聞くと、この島の住人でアラタを知らないものはいないが、ほとんど見かけることがない珍獣みたいな印象だったらしい。
皆まさしく珍獣でも見るような眼で集まっていたと知ってアラタは少し傷ついた。
というか生徒たちの間で、「シンタ君」が浸透しておりゆゆしき事態だ。
でも、こうして休み時間と授業を交互に楽しく過ごした。
その間にこの学校のことや生徒のことが大体わかった気がするし、ほとんどの生徒と話ができた気がする。
――3人を除いて。
休み時間、クラスの大半のカエデ組とは距離をとっている三人組がいる。
あの足をかけてきた小柄な奴と、枯れ木みたいでひょろ長い奴、そして後ろの席に座っていた目つきの悪い大柄の奴だった。
明らかに目つきの悪い奴がリーダーだとわかった。
他の生徒と話して集めた情報によると、彼の名は灯也というらしい。
クラスの皆からはトウヤ君と呼ばれてはいたが、みんな怖くてあまり話したことはないらしい。
彼と一緒にいるは足を引っかけてきた小柄なのはヒダリ。背の高くてやせ細ったのがミギ。自分たちで付けたのかわからないが、そういうあだ名らしい。
トウヤの腰巾着らしい名前だ。
トウヤの名字を聞いて、アラタは面食らう。
飯森灯也。
彼は村長の息子だった。
アラタの父親と村長は親友で、アラタ自身も村長には良くしてもらっている。その息子がこちらを敵対視しているのは複雑な気持ちだった。
そもそも理由がわからなく、彼の態度が異様で気持ち悪さを感じた。
アラタがその三人を見ていると、気がついたヒダリが他の二人に顎でしゃくりながら何か言っていた。
それにミギが、静かにくつくつと笑って、ヒダリもそれに嫌な笑いで返す。なんだかネズミみたいな笑い声だった。
トウヤはそんな会話はどうでもいいというようにこちらをまた睨んだ。
足を引っかけたのも、彼が命令したのかもしれない。
アラタもしばらく彼を睨んだが、急に無理やりカエデに顔の向きを変えられる。
「めっ! アラタ君も喧嘩売らないの」
「でもあっちが…」
「でもダメ、シンタ君はもっと優しい男の子で売っていかないと」
「売るって何だよ……」
「シンタ君には、もっと楽しんでほしいんだ。あいつらのことは私に任せなさい」
そういって、カエデは胸をたたく。
本当に変な奴だ。でも、今がすごく楽しいのは間違いない。