アラタの父親は自分の恵まれた環境を無駄にせず勉学に励んだ。実業家として活躍して、その成功と母の実家を足がかりに現在は政界にも足を踏み入れている。輝かしい存在、一族の発展に大いに貢献している星である。
そんなアラタの父親が自分の故郷に学校を作るのは至極当然だった。いままでは、この島には学校はなく、子供たちは時折本土へ船で通っていたが本当に不便だったと聞く。
アラタの父はこの人口も少ない島に学校を建てた。元々漁師の多い漁村、子供だとしても働き手である。島に学校ができて親は大いに喜んだことだろう。まさに故郷への愛に他ならず、その献身によってこの島の住人は彼に尊敬の念を抱いているんだろう。
いずれは高等教育も、はては大学もこの島で受けれるようにしたいというのが彼の野望の一つであったが、それにはこの島の人口を増やすことが必要だった。現在は業業だけではなく、観光、また企業の誘致など新しい産業をこの島にもたらすために奔走しているらしい。
「シンタくん、楽しみだね学校!」
「……」
二人はは森の中を歩いていた。アラタの足取りは重い。
先頭を歩くカエデはくるりと振り返るとアラタに微笑みを向ける。
それとは対照的にあらたはゆうつな顔でため息をひとつ。
「お腹痛いのシンタ君?」
「...別に」
もはやシンタと呼ぶカエデの言葉を否定する気も起きなかった。
アラタは引っ込み思案で内気な性格だ。自分でも恥ずべきことだとは思ってはいるが、人前に出るとじっとりと手が汗ばむし、顔も真っ赤になってしまう。それが恥ずかしくて余計喋らなくなってしまう。
それが惨めで、祖父母の家にいた時には外の世界に出たがらなかった。
なぜこんなにも父親と僕は違うのだろう、アラタはいつもそう考えて鬱々とした気分になる。
学校で失敗をしてしまうと言った不安だけが大きく膨らむ、いっそ失敗するくらいなら寡黙な男を演じてやり過ごすことはできないだろうかと半ば本気で考えていた。
「楽しみじゃないの?学校」
「別に……、勉強だけなら一人でできるし」
「駄目だよ!」
珍しくカエデは声を荒げたので、アラタはびっくりしてしまった。
目の前を歩く彼女の顔は真剣だった。怒っているというよりは、少し大人びて何かを諭すような表情、その顔にアラタは少しどぎまぎした。
「なんだよ」
「シンタ君は勉強だけじゃなくて、いろんな人とも関わらないとだめだよ。だって、君は色んな人に好かれて、愛されて、尊敬されて一緒にすごいことをやっていくんだもん」
「なんだそれ……僕だってそんな風に慣れたらいいなとは思うけど......そんな理想を」
「理想じゃない、きっとシンタ君は素敵な人になるんだよ」
その顔は確信めいていて、まるでアラタの知らないことは何でも知っているんだと言わんばかりだった。
「まったく訳が分からない、何言ってるんだ……?」
「だってそうなんだもん」
そう言ってカエデは頬を膨らませて、そっぽをむいてしまった。
カエデのいうその理想系はアラタが目指す父親と同じものだった。
それだったら確かに、こんな弱音を吐いている場合ではない。カエデに言われるのは少し癪だけど、これ以上弱気なままではいけないんだと思う。
だけどそんな簡単に自分を変えることができるなら苦労しないよ。
「ほら、行こうよ、シンタ君!」
僕の手をカエデが握って駆け出していく。
学校の窓から数人の生徒がのぞいていて、僕は急にカエデに手を握られているのが恥ずかしくなって手を離した。
「今日はなんか変だよ、シンタ君」
「ちょっと……色々あるんだよ」
「ふーん」
そんな話をしていると、必死に走ってくる巨漢の大男がいた。
汗をかきながらふぅふぅいうその男は、アラタの前に立つとハンカチを取り出して汗を拭きながら、息を整えている。
「あ! 校長先生! おはようございます」
カエデがはねながら挨拶をすると、校長と呼ばれた男はカエデを見てぺこりと頭を下げた。
「星杜さん、おはようございます。坊ちゃんを連れてきてくださったんですね、ありがとうございます!」
「ええ、そりゃあもう大変でした。シンタ君全然歩いてくれないんだもの」
「シンタ君? ……ええと確か、月船さんの坊ちゃんはアラタ君だったような」
「アラタです。……よろしくお願いします」
このくだりは面倒なので、さっさと自分から喋ったほうがいいとアラタは思った。
結局、カエデのペースに流されて僕は動かされている気がする。
校長先生はうんうんと頷くと、後者の方へ二人を案内した。
木造の校舎はひんやりしていた。いくつかの教室と厠と校長先生しかいない小さな教務員室、それしかない小さな建物だ。教室は一番奥のものしか使われておらず、そちらからうるさい声が聞こえてくる。
アラタとカエデは、教務員室の校長の机の前に出された椅子に座った。
時折、開きっぱなしの入り口から子供達が覗き込んでいる。アラタは見せ物の鳴りたくなかったので外の窓を見つめた。
それに気がついた校長が扉を閉める。
「それで...坊ちゃん」
「坊ちゃんはやめてください」
「ああ失礼、どうにもここの出資者の子供というので舞い上がってたみたいです」
そう言って大男の校長は汗を拭きながら頭を下げた。
大人から特別扱いされると嬉しいのだけれど、結局それが同年代や子供に奇異の目で見られる原因だと彼は知っていた。
「月船でいいです」
「大人ですね、君は...」
「そう?シンタ君は子供だよ」
「なにを!」
「ほらすぐ怒るー、子どもジャーン」
ぷっぷくぷー、と舌を出してカエデはおちょくると、緊張で張り詰めていたアラタは声を荒げた立ち上がってしまった。
はっはっは、と校長は笑う。
「星杜さんがいれば、大丈夫そうですね」
「もちろん、シンタ君のことは私に任せてください!」
「頼もしい!それでは、よろしくお願いしますね、星杜さん、それとシンタ君」
「アラタです!」
結局、カエデのペースで何もかも進んでしまった。ただ彼女がいなければ、もっとぎこちないものになっていたんだろうなとアラタは思った。
カエデは先に教室に行き、アラタと校長は後から教室に入った。
みんなの目がこちらに向く。
「今日から新しい生徒が加わります。月船アラタくんです。仲良くするように」
アラタは呼ばれて、教室に入り黒板の前に立つ。
壇上から教室を見回すと生徒は20人ほど、これがこの学校の全生徒らしい。学年の違う生徒が混じっていて混合学級なのだろう。明らかに体の大きい生徒も混じっている。
窓際一番後ろの席から二番目の席の女の子が手を振っている。
言うまでもなくカエデだった。気恥ずかしくもあるが、少し彼女を見てアラタはホッとしていた。
ふと、目の端で違和感を感じる。彼女の後ろの席に座っている男。
椅子を少し後ろに倒して気だるそうにこちらを見ているのは、大柄な青年だった。年齢はわからないが、アラタよりは上だろう。
そいつがこちらを睨んでいる。
アラタは彼のことは知らない。
向こうは知っているのか、新人が気に食わないのかはわからないが、敵意のある目線だった。
「月船です...よろしくお願いします」
少し気圧されながらもなんとか自己紹介を済ませた。
アラタが不安に思っていた通り、嫌な始まりだと思った。