結論から言うと、ヒナはイカを食べなかった。
目の前に細く切ったイカを出してみたが、何度かつつくだけで食べようとはしない。
単にお腹が空いていないだけかと思い以降錯誤したが、3時間ほど悪戦苦闘した結果何の成果も得られなかった。
使われなかったイカは、現在カエデが刺身にして食べている。
青猫も欲しがっていたが、猫にイカはダメということでカエデが怒るとどこかへ姿を消した。
「困ったなあ」
図鑑が間違っていたのか。
とにかく何か食べないと、このヒナも弱っていってやがて死んでしまうだろう。
机に座って考えていると自分のお腹が鳴った。父親からもらった懐中時計を見ると、12時手前。お昼ご飯の時間だった。
母親がきっと食卓に座ってアラタの帰りを待っているだろう。
「お昼なのでいったん家に帰るよ」
「わかりました! では一次解散! ヒナッピが何を食べるのか各自考えてくるように!」
カエデは軍隊のまねごとをして、アラタを指さしてから敬礼をする。
「キミは戻ってこなくていいんだけどなあ……」
「ひどいっ、秘密を分かち合った仲じゃん。私もここの秘密基地の一員だよ」
「……しょうがない。ただしここのことは誰にも言わないでね」
来るなと言っても彼女は来るし、断腸の思いでアラタは彼女を迎えることにした。
ただし、彼女が他の人を連れてこないようには念を押した。彼女も基本的には一人で遊んでいるので、その心配はないかもしれないが一応だ。
「やった! へへ、シンタ君ありがとう!」
「アラタだよ」
彼女は満面の笑みを浮かべると嬉しそうにアラタをつついた。
「ごめんな、もう少しここに隠れていてくれ」
ヒナの頭をなでてやると、目を細めて嬉しそうにぴいと鳴いた。カエデもなでようとするが、距離を取って離れようとする。
本当に自分にだけ懐いているのだと嬉しくなる。絶対に餌を見つけてやるからな。
「それでは解散」
そんな感じでおちゃらけて解散して、屋敷について食堂へ入ったのだが...
「おい、なんでお前入ってきてるんだよ」
食堂には窓側の席に母親が座っていてその正面に、何故かカエデが座っていた。
「とにかくご飯にしましょう!」
笑顔の母に言われアラタも面食らいながらも椅子に座ると、メイドが食事の準備を始める。
洋風の長いテーブルにスープとパンそれにいくつかの果物やサラダ、魚介が乗っている。いつもと変わらない食卓。
カエデも同じようにメイドが目の前に料理を置いていくのを見ている。いつものように好奇心旺盛でキョロキョロしているのかと思ったが、先ほどとは打って変わって妙にしおらしく俯いている。いつもならもっと図々しくいるはずなのに。
「おい、なんでここにいるんだよ」
小声でカエデに言うと、カエデはやっと隣にアラタがいることに気がついたらしく少し安心したような表情を浮かべた。
「だって……」
「彼女は私が呼んだのよ、家のそばをうろうろしていたから話しかけてみたら、アラタ君のお友達だって言うじゃない」
「いや、こいつは……」
「アラタ、『こいつ』だなんて、お客様にそんなことをいうものではありませんよ」
「お母さん! でも……」
「あらいつもは、母様と言ってくれていたのに、男らしくなってまあ」
そう言ってくすくすと母は笑う。
「あ、あの」
珍しくずっと黙っていたカエデが口を開く。
いつものふやけた話し方とは違った。
「初めまして、お母様。えっと……星杜楓(ほしもりかえで)と言います」
「あら、ご丁寧に。アラタの母の月船かいろ(つきふねかいろ)です。いつもアラタがお世話になっています」
「はい、『アラタ』君には遊んでもらってます。楽しいです!」
アラタで遊んでいるの間違いだろう、と思ったがそんなことよりも。
カエデはちゃんとアラタの名前を読んだことに驚いた。
「星杜……珍しい苗字ね。まあ私たちも人のことは言えないのだけれど、この土地に所縁のある名前なのかしら?」
「はい、もともとこの島で星杜と月船は共にこの島を守ってきた……なんて伝説があったりします」
「ええっ! そうなの?」
「は?」
楓からの突拍子もない言葉に、アラタも母も驚いた。
急に何を言い出すのかと思えば……。
「ごめんなさい……私嫁いできたばかりで無知だわ。そんな我が家に縁あるお嬢さんだったなんて……旦那なら知っているかもしれないわね」
アラタも父親からはこの島での話は聞いたことがない。
基本的に外を飛び回っている彼にあまり過去を話してもらった記憶はなかった。どちらかと言えば処世術や勉強の仕方など実用的なことを教えてもらうことが多く、それは彼の時間のなさゆえなのかもしれなかった。
とはいうもののさすがにカエデの話はぶっ飛びすぎていて信じられない。
「聞いたこともないけど……嘘だろ」
「ほ、本当だよう。遠い遠い昔の話だけど……」
カエデはしどろもどろになって涙目になったので、あまり強くは突っ込めなかった。
カエデの話は話半分に聞いておこうと思い、もう無視して食事を始める。
「つまり君たち二人が出会ったのは遠い昔から決まっていた運命だったんだね」
「ぶっ……母様何言ってるんです」
ポトフからジャガイモを口に入れたところで、そんな母親の言葉に吹き出してしまう。
すかさず、メイドがやってきてテーブルを拭いてくれた。
「う、運命……そ、そう、そうなんですシ……『アラタ』君と私は出会うべくして出会った仲なのです」
「おい……」
カエデは目を輝かせて、立ち上がる。
アラタはそんなカエデの頭に背伸びして手を置くと、もう黙っていろと言わんばかりに押し込んで座らせた。
「そうなの、じゃあ私も応援するからね」
母は、ほほえましそうに二人を見ている。
「何をですか……母様」
食事が終わり、屋敷を出て崖の方へ向かう。
母のかいろは、カエデのことが気に入ったらしくしばらく楽しそうに談笑していた。
だが、アラタはヒナのことが気がかりなのと母親にからかわれるのが気恥ずかしかったので早々に食堂を退散した。
屋敷を出たあたりで、後ろからヒナが追い付いてくる。
「さっきの話、嘘だろ」
「さっきの? ……ああ、アレは本当だもん。さっきは言わなかったけど本来は、月船家は星杜家の家来だったんだよー」
また盛ってるなと、アラタは思う。
「証拠はあるのか?」
「それは、うちの神社に来てもらえればあると思うけど……今はボロボロだしなあ……」
「嘘っぽい……」
「違うってー、もうっ、なんでシンタ君はそんなに意地悪なの?」
「それは……」
シンタはそこで言葉を止めた。
月船家の屋敷の庭が赤黒く染まっている。
まるで血だまりのように見えるそれは、花畑のようだった。
「ああモリアザミの花だね、この島じゃよく生えてるよ」
カエデが教えてくれたが、もちろんアラタもよく知っている花だ。
この島でならいたるところに生えている野草である。
だが、アラタが気になったのは別のことだ。
妙にたくさん群生している。
普通植物というのは、もっと一定の間隔を持って咲いているものではないだろうか。
あまりに近すぎれば、互いに日光を浴びる範囲が狭くなってしまい互いにデメリットが生まれる……それは自然の摂理ではなかったのか。
このモリアザミは所狭しと生えていて、少し気持ちが悪いくらいだ。
そもそも、月船家の庭は毎度手入れされている。本来ここは芝だったはずだが……
「朝に観た時に……こんなの生えていたかな」
「奇麗だよね、そうだ!」
そういって、カエデは花畑に歩いてく。
カエデは奇麗だというが、確かに美しい。
だが同時に怖くもあって、嫌な予感がした。
カエデに手を伸ばしとめようとするが、遅かった。
彼女は花畑に入るとしゃがみこんだ。花をむしって、何かを作っている。
しばらくそんなカエデは遠巻きに眺めていたが、しばらく見ているうちにそんな嫌な予感はどこかへ行ってしまったようだ。
カエデのそばにアラタが寄るのと、彼女が立ち上がるのは同時だった。
「じゃ~ん」
カエデはアラタの頭の上に赤紫の花冠をのせた。
花らしい香りが強く、した。
「もういいから行くよ」
アラタは花冠をその場に放ると崖の方に歩き出す。
「えー似合っているのに」
楓はアラタの後を追ってきた。手にはアラタが捨てた花冠があった。