杯島の港にはいくつも船が停泊している。船には漁師たちやその妻が乗っていて、魚の加工や翌日の準備などをしている。
朝が早い漁師の中にはぼちぼちを仕事を終えて釣りをしている者もいた。
港の向こうの浜辺では子供たちが海で遊んでいる、穏やかな日常風景。
杯島の昼のいつもの平和で退屈な風景だ。
アラタはそんな港の片隅にある村長の家にお邪魔していた。
他の家に比べると少し立派な只住まいだが、洋風の城のような館に住んでいるアラタからすれば、あばら家のようなものだった。
だが、漁師の家らしい家の家具や用具を見るのは好きだった。魚がいくつか吊るしてあって、おいしそうなにおいが漂っている。
土間の式台の上に座っていると、すぐ隣にカエデも座る。
「シンタ君すごいね、村長とも知り合いなんだ。大人みたい」
「……まあ、ね」
褒められると赤くなってしまうのがアラタは恥ずかしくうつむいてしまう。
「ん~、シンタ君どうしたの? もしかしてお腹痛いのかな~、うりうり」
「静かにして」
小声でふざけようとし始めるカエデを制止する。この人はしゃべり続けないと死ぬのだろうか、とアラタは思う。
それにしても、不思議な子だ。
しぶしぶ大人しく黙ったカエデをアラタは観察する。自分よりも背が高く、長い黒髪と人懐っこい真ん丸な目に愛嬌がある。黙ってさえいるならその顔立ちは美人と言えなくもないと素直にアラタは思った。
自分の何がこの子の気を引くのだろうか全くわからない。思えば初めて出会ったときから、この子はこの調子で突っかかってくる。本当に変わりものだった。
思った通り彼女が黙っている時間など数秒と持たなかったようだ。もう貧乏ゆすりをはじめそわそわとしだしている。
結局カエデは黙ることにも飽きてアラタにまたちょっかいをかけようと手をそろそろと伸ばしてくる。
アラタはそれを振り払うとちょうど、家の奥から大柄の男がやってくるのが見えた。
「アラタ坊ちゃん、お待たせして申し訳ない」
男は浅黒い肌をした中年だった。
杯島村長の飯森だった。
年齢的には、アラタの父親と同じくらいで、前の村長が亡くなってその後を引き継いだらしい。
漁師らしいがっちりとした身体は近づきがたい無骨さがあるが、その割に明るく話しやすいため、港での人気もあるらしい。
飯森は手に持っていたイカをアラタに渡す。先ほど絞めたばかりのようで新鮮だった。
「ありがとうございます」
アラタは礼を言って、先ほどから見せて見せてと目を輝かせるカエデに渡す。
村長の家にはヒナの餌をもらうために来ていた。
さすがに自分でイカを取る方法は知らなかったので、父親とは顔見知りのこの男を頼ったのだ。というより面と向かって話したことある大人は家族以外ではこの男くらいだった。
「珍しい組み合わせですなぁ、坊ちゃんが神社の子と一緒にいるなんて」
飯森はアラタには敬語で話す。父親はこの島の所有者であってこの島の住民には慕われている。慕われている父親の息子であれば、丁重に扱おうという腹なのだろう。そんな態度がアラタにはくすぐったく感じるが、誇らしくもあった。そのせいで同年代の子供からは奇異な目で見られてしまうが。
「神社の子?」
「ありゃ、知らなかったんですかい? この娘は杯神社の一人娘でさ」
「そうでさ、敬いたまえよシンタ君」
話を向けられて、カエデはふんぞり返る。なぜ敬う必要があるのかはアラタにはわからなかったが。
「この島では漁師を守ってくれるありがたい神様がいるんです。アラタ坊ちゃんも遊びに行ってみては?」
「来てみては?」
先ほどからカエデは飯森の言葉をまねして遊んでいる。
飯森はそんなカエデの失礼な態度にも笑って対応している。島の子供たちに接するときは、もっと粗野な話し方だというのをアラタは知っていた。
自分と同じく、カエデもまた特別扱いなのかもしれない。
それにしても彼女が他の子供たちと違って独特なのは、神社の子供だからなのかと少し納得してしまう。
それと同時に自分もまた、漁師の子ではないので、浮いているのかもと思うと少し嫌な気分になった。
杯島の森の中には、ボロボロの神社があることは聞いていた。越してきてから本土からこの島に越してきてからというもの、家族でその神社に赴くことなかったと思う。アラタの父親も底を信仰していたのかどうかは知らない。漁師ではないから、進行する必要もなかったのかもしれない。
「それでカエデちゃん、神社の方は大丈夫なのかい?」
「それはもう大変だったよ、お父さんは途方に暮れてる」
「何かあったんですか?」
「昨日の夜、風が強くて荒れたでしょう? それで、神社の壁なんかが飛ばされて大変だったんですよ」
「ボロボロの社だったからね~、父は途方に暮れてトホホだよ」
カエデがおどけて言う。下らないダジャレではあるが、起きた出来事は深刻だ。
神社の子供だというのにそんな軽くていいのだろうか。
「まあ、今日手の空いたうちの若い奴を向かわせているので、今度はもっと立派な社を建てましょう」
「うーん、まあそれはいいんだけどねえ……」
力こぶを作る飯森の頼もしい言葉に対して、カエデは上の空で天井を見上げる。
首をかしげる飯森をよそにカエデはそのままゆっくりとアラタを見た。
本当に何を考えているかわからん奴。
その後、飯森も神社の方の様子を見に行くということだったので、二人は家を出た。
帰り道、アラタとカエデはヒナの待つ秘密基地へ向かう。
あの青猫がヒナを襲うかもしれなかったので、今は机の引き出しの中にヒナを隠している。隠してはいるが心配だったので、アラタの足取りは早かった。
カエデは背が高いわりにとろく、速足で進むシンタに遅れがちで追いかけてくる。
「というか、キミも家に帰って方がいいんじゃない?」
「いやあ、子供がいたって邪魔になるだけだよ」
カエデは苦笑する。
「それに……父から探し物を頼まれているしね」
「探し物?」
「ああ、大丈夫だよ、それはもう見つけたから」
それは何?とはアラタは聞かなかった。
きっとどうでもいい話だろう……。