アラタは秘密基地である洞窟へ入った。心なしか足取り軽く、椅子に座ると入口の方に振り向いた。
そちらから、よちよちと海猫のヒナが歩いてくる。
ヒナはアラタから目を離さず、まっすぐ歩いてくる。
アラタの投げ出していた足を橋のように登ってきて、ちょうどへそのあたりで止まって首をかしげて「ぴい」と泣いた。
「わぁ。可愛いなあ」
手を近づけると頭を摺り寄せてくる。
アラタは引き出しから布を取り出すと、体をふいてやる。確認してみたが、ヒナのどこにも傷はなかった。
親や兄弟の血なのかと一瞬思ったがいたたまれなくなるため考えないことにした。
吹き終わるとカラダも奇麗になった、茶色いまだらの身体を振るると震える。頭を手で撫でてやったら、目を細めて気持ちが良さそうだ。
刷り込みのせいだと思うが、とても人懐っこい。本来の鳥だと、親に餌をねだって鳴いている鳥しか見たことはなかったが、それに比べるとこのヒナは頭が良さそうに見えた。それもまた、特別感があってアラタは嬉しくなる。
ヒナを机の上に置くと、本棚から鳥類の本を探した。
ここにある本は一通り目を等していたので目当ての本はすぐ見つかった。ここにはいろいろな図鑑があって、知りたいことはみんな知ることができた。
「海猫って、何を食べるんだろう?」
アラタはもう飼う気満々で、すぐにでも快適な環境を作ってやろうと意気込んでいる。動物を飼ったことなどなかったので、これがどれだけ楽しいことなのか想像してにやにやしてしまう。
海猫に関するページを見つけて、アラタはじっくりと読み込む。その間、ヒナは机の上に置いてある鉛筆をガジガジとかじっていた。
「へえ、海猫って海に潜れないのか」
本のページには白い体に灰色の羽、白黒に黄色いくちばしのずんぐりした鳥の写真が載っている。今の茶色いまだらのヒナとは全く違う。
「なるほど、餌的にはイカ……イワシかな。何とかなりそう」
アラタはどこで餌を調達するか考える。
集落の方に行って、漁師に頼み込めば分けてくれそうだと思う。いつも挨拶してくれるおじさん達は皆優しそうだった。
「お腹は減ってるかい?」
アラタはヒナに話しかけると、ヒナは小首をかしげ少し濁った鳴き声を何度か出す。
まるでアラタに返事を返そうと同じような声を出そうと必死に返事をしているように見えてアラタは笑ってしまった。
とにかく、餌を確保しなければと出発の準備を始める。
このヒナはどうするか、そこが悩みの種だ。そもそもカモメに襲われて巣から落ちてしまったヒナを無防備のまま連れて行ったら襲われるかもしれない。
ここに置いていこうにもついてきてしまうだろうし……。
しばらく悩んだあと、仕方なくカゴに入れて連れて行くことに決めた。
となれば、かごの代わりになるものを探さなければ、とアラタは洞窟内を探す。子供のころの父親は多趣味で、そういったアラタの要望に応えてくれるはず。
色々と物がまとめてある区画に行きかごを探す。ヒナは机の上からこちらを興味深そうに見ていた。
「にあ」
鳴き声がする、一瞬海猫のものかと思ったがそうではない。
アラタが振り返るのと、洞窟の天井に空いて小さな穴から何かが飛び降りてくるのは同時だった。
天井からの木漏れ日の中に器用に着地したのは、猫だった。
一瞬遅れて、アラタは何が起きているのか理解して血の気が引いた。
ヒナとアラタの間に降り立った猫は、光を浴びて青白く光る体で伸びをすると一点に目が釘付けになって伏せた。
腰を振って、ヒナにとびかかろうと臨戦態勢になる。
「や、やめろ……」
とっさの出来事でアラタは声を出すことも、動くこともできなかった。
アラタは絶望した。
「やめなさーい!」
急にガンガンと音を鳴らしながら洞窟内に闖入者が乱入してきた。
猫はビクッとして音の方に顔を向ける。
「青猫、ダメでしょ! シンタ君が泣いちゃうよ」
「……なんで」
なんでここにカエデが、とアラタは絶句した。色々なことが起こりすぎて思考が追い付かない。
カエデは猫の元まで歩いていくと名残惜しそうに獲物を見る猫を抱きかかえた。
「ごめんね、シンタ君。この子いつもは大人しいんだけど、妙に先走っちゃって」
と言って楓は猫の頭を引っ張る。猫は不機嫌そうに半目になってされるがままになっていた。
しばらくそんなカエデを見ていたが、やっと状況を理解できたアラタはすぐに机に向かってヒナを両手で覆って叫ぶ。
「なんでお前がここにいるんだよ!」
「えー、シンタ君が何やらニヤニヤコソコソして怪しかったので今日は静かに尾行をしてみました!」
そういってカエデは啓礼のポーズをとる。
アラタはヒナが食べられてしまうという最悪の状況をまぬがれて心を落ち着けることができたが、同時にひどくガッカリしてしまった。
この父親から譲られた秘密基地である洞窟を他人に知られてしまったという気持ちだ。
そんな、アラタの気持ちを知ってか知らずかもうカエデの興味はこの洞窟に移っていて、きょろきょろとあたりを見回している。
「ここすごいね! いろいろある!」
「触らないで、父さんがボクにくれたものだぞ」
地球儀に手を触れようとしたカエデは、その言葉を聞くと手を引っ込めてこちらを見る。
「そっか、すごいね、シンタのお父さん」
「そ、そうだよ。これは全部、父さんが集めたんだ」
褒められて少しうれしくなってしまう。
ずっとこの秘密基地のすごさを誰かに共有してみたいという気持ちはあったかもしれない。ただ、その相手が不可思議なカエデだということは少し残念ではあった。
特に付きまとわれているだけで友達というわけでもない。
「それでシンタ君は何してるの? その鳥ってシンタ君が拾ったの? それって飛べるの?」
部屋の中を物色することはやめてくれたが、今度は目をキラキラさせて、カエデは質問を投げかけてくる。
「まず最初に、ボクはシンタじゃない! アラタだ」
「え~、シンタ君の方が可愛いよ。そっちが本当の名前だということにしちゃおうよ」
「意味の分からないことを言わないで」
「まあいいじゃない、それでそれで、今日は何をして遊んでいるの? シンタ君」
好奇心旺盛なカエデは、こうしてアラタと話せることがうれしいのかニコニコしている。
やっぱり面倒なことになったなあ、とアラタは思った。
青猫はカエデの腕の中でつまらなそうにあくびをした。