アラタの家の前には、赤レンガの背の高い塀があった。
中の様子は見えない。
だけど二階の窓が開いていて、カーテンが揺れていた。
その向こうに、見慣れた横顔があった。
カエデ。
そして──アラタ。
トウヤは門の陰から、ふたりの姿をぼんやりと眺めていた。
二人は楽しそうに笑っている。
昨日あんなことがあった後とは思えないほど、自然で穏やかな笑顔だった。
いつの間にか拳を握っていたのに気が付いて、トウヤはそっと指を開いた。
(……もう、いい)
もう、自分の問題をあいつらに向けることが恥ずかしかった。
昨日、トウヤはあの崖で──確かにアラタに助けられた。
ただの突発的な行動だったのかもしれない。
自分の命を、本当に心から守ろうとしていた。
自分の命を顧みず。
あれは偽りじゃない。
自分とは違う、まっすぐな目を見た。
こんな自分を見るまっすぐな目。
だからこそ──
(……なにやってんだろうな)
カエデが屋敷から出てくるのを見て、トウヤはようやく門の前に立った。
使用人が彼を見つけて気を利かせたのか、中へ手招きされる。
意を決して、トウヤは中に入ることにした。
玄関は見たこともない場所だった。おおよそトウヤが知っている玄関ではない。
見たことない西洋の調度品や、床は全て赤いカーペットで敷き詰められ、大きな階段はまるで立派な祭壇みたいだ。
ただそれは全体で調和していて、何というか下品ではなく感じる。
圧倒されて身動きができない内に奥から洋服を着た女性がやってきた。
トウヤは、アラタと話すことしか考えていなかったので虚を突かれてしまった。
「あら、アラタのお友達?」
アラタの母親なのだろう。とてもきれいな女性だと思った。
友達かと聞かれとっさに、トウヤは首を振るのが精いっぱいだった。
「んー?」
母親は予想外の答えに困った顔をしたが、急に何かを悟ったのかポンと手を打った。
「でも、今日学校にこなくて心配になってきてくれたのね!偉いわ~」
「は?」
「大丈夫、すぐに友達になれるわよ~さっさっさ、行きましょう~」
鼻歌のようにしゃべりながら母親は、無防備なトウヤの手を握ってずんずんと屋敷の中を進んでいく。
トウヤは麻酔にかかったかのようにされるがままだった。
余りの非現実さに我を忘れるところだった。
そっとその手を引きはがす。
「月船の部屋、知ってるから」
とだけ言って、母親を置いて廊下を歩いた。
「アラタはいい子だからすぐに友達になれるよ、頑張って!」
トウヤの態度に意を返さず背後からは能天気な声が聞こえた。
本当に調子が狂う、やれやれと首を振るトウヤは目的の部屋へ向かう。
アラタの部屋は、窓の外から見て大体の位置はわかっていた。
「……よう」
アラタは、ベッドの上で横になっていたが、声の主を見て目を見開いた。
警戒しているようだった。
「お前……」
トウヤは部屋の中に入った。
カエデが座っていた椅子の隣に立ったまま、アラタを見下ろす。
「……」
「……」
無言の時間が続く。
「あ~……なんだ……その」
何と言っていいかわからず、言葉が出ない。
ただその態度に、敵意がないと感じたのか空気が少し和らいだ。
この闖入者が何を言うのか、アラタは待つことにしたらしい。
「……殴って悪かったな」
「……!」
ぶっきらぼうに、真正面からは言えないけれど、それでも絞り出した言葉だった。
アラタはしばらくその言葉が信じられなかったようにいぶかしげな顔をして沈黙した。
しかし、しばらくして意を決したように言葉を返す。
「あんな弱い攻撃、なんともないよ」
アラタがふっと笑った。
彼の目から敵意が消えていた。
「てめぇ。言うじゃねえか……」
トウヤはそれを見て、思わず顔をしかめて、頭をかいた。
なんだか、心の奥が少し暖かくなったが、照れ臭かった。
「ほんと、むかつく顔してんな」
「そうかな、キミの方がむかつく顔で睨んでたし……」
「……お前もたいがい、イラッとする喋り方すんだよな」
「キミに合わせてるだけだよ」
「へっ、悪かったな」
互いに罵り合っているが、しゃべっているうちに吹き出してしまう。
すごい馬鹿な会話をしている。
わからないものだなとトウヤは思った。
こいつはもっといけ好かない奴だと思っていたのに、実際いけ好かないのは自分だった。
こいつは嘘がない。
生意気だけど──まっすぐだ。
眩しいくらいに、こいつは自分より強かった。
こいつが羨ましかったんだ。
今までしたことのない話を少しした。
最初に感じていた緊張はもうなかった。
「あの鳥は、一体なんだ?」
「……ホシだよ。僕の……友達だ」
そういうと、アラタは窓の外を見た。
あの鳥は、まだあの海辺の洞窟の中にいるのだろうか。
「あいつは、ボクを守るためにあんなことをしたんだ。許してやって欲しい」
「許すも何も……」
「もう、キミを攻撃することもないよ、たぶん」
「たぶんかよ」
そこで扉がノックされた。使用人がお茶を入れにきたのだ。
「……さすがに長居しすぎた。今度あれが何か教えろよ」
「気が向いたらね……お茶飲んでいけば」
アラタが言うが、トウヤは小さく息をついて、立ち上がった。
「……冗談。じゃあな」
「……また学校でね」
「うるせえよ」
トウヤは背を向けて、部屋を出た。
友達っていうのはこういうものなのかもしれない。
屋敷を出て、道を歩きながら、トウヤは空を見上げた。
空はまだ曇っていた。
雲で何も見えないのに、あの空の向こうの太陽を見た気がした。
風が吹いた。
(こんなことに気づきたくなかったな)
俺はあいつの……カエデのそばに立ちたかったんだ。
あんな風に、笑って、まっすぐに。
言葉にするまで、それが何なのか分からなかった。
でも、気が付いてしまうと、なんだか拍子抜けした。
ちょっとだけ肩をすくめて、トウヤはひとりで笑った。