西遊記翌年の彼ら、初頭から快進撃です。
1979年4月1日 シングル『ビューティフル・ネーム』発売
この年の初め、国連は1979年を国際児童年と定め、世界中の子どもの人権を守るための条約誕生に向けて本格的に動き始めます。
(実際に国連総会で採択されたのは1989年11月20日、発効は1990年9月2日です。長い道のりでした。)
日本のメディアでもこれを盛り上げる動きが様々に行われ、協賛歌として制作されたのが『ビューティフル・ネーム』でした。NHKでこの曲を用いたユニセフと共同制作のスポットが多く作られ、放映されます。(中にはこの曲のスローバージョンが使われたものもありました。これがまた美しい!)
同じくNHKでは「みんなのうた」でも放映されました。(番組ではゴダイゴ歌唱のものが使われていますが、キングレコードから発売された「みんなのうたよりベストアルバム」では、この歌をポップスグループ"PAL"が歌っています。作曲者名はたけかわゆきひで表記。このアルバムには「ニルスの不思議な旅」のたいらいさおさんが歌われたバージョンも入っています。)
TBS「ザ・ベストテン」にも登場します。『ガンダーラ』と『モンキー・マジック』2曲同時チャートインが2月から4月まで続き、最後の『モンキー・マジック』チャートインの翌週からこの『ビューティフル・ネーム』がチャートインです。
つまりこの年、1月から3月まで、「ザ・ベストテン」出ずっぱりです。出てない日もありますが、ランクインはしていますから、他の番組でも引っ張りだこだったと思います。(この時まだ小学生だったこともあり私はほとんど見れてはないです、あしからず。)その忙しさの中、この素晴らしい曲を制作しているわけです。
シングルのA面は日本語バージョン、B面は英語バージョンです。国際色にあふれた、このときの彼らしか適任はいないであろうと思える演出です。
詞も曲もアレンジも、全てが完璧です。ホーンセクションを大胆に使っていて、華々しい雰囲気を作っています。何度転調しているのか分からないくらいなのですが、全くそんなこと感じさせないアレンジです(これは『ガンダーラ』も同じです)。
日本語詞の冒頭、今回は音数もばっちり、音のニュアンスも、"Child of mine"と「きょ、お、も」で、拗音+お+マ行、これまたばっちりです。
日本語詞は日本人にベストに訴えかける内容だと思います。対して英語詞はもう少しグローバルな視点もある。
特にBメロがわかりやすい単語で書かれていて、このBメロ部分の繰り返し最後の回を彼らはライブで英語詞で歌うことが多く、世界に目を向けるきっかけ作りにもなっています。
日本語詞と英語詞、共通点は、どちらも明るい。明るい明日へ向けてのメッセージ。でも、課題は「今」です。だから詞の中に「未来」とか「明日」とか、"future"とかは使われていない。今日も、子供たちは素晴らしい、と歌います。なんと美しいことか。
ライブでは、曲の途中で会場内の観客を右と左にチーム分けをした「歌合戦」が定番として各会場でハイライトとなり(ライブアルバム「マジックカプセル」にもこの様子が収録されています。)、この年の年末にはこの曲で紅白にも初出場。彼らの新たな代表曲となります。
そしてこの曲は、英語日本語の枠すら飛び越えていきます。
1980年、ネパール、カトマンズの王立競技場で行ったコンサートでは、この曲のサビをネパール語に変えて歌いました。演奏旅行の様子は当時レーザーディスクで発売されていて、ここでのネパールコンサートの映像は圧巻です。
同じ年、中国、天津で行われた「第一次中日友好音楽祭 」で行ったステージでは、同じくサビを中国語(北京語)に変えて歌いました。この模様もテレビ放映やライブアルバムで発表され、この曲を観客と一体になって歌う様子は、音楽がいろいろな垣根を越えてつながる瞬間をとらえた印象的なシーンです。
1985年、活動休止ライブでこの曲を演奏した時には、彼らの活動の総決算として、この曲のサビでネパール語、中国語バージョンを入れ込み、4か国語版として歌っています。
今でも彼らのライブには必ず組み込まれ、歌合戦も盛大に盛り上がる定番曲の一つです。
た1979年の「国際児童年」の年明け(1月〜春頃)には、世界中の子どもの人権を守るための画期的な条約の誕生に向けた動きや、日本国内での啓発イベント、メディア連携が急速に本格化しました。
学校インターネット教育推進協会 +1
主な年明けの具体的な動きは以下の通りです。
1. 国際社会:子どもの権利条約への道がスタート
1979年の年明け直後、国連において「子どもの権利条約(児童の権利に関する条約)」の策廷に向けた実質的な審議を行う作業部会が設置されました。
ポーランド政府から提出された草案をもとに議論が始まり、それまでの法的な強制力がない「宣言」から、国家間で義務を伴う「条約」へと格上げするための第一歩がこの年明けに踏み出されました。
2. メディア・音楽:協賛歌「ビューティフル・ネーム」の誕生
年明け以降、日本のメディアでも国際児童年を盛り上げる動きが盛んになりました。
テーマソングの浸透:ロックバンド・ゴダイゴによる協賛歌『ビューティフル・ネーム』が発表され、NHKの番組『世界のこども』や『みんなのうた』を通じて、年明けから春にかけて日本中に広く浸透しました。すべての国の子どもの命を尊重しようというメッセージが音楽を通じて社会に届けられました。
3. 国内イベント:国際児童年協賛 宇宙科学博覧会(第2期)
前年の1978年から東京・船の科学館周辺で開催されていた「宇宙科学博覧会」が、1979年1月に一旦幕を閉じた後、3月24日から「国際児童年協賛」の冠をつけて第2期を開催しました。
子どもたちに未来への夢と科学の楽しさを伝える記念行事として、年明けの春を象徴する一大イベントとなりました。
1978年(昭和53年)から1979年にかけて東京・有明の海上公園で開催された「宇宙科学博覧会」では、アメリカ航空宇宙局(NASA)などの協力により、アポロ16号が持ち帰った本物の「月の石」が展示の目玉の一つとして大きな話題を呼びました。
KYODO NEWS IMAGELINK +1
この博覧会は連日大盛況となり、当時の月への熱狂を伝える展示品として多くの来場者の記憶に刻まれています。
子どもの権利条約(児童の権利に関する条約)は、1989年11月20日の国連総会で採択され、1990年9月2日に発効しました。
日本ユニセフ協会 +4
日本における重要な年月日は以下の通りです。
文部科学省
署名した日:1990年9月21日
批准(国会承認)した日:1994年4月22日
日本で効力が発生した日:1994年5月22日
1979年7月19日 ザベストテン
14~17位 はるかな旅へ、ハピネス、ビューティフルネーム、999