十輪十色の花を編む

好奇心という名の靴を履いて

小さな旅に出る。

用事で駒込に行った時、狭い路地に入りました。桜を見に寄ろうとして入った裏道です。道を挟んで住人どうしが話をしています。学生や単身者向けのアパートが並んでいて、幾らか普通の民家もあり、路地に面した玄関先に手入れの行き届いた植木鉢が並んでいる。そんな通りです。ご近所さんどうしの二人は70代かなと思われる男女で、邪魔しないよう早足で間を通り抜けようとした時、少しだけ会話が聞こえました。

昨日、留守だった?

昨日は英会話教室だったから。

街の音のように耳に滑り込んできたその短い会話が、その頃の私にはとても新鮮でした。都会のご年配はなかなかシャレた行動力をお持ちなのだな、と。

私の母は和服の仕立て屋でしたが、老眼に成ると辞めてしまいました。歳を重ねる事は何か諦める事のように見えました。それで自分も老眼になってくると、当初は寂しい気持ちになったものです。

人生初のメガネ。掛けてみると久々によく見えて、嬉しく成って、今までに無い程たくさんの本を読みあさりました。

作品写真2
広島のコンテストは一次通過と本審査延期の通知が合わせてきました。オリンピックの延期と共に、印象に残る年になりそうです。写真は「母に捧げる花束」

どんな年齢の人でも「始めるにはもう遅い」と言う事がありますね。

まだ10代だけど、もう社会人だから。

20代だけど、子供が居るし、

30代は、もう若くない気がして、

40代で何か始めようとしたら、笑われる気がする。

でも50代に成ると、今始めないと後が無いと気付き、自分が子供の頃見ていた50代と今の50代は違うと感じ、90を軽々と越える親達を見て人生は思っていたより長そうだな、という危機感を抱くのです。

人間は随分長生きする生き物に成ってしまいました。30代や40代でもう若くないなんて余裕こいてたら、特に病気もせずそこそこ健康なままで50を越え、さてこの先何を楽しみに生きていけば良いかしらとあたりを見渡すのです。

作品写真1
2020年3月、上野の東京美術館で展示会があるはずだったコンテストは、開催初日に自粛要請。コロナなんて思いも寄らず、色々な事を始めようとしていた今年の初トライ。写真は「昼の星・夜の星」。ボタンが太陽でまわりは昼間の見えない星達。だんだん手前が夜の星。佳作いただきました。

ところで、年齢に関わらず、趣味として伴うものに心当たりの無い方。とりあえず、何か自分で作ってみるというのはいかがでしょうか。

そんなに構えなくても始められる事は多々あります。例えば、丸の書き方を知っていれば、丸を使って絵が書けます。センス次第では丸だけでスゴい表現ができます。技能は必ずしも沢山必要では無いかもしれません。

でも、ちょっと何かを知る事で広がる選択肢があります。ちょっと何か習う事でアイデアが広がります。構想を叶えたり、発想を広げる手掛かりにはなるはずです。

あなたがこのサイトを切っ掛けにマクラメ編みを始めたとしたら、もっと色々知りたくなって、本やYouTubeとかで沢山の素晴らしいお手本に出会うと思います。それも良いと思います。

でもいつか、立ち止まって、自分にしか出来ない物を作りたいとか、独創的でありたいと思う時がくるかも。その時、自分に必要なテキストとか情報はそんなにも要らなかったなと感じるかもしれません。

お手本や習う事は土台の材料と同じ。自身の独創力で何か建ち上げ始めた時、その柱が踏むのは土台の全てではないでしょう。でも無駄な努力などそう無いものです。続かなかった事、叶わなかった事も土台のどこかに埋まっているはずです。

桜のモチーフ
今年、花見に行けなかった無念から、ひたすら桜の花を製作。たくさん咲かせます。

夢中になれるのも、飽きるのも、好奇心が枯れていない証拠。好奇心は無邪気で前向きです。いつも新しい事を求めています。

好奇心が元気なら、昨日あった嫌な事なんか考えているヒマも無く、明日挑戦する新しい事も心配なんかしない。挑戦の結果がどうであれ、挑戦した事が前進だからです。思い通りにいかなかったら、後悔ではなく軌道修正します。

好奇心が元気な人は経験も豊かなので、思慮も分別も豊かです。

好奇心は靴です。

時には元気をくれ、時には癒しとなり、人を前向きにしてくれます。好奇心は知りたがります。あなたに出来る事。あなたが出会う事。

初めて読む本。初めて作る料理。小さな旅と同じです。明日会う人、来週始める仕事。

何かを諦めた時から、また始まる何か。

それは、どんな未来でしょうか。

桜の花