紅茶の生産で有名なインドですが、実はコーヒーも生産されています。特に南インドを中心に産地が広がっています。アラビカ種よりもロブスタ種の方が多く、理由はインドの低地や気候など環境に適しているからと考えられています。
インド産でよく知られているのが、モンスーン処理と呼ばれる独特なプロセスです。元々は紅茶と同じく偶然による産物で、植民地時代にインドからヨーロッパへコーヒーを輸出する最中に、豆を木箱に入れて輸送したため、モンスーン期間中に降雨にさらされました。それにより、生豆が多量の湿気を吸収したところ、あの独特の味になったといいます。現在では、工場で機械的にナチュラル精製のコーヒーに処理が行われています。生豆が薄いベージュ色になるのが特徴です。
ちなみに、コーヒー豆の全世界での精製方法としてはウォッシュト(水洗式)が主流となっており、生豆は緑〜青みがかった色です。
一般的に、インド産の豆は、濃厚でクリーミー、そして酸味が弱い傾向にあることが知られています。特別に複雑なフレーバーもありません。
バリ島におけるコーヒー生産の80%はロブスタ種です。「アチェ」とは、スマトラ島北部の生産地の名称です。マンデリンとは、スマトラ島に暮らす部族の名称です。G-1とは、等級のことです。
インドネシアでのコーヒー生産の特徴に、「ギリン・バサー」と呼ばれるスマトラの伝統的な精製法があります。これはウォッシュトとナチュラルの要素を組み合わせたものです。
一般的にスマトラ式で精製されたコーヒーは、非常に濃厚なコクがあり、ほんのりと酸味があり、土臭さとスパイシーさがあると言われます。
1970年代にタイ政府は、タイ北部のゴールデントライアングルと呼ばれたアヘン原料として栽培されていたケシの代わりにコーヒーを栽培するよう住民に促すため、試験プロジェクトを立ち上げました。一般的に「サイアム ブルームーン」という銘柄は、タイ北部のチェンライのドイチャン村で、山岳民族であるアカ族やリソー族によって栽培されたと言われます。北部ではアラビカ種が多く、南部ではロブスタ種が多いとされます。
しかし、国際市場でのタイの評価は低く、まだ品質は高いとは言えないのが現状です。
一般的に、タイ産の質の良いコーヒーは甘く、かなりすっきりしており、酸味も弱いと言われます。比較的強い苦味があり、スパイシーさやチョコレートのような味がすることもあります。
モカ(mocha)という用語は元々、コーヒーを出荷していたイエメンの港に由来します。イエメンにコーヒーを伝えたのはエチオピアで、貿易やメッカへ向かう巡礼者たちによって持ち込まれました。
イエメンで農耕に適した土地は水不足の問題により、国土の3%しかないです。
一般的に、イエメンのコーヒーは、野生味があり、複雑かつ渋みがあると言われます。その独特の味は、根強い人気があります。
コーヒーの原産国と言われるエチオピア。アラビカコーヒーノキが初めて見つかったのは南スーダンと考えられており、それがエチオピアに広がり繁茂しました。ケレンプティとは、エチオピア西部に広がる生産地域の中心都市の名前です。西に100 km離れたギンビも含めてギンビ/レケンプティと称されることもあります。エチオピアのコーヒーはその多彩な香りにより、コーヒー業界の専門家を魅了してきました。
ゲイシャとは、エチオピア西部にある町にちなんだ品種で、「Geisha」「Gesha」と表記されます。コスタリカからパナマに伝わった品種であるが、起源はエチオピアと考えられています。フローラルな香りの高い豆で、近年人気が高まっています。
一般にエチオピアのコーヒーのフレーバーは種類が豊富で、柑橘系、ベルガモットやフローラル、砂糖漬けの果実やトロピカルフルーツまであります。
ブルンジとはアフリカ内陸部の小さな国です。1920年代、ベルギーによる植民地支配時代にコーヒーが持ち込まれました。1962年の独立後には、コーヒー栽培は民営化され、一時期この体制は変化しましたが、1991年以降は民間の元へコーヒー事業が戻りつつあります。
一般的に、ブルンジの上質なコーヒーはベリーを感じさせる複雑なフレーバーがあり、素晴らしくジューシーな口当たりがあると言われます。
タンザニアには、コーヒーは16世紀にエチオピアからもたらされたと言われます。ハヤコーヒーまたはアマワニコーヒーで有名なハヤ族がロブスタ種を持ち込んだと考えられます。
SNOW TOP(スノートップ)とは、ドイツのチボー社にいたドイツ人が品質鑑定し、キボーの中から選り優れた豆のみをスノートップのブランド名で販売しています。基準を厳格に守るドイツ人気質により、不作の年にはスノートップに該当する品質の豆がないこともあると言われます。
スノートップの名前の由来は、アーネスト・ヘミングウエイの名著”キリマンジャロの雪”にちなみTOP(アフリカ最高峰キリマンジャロ山の頂(いただき)に在るSNOW(赤道直下にありながら雪があるという奇跡)をイメージしたことからつけられました。
キリマンジャロは、タンザニアでは最も古くからアラビカ種の栽培が行われている地域で、世界的な認知度も高く、定評があります。
一般的に、タンザニアのコーヒーは、爽やかな酸味と、ベリーやフルーツの香りが混じった複雑なフレーバーとして認識されており、みずみずしさと興味深い美味しさがあります。
ウガンダではビクトリア湖の周りにロブスタ種が自生しています。在来種のコーヒーを持つことは珍しいです。
一般的に、ウガンダの豆は、他の生産国に比べると素晴らしい味のコーヒーがまだ希少でありますが、良質のものは甘味があり、ダークフルーツのような風味で、後味はすっきりしていると言われます。
ルウェンゾリは、ウガンダ⻄部ルウェンゾリ山脈 国立公園周辺の地域です。
ブラジルは150年にわたって世界最大のコーヒー産地であり続けています。世界総生産の3分の1のコーヒーを生産しています。世界で最も先進的で産業化されたコーヒー生産国でもあります。しかし、大多数の大規模農園が、しごき作業を採用し、全ての枝から一気にコーヒーの実を落としてしまい、それが成熟度合いの不均一性となり味のばらつきが生じています。
大多数のブラジル産コーヒーは、高品質コーヒー作りに最適な標高よりも低い場所で栽培されているにもかかわらず、興味深く美味しいコーヒーが存在します。
一方で、スペシャルティコーヒー生産者らは、長年、手摘みで収穫し、豆を洗い、標高の高い場所で興味深い品種のコーヒーを育む取り組みもなされています。
ブラジル産のコーヒーには当たり外れはあるものの、美味しいものは酸味が少なめで、ボディは重く甘味が強い。しばしばチョコレートやナッツ系のフレーバーを伴います。
メキシコに初めてコーヒーの木が持ち込まれたのは1785年頃で、キューバか現在のドミニカ共和国からと考えられている。しかし、メキシコには豊富な鉱床があり、そこからの収入が多かったため、コーヒー産業を活気づける動きは長年ほとんど起こらなかった。
1973年に政府が設立したINMECAFEのバックアップにより、コーヒー生産と栽培用地は飛躍的に増えたが、多額の借金と原油価格の下落から債務不履行に陥った政府は1980年代に方針を変えた。その影響でINMECAFEは倒産した。
一部の地域ではINMECAFEが担っていた仕事の多くを引き継いだ。メキシコのコーヒー生産者は、コーヒー認証制度を積極的に活用してきた。特に、フェアトレード認証とオーガニック認証が当然のことになっている。
スプレモとは、等級の一つです。コロンビアコーヒー生産者連合会(FNC)により「スプレモ」と「エキセルソ」が作られましたが、これらは豆のサイズのみを示しており、質とは関係がないです。FNCは、輸出コーヒーにかかる特別税によって運営される生産者の利益を守るNGOで、巨大で複雑な組織であり、マーケティング、生産、経営において重要な役割を果たしてきました。一方で、生産者コミュニティの奥まで入り込み、地方の道路や学校、医療センターといった社会的かつ物理的なインフラ整備も行っています。
一般的に、コロンビア産のコーヒーは、ずっしりとしてチョコレート味のするものから、ジャムのように甘くてフルーティなものまで、フレーバーの幅が非常に広いことで知られます。
イスパニョーラ島から現在のキューバにコーヒーが伝わったのは、1748年のこと。1827年にはキューバには2000ほどのコーヒー農家があり、コーヒーは砂糖よりも利益のある主要な輸出品となりました。
キューバ産のコーヒーは全体の3〜4%しかないクリスタルマウンテンがあり、ETL、TL、AL、モンタナとグレード分けがなされています。
日本はキューバ産のコーヒーの主な輸入国ですが、ヨーロッパにも大きな市場があります。
一般的に、キューバ産のコーヒーは重厚でコクがあり、酸味は弱いとされます。
コーヒーがエクアドルに伝来したのはかなり遅く、1860年頃にマナビに持ち込まれたのが最初。1905年頃には、マンタ港からヨーロッパへの輸出が始まりました。
アンデスマウンテンは、その名前の通り、エクアドルのアンデス山脈で生産されています。
一般的に、エクアドル産のコーヒーは以前よりも甘味が強く、味が複雑になりつつあり、質に対する期待に応え始めています。心地よい酸味も付加されてきています。
グアテマラのコーヒー豆が初めて持ち込まれたのは1750年頃にイエズス会士らによるとよく言われますが、1747年には既に栽培され、飲まれていた記録もあります。政府はそれまでの主要な産業であった天然インディゴの需要が、化学染料の発明によって減少しつつあったことに危機感を覚え、コーヒーの栽培を推進しました。1930年頃の世界恐慌によりアメリカの企業に多くの権力と土地を与えたことが、国内でのゼネストや抗議運動の引き金となりました。その後の民主化の時代には当時の大統領が農業用に土地を再配分する政策を打ち出しましたが、アメリカ企業や大規模農園主らはこれに反発。これにより国は内戦状態となり、貧困、土地分配、飢餓、先住民に対する人種差別など、現在も問題が残っていると言われます。
一般的に、グアテマラ産のコーヒーは、甘みが強いものから、フルーティなもの、複雑な味わいのコーヒーがあり、口当たりも軽いものから重厚でリッチなもの、チョコレートのようなコクのある種類まで、フレーバーの幅が広いことが知られています。
ウエウエテナンゴは、グアテマラ北西部に位置する山地の一つ。ナワトル語で「太古の場所」「先祖の場所」という意味。南米で最も高い非火山系の山岳地帯があり、コーヒー栽培に適しています。輸出用のコーヒーの生産量が最も多い。
グアテマラでも標高による格付けを採用しています。SHBは、等級の一つで、ストリクトリー・ハード・ビーンのことで、標高1300 m以上で栽培されています。
ニカラグアに初めてコーヒーが持ち込まれたのは1790年、カトリック宣教者によるもので、当初は珍しさから栽培されていました。1840年頃になり、世界でコーヒーの需要が高まったのに応じて、経済的に重要なものになりました。
一般的に、ニカラグア産のコーヒーにはフレーバーに幅があり、典型的なものは非常に複雑で、心地よいフルーツのようなフレーバーと、すっきりした酸味を持っていると言われます。