何があってりんさんと知り合ったのかと友人に尋問された。
たしかにどう考えても接点がない。
答えられずに困っていると「おい」とりんさんに手を引かれ、連れ出された。
「言ってないだろうな?」と聞かれ「言ってませんよ」と答える。
絶対に言わないと約束した。
あの指切りを、今日も証明し続けている。
鉛色の空から水滴が落ちる。雫は次々と降り注ぎ、地面を濡らしていく。
しまった。傘がない。
仕方なく走って帰ろうとしていたら背後から「りんさん」と声がかかる。
「良かったら、一緒に帰りませんか」
傘を差し掛けてきた。
断る理由は見つからなかった。
左肩を濡らすわかばと、雨音を聞きながら帰った。
夢でならば。何一つ心配せずに、隠していること、言わないと決めていることを伝えられるだろうか。
生まれた星が滅びて、今は地球にいること。
あの日交わした約束を守っていてくれて感謝していること。
そして……。
ひどく気恥ずかしいことを考えてしまった気がする。
やはり、夢でも言えたものじゃない。
いっそあいつが、私の地球人にはあり得ない頑丈さと腕力に怯えるような男であったなら。
そのまま恐怖を刻み込んで黙らせ、終わらせられただろう。
そんな目を想像してひどく狼狽え、そうならずに秘密を守ると約束したことにひどく安堵する。
こんな、訳のわからない感情に襲われることもなかったろうに。
人ごみの中に、りんさんを見つけた。
こうして見ると、普通の少女で、あの日のことが夢のようにも思える。
本当は聞いてみたいことはいろいろある。
どこから来たのかとか、好きなこととか、僕のことをどう思っているのかとか。
けれど、約束をした。
彼女が言おうと決意するまで、僕はずっと待つと決めた。
人ごみの中、幼い少女と一緒のあいつを見つけた。
ひどく近い距離で、一目でただならぬ仲と知れた。
…私には関係ないことだ。
けれど、そんな姿は見たくはなかった。
うなだれていると、背後から声をかけられた。
「あれ、りんさん?」
振り向くと見慣れた顔。
…両親、だと。
お前の家族はどうなってるんだ。
授業の移動で廊下を歩いている時、向こう側にあいつがいた。
隣にいる友人らしき男子に何やら話しかけられているようだった。
横を通り抜ける時、あいつはこちらに気づいて笑顔になり、頭を下げる。
どう反応したものかとそのまま通り過ぎた後にちらりと振り向くと、こちらを見ていたあいつと目が合った。
ずっと、姉妹以外の人とは境界線を引いてつきあってきた。
地球人ではないことを知られないように。
なのに、思いがけない事故で知り合ったあいつは、それに構わず邪気のない顔で近づいてくる。
気がつけば、境界線の内側に入ってこられて、慌てて境界線を引き直す。
そんなことを何度も繰り返している。
「また明日」
あいつはいつもそう言って別れる。それが当たり前になったことに、心が奇妙な動きをしてしまう。
けれど、今日は違った。
「また新学期に」
そう、明日から夏休みだ。そうなると会う機会もなくなる。
気づいてしまった事実に戸惑い、
「お前、勉強得意だろう」
ふと気がつけば、口を開いていた。
お前勉強得意だろう。宿題を手伝ってくれ、とりんさんに頼まれ快諾したら、借りを作りたくないからかわりに何かないかと聞かれた。
借りなんてと思うけど、気が済まないのだろう。
今度一緒に花火大会に行きませんかと提案し、承諾を受ける。
よく考えると、僕は得しかしていないのではと、後で気づいた。
宿題を見てもらえることになった、とりんは言った。
そして、交換条件だからとか、あいつが言いふらしたりしないか油断しないようにしないと、とか、次々にまくしたてていく。
とどのつまりは、花火大会に着ていく浴衣をどうしようか、ということだった。
姉妹みんなを集めよう。
家族会議のはじまりにゃ。
約束の時刻より早く着きそうで、りんの心は落ち着かない。
こんなに早く着いてしまうと、期待していたなんて思われやしないだろうか。
浴衣はちゃんと似合っているだろうか。
姉妹たちのセンスを疑ってはいけないけれど……。
待ち合わせ場所にはわかばがいて、りんを見るなり似合ってますねと微笑んだ。
熱気の中、ふわりと香りが漂った。
爽やかでみずみずしく、なのにふとした拍子に甘い。
隣からだった。
鼓動が跳ねてしまったのを押し隠すように、香水ですかと尋ねると「上の姉がそういうのが好きで、勝手につけたんだ」とぶっきらぼうな答え。
いい匂いですねと返したが、不自然な答えではないだろうか。
陽が沈み、屋台の煌々とした灯りが通りを照らす。
花火の時間が近づき、混雑がひどくなってきた。
こう人が多くなっては、人の波に流されかねない。
などと思っていたら「はぐれないよう、手を繋いでいいですか」と声がかかって手を包まれた。
その手は意外と大きく骨張っていて、何故だかひどく慌てた。
あいつはあの日の出来事を他人に話さないと約束したから、処理はしない。
けれど、その約束を破らないよう、見張っておかないといけない。
今こうして花火を見に行くのも、夏休みの宿題という借りを作るわけにはいけないから交換条件だ。
…言い訳がないと、一緒にいる理由を作れないことに気づいていた。
借りを作るわけにはいけないから交換条件として花火大会に行く、と言いつつも、浴衣を選んでいる時の姿や、出て行く時の足音の軽さを見れば、本心は一目瞭然だと思う。
りんの様子を見にいかないとね、と姉妹みんなでこっそり追いかけた。
やはり姉妹として心配だから、などともっともらしく言いながら。
夜空に大輪の花が咲いた。
花火は次々と上がり、空を彩っていく。
「すごい…」という声に隣を向くと、色とりどりの花火に照らされた横顔に目を奪われた。
りんさんが花火に夢中で、間抜けな顔を見られなくて良かったと思った。
夢を見てるようだけど、繋いだ手の温かさと柔らかさが現実だと示していた。
花火が終わり、人の波が落ち着いた後も手は繋がれたままだった。
握るその手は少し汗ばんでいるが、離したいとは思わなかった。
…いや、あいつが離さないのだからしょうがない。
自分にそう、言い聞かせる。
ずっと手を繋いでいたいなんて考えてはいない。
二人とも何も言わず、静かな夜道を歩き続けた。
がさ、と音がして振り向くと女性がいっぱいいた。
「な、なんでいるんだ!」
「いやー、やっぱ姉妹としては心配でねえ」
気づいた瞬間に、繋がれた手は離されていた。
少しだけ寂しさを感じたが、耳まで赤くして反論している横顔に、なんとなく気持ちを察する。
ご姉妹の一人がごめんね、と目で謝っていた。
掌にはまだ先ほどの感触が残っているような気がして、それを追うように目を閉じた。
残り香がかすかに甘く香る。
白く、柔らかい手。
鮮やかな浴衣姿に、花火に彩られた横顔。
鮮明な記憶が、彼を捕らえて離さない。
いや、記憶だけではない。
多分きっと、初めて出会った時から、その存在にとらわれていた。
「みんな心配だったからつい見にきちゃった、邪魔してごめんね」
なんて言われたけど、別にデートなんかじゃない。
ただ宿題を見てもらう交換条件に、二人で花火を見に行っただけ。
はぐれないよう繋いだ手が大きくて驚いたけれど。
手を離してしまったことに、名残惜しさを少しだけ感じてしまったけれど。
お前ら付き合ってんのかと友人に尋ねられ、返答に詰まった。
付き合ってもないし、そもそも友人と見なされているかすらわからない。
まだ警戒されているような気もするし。
考えた末にそう回答すると「二人きりで花火見に行ってただの友達とかあるか馬鹿もげろ」と罵られてしまった。
…そうなんだろうか。
新学期が始まると、あいつはまた寄ってきた。
帰り道は私は歩いて、あいつは自転車を押して並んで歩く。
あいつが話すことに私は素っ気なく相槌を打つか答えるか。
夏休みが来る前と、全く変わらない。
交差点にさしかかる。
最後にいつもの笑顔で「また明日」の一言が来たことに、変に安堵してしまった。
自転車のサドルを握り、押して歩く帰り道。
彼は隣を歩く人と、その手が気になって仕方なかった。
花火大会の時につないだ白く柔らかな手。
こんなに見て、不審に思われないだろうか。
そう思っても、つい目がその手を追ってしまう。
…実は隣の彼女も同じような状態だったのだが、気づくわけもなかった。
あいつは雰囲気がもっさりして鈍くさそうに見えるが、意外と気が回る。
何かあると声をかけるし、人が多いと手を差し出す。
背丈はそう変わらないのに、あの日繋いだ手は大きく、厚く、骨張っていた。
男の手だった。
女ばかりの家族で、そうした男っぽさに見慣れていないから、ひどくドキドキしてしまう。
危ない、と思って腕を掴んで引っ張る。
けれど、咄嗟で力加減ができなかった。
勢いよく吹き飛んだ体は、地面を転がり…壁に当たって止まった。
何も言えずにいると、立ち上がったあいつは「すみません、うっかりしてました」と笑った。
拒絶も何もないいつも通りの笑みに、泣きそうなほどの安堵を覚えた。
りんさんの真実を、僕は知らない。
推測することはあっても、隠していたいことをあえて尋ねることはない。
…知りたくないと言えば嘘になる。
だから彼女が語るまで待っている。
けれど、りんさんが何かわからなくても。
あの日、水でもがいていた時に聞こえた声と、僕を引き上げた手。
それで、十分だった。
一体何があって知り合ったんだか。
あいつはいい奴だが、垢抜けない見た目や好きなことを話す時の早口な姿なんかが邪魔して、女子受けするタイプじゃない。
対する彼女は目立つ美人だが、あまり誰かと仲良くする姿を見ない、ある意味高嶺の花だ。
どんなに聞いても口を割らないし…いやマジで何があった。
あいつが来ない。
いつもはあの気の抜けた笑顔で「一緒に帰りませんか」と言ってくるのに。
…別に、約束をしているわけじゃないが。
とっぷり日が暮れた頃、やっと姿が見えた。
私を見て少し驚いた顔で「すみません」と謝るあいつに「一人で帰っても良かったんだがな」なんて憎まれ口を叩いてしまった。
あいつは私と道を歩く時は、常に車道側に自分の体を置く。
その動きはあまりに自然で、いつもそうしていることに気づくまで時間がかかった。
初めて出会った時、私が自転車をはねたことを覚えているはずだ。
自分の方が脆いのになぜと思うが、こいつはそういう奴だということを、既に理解してしまった。
あの日からあいつをずっと見張っているが、言いふらすような奴ではないことはもうわかっている。
毎日誘ってくるからつきあっているだけだ。
けれど最近、遠目でもあいつを見つけてしまう。
友人と笑っている姿、好奇心に目を輝かせている姿…。
その度に胸がキュッと痛む。
それは苦しく、どこか甘かった。
人を好きになるきっかけは、案外些細なものだ。
あの日、たまたま睡眠時間がズレて寝坊しなければ、りんさんとぶつかることはなかったと思う。
自転車が吹っ飛ぶ衝撃、水に叩きつけられた痛み、僕の体を引き揚げたりんさんの手…。
その時からずっと、彼女が気になって仕方ない。
この感情の名前はきっと─