「後に起きたことを悔やんでいる。だけど、あの時の僕の選択を、後悔はしていない」
また同じ状況になれば、同じ選択をするだろう。
薄々、彼がそう答えることを予想していた。
僕もそうだ。
相手を悲しませることがわかっていても、そうしたい自分のために命を投げ出す。
それがエゴでなければ何だろう。
自分の大元は、己の体で緑を発芽させて最期を遂げたらしい。
苦痛に苛まれて死んだだろうし、数々の無念もあったろう。
……けれど、心のどこかに、満足もあったのではないだろうか。
ケムリクサに魅せられた人間が、ケムリクサを墓標に死ぬ。
おそらく、それはそれで悪くない一つの死に方だっただろう。
彼らは、他人のために命を投げ出すお人好しではなかった。
そうしたい、あるいはそうせねばならない自分のために命を懸けるのである。
だからこそ、躊躇いもなく命を投げ出せてしまう。
彼らは共に、大切な者のために壁を張り、赤の中に消えていく。
守ろうとした者たちに、消えることのない傷を残して。
二人しかいない状況。
目の前には敵意を持ったもの。
姉妹たちとは離れており、逃げて助けを呼ぶのは難しい。
多分間に合わない。
どうする。
逡巡は一瞬だった。
黄色の最大出力。空に閃光が走る。
「僕は牽制にかかる。君は」
「防御は任せてください!」
さあ、気づいた姉妹が駆けつけるまで持ちこたえよう。
発生したバグを確認し、ワカバが顔をしかめた。
「これは僕ら二人だけで対処するしかないね」
「そうですね。りんさんたちは心配するでしょうけど…」
それどころか後でなぜ言わなかったと怒られるかもしれない。
だがこのバグは色々な意味で危険だった。
「何があって服だけ溶けるバグなんか起きるんだ…」
ワカバさんが僕にミドリを手渡した。
「服を溶かすという作用がケムリクサにどう作用するかわからない。
だからあの子たちは連れて行けない」
転写されたこの人にも同じ危険性があった。
「もし僕が溶けたら、修復を頼むよ」
「わかりました」
そして二人、バグ発生領域を見やる。さあ、長い戦いの始まりだ。
「大丈夫ですか!」
わかばが僕の口にミドリを放り込みながら尋ねる。
「なんとかね」
ミドリを肺一杯に吸い込むと、溶けかけた箇所が再生した。
「抑え込もう。アオイロでの援護をよろしく」
「任せてください!」
そして二人、バグの中心に向かった。
…全裸でなければもう少し格好がついたんだろうけどね…
死闘の果てに、服が溶けるバグはどうにか修正した。
さすがに全裸で帰るわけにもいかず、シロと名付けられたヌシに着替えを取りに向かわせた。
けれど、最悪な事態が発生した。
心配していた二人が追いかけてきた。
現実逃避気味に責任者出てこい、と呟くとわかばが微妙な顔で僕を見た。
…うん、知ってた。
二人とも全裸。
目の前には駆け寄ってくるそれぞれの大切な存在。
着替えを持ったシロは、彼らの元に向かっているが、多分間に合わない。
どうする。
逡巡は一瞬だった。
黄色の最大出力。
「さすがに裸は見せられないからね!」
「やっぱりまずいですよね!」
さあ、彼女たちの視力が回復する前に着替えよう。
二人が腕を組む仕草はまさしく尋問のそれだった。
見下ろされた男二人は冷や汗をかきながら説明する。
前例のないバグだったこと、服が再生する姉妹たちにはどう作用するかわからず連れていくのは危険と判断したこと…。
「理由はわかった。けど次からはきちんと言って」
ごめん、と謝るとしがみつかれた。
痛いのは嫌だし、死にたくない。
生物としての本能だ。
それでも、りりを守り、事態を解決するにはこれしか思いつかなかった。
もし僕にもっと知識と経験があれば、より良い解決方法が見つけられたかもしれない。
けれど、今現実にそれがない以上、手持ちでどうにかするしかない。
種子と恐怖を飲み下した。
わかばの目が僕の目を捉えた。
心の裡を探るかのように、そこにある何かを見透かすかのように。
「僕が初めて目を覚ました時、りんさんたちご姉妹が、とてもキラキラして見えてました。
もしかして、それは」
その先の言葉は、言わせてはならなかった。
僕の感情を、気づかれてはいけない。
たとえ、彼にも。
彼は僕の複製のようなものだったが、その発生は事故のようなもので、そこに僕の意志は介在していない。
もし彼が発生しなければどうだったろう。
りりの遺した姉妹は救われず、赤いケムリクサも浄化せず、全てが朽ちていったかもしれない。そして、僕も。
偶然か、必然か。彼をもたらした何かに感謝した。
ミドリが浄化しきれるか。浄化したとしても、転写が成功するか。
そもそもこの行動は分の悪い賭けだった。
けれど、少なくともりりは守れるし、他に手は思いつかなかった。
仮にここで終わるとしても、僕は好きなことをして、楽しく生きた。
それだけは確かなことだった。
たとえ、他人に理解されなくても。
二人揃うと大体ケムリクサの話になるが、たまにはそうでないこともある。
今日の話題は、互いの相手のこと。
仕事しすぎて怒られてしまったとか、鈍感すぎると怒られてしまったとか。
そうして、ああ言われた、こう言われた、と言い合っているうちに二人は共に思う。
あれ、僕が聞いてるの惚気じゃない…?
ウスイロを食べた後、ワカバさんが来て食べたのかと問われた。
頷くとひどく深刻な顔になる。
「さっきケムリクサ合成の実験に使ったやつで…命に別状はないけど、肉体が強化された後、半日寝込むことになると思う。いや、ごめん」
そういうことはきちんと書いておいて欲しい。
ぴしりと服が悲鳴を上げた。
(原版)
ウスイロを食べてしばらくしたら、ワカバさんがやってきた。
食べたのかと問われ、頷くとワカバさんが深刻な顔になった。
「え、もしかして食べたら駄目なやつですか?」
「ケムリクサ合成の実験に使ったやつだったから…多分、命に別状はないと思うけど」
そういうことはきちんと書いておいて欲しかった。
ミドリを口にくわえる。
「あの時はあれしかなかったし、考えてもキリがないとわかっているけれど」
吐き出した緑色の煙が揺れる。
「でも、もっと知識や経験があったなら、と思うことはある」
君もそうだろう?と問うと同じ顔が苦笑した。
浮かぶのは悲痛な顔。
またそんなことにならないよう精進しないと。
りんさんたちにとってのさいしょのひとのように、僕にも元になった人がいたらしい。
もういないみたいだけど…。
それを知った時、その人に伝えたいと思ったことをダイダイに書いた。
あなたがいたからこそ、僕は今好きなことをして楽しく生きてます、と。
きっと、伝わることはなくても、書く意味はある。
もし明日、世界が終わるならば。
その問いは、彼らには意味をなさない。
諦めの悪い彼らは、座して滅びを受け入れることを潔しとはしまい。
終わりを回避する道を探し、最後の最後まであがくだろう。
それでも抗えぬ滅びが訪れたならば、少しでも残せるものを残し、穏やかに笑ってその瞬間を迎えるだろう。
「そろそろやめにしようか」
声をかけられ、僕は作業の手を止めた。
もう少しいけそうな気がしていたけれど、手を止めた途端に疲労感がどっと押し寄せる。
そう口にすると、ワカバさんが苦笑した。
「無理をして倒れたら、周囲が心配するからね。気をつけないと」
瞬間、周囲から複数の視線が突き刺さった。
生きるだけで大変なこの世界は、常に覚悟を問いかけてくる。
生きる覚悟はあるか。
赤い木に近づいていくにつれ、それはより重い問いとなってくる。
絶望的な状況でも抗えるか。
ご姉妹を、りんさんを生かすための覚悟はあるか。
考えるまでもない。
ただその時に何ができるかというだけだ。
いざという時は。
ヨレヨレになった服と相変わらず飛び跳ねている寝癖を直す。
あと少し、あと少しとついつい作業の根を詰めすぎてしまい、終わった直後にそのまま力尽きていた。
「また怒られますね…」
「そうだね…」
わかりきっている。
けれど。
一人で力尽きたままよりよほどいいし、怒られる道連れもいる。
悪くはない。
別に見せつける意識はないと思うけれど、彼が彼女と睦み合う姿をよく見る。
そういう時の彼はいつも、キラキラした顔をしている。
僕と同じで、けれど、全く違うその表情が眩しい。
その姿は僕が見過ごしているものを指摘されるようでもあり、たまに平静でいられなくなる。
正直に言うと、うらやましい。
ワカバは、自分と全く同じ姿を持つ青年を見た。
あの時、己が未熟でなければとか、いろいろな後悔はあった。
しかもあの子にあんな選択をさせてしまった。
けれど。
彼が現れ、ワカバが成すべきだったことをなし、この結末を迎えられた。
「君が生まれてくれてよかった」
ワカバは笑顔でその存在を言祝いだ。
「「うわ、何これ何これ!めっさ気になる!」」
それに気づいた瞬間、彼らは全く同じタイミングで全く同じ叫び声を上げた。
角度によって色が変わって見えるケムリクサだった。
ケムリクサ研究をやっていたワカバですら見たこともない。
二人は顔を見合わせ頷くと、そのケムリクサに近づいて手を伸ばした。
「大人ってなんでしょうか」
わかばの問いに、ワカバは少し考える。
「僕もまだ若僧で胸を張って大人だ、なんて言えない。…だけどね」
そこに守るべき子供がいるなら、精一杯大人のふりはしないと。
「きっと、りりさんにとっては頼れる大人だったと思いますよ」
そうならいいけどね、とワカバは苦笑した。
僕は死ぬまでケムリクサアホだった。
いや、死んでもか。
僕から発生した彼は、初めて見た瞬間からケムリクサに魅せられたらしい。
きっと、彼もまた最後までそうだろう。
地球では何と言うんだったか。
「「馬鹿は死んでも治らない!」」
期せずして重なる声が無闇に楽しくて、僕らは手を叩いて笑いあった。