暦は古代中国から伝わったものであり、おそらく文明が始まると共に存在したといわれております。
時代と共に人間は太陽や月・星などの天文・天象を観測して季節の移動と変化を知り、予知法の発達により耕土、播種、施肥、収穫など農耕生活の年中計画を樹立していきました。この「暦を知ること」は、民族や集団のリーダーとしての重要な役割だったのです。
現在でも暦は私たちの生活と密接な関係にあります。
それは前述の農耕や狩猟のためだけではなく、各種の運命学が暦との関連でできており、物事の吉凶を判断するのには暦が必要不可欠のものになっているからです。
こちらでは、略式ながら暦についてご説明していきたいと存じます。
古代バビロニアでは月の朔望(新月と満月)をもとにした、太陰暦が使われていました。1ヶ月は29日または30日で、1年では354日となるため月数と季節が合わなくなってきます。そのため5年で2回の閏月を置いて、調節するようになっています。現在でも回教徒の国では、純粋な太陰暦を用いています。中国の「紫微斗数」という占術は、この太陰暦の月日を用います。
古代エジプトでは一年を12ヶ月、1ヶ月を30日とし、それに5日間の祭日を加えた太陽暦を使っていました。しかし1年に4分の1日のずれが生じますので、シリウス星と太陽との観測から夏至を算出し、その夏至を中心に1年の長さを決めていました。現在の西暦はこの太陽暦をもとにして作られていますが、一年の中心は春分点をもとにしています。「西洋占星術」や中国の「六壬神課」はこの春分点を重要視します。
太陰暦は月の運行をもとに作られていますので、潮の干満を知ることができ、また潮の干満から海洋性動物の繁殖などを知ることができます。しかし、前記のように実際の季節とのずれが大きくなりますので、農耕を主とする民族にとっては非常に不便です。そこで考え出されたのが、太陽の位置をもとに作られた「二十四節気」を併用する太陰太陽暦です。現在私たちが旧暦と呼んでいるのは、実はこの太陰太陽暦のことです。