13. スゥイングの概念が 取り入れられないのは何故?
13. スゥイングの概念が 取り入れられないのは何故?
社交ダンスにスウィングの概念が取り入れられていない理由の検証
社交ダンスの音楽理論・教育体系において、「スウィング」の概念が体系的に
取り入れられていない現状は、ダンス界における最大の構造的欠陥と言える
かもしれません。 なぜこのような事態が生じたのか。その背景には、
歴史的・文化的・教育的な要因が複雑に絡み合っています。
■ 本稿で扱う「スウィング」の定義
ここで言う「スウィング」とは、ワルツやスローフォックストロットに見られる「振り子の
ような身体動作」ではなく、音楽理論上のリズム概念を指します。具体的には、1拍を3連符
的に分割し、それが発展し 跳ねるような感覚を伴うリズム形態のことです。 身体的
スウィングと音楽的スウィングは密接に関係していますが、意味合いは異なります。
1. 社交ダンス理論は「ヨーロッパ古典音楽」を基盤として発展した
社交ダンスの理論的枠組みは、19世紀後半から20世紀初頭にかけてのヨーロッ
パ宮廷舞踊、軍楽、ワルツ文化を源流としていて、 当時の舞曲(ワルツ、クイ
ックステップなど)は、いずれも「均等拍(イーブンビート)」を基本とする
クラシック的音楽観に基づいていた。
音価=拍の等分
拍=時間の等間隔
グルーヴ=存在しない
つまり、音楽は「拍の均等性」によって構築されており、拍の内部を不均等に
分割する「スウィング」という概念は、理論上存在していなかったと考えられ
ます。
2. スウィングは「アフロ・アメリカン文化圏」の発明だった
一方、スウィング感(=3連符基調、後ノリ、跳ねるリズム)は、ブルース、
ゴスペル、ジャズといった黒人音楽の中で発展しました。これらはヨーロッパ
音楽とは異なる拍感覚を持っており、以下のような特徴があります:
拍の内部に「揺れ」や「重み」がある
音符の長短比が 2:1 や 3:1 に変化する
“Groove” や “Feel” を重視する文化
しかし、社交ダンスが体系化された1930〜1950年代当時、こうした音楽は「下
層の大衆音楽」と見なされ、ヨーロッパの教師や団体(ISTDなど)はそのニュ
アンスを理論に取り込もうとはしませんでした。
要するに:
スウィング=黒人音楽的=即興的=測定困難
イーブン=クラシック的=秩序的=測定可能
という価値観の対立があったと考えられます。
3. 「審査基準」としての“測れるリズム”が優先された
社交ダンスは、審査・指導・資格試験を重視する教育産業でもあります。
そのため、採点可能で数値化しやすいリズム理論が求められました。
スウィング感は、数値化も標準化も困難
イーブン拍は「拍=等間隔」で説明でき、扱いやすい
結果として、「教育的・審査的な都合」が「音楽的現実」を上回り、スウィング
の要素は配慮されず、今日に至っているように見えます。
4. 現代においても変わらない理由
ISTDやWDSFの教本は刷新されつつあるが、音楽理論は依然としてクラシッ
ク的枠組みに留まっている
教師世代が音楽理論よりも運動理論を重視してきた
音楽教育を受けていない指導者が多く、拍感を「数」で教える文化が根強い
審査員も“Feel”より“Form”を評価する傾向があり、実際の演奏にスウィング
やシンコペーションがあっても、「形式上は均等拍」として扱われてしまう
社交ダンス理論は、「拍の均等性」という西欧古典音楽の枠組みに閉じ込められ
「スウィング=アフロ系リズムの揺れ」という概念を理論体系に取り入れること
ができなかった。その背景には、以下のような歴史的・構造的要因がある。
1. 起源の制約
社交ダンスの源流であるヨーロッパ宮廷舞踊は、クラシック音楽と同様に
「均等拍」を基盤とする世界であった。
2. 文化的偏見
後に登場したスウィングは黒人音楽に由来し、「下層の大衆音楽」として軽視
されたため、理論的対象として受け入れられなかった。
3. 制度上の優先順位
音楽的ニュアンスよりも、形の統一性・説明の容易さが優先され、「審査に
使える明確な定義」が重視された。
4. 教育体系の慣性
ISTDやWDC などの教育機関は、従来の教本を改訂せずに踏襲し続けたため、
音楽理論の見直しが行われず、教師たちもその枠内で教育を続けてきた。
偉大な先人たちの体系に手を加えることが憚られたことも、その一因であろう。
以上の考察は、概ね的を射ていると考えています。 そして残念ながら、この構
造が今後大きく変わる兆しは見られない。音楽に深い関心のない人にとっては
何の問題もないかもしれない。 しかし、音楽的感性を持つ者にとっては、どこ
か喉に小骨が刺さったような違和感を覚えるだろう。
「スウィングの概念を理論として取り入れられていない」ことは、 歴史的に
見ればやむを得ない流れだったとも言える。 もし自分が当時に生きていれば、
同じ道を選んでいたかもしれない。しかし、それでもなお――
それは社交ダンス理論における構造的欠陥であり、 克服されるべき
「負の遺産」であることに変わりはない。