スローフォックス「川の流れのように」ある優雅なるミスマッチについて
スローフォックストロット その優雅な響きを頼りにデジタルの海を漕ぎ出すと
JDSF(日本ダンススポーツ連盟)という大きな港に行き当たります。その
種目紹介のページには、「♪あぁあ~川の流れのように~♪」かの 歌姫 美空
ひばりが歌い上げた不朽の名曲『川の流れのように』が、スローフォックスの
イメージとして紹介されています。
ゆったりと流れるようなその曲調は、スローフォックスの優雅さを想起させる
かも知れません。が・・・実はこれは、音楽的には 実にスリリングなミス
マッチなのです。 何故ならば、かの 名曲の心臓部は正確無比な 8ビート
(イーブン)で鼓動しているのに対し、スローフォックストロットというダン
スはしなやかな4ビート(スウィング)の 揺らぎの上に 成り立っているから
です。 コーヒーと思って口にしたらコーラだった・・そんなズレが生じている
のです。「まさか」と思われるかもしれません・・実際の動画で曲のドラムに
耳を澄ませてみてください。
イントロと2フレーズ 以降、ドラマーの右手ハイハット シンバルが小気味
よく チッ・チッ・チッ・チッ と 明確に8ビート(8分音符)を刻んでいるの
が分かります。メロディにも スウィング特有の “タメ” や“跳ね”は見受け
られません。この曲はスローフォックスには 相応しくありません。
踊るなら 少しテンポupしてルンバでしょう。
この曲を スローフォックスで踊るには スゥイング調のアレンジが必要です。ギターでメロディだけを スゥイング調に弾いてみると、 こんな感じです。
(左プレヤーの三角マークを 押すと 音が出ます)
リズムとビートに規定がない?――ダンス界の不可思議な空白
さて、先の『川の流れのように』。スローフォックスとの音楽的ミスマッチを
指摘したものの、これを「明確な誤りである」と一刀両断できない、という実
に厄介なジレンマが存在します。なぜならダンス界の教典、テキスト類に
「スローフォックスは、スウィングする 4ビートの曲で踊る」などという
記述、規定は、どこにも見当たらないのです。競技ダンスだけでも10種目、
それぞれに相応しい 音楽があるはず。しかし、各種目を規定する音楽のルール
は「拍子」と「テンポ」のみ。ダンスの 魂を決定づけるはずのリズムやビート
の構造については、驚くほどに沈黙を貫いています。種目の 音楽説明を覗いて
みればそこは さながら音楽評論家のポエムの世界。
* スタッカートの効いた曲調 歯切れが良く、強く軽快な4拍子の音楽
* リズム遅めの4拍子の音楽、テンポが遅くムーディで しっとりとした音楽
* ゆっくりとしたテンポ、ゆったりと流れるような4拍子の音楽
* アップテンポな4拍子が特徴 軽快で速いテンポの4拍子
* 軽快で歯切れの良い、テンポが速い南米キューバの音楽
…といった情緒的な言葉が並ぶばかりで、音楽の設計図たる理論的根拠はどこ
にも示されていません。いわば これはダンス界における、不可思議な理論の
空白。最も肝心な部分が、ふわりと宙に浮いたままなのです。では、一体何が
この世界の秩序を保っているのか?その答えは、実に シンプルかつ、実に奥深
い一言に集約されます。それは…「暗黙の了解」。そう、この巨大な論理の 抜
け穴を埋めているのは、規定ではなく長い歴史の中で培われてきた ダンサー
達の共通認識という、目に見えないしかし何より強力“紳士淑女協定”なのです。
暗黙のルール、しかし“黙して語らず”でいいのだろうか?
ダンスパーティーの生バンドも、JDSF公式のダンスCDも、市販のダンスCD,
すべてこの言葉にならないルールに従って 選曲されています。ルンバにスゥイ
ングの曲は存在しないし、スローフォックスにイーブンの曲もありません。
つまり、暗黙のうちに “みんなが分かっていること” として運用されている訳
ですがここに問題があります。それは「みんなが分かっている」訳では、決し
てない。知っている人には常識でも知らない人には雲の上。Google検索で出て
きた「川の流れのように→スローフォックス」という図式があっさりと受け入
れられてしまうのも無理はありません。
ダンスと音楽の交差点で――知識が“感覚”を導く
ダンスの種別によって 拍子、とテンポ(演奏速度)は決められていますが、
テンポの前に、リズムの骨格を分ける最も根本的な (イーブン)か (スウィ
ング)かを判別する事が最も重要です。この違いを理解せずに踊るというのは
例えるならソースを知らずに料理をするようなもの。味が合えばいい、と思っ
ても、その背景を知っているのと知らないのとでは表現の深みが変わってきま
す。 あるWebサイトには「ルンバにもスローフォックスにも使える曲がある」
などと書かれており、思わず目を疑いました。テンポが近ければ踊れないこと
もないでしょう。しかし、音楽的にはそれはまったく別物。“踊れる”と“適し
ている”は似て非なるものなのです。
理論は難解ではない――むしろ「知れば納得」の世界
このビートの違いは、決して難しい理論ではありません。ちょっとした説明
と音源の比較で、「なるほど!」と膝を打つような理解が得られます。そして
それは単なる豆知識にとどまらず、踊り手としての深みや感性を確実に育てる
ものです。長い年月をかけて経験で体得する前に、少しの時間を使って理論を
学ぶことで道のりはぐっと短くなります。「え、それだけのこと?」 そう
思える程度の、しかし決定的な差が、そこにはあるのです。