2026年11月4日
本日の音楽
演奏時間 約20分
「Pärt Uusberg: Choral Music, Vol.1」(Endrik Üksvärav指揮・Collegium Musicale 室内合唱団)より
「死者のためのミサ(Officium Defunctorum)」(1605 年)は、スペインのルネサンス音楽の最大の作曲家トマス・ルイス・デ・ヴィクトリア(Tomás Luis de Victoria 1548-1611)の代表作です。
◯「Tomás Luis de Victoria : Requiem Mass, 1605」 (Nigel Short 指揮 Tenebrae)より
1.入祭唱(Intoritus)
2.あわれみの賛歌(Kyrie)
3.昇階唱(答唱) 「永遠の安息を」(Graduale: Requiem aeternam)
4.奉献唱(奉納の歌) 「主よ、イエス・キリストよ」Offertory: Domine, Jesu Christe
5.感謝の賛歌(Sanctus & Benedictus)
6.平和の賛歌Ⅰ(Agnus Dei I)
7.平和の賛歌Ⅱ(Agnus Dei II)
8.拝領唱(拝領の歌) 「永遠の光」 (Communio: Lux aeterna)
(第1曲と第4曲を除く全曲をお届けします)
本日の一曲
「あわれみの賛歌」
11 月はカトリック教会では死者を追悼し、死者のために祈る「死者の月」です。
キリスト教に限らず、人間が死後に行くとされる天国、楽園は様々にイメージされてきました。私の知っていたあるカトリックの神父さんによれば、天国の入口では、ちょうどゴールに走り込んだマラソンランナーを迎えるように、神様が真っ白なタオルを広げて待っていてくれるそうです。私の一番お気に入りのイメージです。いつかこの世のマラソンを走りきって、ふかふかの白いタオルに倒れ込む日を夢見ています。
(前月までの「言葉」は、クリックすると見られます)
《10月の言葉》「マリアはこの言葉に戸惑い、いったいこの挨拶は何のことかと考え込んだ。」(ルカ福音書1:29)
「マリアはこれらの出来事をすべて心に納めて、思い巡らしていた。」(同2:19)
キリスト教、特にカトリック教会で熱心な崇敬や祈りが捧げられてきたイエスの母「聖母マリア」は、実は福音書にはほとんど登場しません。その中で「ルカ福音書」では、天使がマリアを訪れて、神の霊によって身ごもることを告げる「受胎告知」や、マリアが夫ヨセフと共にベツレヘムへを訪れ、馬屋でイエスを産んだ場面が書かれています。
上の最初の言葉は、マリアのもとを訪れた天使の挨拶に対するマリアの反応としてで、次の言葉はイエスが生まれたことを天使たちから告げられた羊飼いたちが馬屋を訪れた場面で語られています。いずれの場面でも、マリアが、自分に起こった有り得ないような不思議な出来事をただ恐れたり拒否したりするのでもなく、また何も考えずにそのまま受け入れるのでもなく、自分の思いを持ち、考えたり、思い巡らしたりするひとりの人間として描かれていることは興味深いことです。というのも、福音書に登場する男性の弟子たちも含め、他にこのような描かれ方をしている登場人物はいないからです。(KK)
《7月の言葉》「必要なことは一つだけである」(ルカ福音書10:42)
旅をしていたイエスを迎え入れたマルタとマリアの姉妹。マルタはイエスをもてなすために忙しく立ち働いているのに、マリアはイエスの足元に座ってその話を聞いています。それを見たマルタはイエスに向かって、マリアにも手伝わせてくださいと言います。それに対して、イエスはこう答えます。「マルタ、マルタ、あなたはいろいろなことに気を遣い、思い煩っている。しかし、必要なことは一つだけである。マリアは良いほうを選んだ。それを取り上げてはならない。」
現代社会では何かを成し遂げる実践が重視され、世界の不思議に驚いたり、知恵の言葉に耳を傾けたり、真実を見つめたりといった観想は意味のないこととして退けられ、後回しにされがちです。現実に働くことはもちろん必要ですが、「忙しく」するあまり「心を亡くさない」ようにしたいものです。(KK)
《6月の言葉》ラウダート・シ・ミ・シニョーレ(主よ、あなたは讃えられますように)
「ラウダート・シ・ミ・シニョーレ、すべての造られたものを通して、特に兄弟である太陽を通して。太陽は私たちに昼をもたらし、あなたは太陽で私たちを照らされます。太陽は美しく、光彩を放って輝き、いと高いお方よ、あなたを現しています。」(アシジの聖フランシスコ「太陽の賛歌」より)
大正時代、詩人高村光太郎とともに東京で暮らした妻智恵子は、故郷の福島阿多多羅山の空を思いながら「東京には空がない」と訴えたと言います。「空がない」と言ったのは、本当に空がなかったからなのか、それとも空を見ることができなかったからなのでしょうか。
それから100年。高いビルが立ち並んだ東京の空はさらに狭くなりました。あなたには東京の空は見えているでしょうか。今朝、家を出た時、空がどんな空だったか、覚えていますか。晴れていたのか、曇っていたのか、太陽はどんな色をしていたか、どんな風が吹いていたか、鳥がさえずっていたか・・・。
今晩は、聖堂を出たら空を見上げてみてください。星は出ているか、月は出ているか。風の音(おと)、虫の音(ね)に耳を傾け、深呼吸して夜の空気を吸い込み、匂いを嗅ぎ、風を肌で感じてみてください。
《5月の言葉》「アヴェ・マリア」
5月はカトリック教会では「聖母月」として特に聖母マリアに祈りを捧げる時期としています。これは 18世紀にイタリアで始まったものと言われています。アヴェ・マリア」(天使祝詞)は、中世から伝わる、聖母マリアに捧げられた祈りの言葉で、Ave Mariaは、その冒頭の言葉です。この祈りを共通の歌詞として、多くの作曲家が曲を書いています。
《4月の言葉》
「すべて重荷を負って苦労している者は、私のもとに来なさい。あなたがたを休ませてあげよう。」(マタイ11:28)
活動・行動が重視される現代社会では「無為」「何もしないこと」は無駄で無意味なことと切り捨てられてしまいます。「休日」や「休暇」も学業や仕事のための力を回復する準備のための時間と位置づけられがちです。
さらに、現在ではスマートフォンなどの携帯情報端末によって、私たちの時間は起きてから寝るまで常に自分の関心のあるもの(情報、エンターテインメント)や自分に関わりのある人々とのつながり(SNS、メールなど)で埋め尽くされています。「すき間学習」や「すき間バイト」が推奨され、まるで暇や空き時間を持つことが罪悪であるかのようです。
しかし、「休めないこと」こそ、現代生活の病理なのです。それは心や身体を消耗させてしまうというだけではありません。心に「空き」「すき間」「遊び」がないと、人は自分の心の隠れた思いに気づくことも、聞き届けられていない他者の声に耳を傾けることも、自分に与えられている世界の存在の神秘に触れることもできないでしょう。
せめて1週間に一度、仕事(occupation =心が占められていること)を離れ、心のヴァケーション(vacation=空にすること)をご一緒しませんか。