本学聖堂について

 本学の聖堂(聖心会渋谷修道院 聖マグダレナ・ソフィア聖堂)は、1号館、マリアンホールなどにも関わった建築家竹腰健造の設計により建設され、1959年1月24日に、土井辰雄大司教の司式のもと献堂式が行われました。

 献堂時には、中央祭壇上に「みこころのイエス像」(カトリック麻布教会所蔵)が掲げられ、左右の聖母マリア像、聖ヨゼフ像と三つ組みをなしていました。祭壇壁は1965年に「聖母マリアの七つの悲しみ」をモチーフとするモザイク画に変更されています。

 学生や教職員の日々の祈り黙想の場であり、また学期中は、学生ミサが毎週行われています。収容定員700名で、大学の聖堂としては類を見ない大きさを持ち、今でも学年の学生全員を収容できることから、新入生の「始業ミサ」、卒業式後の「感謝の祈り」などに用いられてきました。

 また祭壇周辺に国産の天然大理石が使用されているなど、建築史的にも重要な建造物です。

(1959年献堂時の本学聖堂)

◯献堂式

聖堂の献堂式は、1959年1月24日に、土井辰雄大司教、ヨハネス・ロス広島教区長、クラウス・ルーメル上智大学理事長らの司式のもと、聖心会員、大学、姉妹校の在学生、卒業生、家族など総勢1100名が集って行われた。マザー・ブリットが書いたと見られる感動的な献堂式の報告書、「大学の中心は聖堂である」というルーメル師の説教などが残されている。

献堂式の報告書は→こちら(『宗教と文化』35号掲載)

献堂式説教は→こちら(『宗教と文化』35号掲載)

三体の聖像の作者

聖堂内に現存する「聖母マリア」像(祭壇左)、「聖ヨセフと幼子イエス」像(同右)は、献堂時には中央の祭壇上にあった「みこころのイエス」像(カトリック麻布教会所蔵)とともに、長崎の彫刻家上田十米蔵氏(1912-1992)の制作になるものである。上田氏は、長崎の石工の家に生まれ、東京美術学校で朝倉文夫に師事した。戦後は、長崎の聖母の騎士修道院の近くに長崎カトリック聖像研究所を建て、創作活動を行った。他の作品としては、神戸海星女子学院の聖母子像、鹿児島純真短期大学の聖母像、長崎市内のサンタ・クララ像、聖母の騎士修道院のコルベ神父像などが知られる。

祭壇後壁のモザイク画

陶板タイルによる壁画で、白い十字架の周囲を、「聖母マリアの七つの悲しみ」を表す七つの涙が取り囲むものである。祭壇の後壁は、第2バチカン公会議による典礼改革を受けて、現在のものに変更されたと見られる。(作者については調査中で、情報を募集しています。「情報提供のお願い」を御覧ください)

聖堂に使用されている大理石

聖堂のホワイエ(玄関ホール)の床、聖堂の内陣(祭壇周辺)には、多くの天然の大理石が使用されている。

◯「水戸寒水石 」(茨城県北部産) 聖体拝領台、祭壇への石段

◯「霰(あられ)」(山口県美祢市産) 祭壇の天板

◯「ボテチーノ」(イタリア産) 内陣への石段、説教壇、聖櫃台座、洗礼盤など

◯「ネンブロロザート」(イタリア産) ホワイエの床(石灰岩レキをモルタルで固めてつないでいる。ホワイエの床全体が一体であり、この場で仕上げられたものと思われる)

十字架の道行き

聖堂の左右の側廊には、14枚の「十字架の道行き」の板絵が掲げられている。フランス語で記されていることから、フランスの修道院(おそらく、聖心女子学院のあったコンフロンの修道院)から来たものと考えられている。

情報提供のお願い

キリスト教文化研究所では、聖堂に関する調査を進めております。以下の点について、情報をお持ちの方がいらっしゃいましたら、キリスト教文化研究所までお知らせください。

祭壇後壁のモザイク画 祭壇後壁は、1965年(春?)にそれまでの金色のモザイクから、現在の陶板タイル壁画に変更されたと考えられています。このタイル壁画の設計者(デザイナー)、施工者、変更の経緯などについてご存知のことがあれば、お知らせください。

洗礼盤 聖堂の石造りの洗礼盤は、献堂式の後で設置されたと考えられています(1959年7月22日の日付が刻まれている)。洗礼盤の由来、洗礼盤が使用されていた時期などご存知のことがあれば、お知らせください。

「十字架の道行き」の板絵 フランスの修道院から来たと考えられていますが、詳細は不明です。ご存じのことがあれば、お知らせください。