本楽寺庭園
徳島県美馬市穴吹町にある真言宗寺院。吉野川を見下ろす高台にあって、吉野川とや阿讃山脈を借景とした枯山水石庭でマニアには有名らしい。その特徴をとらえた絵画を描きたくスケッチした。(2024.2.4)
大串岬から小豆島を望む
香川県さぬき市大串岬から小豆島を描く。北東を眺めたもので小豆島の南東端部。正面奥のとがった山が印象的だったが、帰ってから調べると洞雲山(標高390m)らしい。寒霞渓は画面左端に切れて隠れているあたりだろう。(2016.1.7)
志度湾風景
ひょんなきっかけから香川県さぬき市まで牡蠣を食べに行くことになった。早く着いたため瀬戸内海に突き出た大串岬まで行ってみた。突端部に大串自然公園というのがあり、見晴らしのいい場所から志度湾が一望できる。道中目について気になっていた突き出たこぶの特徴的な山は、あとで調べると五剣山(八栗山)ということであった。(2016.1.7)
四万十
F15号(油絵)
高知仁淀川
愛媛では面河川と呼ばれ、高知に入って仁淀川となり太平洋にそそぐ一級河川。水質は日本一、いわゆる最後の清流だそうだ。たしかに沿岸を走っていくと魅力的な景色がどんどん続く。これはホテルの部屋からスケッチしたもの。
高知仁淀川の鉄橋
石鎚山に源を発する仁淀川は吉野川、四万十川に次ぐ四国第3の川で、全国一級河川で水質は日本一、奇跡の清流といわれている。この鉄橋は伊野町を走るJR土讃線のものである。
室戸立岩海岸
徳島から紀伊水道・太平洋に面した国道55号をひたすら南下、高知県に入りあの地図で見る室戸岬の尖った突端に至る10kmほど手前で岩の列が海に突き出ているのが見えた。形が面白いので車を脇に止めスケッチ。防波堤の上面に立岩海岸と銘鈑が埋め込んであった。
室戸鹿岡鼻夫婦岩
室戸立岩海岸の岩列を南側から見ると、沖の2つの岩をしめ縄で結んであるのがわかる。案内板に夫婦岩とあった。このあたりちょっと海に膨らみ出た場所で
宍喰温泉前の海岸
国道55号を南下、徳島県から高知県への県境近く。道の駅があって少し休憩を取りつつ、その向かいの海岸べりから高知方面を望んでスケッチしたもの。
日和佐大浜海岸
徳島県海部郡美波町の日和佐大浜海岸。ここはウミガメの産卵地として有名。海岸のすぐそばに、ウミガメ博物館もあって、まだ開館前だったが外にあるプールに数匹のウミガメが泳いでいるのが見られた。
道の駅布施が坂
四国の須崎市から大洲市へ向かう途中、津野町の国道197号線沿いにある。四万十川源流の道の駅というのが売り文句。さらに龍馬脱藩の道ともいう。周りに茶畑なども見られなかなか感じのいい場所だ。
日没前
竜が浜の浜辺から北東、宇佐漁港の方を眺めて描いたもの。まもなく日没を迎える静かな浜辺。
竜が浜
浜辺から陸地を振り返る方向で海岸風景を描いたもの。中央の山の頂上付近に見えるのは、国民宿舎の建物。実はそのすぐ前に以前宿泊したこともあるエーゲ海リゾートを模した瀟洒なホテルの建物も。
四万十その2
四万十川の連作。
沈下橋の中では最下流の佐田沈下橋の上から描く。先のスケッチと反対の上流方向を描いたもの
四万十
日本最後の清流というキャッチフレーズの川。一度は訪れたいと思っていたが、初めてこの川を河口から遡ってみた。確かにどんどん上流へ上っていっても急流といった感じの場所には遭遇しない。川に沿うドライブ道は結構アップダウンしているのに水の流れはゆるく静かだ。
野良時計
高知県の安芸市にある。明治20年頃、地主の畠中源馬氏が外国製の時計から構造を研究し手作りした時計だそうだ。当時は今より民家も少なく、田んぼの中にこの時計が目立ち、野良仕事の人たちに時間を告げていたのだろう。なお、すぐ隣に和風の感じのいい喫茶店があって、アイスクリームセットがおいしかった。
白山洞門
足摺岬のすぐ近くにある高さ16m、幅17mの洞門。太平洋の強い波浪により、小石や波しぶきの激突によってできた。花崗岩の洞門のなかで、日本一の規模ということで高知県指定文化財となっている。
土佐湾俯瞰
高知県土佐市の土佐湾に面した海岸沿いの山手。青龍寺という四国八十八箇所36番のお寺の近く。国民宿舎と併設されたちょっとおしゃれなエーゲ海風リゾートホテルがあり、そのテラスからのスケッチである。左手遠方中央あたりが桂浜、ずっと奥、画面の右手遥か遠方に室戸岬がかすんで見える。
足摺の港
四国最南端、足摺岬に程近い港。ホテルの部屋の窓から描いた。時には太平洋の荒波にさらされるであろうこのあたりも、今は波もなく鏡のように静かな早朝の港風景である。
高知城
テレビドラマの影響か、再び坂本竜馬ブームである。丁度良いタイミングで、このギャラリーでも高知城をアップ。昨秋訪れた高知県スケッチシリーズのひとつである。慶長6年から山内一豊が築城を始めた。当初は大高坂山城と呼ばれたが、やがて高智山城となり、高知城と変遷し、その地も高知と呼ぶようになったという。