沿革

目次

概略(平成11年度版会員名簿の解説より転載)

北海道大学文学部同窓会再建準備委員会(青柳謙二委員長)は平成11年3月、平成10年卒までの卒業生、修了生5881人の名前を掲載した270ページの同窓会員名簿を発行した。うち住所が掲載されているのは4716人である。

前回、同窓会員名簿を発行したのは昭和51年以来、15年ぶりだったが、約3分の1の同窓会員の住所がつかめぬままに発行に踏み切らざるを得えなかった経緯は、このページで読んでもらいたい。ドッグイヤーといわれるほど変化の早い現代にあっては、できるだけ精度を保つためにも、数年後には更新しなければならないだろう。会員各位には次回の同窓会名簿を発行する際、住所不明者の消息把握に協力を願いたい。

今回、同窓会名簿に掲載されている非名簿部分の一部、正式記録といえる同窓会の経緯などをここに転載して「第3次同窓会再建までの資料集」に至る前段のより詳しい歴史を知ることが出来るようにした。

同窓会の経緯

1.昭和25(1950)年から昭和49(1974)年まで

文学部同窓会が結成されたのは昭和25(1950)年であるから、既に50年近くが経過したことになる。しかしながら文学部同窓会はほとんど何らの活動も無かったので、記録もほとんど残されておらず、文学部同窓会の経緯は判然としない。『北海道大学文学部同窓会報』第1号(昭和50年9月1日発行)に「再出発までの経過」と題する文章が掲載されているので、ここに全文転載する。

昭和25年3月25日、本学法文学部第1期生により、法文学部同窓会が結成された。

昭和25年4月1日、文学部の独立により、右同窓会より分離、文学部同窓会となる。この時、まだ会則なく、暫定的に文学部事務に、会費として年額200円の徴収と、会員名簿の毎年発行を依頼するに止まっていた。

昭和31年1月末、平城照介氏・長谷川俊蔵氏等の努力により各期代表者が集まり、会則(案)が作成された。同年3月21日、第1回総会が開催され、同会則が承認され、役員選出が行われ、文学部同窓会が正式に発足することとなった。(杉野日晴貞学長来賓として出席、祝辞を述べられた。)これに基づき、文学部同窓会は、北海道大学同窓会の正式メンバーとなり、平城照介、木越富士彦両氏が同会理事、和田謹吾氏が監事となった。

昭和31年9月、本学創基80周年記念式典挙行され、記念事業に本会も参画することとなった。

昭和39年8月、会員名簿発行後、種々の事情により、同窓会の活動は、全く停止することになった。

昭和48年9月29日、梅岡義貴会長の招集によって、札幌在住の各期同窓生有志が集まり、野田壽雄会長代行を議長として、同窓会再建が議せられ、各期の幹事として80名の在札同窓生が推挙され、再建への道が一歩すすめられた。

昭和49年10月11日、梅岡義貴会長の推薦により山田泰作(1期生)宇野光雄(2期生)両氏が、本学同窓会理事として、和田謹吾氏が、同監事として夫々、丹羽貴知蔵同会長より委嘱された。

昭和49年12月21日、梅岡義貴会長の招集により、同窓会幹事会が開催され、野田壽雄会長代行の「今日に至る経過説明」の後、提出された同窓会規約改正が議せられ、一部修正の後、出来る限り早い時期に総会を開催し、規約を決定し、同窓会の活動をはじめようということになった。尚、総会開催に至る業務を円滑に遂行するため、暫定的措置として、常任幹事6名が推挙され、常任幹事会の成立が承認され、この件総会の追認を受けることが決定された。

昭和50年2月8日、梅岡義貴会長招集による臨時総会が開催され、野田壽雄会長代行を議長として、第一に規約改正が議せられ、新規約が承認された。ついで新規約に基づく役員人事が議せられ、幹事会原案の役員が承認された。つづいて、会計報告、監査報告が行われ、承認された。

以上の経過によって、文学部同窓会は、再建の道を、更に、一歩すすめることになった。しかし、まだ、同窓会名簿の整備は不十分であり、長期に亘る活動停止の傷口をいやして、活動を軌道にのせるには、尚、可成りの日時を必要とするように思われる。同窓生各位の、積極的な御参加を心からお願い致す次第です。

「文学部の沿革」に記したように、昭和22(1947)年4月に北海道帝国大学に法文学部が設置された。北海道帝国大学の名称は同年10月に官制改正によって北海道大学と改称され、昭和25(1950)年3月に北海道大学法文学部第1回卒業生(旧制大学は3年制)が誕生した。すなわち第1期生である。卒業生は162名、内訳は哲学科11名、史学科4名、文学科27名、および法律学科28名、政治学科12名、経済学科80名である〔『北海道大学一覧、昭和27年』北海道大学発行、昭和28年3月刊、431頁〕。この卒業生によって上記の法文学部同窓会が昭和25年3月25日に結成された。同年4月に法文学部は文学部と法経学部に分離した。つまり文学部は法文学部から独立した。ちなみに平成9(1997)年9月に法・文・経学部創基50周年記念式典が開催され、また来る平成12(2000)年には文学部創立50周年を迎えて記念式典の開催が予定されているのは上記の発足から始まっている。

文学部の法文学部からの分離独立により、法文学部同窓会はそれぞれに分離し、ここに文学部同窓会が誕生したことになる。しかしながら会則も無く、活動も無かったようである。6年後の昭和31(1956)年1月に平城照介氏(西洋史第1期)、長谷川俊蔵氏(文学部事務長)らによって会則が作られた。本名簿所収の同窓会規約の末尾、附則にあるようにこの会則は昭和50年まで実施された。また昭和50年に改正後、今日までも生き続けていることになる。

昭和31(1956)年3月21日に同窓会第1回総会が開催され、会則が承認され、役員選出が行なわれ、文学部同窓会が改めて正式に発足した。しかしながらこの同窓会がどんな活動をしたのか、記録が残されていないので不明である。また上記の転載文にあるように昭和39(1964)年8月に、会員名簿発行後、同窓会の活動は全く停止することになったという。ここに会員名簿が発行されたとあるが、どのような名簿が作られたのか、残っておらず、不明である。文学部教務掛長の預かりとなっていた同窓会の金銭出納簿は昭和40(1965)年4月1日に繰越63,730円から始まっている。そして昭和40年度以降の会費(終身会費200円)収入が記されているが、支出欄は空白のまま昭和49(1974)年4月に残高132,691円に及んでいる。支出が無いということは活動が同年まで停止していたことを示しているだろう。

2.昭和50(1975)年から平成3(1991)年まで

上記の転載文に梅岡義貴会長とあるから、梅岡義貴先生(実験心理学)が昭和31年3月の第1回総会で会長に選出されたのであろう。ちなみに現在も使用中の銀行通帳は名義が同窓会会長梅岡義貴となっている。上記の転載文にあるように、梅岡義貴会長の招集によって昭和48(1973)年9月に同窓生有志が集まり、同窓会再建がすすめられ、昭和50(1975)年2月に臨時総会が開催されている。ここに規約改正が施行され、新役員が選出された。上記の『同窓会報』第1号によれば新役員は次のとおりである。すなわち

会長代行 野田壽雄 副会長 小泉正松(哲1期)、木越富士彦(文1期) 常任幹事長 野田壽雄(兼任) 常任幹事 福岡星児(文1期)、和田謹吾(文1期)、宇野光雄(哲2期)、水野一(哲3期)、青柳謙二(文4期)、東出功(史6期) 幹事 (氏名略) 監査幹事 伊藤千秋(文1期)、山田泰作(哲1期) 主任理事 嶋田馨(文学部事務長)・庶務理事 富岡彰一(教務掛長)・会計理事 中根年雄(会計掛長)となっている。

この再建された同窓会は『北海道大学文学部同窓会報』第1号(タブロイド版2頁)を昭和50年9月1日付で発行、その紙面には9月20日(土)に総会開催が予告されている。また、この総会は同日、文学部創立25周年記念行事(記念式典・祝賀会・記念講演会)が開催され、これに引き続き開催されると案内されている。なお、この総会で常任幹事長の野田壽雄先生(国文学)は会長代行から正式の会長に選出されて就任されたという。しかしながら翌51(1976)年3月に停年離札にともない、会長ならびに常任幹事長は空席になったという (『同窓会報』第2号による)。

会長職に限って通観すると、次のようになる。文学部同窓会は昭和25年3月25日に法文学部同窓会が結成され、同年4月1日に文学部同窓会となったが実態はなく、昭和31年3月21日にようやく第1回総会が開催されて会則が承認され、役員が選出され、文学部同窓会が正式に発足した。会長には梅岡義貴先生が就任された。そして昭和39年8月以降、同窓会の活動は停止した。昭和50年9月20日に再建第1回総会が開催され、野田壽雄先生が会長に就任された。しかしながらわずか半年後には停年退官により離札され、会長不在となった。ちなみに前会長梅岡先生も野田先生と同じ昭和51(1976)年3月を以て、他大学に転出された。そして後述のように会長が選出されないまま、同窓会は昭和52年3月ころを以て再び活動を停止し、その後、今日、すなわち平成11年までその状態が続いている。また前述のように同窓会の銀行通帳の名義はいまだに会長梅岡義貴のままである。

同窓会は『北海道大学文学部同窓会報』第2号(タブロイド版2頁)を昭和51(1976)年7月1日付で発行している。その紙面にはこの年9月15日に北海道大学創基100周年記念式典が挙行されること、この記念式典の当日、文学部同窓会・懇親会を開催することが予告されている。また昭和50年度の会計報告が掲載されており、再建された同窓会の会費(終身会費2,000円)の納入によって昭和50年12月末現在の保有金は635,371円となっている。この9月15日の総会において新役員が選出された。『同窓会報』第3号によれば次のとおりである。すなわち、

会長 常任幹事長が代行 副会長 伊藤千秋(文1期)、山田泰作(哲1期) 監査幹事織田泰三(哲1期)、池田英三(哲1期) 常任幹事長 宇野光雄(哲2期) 常任幹事 福岡星児(文1期)、和田謹吾(文1期)、水野一(哲3期)、青柳謙二(文4期)、東出功(史6期)となっている。

同窓会は昭和51(1976)年12月25日奥付で『会員名簿』(A6版140頁)を発行している。内容は規約2頁、名簿127頁、現教官名簿10頁、編集後記1頁から成り、編集は常任幹事長宇野光雄氏を中心に常任幹事一同と富岡彰一庶務理事(教務掛長)が担当している。名簿には西洋哲学専攻課程から言語学専攻課程までの16専攻課程の第1期(昭和25年卒)から第28期(昭和51年卒)までの卒業生2,268名が集録されている。大学院修了者は不備なまま、中国哲学、実験心理学、国語・国文学、中国文学、言語学の5専攻課程しか掲載されていない。この名簿は『同窓会報』第2号に刊行予定が通知されており、それによれば「再建途上の文学部同窓会としては、この名簿を全会員にお届けするだけの資力がないので、名簿代・送料をお送り下さった希望者にのみお頒ちすることになった」と記されている。

同窓会は『北海道大学文学部同窓会報』第3号(タブロイド版2頁)を昭和52(1977)年2月1日付で発行している。その紙面には『会員名簿』の発行が報じられており、それによれば「思えば昭和49年1月、当時の同窓会長梅岡義貴先生から名簿発行の議が出されてから3年の歳月が経過」して発行にこぎつけることができたという。なお、名簿は1部送料共1,000円の実費配布となっている。金銭出納簿によれば『会員名簿』の印刷代は490,000円となっている。そして金銭出納簿によれば名簿売上代は昭和52年度から61年度まで記載があり、合計104,300円である。1部1,000円で、売上代収入がこの金額ということは購入者約105名ということになる。わずか100名余りというのは事実だったのだろうか。会員数と比べて、あまりにも少ない。

『同窓会報』第2号には再建同窓会発足後、昭和51年5月末現在、238名の同窓生から会費の送金納入があったと記され、全同窓生の約10%の納入状況では財源として十分とは言えませんので、会費未納の方は御送金下さいとの呼びかけが記されている。また『同窓会報』第3号には昭和51年度の会計報告が掲載されているが、同様に同窓会費(終身会費2,000円)の納入状況がはかばかしくないと記され、これを金銭出納簿で見ると、昭和51年5月末以降12月までの会費納入者は113名であり、上記との合計数は351名である。

『同窓会報』第3号には昭和52年度総会は、前年度の総会において昭和52年3月末頃に開催することが諒承されていたが、年度末のため多忙であり、また季節的に適当でないことから開催を延期するとの通告が掲載されている。これを最後に文学部同窓会の記録は途絶えている。金銭出納簿に見る限り、再建された同窓会の第3回(昭和52年度)総会が開催されたとおぼしき記録(支出欄)は無いから、おそらく開催されなかったのだろう。

かくて昭和50年2月に再建された同窓会は昭和50年9月20日に文学部創立25周年記念行事の開催と関連づけて再建同窓会第1回総会を開催、翌51年9月15日に北海道大学創基100周年記念行事の開催と関連づけて第2回総会を開催したが、以後、総会が開催されることはなかった。

また再建された同窓会は『同窓会報』を第1号~第3号まで発行したが、以後、会報は発行されなかった。『会員名簿』は発行された。他に活動の記録はない。

同窓会の財政は金銭出納簿によれば、主な支出は『会員名簿』印刷代のほか、『同窓会報』印刷代(第1号50,000円、第2号第3号各40,000円)とその送料である。昭和52(1977)年12月末の保有金は235,964円である。これ以降、同窓会の支出は毎年3月の卒業式の際に文学部内で開催される卒業祝賀会に、同窓会から清酒2本の寄贈が恒例となっているその清酒代だけである。この財政が平成9(1997)年3月まで継続され、平成9年3月末の保有金は197,525円となっている。

3.平成4(1992)年から平成11(1999)年まで

平成4(1992)年4月初めに、初期の卒業生が青柳謙二文学部長を訪ねて来て、同窓会の再建を要望した。青柳謙二先生は昭和50(1975)年2月の文学部同窓会臨時総会で常任幹事に選出され、翌51年9月の再建同窓会第2回総会で再選されている。その青柳謙二先生が学部長に就任したのを契機に要望があったのである。これを受けて青柳謙二学部長は文学部の教授・助教授のうち文学部卒業生の教官に呼びかけて、5月8日に懇談会を開催した。

この懇談会において同窓会のあり方、規約の見直し、同窓会員名簿の発行について意見交換が行われた。また今後の同窓会再建に向けての活動として「文学部同窓会再建準備委員会」の設置が合意され、委員長に青柳謙二(独語・独文学第4期)、および哲学科・史学科・文学科・行動科学科から委員として新田孝彦(倫理学第26期)、菊池俊彦(東洋史第19期)、須藤洋一(中国語・中国文学第22期)、大津起夫(心理学修士課程昭和58年修了)の4名が選出された。しかしながら折しも文学部では学部改革・学部改組の議論と作業が進行中であり、各委員とも同窓会再建に向けて活動の余裕はなかった。平成7(1995)年3月31日を以て教養部は廃止され、また文学部は哲・史・文・行動の4学科が人文科学科に統合され、4学科制から1学科制に改編された。これに伴い、従来、文学部の教官は専門教育を担当する講座の教官と、教養部の一般教育を担当する教官に分かれていたのを一本化し、大講座制に移行した。このような改革・改組は一段落したが、次は文学部の大学院改革・改組(大学院重点化)の議論と作業が引き続き進行した。

平成8(1996)年7月に法・文・経の三学部の学部長と事務長が集まって法・文・経学部創基50周年記念行事の実施について打ち合わせ、平成9(1997)年9月1日に記念式典と同祝賀会を実施すること、記念事業に要する経費は三学部で均等負担すること等が合意された。この経費負担は校費からは出せないため、同窓会に依存することが合意されたという。

文学部には同窓会がない。そのため灰谷慶三学部長(ロシア語・ロシア文学第13期)の要請によって、同窓会再建準備委員長は平成8年9月12日に委員会を開催し、文学部同窓会再建のために、まず同窓会名簿の作成を急ぐことになった。ここに9月24日付で灰谷慶三学部長と青柳謙二委員長の連名によって各専攻課程の研究室に第1期(昭和25年卒)から第50期(平成10年卒)までの卒業生の名簿の作成を依頼した。その際、第28期(昭和51年卒)までは昭和51年発行の『会員名簿』の住所・勤務先に変更・訂正の加筆を、第29期以降の卒業生については教務掛保管の各年度卒業者名一覧を複写して渡し、住所・勤務先の記入をお願いし、締切を12月末日とした。

各研究室では助手を中心に名簿の住所・勤務先の訂正と記入に努力し、その名簿は12月末までに多くの研究室から、また残りも翌年3月末までに委員会に提出された。しかしながら「卒業生名簿なんて作ったことが無い」という研究室が2~3あり、他方ではほぼ全員の住所欄が記入されている研究室もあった。卒業生の住所・勤務先の判明度がこのように研究室によってさまざまでは同窓会員名簿として不完全なため、拙速な名簿作成は避けることにし、3年後に迎える文学部創立50周年記念行事までに精確な名簿を発行することに方針を変更した。

平成9(1997)年6月16日付で灰谷学部長と青柳委員長の連名によって文学部卒業生に、法・文・経学部創基50周年記念行事の賛助金と当面の同窓会再建準備委員会の運営資金に援助を要請する文書が発送された。発送はひとつの区切りとして昭和51年発行の『会員名簿』に記載されている卒業生(第2次同窓会発足時の会員)に限定し、また札幌とその近郊都市を中心に主として道内、および一部は本州を含めて、各研究室で作成していただいた卒業生名簿から住所が確実に判明している卒業生を選んで1,410通発送された。募金は1口5,000円、期日は7月末とした。三学部の創基50周年記念行事の実施のための拠出金の割当て額は100万円だった。また文学部同窓会の保有金は前述のように、平成9年3月末現在197,525円である。募金の案内発送に要する諸経費をこれから支出すると保有金は54,521円しか残らなかった。

募金は思いがけず多数の卒業生から寄せられ、7月末までに235名から約170万円の入金があった。9月1日に法・文・経学部創基50周年記念式典と記念講演会、および祝賀会が盛大に行われた。募金はその後も続々と入金され、最終的には348名の卒業生から約250万円の御芳志が寄せられた。記念行事への拠出金は最終的に30万円で済んだ。9月20日に礼状を発送し、残金は同窓会の早期の再建、同窓会員名簿の作成等のための諸経費に役立たせていただくことをお願いした。同窓会再建準備委員会の事務費に繰り入れ90,000円、宛名書きアルバイト費10,000円、および諸経費を除いて9月30日現在の残額2,112,500円は別途会計として保有することにした。

同窓会が再建される方向に向かったことから、それまで長年にわたって歴代の文学部教務掛長が記帳・保管していた金銭出納帳、銀行預金通帳(同窓会長梅岡義貴名義)、同窓会長印(角印)が再建準備委員会に引き渡された。事務官が公務ではない同窓会の仕事を担当するのは好ましくないし、他学部ではそのような例がないとの理由からだった。同窓会から再建準備委員会が引き継いだ財産・記録・資料はこれだけで、他に何もなかった。昭和51年発行の『会員名簿』さえ保存されておらず、昭和50~52年発行の『同窓会報』第1~3号もなかった。前者は北大附属図書館北方資料室内の北大沿革史コーナーに2冊所蔵されていた。後者はかつての常任幹事のひとり東出功先生が所蔵していたので、これを借りて複写した。文学部同窓会への問い合わせや郵便物がこれまで稀にではあるが、北大の本部事務局、あるいは他学部の同窓会、あるいは北大同窓会の東京支部や関西支部等からあり、その都度、文学部では庶務掛長が対応・処理していた。この仕事も再建準備委員会の任務となった。

同窓会員名簿を作成する作業が再開され、平成9(1997)年10月3日に委員会が開催された。『会員名簿』の作成はわれわれ同窓会再建準備委員の力量では到底困難なため、名簿作成業者に依頼する以外に方法はないという方針が以前から確定していた。そのため既に平成6(1994)年以来、しばしば接触のあった名簿出版業者の株式会社関西廣済堂北海道営業所の社員に委員会の会議に来ていただき、伊藤孝治所長から最終的な説明を受けた後、名簿作成の委託を同社との間に契約した。同社は平成6年12月までに北海道内の高等学校・短期大学・大学90校の同窓会員名簿の作成実績があり、学内でも歯学部と教育学部の同窓会員名簿を作成していた。同社はわれわれが名簿の原稿を渡せば、あとは会員の名簿をデータベース化し、これをもとに会員との連絡、住所不明者の追跡調査、名簿の編集、印刷、発送のすべてを行うことになっている。これらの一連の作業は全く人手不足のわれわれには到底できないことである。また名簿作成にかかる経費はすべて同社が持ち、同窓会の経費負担は一切なく、調査から編集・印刷・発送までの費用はすべて同社が得る名簿販売収入と広告収入によって賄うことになっている。これは調査・編集・印刷・発送に要する資金が現実には全く無いわれわれにとって、唯一の名簿発行の選択肢だった。名簿発行までに通常18ヶ月かかるとのことで、発行は平成11(1999)年6月1日とする契約を締結した。関西廣済堂に平成8年12月末~9年3月末までに各研究室から委員会に提出のあった第1期(昭和25年卒)から第48期(平成8年卒)までの卒業生名簿を渡し、作成作業が開始された。ただしこの名簿には住所欄に多くの空白があったが、取り合えず作業を進めることになった。これに合わせて引き続き、各研究室の名簿作成協力者に第49期(平成9年卒)の卒業者名一覧に住所・勤務先の記入を依頼した。これが12月末までに提出され、関西廣済堂に渡された。

関西廣済堂によって第1期から第49期までの卒業生5,684名のうち、住所が全く不明の卒業生400名余りを除く約5,200通の往復はがきによる第1次調査はがきが平成10(1998)年8月下旬に卒業生に宛てて発送された。差出人と返信用はがきの宛先は再建準備委員会である。返信締切の9月10日まで、およびそれ以降10月末までに、多くの卒業生から住所・勤務先を本人が確認した返信はがきが届いた。しかしながら住所表記が不完全なため、また転居先不明なために戻ってきたはがきが1,600通余りに達した。関西廣済堂ではこれらをもとに住所不明者一覧を作成した。住所が全く不明で発送できなかった卒業生400名余りと戻ってきたはがき1,600名余りの合計2,029名が一覧に掲載された。5,684名中2,029名、つまり3分の1が不明という数字は同窓会員名簿の作成の前途多難を予測させた。住所不明者続出の原因は原稿の不備にあった。昭和51年に発行された『会員名簿』は古すぎて、既に20年以上も経た今もなお、当時と同じ住所の卒業生は少なかった。各研究室もそれらの卒業生のその後の消息を部分的にしか把握していなかった。かなり整備された卒業生名簿を提出した2~3の研究室でさえ、不明者が決して少なくなかった。

委員会では8月末に、引き続き各研究室の名簿作成協力者に第50期(平成10年卒)の卒業者名一覧と大学院修了者一覧名を渡して住所・勤務先の記入を依頼した。

11月下旬に関西廣済堂によって再度の住所確認(第2次調査はがき)と共に、住所不明者一覧を同封して情報提供を呼びかける封書約3,800通が発送された。返信締切の12月10日までに、およびそれ以降の平成11(1999)年1月までに多くの卒業生から膨大な数にのぼる住所不明者の情報(住所もしくは勤務先)提供が寄せられた。また別途、住所不明者の情報を手紙で送って下さった卒業生が十数名おり、感謝したい。これと併せて各研究室の名簿作成協力者に住所不明者一覧を渡し、再度の確認と新たな情報提供を依頼した。その結果、改めて多くの不明者の住所欄がかなり埋められてきた。新たに住所が判明した卒業生に調査はがきが発送され、2月からはもはや時間が限られてきたために電話による確認作業に切り替えられた。こうして第1期~第50期の卒業生5,881名中、4,716名の住所を確認することができた。

当初、委員会では住所不明者については文学部保管の学籍簿から帰省先、あるいは保護者の住所(いわゆる親元)を調べてそこに調査はがきを発送するつもりだった。しかしながら学籍簿は大学に限らず、学校にとって最重要書類であり、文学部でも書類保管室に厳重に保管され、室外持ち出し厳禁である。閲覧にもプライヴァシー保護の点から、教官とて自由に閲覧することは好ましくない。また書類保管室は狭くて机も椅子も無く、50年分の卒業生の学籍簿の中から膨大な数の住所不明者の学籍簿を捜し出して帰省先や親元を書き写す作業は、今回の場合、断念せざるを得なかった。

大学院修了者の名簿は昭和51年発行の『会員名簿』ではあまりに不備だった。今回はこれを完全掲載することにした。大学院入学者の大多数は文学部卒業生のため、住所確認はがきの発送は学外出身者に限られ、その数は約280名にすぎなかった。

こうして同窓会員名簿の作成のための住所確認調査と編集が進められ、6月1日発行から逆算して3月5日を以て編集作業を終了、もしくは打ち切りとして印刷に入ることになった。住所不明者は依然として少なくないが、今回はもはやこれ以上の調査の余裕がなかったことを御寛恕いただけるようお願いしたい。幸いにも名簿の購入予約は2月末現在、1,000名を超えた。もし住所欄が空白の卒業生の住所を御存知の方は是非ともお知らせいただきたい。そうした情報は、もし同窓会が再建されて同窓会報が復刊されたならば、そこに逐次掲載してゆきたい。卒業生の皆様の御協力をお願い申し上げます。

なお、今回の会員名簿には旧教官名簿を掲載する予定であった。昭和51年発行の『会員名簿』には旧教官名簿もしくは旧教官一覧が掲載されていなかった。しかしながら昭和22(1947)年法文学部創設以来、50年以上にわたる教官一覧の作成は難航した。特に昭和20年代の教官について資料が不足のため、名前だけは把握できたが、所属講座あるいは担当教科目を確認できる資料が一部分、ついに入手できなかった。例えば、文学部に『文学部学生便覧』は昭和27年度版、昭和29年度版とそれ以降が保存されていたが、昭和26年までと昭和28年が欠けていて無かった。旧教官名簿もしくは旧教官一覧については今後も資料を捜して作成したいと思う。このような事情で旧教官名簿を掲載できなかったことを御理解いただけますようお願い申し上げます。

※以下のあいさつ、文学部沿革も同窓会員名簿から転載である。

ご 挨 拶

文学部同窓会再建準備委員会委員長

青柳謙二

同窓の皆様にはお元気で各方面でご活躍のこととお慶び申し上げます。

さて、去る平成9年9月の法文経3学部創基50周年記念の際にもご案内致しましたが、私達の母校である北大文学部は、昭和25(1950)年に母体であった法文学部から分離独立して以来、来年平成12(2000)年で50年の歴史を刻むことになります。

顧みますと、旧予科の木造校舎で創立間もない多難な時期を送った人達、講座数も増え新校舎に移転して意気込みも新たに勉学した人達、学園紛争の中でそれぞれの立場で悩んだ人達等々、各人が過ごした時期によって母校に寄せる想いは様々でしょうが、北大文学部で学んだことが、これまでの私達の生き方を有形無形に支えてきたことは確かだろうと思われます。

その間、文学部自体も発展してきました。独立当時、20講座で1学年新旧制併せて80名程度の学生数だったのが、現在では学部大学院で1,200名に近い学生と150名を越える教職員を擁しています。この50年間の卒業生は5,800名を越えるに至っています。西暦2000年には、文学部として創立50周年を祝う記念行事が行われると聞いておりますが、この間の教職員の皆様のご尽力に深い敬意を表したいと存じます。

そこで私達は、これら多くの卒業生たちの母校に寄せる想いの結節点として、文学部同窓会を再建したいと考え、準備委員会を発足させました。半世紀の歴史を閲する間に齢70歳を越えた初期の卒業生からは、若き日の思い出のよすがとして、また社会の中堅として活躍中の現役の諸君からは、情報交換の場として、同窓会再建の要望が寄せられておりました。文学部同窓会は昭和50年に創立25周年を記念して、一旦再建され、名簿を発行するなどの活動をしましたが、間もなく休眠状態になり、現在に至っています。

準備委員会の予定としては、まずすべての同窓会活動の基礎となる「同窓会名簿」を作成し、続いて再建総会を開き、正式に同窓会を設立して、文学部50周年記念行事を賛助するのが当面の目標ですが、さらに21世紀に向けて「開かれた大学」としての文学部と社会の接点となるような役割を果たしたいと願っています。今回名簿が刊行されたことは、その意味でまことに喜ばしいことであります。

申すまでもありませんが、今日の情報化時代に交流の手段として「名簿」を活用するためには、会員の皆様が絶えず自分についての情報を同窓会にご連絡下さり、内容を更新していくことが不可欠です。その点、皆様のご協力を切にお願い申し上げます。

最後に、本名簿の作成に当たり、準備委員をはじめとして、並々ならぬご努力を賜った方々に心からお礼を申し上げて、ご挨拶といたします。

ご挨拶

文学部長 北原敦

北海道大学文学部は、1947年(昭和22年)4月に法文学部として出発し、その後1950年4月に法文学部が文学部と法経学部に分離して独立の学部となりました。したがって世紀の変わり目の2000年(平成12年)が文学部創基50周年にあたります。また翌2001年には北海道大学創基125周年を迎えますので、現在文学部では2年続けての記念行事の計画に取りかかっております。

文学部50年の歴史にはさまざまな出来事があり、その中で青春の希望に燃えた貴重な時期を過ごされた同窓生の皆様方は、それぞれに忘れがたい想い出をお持ちのことと存じます。この50年間、日本の社会も世界の情勢も大きな変化をとげましたが、大学もまた例外ではありません。とりわけこの数年の大学を取り巻く環境の変化にはめまぐるしいものがあり、北大文学部もそれに対応していろいろな面での整備、充実を図ってまいりました。1995年(平成7年)4月に学部の組織を大幅に改組して、講座と学科の編成替えをしましたので、現在の文学部は同窓生の皆様の在学時の組織や名称とはずいぶん違ったものになっております。文学部がどのような目標と体制で教育研究に取り組んでいるか、是非北大のホームページhttp://www.hokudai.ac.jp/で御覧になっていただきたいと思います。

世紀の転換を迎えて、世界に共通して問われているのは、19世紀から20世紀を通じて支配的であった価値観、倫理観、文明観、歴史観の再検討ということでありましょう。これらの再検討は、単に高度に発達した技術に適応した生存のあり方を考えなければならないということではなくて、精神の営みのその根源にまで降りたって、新たな価値観、倫理観を作り出していく課題を表しております。精神の営みとその表現形態を主たる研究対象としている文学部の学問は、この意味できわめて重要な役割を担っており、世の一般的な見方とは違ってすぐれて実践的な性格を帯びているといえます。

私どもは、日々の教育研究活動を通して、こうした課題への取り組みを続けておりますが、もとよりこれらのことは大学の内部のみで解決できる問題ではありません。同窓生の皆様のご理解とご支援を賜りながら、努力を重ねてまいりたいと思いますので、今後ともお力添えをよろしくお願いいたします。

1999年3月

文学部の沿革

[学部]

北海道大学に文系学部を設置することは札幌農学校の大学昇格運動時代以来の多年の要望であったが、昭和22年4月19日勅令第139号をもって法文学部を設置することが公布され、法文学部創設準備委員会の北海道帝國大学法文学部規定案が同年6月30日に文部省で認可され、4月21日に遡って施行された。この規定により哲学科(哲学倫理学・心理学教育学・社会学宗教学)、史学科(国史学・東洋史学・西洋史学)、文学科(国文学・支那文学・英文学・独文学・露文学)、法律学科(法律学)、政治学科(政治学)、経済学科(経済学)の6学科14専修科が設置された。昭和22年6月入学試験が行われ、同年9月1日開講式が挙行された。

昭和22年10月官制改正により北海道帝國大学は北海道大学と改称された。昭和23年9月法文学部に哲学1講座、史学1講座、法律学5講座、経済学2講座が設置された。昭和24年4月新制大学へ改編されるに際して予科が廃止されて教養学科が発足し(4月12日一般教養科に改称)、教養課程担当教官はそれぞれ法文学部および理学部の所属となった。昭和24年6月法文学部に哲学2講座、史学1講座、文学2講座、法律2講座、経済学1講座が設置された。

昭和25年4月法文学部が文学部と法経学部とに分離され、文学部に哲学科:第1講座(西洋哲学第1)、第2講座(中国哲学)、第3講座(印度哲学)、第4講座(西洋哲学第2)、第5講座(西洋哲学第3)、第6講座(倫理学)、第7講座(心理学第1)、第8講座(心理学第2)、第9講座(社会学)、第10講座(宗教学);史学科:第1講座(史学概論)、第2講座(日本史学第1)、第3講座(日本史学第2)、第4講座(西洋史学)、第5講座(西洋史学);文学科:第1講座(英米文学)、第2講座(国文学)、第3講座(中国文学)、第4講座(独文学)、第5講座(露文学)、中国語学、言語学が置かれ、一般教養科の一部を合わせて文学部を構成することとなった。

昭和31年3月文学科に言語学講座1が増設された。昭和37年3月史学科に史学講座1が増設された。昭和38年6月史学科の講座名が日本史学・東洋史学・西洋史学(各2講座)に改められた。昭和39年2月講座名を心理学は実験心理学、印度哲学はインド哲学、英文学はイギリス文学、独文学はドイツ文学、露文学はロシヤ文学に、それぞれ改称した。昭和40年4月文学科に国語学講座が増設された。昭和42年4月講座名をイギリス文学は英米文学に、ドイツ文学は独文学に、ロシヤ文学はロシア文学に、それぞれ改称した。昭和43年4月文学科に英語学講座が増設された。

昭和44年4月「専修科」が「専攻課程」に改められるとともに、従来の専修科名のうち国文学を国語国文学、英米文学を英語英米文学、独文学を独語独文学、露文学をロシア文学に、それぞれ改称した。

昭和44年4月文学科に独語学講座が増設された。

昭和52年4月哲学科の一部が行動科学科に改組された。すなわち実験心理学第1講座、同第2講座及び社会学講座が廃止されて、行動科学科が設置され、認知情報学講座、比較行動学講座及び社会行動学講座が新設された。さらに昭和53年4月動態社会学講座及び数理行動学講座が、昭和54年3月行動科学科に社会生態学講座が、また昭和55年4月社会心理学講座が新設された。

昭和56年4月一般教育(一般教養科は昭和26年4月1日一般教養部、32年7月17日教養部に改称)の学科目は共通講座として大講座化されることになり、基礎文化論講座が、昭和61年4月総合文化論講座が、昭和63年4月人間行動学講座が設置された。

平成4年4月文学科にロシア語文化論講座が新設され、ロシア文学専攻課程をロシア語ロシア文学専攻課程に改称した。平成5年4月文学科に中国語文化論講座が新設され、中国文学専攻課程を中国語中国文学専攻課程に改称した。

平成6年11月3年次編入学試験を試行し、翌年からは毎年実施している。

平成7年4月文学部の改組により哲学科・史学科・文学科・行動科学科の4学科は人文科学科の1学科に統合されるとともに、31小講座・3共通講座および附属北方文化研究施設を転換した大講座が再編成されて、哲学講座・倫理学講座・文化価値論講座・日本史学講座・東洋史学講座・西洋史学講座・歴史文化論講座・北方文化論講座・言語情報学講座・日本文化論講座・中国文化論講座・西洋言語学講座・西洋文学講座・心理システム科学講座・行動システム科学講座・社会システム科学講座・地域システム科学講座の17大講座となった。また附属北方文化研究施設の廃止に伴い、同研究施設の二風谷分室・斜里分室は文学部の研究室となり、二風谷研究室・斜里研究室と改称された。なお、平成7年3月を以て教養部が解体されたことにより、これまで教養部の管理下にあった古河記念講堂は文学部の管理に移された。

[大学院]

昭和25年5月大学院(旧制)第1回入学者が許可された。

昭和28年3月文学研究科(新制大学院)が設置され、5月哲学専攻(修士課程・博士課程)、東洋哲学専攻(修士課程・博士課程)、心理学専攻(修士課程・博士課程)、社会学専攻(修士課程)、史学専攻(修士課程・博士課程)、英米文学専攻(修士課程・博士課程)、国文学専攻(修士課程・博士課程)の7専攻が設置された。

昭和30年8月社会学専攻(博士課程)、国史学専攻(修士課程・博士課程)、東洋史学専攻(修士課程・博士課程)、西洋史学専攻(修士課程・博士課程)が設置され、史学専攻は廃止された。

昭和40年4月独文学専攻修士課程および中国文学専攻修士課程が、また昭和42年4月独文学専攻博士課程および中国文学専攻博士課程が設置された。

昭和44年4月言語学専攻修士課程が、また昭和46年4月回博士課程が設置された。

昭和57年4月心理学専攻及び社会学専攻を改組し、行動科学専攻修士課程が、昭和59年4月回博士課程が設置された。

[教授会]

昭和60年4月文学部教授会は、それまで専門教育教授会(教授と専門教育担当助教授で構成)と一般教育教授会(教授と一般教育担当助教授で構成)とに分かれていたのを、一元化した。また教授のみの教授会を廃止した。ただし教授の採用または昇任について意見交換する教授懇談会は存続している。

[建物]

昭和42年10月文学部教室・研究棟4,692㎡の新築工事が落成した。昭和44年3月研究室棟1,135㎡の新築工事が落成した。昭和44年3月文学部教室・研究室棟350㎡の増築工事が落成した。

昭和48年3月文学部実験動物舎83㎡の新築工事が落成した。昭和52年3月文学部動物実験舎79㎡の新築工事が落成した。

昭和53年11月文学部研究棟(E棟)1,287㎡及び研究棟350㎡の増築工事が落成した。昭和63年11月文学部研究棟783:㎡の増築工事が落成した。実験動物舎の移転に伴い、渡り廊下12mの減及び渡り廊下36mの増となった。

平成4年及び5年管理棟および研究棟の改修工事が行われた。

平成6年2月文学部研究棟図書資料室118㎡の増築工事が落成した。

平成7年4月教養部の解体に伴い、教養部の管理下にあった古河記念講堂が文学部の管理に移された。

付記:附属北方文化研究施設

昭和41年4月附属北方文化研究施設が創設され、考古学部門が置かれた。昭和41年9月附属北方文化研究施設二風谷分室として、イギリスから旧マンロー邸(土地19,371㎡、建物304㎡)の寄贈を受けた。昭和48年4月附属北方文化研究施設に文化人類学部門が増設された。昭和49年12月附属北方文化研究施設分室建築用地として、斜里町郷土研究会から土地661㎡が寄贈され、昭和51年3月附属北方文化研究施設斜里分室124㎡の新築工事が落成した。

平成7年4月研究施設は廃止され、2部門は文学部の北方文化論講座に転換された。これに伴い二風谷分室と斜里分室は文学部の研究室となり、二風谷研究室・斜里研究室と改称された。

編 集 後 記

北大全12学部のうち、同窓会の組織がないのは文学部だけです。同窓会員名簿がないのも文学部だけです。「同窓会の経緯」の中で記したように、文学部の同窓会は11年の空白を経て昭和50(1975)年に再建され、翌51年には『会員名簿』も発行されましたが、わずか2年間の活動後に再び活動を停止してしまいました。それ以来、既に22年がたちます。したがって文学部の同窓会員は昭和51年発行の名簿に掲載された第28期(昭和51年卒)卒業生までということになります。それ以降の卒業生には文学部に同窓会があったことも知らされていません。

平成8(1996)年9月から同窓会員名簿の編集作業が開始されました。かくて2年半の歳月をかけて、ようやくここに印刷・製本を残すだけとなりました。

この名簿の原稿作製に際しては各専攻課程の研究室の諸氏に、同窓会員名簿作成協力者という名称のもとに多大な御尽力をいただきました。各研究室の協力者は次のとおりです。カッコ内は卒業生の場合の卒業期を示します。

西洋哲学 中川大助手(第36期)、中国哲学 ■(弓偏に巾、ゆはず)和順助教授(第35期)、印度哲学 沼田一郎助手(第38期)、倫理学 中澤務助手(第40期)、宗教学 宇都宮輝夫教授(第24期)、心理学・基礎行動学 真弓麻実子技官、社会学・社会行動学 成澤史恵事務官、総合行動学 行廣隆次助手・大沼進助手、日本史学 南部曻教授(第21期)・三田武繁助手(第37期)、東洋史学 四宮宏貴助手(第27期)、西洋史学 榊原康文助手(第40期)、国語・国文学 桑原丈和助手(第39期)、中国語・中国文学 澁谷瑞江助手、英語・英米文学 時崎弥生助手(第38期)、独語・独文学 山田貞三教授(第27期)、ロシア語・ロシア文学 大西郁夫助手(第34期)、言語学 佐藤知己助教授(第36期)。

協力者の諸氏には本来の職務である教育・研究の多忙にも拘らず、各研究室の卒業生の住所・勤務先を何度にもわたって調べていただき、心から御礼申し上げます。また文学部長北原敦先生には御多忙中にも拘らず、挨拶文を寄せていただき、御礼申し上げます。また前教務掛長三崎美枝子氏には教務掛保管の各年度の卒業生一覧・大学院修了者一覧等の膨大な資料を複写していただき、これが名簿作成の基礎となりました。ここに深甚の謝意を表します。

この名簿は名簿出版業者である株式会社関西廣済堂によって作成されました。同社北海道営業所長伊藤孝治氏にはたどれば平成6(1994)年以来、数えきれぬ程の多くの助言をいただき、ようやくここに名簿印刷に到達することができました。同氏にはひたすら感謝するばかりです。

この名簿の発行を契機に同窓会再建に向けて卒業生の皆様の御支援と御協力をよろしくお願い申し上げます。

平成11(1999)年3月10日

文学部同窓会員名簿編集スタッフ

新田孝彦 菊池俊彦 須藤洋一 大津起夫

第三次再建の足取り

第3次再建と会活動の方向感

第3次同窓会の再建にいたる道のりを説明するには3年前、平成9年の法・文・経学部創基50周年記念行事まで遡らなければならない。このとき文学部教官だった同窓生有志が同窓会再建準備委員会をつくり、昭和50年卒までの同窓生に同窓会再建を呼びかけるとともに、準備委員会の運営資金と記念行事賛助金の募金を行った。ここで寄せられた約250万円から賛助金をまかない、文学部卒業生の面目を保ち、再建への歩を進めた。同窓会名簿をつくり、在札同窓生有志で準備委の人数を増やして再建委員会を立ち上げ、古い規約を練り直すなどした。そして文学部創立50周年記念行事に合わせて同窓会総会を開き、正式発足にこぎつけた。この間の足取りは、それぞれの審議資料を見てもらうのが、正確でありわかりやすいと考えられるので、ここから後のページでは、その順で資料を公開する。

今回の再建は、率直に言って平成12年の文学部創立50周年記念企画のサポートが第一の目的だった。また、平成13年に北大創基125周年記念行事という大規模な企画が控えており、そちらの寄付金募集も開始されることから、この機を逸すると、休眠状態に陥って久しい文学部同窓会を目覚めさせるきっかけは、当分つくりにくいことは明らかだった。まさにそっ喙、逃のがしたらまたと得がたいタイミングであったことは間違いない。

資料に目を通せばわかるが、今後の同窓会の活動力を大きく左右する会費をいくらに決めるかは最も重要な議題であった。同窓会総会には年2000円の会則案で臨んだが、それが年3000円でも会費を納める熱意のある同窓会員には同じことだという、これまた熱意ある修正動議が通って、正式決定は3000円になっている点に注目されたい。今後は役員と納入者が一丸となって未納者に会費を払うよう勧め、納入率を高めることだけである。

また、第2次再建でとられた終身会員制復活は、ゼロ銭に近い預金利子低下という思わぬ事態で財政運営に支障を来している組織もあるという実情を知るに及んで見送られた。自動的に第2次再建当時払い込まれた終身会員としての会費もご破算になってしまったのは、休眠状態になってから予想された向きもあったと思われるが、まことに心苦しいものがある。

さらに、立ち上がった当座の平成12年度は、9月の同窓会総会で予算案を承認しても、会計年度末となる3月末までは半年間であり、ここは半年分の会費徴収にするべきかどうかというのも難問であった。第2次同窓会からの凍結的繰越金が200万円ほど残ってはいたが、50周年記念行事に協賛することを考慮すれば、出来うる限り収入を確保しておかねばならず、また、立ち上がったばかりの役員会としても記念行事にあてる学部予算、それに見合う同窓生寄付金の見通しも定かでなかったことから、非常に心苦しいところではあるが、12年度に限り日数としては半年しかないけれども過渡的に年会費としては1年分の満額を徴収し、平成13年度から平常状態で運営していくという方針を選択することになった。その分、同窓会活動に対する熱意を認めてもらえるよう当局に掛け合って部屋を借りたし、、少しく無理をして、こうしたホームページを開設したということでもある。

近年まで学内で同窓会が実動していないのは文学部だけだったのは事実だ。北大東京同窓会は数年ごとに同窓会名簿を作っているが、他学部は同窓会員名簿がしっかりしていて、基礎資料になるのに対して、文学部OBだけはまったく暗闇を手探りで歩くような名簿づくりを強いられるのが常だった。それでも男子は電話帳に載っている可能性があるからよい。女子は姓が変わってしまうので、あの辺に住んでいるという情報程度では探せないことを痛感した。

不動産のビルを持っている農学部の同窓会とか、研究書出版の援助もする法学部同窓会には遠く及ばなくても、現役学生に同窓会が存在していて、自分たちもいずれは会員として会費を払い、会活動に手を貸さなければならないということは知ってもらう必要がある。

同窓会は、これまでは単なる懐古的親睦団体という色彩が強かった。しかし、少子化で女子短大が続々と4大共学に転じ、大学全入時代に突入したいま、そんなことより、就職時にさしたるメリットを見いだせない文学部のサバイバルに、同窓会員が志願者集めをしなければならないかも知れない。笑いごとではなく、競争率が1倍を割る文学部なんて、文系サロンでしかない。

漫然と過ごしているわけでもないにしても、外部からはどう進んだのかわかりにくいのが文科系の研究だ。同窓会はこれを加速させ、どしどし公開していく知的ボランティアグループになろう。ぼけ防止を兼ねて一石二鳥である。

某学部OBから、東京の大学教授が実績を上げるために、いかに努力しているかという実例を聞いた。詳述は避けるが、その教授は独自の文字で大量の論文を書き、自腹で雇うアルバイト学生に清書させていた。字が速記符号顔負けなので、それを解読する専用辞書が貸与されるが、それでも並の頭ではできまいと東大生に限っていた。基督系大学の学生がアルバイトをしたいと申し出たら、できるわけがないと即座に断られたという。

もう一度、予測と願望を交えて繰り返す。大学院教授たちが、同窓会のご老体たちでも、このようにコキ使わなければ間に合わないぐらいのスピードで論文、研究結果を出していかなければならないご時世が、やがてくることは確かだ。そうなる前に、わが同窓会は応援の予行演習を始めよう。資金面での弱さを補うマンパワーを北大に提供しようではないか。理系学部で実験報告が満足に書けないので、国語も教えなければならず、疲労が倍加すると嘆いているとか。こうした学生たちの国語力コンシェルジェという役割もありそうだ。

かつての専攻を生かせば先輩後輩の研究成果はある程度評価できよう。いかにも怠慢と評価できる教官は排除し、学内外から優秀な人物を推挙するぐらいの発言権を持つ“危険な同窓会”を目指してもいいのではないか。文部省が管理する国立大学であればもってのほかだろうが、独立法人となれば損益計算から学部のリストラという荒療治もあり得る。

そう意味からも、同窓会員はハーバードOBのように高校生と接触し、一回の面接などではつかみ得ない才能なり熱意を入試当局に伝えるスカウトを引き受けてもよかろう。優秀な後輩を獲得すれば、歳月はかかるけれども、必ずや文学部の声価を高め、同窓会活動も盛り上げてくれるだろう。

北大構内に放送大学の学習施設がある。札幌市には生涯学習施設「ちえりあ」ができて、市民が集まっている。文学部同窓会は、繰り返しのお勉強ごっこではなく、いずれは現役教授たちと競り合い、新たなテーマと組み直す“姿なき生涯研究組織”へ進めたい。なにしろ、名誉教授もごろごろいることだし、ボケ防止にも是非―とおだてよう。その意味でも、このホームぺージを見るのが恐いといわれるようなコンテンツを詰め込んでいこうではないか。

とにかく、なんとか3回目の同窓会が立ち上がることはできた。ひとえに同窓会員各位のご協力の賜である。今後は立ち止まることなく活動を続けながら、新しい同窓会の形を模索して後輩をどんどん巻き込み、皆にも存在を感じさせ、手を貸そうかと気軽にいってもらえる親近感ある同窓会を作りあげていこうではないか。

そうした意味からも、以下にある資料を吟味し、また上記の考え方について思うところがあれば遠慮なく発言してほしい。ご意見は dosokai@let.hokudai.ac.jp へ。「なんでも掲示板」に掲載する。(2001/8/1=文責・広報グループ)

有志が同窓会再建に立ち上がる

平成9年6月16日

北海道大学文学部

卒業生各位

北海道大学文学部長

灰谷慶三

文学部同窓会再建準備委員会

青柳謙二

法・文・経学部創基50周年記念行事ならびに

文学部同窓会再建についてのご案内とお願い

謹啓

皆様にはますますご清栄のこととお慶び申し上げます。

さて、古人の言をまつまでもなく、歳月の流れは早いもので、私たちのAlma materである北大文学部が、北大で初めての文系学部として創設された法文学部の一角として発足(1947年)して以来、今年で丁度50年を迎えることになりました。その記念式典が、本年9月1日に行われる予定です。また文学部自体も、3年後の西暦2000年には、母体であった法文学部から独立(1950年)して満50年の歴史を数えることになりますが、それにつきましては改めてご案内を差し上げることになると存じます。

この半世紀の間に、文学部が多くの有為の人材を社会に送り出してきましたことは、ご同慶の至りであり、私たちの誇りとするところであります。顧みますと、法文学部創設に当たって、学生が鉛筆売りをして市民の家庭を廻り、書籍購入の協力を仰いだこと、現在の大学本部の裏手にあった旧予科の木造校舎で、冷たい北風が壊れた窓ガラスから吹き込むいわゆる「シベリア街道」を通って、研究室に通ったこと、凍えるような研究室で夜通しだべったり勉強したりしたこと、新校舎に移って(1969年)間もなくの学園紛争等々、文学部の歩んできた道はけっして平坦とは言えず、卒業生の方々も、それぞれに自分の学んだ時期の文学部、先生方、研究室仲間について、さまざまな思い出をお持ちのことと思います。

しかし、大変残念なことに、卒業生の方が大学時代を振り返って見た時に、その思い出を寄せ、自分がその誇るべき伝統の一員であることを自覚するよすがとなるべき同窓会が現在文学部では休眠状態になっております。

文学部同窓会は、昭和25年3月に結成された法文学部同窓会から、同年4月文学部の独立に合わせて、文学部同窓会として分離したのに始まり(第一次同窓会)ますが、昭和38年頃休会になり、昭和50年(1975年)文学部独立25周年を迎えるに当たり、野田寿雄元文学部長を会長代行兼常任幹事長として再建され(第二次同窓会)、毎年会報を出し、昭和51年には「会員名簿」を発行するなど、活発な活動を続けましたが、残念ながら4~5年後には冬眠状態に入り、現在に至っております。現在、北大12学部の中で、同窓会が機能していないのは文学部だけという状態です。

文学部同窓会がこのような経過を辿ってきましたのは、おそらく文学部そのものの歴史がまだ浅く、会員数も少なく、卒業生諸氏もそれぞれ社会の第一線で活躍されるのに忙しくて、自らの来歴を振り返る余裕がなかったことが大きな原因でありましょうが、今や文学部も半世紀の歴史を閲し、卒業生の数も5,000名を超え、初期に卒業された方は齢70歳を越えて、自分の来し方を顧みる時期に差しかかっております。このような時に、第三次の同窓会を今度こそ恒久的に再建しようとすることは、まことに時宜にかなったことと考えられます。

そこで私たちは、まず、卒業生で現在文学部に教官として在職している者の中から数名を選んで、文学部同窓会再建準備委員会を作り、当面の法・文・経学部創基50周年記念行事、および3年後の文学部独立50周年記念事業に備えると同時に、できるだけ早い時期に文学部同窓会の再建総会を開催し、他学部に劣らぬ同窓会を組織したいと考えております。ちなみに、再建準備委員は、委員長が青柳謙二、旧哲学科関係が新田孝彦、旧史学科関係が菊池俊彦、旧文学科関係が須藤洋一、旧行動科学科関係が大津起夫となっております。

準備委員会では、目下、同窓会再建の第一歩として「文学部同窓会名簿」を作成・発行するべく準備を重ねており、おそらく3年後の文学部独立50周年記念行事までには発行し、卒業生の皆様にご覧頂けることになると思います。

私たちが再建しようとしている文学部同窓会は、しかし、旧態依然とした同窓会ではありません。もちろん名簿を作成したり、総会、懇親会を開催して会員の方々が旧交を温める機会を作るのは当然ですが、近年、大学改革が進むにつれて「社会に開かれた大学」ということが言われ、同窓会はいわば文学部と社会とを結ぶ回路の一つとして機能することが求められていると思われます。たとえば文学部が生涯教育に関与する上で、卒業生の有識者による講演会、講座の開催などという形で、同窓会が果たしうる役割は種々考えられます。

けれども、何分にも長く休眠状態が続いてきた後のことで、こうした形で同窓会を再組織するにも、また当面する記念事業を賛助するにも、資金面で非常に苦しい状態にあることは否めません。そこで甚だ勝手なお願いで恐縮ではございますが、近いうちに再建総会を開いて、会費収入による同窓会の安定した財政が確立されるまでの間、差し当たっての準備委員会の運営資金と、法・文・経学部創基50周年記念行事の賛助金をご援助頂ければと考えて、ご案内を差し上げた次第でございます。もし以上のような同窓会再建の趣旨に幸いにしてご賛同頂けますならば、下記の要領でお振り込み頂ければ、幸甚の至りでございます。

1.1 口 :5,000円何口でも可

1.加入者名:北海道大学文学部同窓会再建準備委員会

1.期 日 :7月末日

なお、ご協力頂いた方には、法・文・経学部創基50周年記念行事の一環として作成予定のパンフレット(学部の沿革、当時の在職教官の追憶文等記載)をお礼として差し上げます。

また、文学部同窓会再建総会、文学部独立50周年記念式典の開催に当たりましては、あらためてご案内を差し上げます。

敬具

付記:今回のご案内は、昭和50年までの卒業生の方(第二次同窓会発足時の会員)に限らせて頂きました。

11年は同窓名簿づくり

会員各位

ただ今、“同窓会名簿”の住所確認 調査及び予約受付中!

拝啓 時下ますますご清祥のこととお慶び申し上げます。さて、北大文学部は昭和22(1947)年に法文学部として発足しました。ついで法文学部から昭和25(1950)年に分離独立しましたので、2後(2000年)には文学部創立50周年をむかえることになります。

文学部同窓会は昭和50(1975)年に創立25周年を記念して活動し、同窓会名簿が発行されましたが、数年にして活動を停止したまま、今日に至りました。そのため創立50周年を前に、まず同窓会名簿を作成し、ついで同窓会を再建したいと思います。つきましては皆様のご理解・ご支援・ご協力の程よろしくお願い申し上げます。

敬具

北大文学部同窓会再建準備委員会

委員長 青柳謙二

次のページは委員会で住所がつかめていない方々のお名前の一覧表になります。知り合いや友人がおりましたら、同封の返信用ハガキの表面に〈番号・お名前・ご住所〉をご記入の上委員会へお送り下さい。

(クラス名簿等もございましたらお手数でも委員会宛にお送り下さい。)

皆さんからの情報 → 本人へTELにて確認 → 名簿へ掲載

あなたのデータは大丈夫?

振替用紙の内容を確認して下さい。

訂正のある場合…訂正の部分を2本線で消して正しいデータを赤で記入。

訂正のない場合…余白に訂正なしと記入。

~必ず期日までにご返信下さい~

尚、振替用紙に住所訂正されても、訂正できかねますのでご了承下さい。

委員会では、内容の濃い良い名簿を作るため総力を上げてがんばっております。

是非とも皆さんからのより多くの情報提供をお待ちしております。

名簿作成会社⇒㈱関西廣済堂北海道営業所 電 Oll-842-5510

FAX Oll-842-6810

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ご協力ください!

1.名簿購入のお願い

今回の名簿は、皆様から頂いた支援を作成費用とし、編集・出版いたします。

是非名簿の購入のご協力をお願いいたします。

名簿を購入される方は…

同封の返信ハガキの名簿申込欄に記名捺印のうえ返信ください。

代金は同封の郵便振替用紙にて期日までにご入金ください。

2.入金のお願い

すでに名簿の購入を約束された方、今回新たにご予約される方は、同封の郵便振替用紙にてご 入金下さい。入金締切⇒案内状到着後2週間以内(最終締切日12月28日)

※最終期日までにご入金いただけない場合は、代金引換えでの発送とさせていただきます。その際、引換え手数料の600円は個人負担となりますので、早めにご入金お願いします。

名簿購入予約→代金前入金 会員名簿完成→宅配便にてお届け

→代金未入金 →伊達金引換えにてお届け

名簿の内容

●恩師を含め、卒業生約4300名を掲載 ●1冊4,500円(送料含む)

●現姓名(旧姓名)・現住所・TEL・勤務先名

●50音順索引付き ●平成11年6月末日完成

●B5版で写真広告ページを含めた約150ぺージ

(発送は7月初旬より日本通運ペリカン便にて)

北大文学部

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広告掲載しませんか?

1 広告掲載のお願い

今回の名簿は、皆様から頂いた支援を作成費用とし、編集・出版いたします。

是非広告掲載のご協力をお願いいたします。

広告の掲載にご協力いただける方は・・・

同封の返信ハガキの広告掲載申込欄の希望サイズを○で囲み、記名捺印のうえ返信ください。

広告サイズ・料金(B5版)

特別頁 100,000円 1/2頁 30,000円

全1頁 50,000円 1/4頁 20,000円

※名簿一冊無料進呈致します。

名刺広告とは…

・お手元の名刺をそのまま掲載致します。1件10,000円

・一行程度のメッセージも入れる事ができます。

・幹事の方や支部の連絡先としても活用できます。

※名簿一冊無料進呈は一般広告のみになりますので名刺広告の方には無料進呈はありませんのでご7承下さい。

詳しい資料は後日、お送り致しますので、ハガキにてお申込み下さい。

北大文学部