はじめに
2024年4月から「Amazon Prime Video」にて配信がスタートしたAmazonオリジナルの実写ドラマ版Falloutが世間では大変好評のようで、筆者のような「カリフォルニア周辺を舞台とした旧作〜ニューベガスな雰囲気のFalloutが好き」なファンは嬉しい限りである。
今回はそんなFalloutの歴史の中で西海岸にて興った「新カリフォルニア共和国」、通称NCRについて実際のアメリカにおける軍事や政治の資料から紐解いて行こうと思う。
なお、今回扱う情報に実写ドラマ版のものは含まない。あくまでゲーム「Fallout:New Vegas」時点におけるNCRの話である。
そもそも「新カリフォルニア共和国」とはどのような国なのか
NCRは端的に言えば「戦前のアメリカの良い所も悪い所も全部ひっくるめて引き継ぎ、精神的に受け継いだような国 in ウェイストランド」である。この国の人々は民主主義、個人の自由、法の支配といった「戦前の価値観」の継承者である、と自国について認識しているようだ。
しかし建国当初にあったと思われる人道的価値観(恐らくそれには初代Falloutの主人公こと「Vaultの住人」も関わっていたことだろう)を大切にしていた2代目の大統領であるタンディ大統領の死後から国の性格は著しく変化し、国の上層部は汚職等により腐敗、より帝国主義的な姿勢や方法で周辺の土地、即ち資源・エネルギーの獲得や領土拡大を狙うようになった……というのが、いわゆるFallout:New Vegas(=2281年10月)時点においてのNCRの様相である。
なおこの少し前の段階でNCRはB.O.S.と長年に渡る大規模な戦争・戦闘を繰り広げており、結果的に彼らの一部をモハビへ追いやった(=エルダー・マクナマラ率いるB.O.S.モハビ支部)ものの、通貨の鋳造に使用する主要な金鉱山を破壊され以後は新しいNCR硬貨を鋳造出来なくなっている。
そのためNCRは本位貨幣(金本位制)による通貨の価値を維持出来なくなり、代わりに「NCR紙幣」を刷ることになるのだが……その価値はFallout:New Vegasをプレイした人ならお察しであろう。キャップとの換金レートだけならシーザー・リージョンのコインの方が明らかに価値は高いのである。
このような経緯から、ある意味ではこの時点で既にNCRは「だいぶ落ち目であった」と評価することも出来る。「紙幣を大量かつ継続的に印刷出来る技術力がある」、つまり集団や共同体の中心において「精巧な印刷物の刊行が可能である」こと自体は文明が滅んだとされるウェイストランド内においてかなり高い水準の技術力である、とは言えるのだが……やはりここはウェイストランドである。結局、紙幣はケツを拭く紙かそれ以下なのである。
共和国・共和制とは?
ここではNCRが掲げる「共和国」という名称に着目しよう。共和国とは、簡単に言えば「共和制」という政治体制を採用している国のことだ。Wikipediaで「アメリカ合衆国の共和主義」について調べてみると、
”アメリカ合衆国の共和主義(英: Republicanism in the United States)は、その独立以来アメリカ市民思想の主要部分であり続けている政治的価値観である。中心的な価値として「自由」と「不可分の権利」を強調し、人民全体を主権者とし、政治権力の世襲を拒否し、市民がその公民としての義務を行うときに独立であることを期待し、政治的腐敗を忌避している。”
とある。
ではその「共和制」とは? となると、これは国家元首の地位を個人(=王などの君主)に持たせない、という考え方である。そしてその共和制の歴史の転換点となったのはまさにFalloutというゲームの舞台であるアメリカにおける「独立革命」であるとされている。
話は少し逸れるが、このアメリカ独立革命の経緯や歴史についてはスピンオフであるニューベガスの次作となったナンバリング作品でニューイングランドと呼ばれる地域、ボストンを舞台としたFallout4をプレイするとその内容や雰囲気を少しだけ理解できることだろう。
ちなみに共和制国家の政治体制というものは、大まかに二つの方向へ傾くとされている。一つは「完全な権威主義体制を取るもの」、もう一つは「名目的にでも民主主義体制を取るもの」である。
果たして、NCRはそのどちらなのだろうか? 気になるポイントである。
NCR軍(陸軍)歩兵の装備について
さて、ここで筆者が今回「NCRの軍事と政治について」という内容でエッセイをしたためようと思い立った製作者の言葉がある。それは「Fallout:New Vegas」でリード・デザイナーを務めていたジョシュ・ソーヤー氏のNCR兵のビジュアルに関する発言である。
彼は「Fallout: New Vegas 10th Anniversary Charity Stream」と銘打ったゲーム実況配信において「自らニューベガスをプレイしながらチャットに寄せられた視聴者からの質問に答える」というコーナーを設けていたようだ。
その配信のアーカイブ動画は現在でもYouTubeで視聴することができ、4:40:39辺りからNCR兵のビジュアル設定に関する発言を確認することが出来る。
https://www.youtube.com/watch?v=0pLft_FQPFo&t=16839s
それによれば、NCR兵の装備のデザインは第一次大戦時のアメリカ陸軍歩兵やオーストラリア軍の「ガリポリの戦い(1915年-1916年)」におけるアンザック(ANZAC:第一次大戦時のオーストラリア・ニュージーランド連合軍、およびその兵士のこと。Australian and New Zealand Army Corpsの略)タイプの衣装がピッタリだと思ったらしく、それらを採用したとのことだ。
筆者は長らく「NCR兵のビジュアルは第二次大戦時の北アフリカ戦線のイギリス軍のような雰囲気だなあ」などと思っていたが、実は1950年代に近い第二次大戦ではなくもっと昔の第一次大戦が着想の元だったと知ってその意外性に驚いた次第である。
Falloutというゲームは基本的に1950年代アメリカの雰囲気やデザインを継承もしくは揶揄しつつ各種設定や世界観に取り込んでいるが、そうではない場合もあるのだ……ということなのである。
ドゥボーイ(Doughboy)M1910装備
ではここからはNCR兵の元となった、現実世界での第一次大戦時に「ドゥボーイ(Doughboy)」というニックネームで呼ばれていたアメリカ陸軍歩兵が実際に使っていた装備について調べて行こう。この辺りの資料としては「米軍布製装備大全 1910-1991 軍装から見る近代アメリカ戦史」という本が大変参考になるため、アメリカ軍の装備やその歴史について知りたい人はぜひ読んでみて欲しい一冊である。
その「米軍布製装備大全」によると、ドゥボーイたちの装備は基本的には「M1910装備」と呼ばれており、オリーブドラブNo.9の布およびキャンバス地で出来ていたという。当時の規格では弾薬と被服を含む最大荷重50ポンド(22.68kg)を携行できることが求められたそうだ。これは当時のイギリス等をはじめとする諸外国の歩兵用野戦装備一式よりも軽く、重量の面において有利だったそうだ。
というのも、それまでの兵士の野戦装備というものは主に革製のもので占められていた。ベルト、刀剣の鞘、ホルスター、ポーチ、その他様々な装備が革で作られていたのである。
その後、歴史的には産業革命等を経て「織機」の発明と進化によって布製の野戦装備が増えて行くこととなる。機械化と織り方の発明によって、軽くて丈夫な布製品を作れるようになったからだ。そしてその時期にアメリカ歩兵の装備に貢献したというのが、アメリカ陸軍に所属していた経験もあるという発明家アンソン・ミルズである。
彼はより完成度が高く、大量に複雑な布製品を織り上げられる機械およびシステムを開発したことにより、まず改良されたカートリッジ・ベルトがアメリカ軍に採用された。
この「改良されたカートリッジ・ベルト」は資料によれば「一体織りのカートリッジ用ループ付き布製ベルト」と記載されているが、この「一体織り」というのが具体的にどんなものを指すのかまでは調べ切れなかった。またミルズが発明したという織機の具体的な名称も定かではない。
ミルズの考案したカートリッジ・ベルトについてはアメリカ特許商標庁(USPTO)の「クラウドベースの特許公開調査ツール(Patent Public Search Tool)」なるもので当時の特許の書類とその内容を確認することも出来るので、興味のある人は覗いてみても良いだろう。ただし、USPTOで特定の商標をピンポイントで検索するのは非常に面倒くさいため注意が必要だ。
なおUSPTOでは登録されている特許の詳細をテキスト並びにスキャンされたPDFで登録時の図案を「文書」として閲覧することが出来るが、その引用方法については明確な規定を見つけられなかったため画像等の引用は避けておく。
ちなみにドキュメントIDは「US 0654475 A」で、特許の公開日は1900年の7月24日、文書のタイトルは「CARTRIDGE-BELT.」だ。これで何とか目的の文書へ辿り着けると思う。
また1915年7月12日発行の「陸軍兵器局パンフレット No.1965」によると、これら支給後の装備のメンテナンスについてかなり細かく指示が書かれているようで、「布製品は乾いたブラシでホコリをよく落とすことが大切だ」と強調されていたり、水洗いは「どうしても必要な時だけ」で、しかも「将校の指示と監督の下に限る」とされていたりする。
洗う際には支給品である「H&H石けん」なるものが認可されており、補給部のイエローソープははっきりと禁止されていたという。そして洗った後は陰干しが推奨されていた、というかむしろ指示されていた。色褪せしやすいから、というのが理由らしい。
ちなみにオススメされていた「H&H石けん」は1918年4月11日付の「Signal and news-letter. (Rock Creek, Ohio)」の3ページ目、つまりはオハイオ州で当時発行されていた週刊新聞の広告によると1個15セントで売られていたことが分かる。
https://ohiomemory.org/digital/collection/p16007coll1/id/5225
当時15セントだった「H&H石けん」は任意の年のドルの価値を計算できるサイト「The Inflation Calculator」でインフレ計算をしてみると、2023年時点では3.1ドルに相当するようだ。そしてこれをさらに円へ換算すると……(近年の円安傾向が非常に財布に痛いが)2024年5月14日時点で1ドル156.44円、つまり484.95 円となる。ほぼ500円である。
ドルに関しては、昔(昭和末期の時代)は確かまだ100円ちょっとだったような記憶もある。いわゆる1988年当時のバブル景気とやらでは1ドル=128円だったので、そうなると単純計算では396.8円。まあこんなもんか、という具合である。
特徴的なヘルメット
NCR兵が装備するヘルメットは「つば」のついた帽子のような、特徴的なデザインをしている。これは第一次大戦時のアメリカ陸軍歩兵が使用していたM1917ヘルメットがモデルだろうと思われる。
そしてこのM1917ヘルメット自体はイギリス軍のMk1ブロディー・ヘルメットをコピーしたものであるらしく(ややこしい経緯である)、これらの装備について分かりやすいビジュアル資料を求めるならば、1918年公開のサイレント映画「担へ銃(Shoulder Arms)」を観るのが良いだろう。主演のチャップリンがそれを模したもの(恐らくは現物ではなく衣装・小道具と思われる)を着用しているのを見ることが出来る。
また第一次大戦時のアメリカ歩兵の装備についてはアメリカの外交専門誌「The National Interest」の特集記事が歴史的経緯も含め詳細が分かり易く参考になるので一読することをおすすめする。
Battledress of American Doughboy The U.S. Army Uniform of the Great War
https://nationalinterest.org/blog/buzz/battledress-american-doughboy-us-army-uniform-great-war-173093
そもそも「ドゥボーイ」とは何か
Wikipedia英語版によると、Doughboy(ドゥボーイ)の語源は定かではないという。しかし第一次大戦時におけるアメリカ歩兵を指すメジャーなニックネームとしてこの時代では既に広く使用されていたらしく、それは後に第二次大戦を経て「GI」へと置き換わって行くまで続いたようである。
ちなみにFalloutシリーズのラジオでも度々その歌がかけられるビング・クロスビーによるアイルランド系の歌をまとめた2023年のアルバム「Bing Crosby's Irish Songbook」に「Johnny Doughboy Found a Rose in Ireland」という歌があるので聴いてみるのも良いだろう(YouTubeおよびYouTube Musicにおいて無料で視聴が可能だ)。
またこの歌は元々1942年12月31日公開のアメリカ映画「Johnny Doughboy」の挿入歌として作曲されたという経緯があるようで、1942年のアメリカで最も多く売れ、そしてラジオで最も多く流された曲のトップ10に入ったそうである。(雑誌「Bilboard」の情報による。なお「Bilboard」は現在Google Booksにおいて往年のバックナンバーを無料公開しているので、興味のある人は当時の音楽雑誌の雰囲気を楽しんでみるのも良いと思う。)
さて、話をドゥボーイの名称に戻そう。ドゥボーイという名前が初めて文書の中に登場するのは1846年から1848年の間にアメリカ合衆国とメキシコ合衆国の間で戦われた「米墨戦争」の頃である。
騎兵が歩兵を揶揄するためにドゥボーイと呼んでいた経緯があるらしく、ドゥ(またはドウ)は「パンなどをこねる」という意味があり、当時の歩兵の装備(ボタンの形状)や装備品の掃除に使うアイテム(小麦粉)がそれらに似ていた、関係性を思わせたためともされている。
そして第一次大戦時、ドゥボーイと呼ばれたアメリカ歩兵たちは非常に若い年齢層だったとされる。平均年齢は25歳程度で、中には17歳の兵士も居たという。全体の57%が25歳以下という若さであった。
これはチーフ・ハンロン等のセリフにもあるように「NCR軍が大した訓練も出来ないままモハビ(キャンプ・マッカラン)へ沢山の若い新兵を本国から徴兵して送り込んでいた」という状況にも繋がる部分があるように思う。現実世界での「ドゥボーイ事情」を参考にしたのかもしれない。
第一次大戦を経て現れたアメリカニズム
アメリカという国は歴史的に西部開拓時代、すなわち1890年の「フロンティアの消滅」宣言を経て新たなフロンティア=開拓地を「国際市場、国際政治への介入」に見出したという経緯がある。これが如実に現れたのが第一次大戦(1914年〜1918年)への参戦、すなわちウィルソン大統領が打ち出した「民主主義の戦争」宣言によるドイツへの宣戦布告である(詳細はドイツの「無制限潜水艦作戦」とそれによって発生した「ルシタニア号事件」、「ツィンメルマン電報」等を参照)。
現在では「世界の警察」などと揶揄され(実際カリブ海周辺の治安においてはアメリカ自身が公的にそれを自任している)様々な国へ軍事や政治的な介入を行う大国アメリカであるが、実は第一次大戦時当初には中立を宣言し関わることを避け、静観を決め込んでいた。
「ヨーロッパ諸国の紛争に干渉しない」ことを筆頭とする1823年からのアメリカの外交方針、そして外交の原則でもあるモンロー主義・孤立主義(=戦争に関わらない、参戦しない中立の立場)を守っていたのである。そしてそれが破られたというのが1917年におけるアメリカの第一次大戦参戦という訳だ。
アメリカは正式に第一次大戦へ参戦するまでに、実に様々な紆余曲折を辿った。そしてその中で新しい「アメリカニズム」が形作られて行くこととなる。
例えばイギリス植民地時代からの伝統とも言える「民兵原則の国民性」——これはいわゆる「ミニットマン(Fallout4で言うところのミニッツメン)精神」であり、職業的な常備軍ではなく自ら武器を携帯した市民の軍事奉仕を国防の本義とするものでアメリカの市民的ナショナリズムを構成する価値観のひとつだ——は後の「州兵」へと変わって行き、「大共同体(グレート・コミュニティ)」の重要性を説いて個人主義を克服し社会連帯を築こうという学者(ジョシュア・ロイス、ジョン・デューイ等)が現れたり、1910年中頃には国家主義者の一部が大規模な政治運動として「戦備運動」を展開した。
この「戦備運動」というのは早い話が敵国であるドイツの兵力に対してアメリカの現兵力は20分の1しかないなどと喧伝して国防の危機を煽り、全米で愛国デモンストレーションを主催する等の「ファナティックなナショナリズム」を鼓吹(こすい:意見や思想を盛んに主張し、相手に吹きこむこと)したのだという。この手のレトリックについてはアンヌ・モレリ著「戦争プロパガンダ 10の法則」を読むとより理解が深まるかもしれない。
また当時アメリカの陸軍参謀総長であったレナード・ウッドは自身の著書「シティズンシップの軍事的義務」で、「志願兵に大きく依存するアメリカの国防はその合理性において決定的に誤った制度である」と論じている。そして様々な事象が折り重なり、これが第一次大戦直前のアメリカにおける兵役の義務化、即ち「選択的徴兵制度」へとつながるのである。
ちなみに参戦を決定したウィルソン大統領であるが、実はギリギリまでこの徴兵制を実施するべきか否か悩んでいたそうである。また当時ウィルソンの対抗馬とも言えた存在であるセオドア・ルーズベルトは自著の中で「真のアメリカニズムとは何か?」という問いに対し「①地域・セクションを越えた全国性、②愛国心、③移民の同化」と定義付けていた。
戦争・徴兵・移民のアメリカ化
さて、国として他の国と戦争を行うとなれば矢面に立つのは末端に存在する大量の一般兵士である。そして第一次大戦へ参戦するにあたり、アメリカは戦争を通じて国民形成を新たにすることとなる。
というのも、第一次大戦直前のアメリカは大量の移民が流入して来ていた時代であり、これが「人種のるつぼ」と後に呼ばれるようになる状態だったからである。そして当時の政府は「移民は移民そのままではなく、(戦争を通じて)アメリカ国民として国のための義務を果たすべきだ」と考えていたようである。
中でも内務省教育部は「アメリカ化部」を新設し、「移民にアメリカを学ばせ、アメリカに対する義務を理解させる機会と施設を提供する」多様な業務に就かせたという。
当時の移民(主にヨーロッパ大陸からの移民)は割と心持ちとしては「着の身着のまま」アメリカへ移民としてやって来ることが多く、アメリカ入国後もアメリカの英語を学習する機会も意欲もほぼ無いという貧しい人々だった。出自も民族も裕福度も言葉も違う移民たちを、アメリカ政府は「国民一体化」として教育しなければならなかったのである。
アメリカ政府は国民の一体化を兵役に就かせることによって試みたが、これは見方によってはあまり成功しなかったと言えるだろう。ある程度、移民の宗教や文化に対して寛容な風土・制度ではあったものの、人種問題や人種差別は解決されなかったからである。結局、国民一体化の「手応え」を感じていたのはそれこそWASPに代表される裕福な白人だけだったのではないか、と筆者は考える。
そういう意味では、NCRはゲーム内での描写を見るに割とその辺に関しては「ゆるい」印象があるもののゲーム描写外ではどうなっているのかはいちプレイヤーとしては皆目見当が付かない。
今後のフランチャイズにおいて何か新しい展開があるのか、それとも製作者たちが何かこぼれ話として情報や設定を開示してくれるのか。実写ドラマ版の続編も含め楽しみに待ちたいところである。
参考文献
共和制(Wikipedia)
https://ja.wikipedia.org/wiki/%E5%85%B1%E5%92%8C%E5%88%B6
アメリカ合衆国の共和主義(Wikipedia)https://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%82%A2%E3%83%A1%E3%83%AA%E3%82%AB%E5%90%88%E8%A1%86%E5%9B%BD%E3%81%AE%E5%85%B1%E5%92%8C%E4%B8%BB%E7%BE%A9
世界史の窓|ウィルソン
https://www.y-history.net/appendix/wh1401-138.html
アメリカ特許商標庁(USPTO)
https://ppubs.uspto.gov/pubwebapp/static/pages/landing.html
担へ銃(原題「Shoulder Arms」、Wikipedia英語版)https://en.wikipedia.org/wiki/Shoulder_Arms
Battledress of American Doughboy The U.S. Army Uniform of the Great War
https://nationalinterest.org/blog/buzz/battledress-american-doughboy-us-army-uniform-great-war-173093
The Inflation Calculator
https://westegg.com/inflation/
Signal and news-letter. (Rock Creek, Ohio), 1918-04-11
https://ohiomemory.org/digital/collection/p16007coll1/id/5227
Fallout Wiki(Fandom)|NCR trooper
https://fallout.fandom.com/wiki/NCR_trooper
米軍布製装備大全 1910-1991 軍装から見る近代アメリカ戦史https://ndlsearch.ndl.go.jp/books/R100000002-I030090370
人文書院|戦争のるつぼ 第一次世界大戦とアメリカニズムhttp://www.jimbunshoin.co.jp/book/b122500.html
2024.05.28 初版
2024.05.28 掲載