福岡県の魚類の種多様性の把握のため、県内で採集されて魚類の標本や写真を集めています。詳しくは下段をご覧ください。
日比野友亮・中島 淳・乾 隆帝・鬼倉徳雄・安武由矢.文献に基づく福岡県産魚類の目録,および標本に基づく種同定の訂正.北九州市立自然史・歴史博物館研究報告A類(自然史),23: 1-93.2025.LINK
福岡県では1974年に福岡県生物誌脊椎動物編の一環として、魚類の513種がまとめられました(林ほか,1974)。その後はまとまった資料がなく、県内での種多様性の把握に支障を来すと考えられたことから、県内の魚類について研究・言及された文献を網羅的に調査したうえで、本県に214科780種を認めました。
この取りまとめ作業を通じて分かったのは、本県における標本、写真資料の絶対的な不足です。標本については今後も未整理状態となっている九州大学の歴史的標本群を整理することで発見されていく可能性が見込まれますが、一方で、50年もしくはそれ以上も記録がないと考えられる種が113種も含まれています。福岡県では海産魚類も含めて絶滅危惧種の判定を行っており、このような種は今後、検討対象から外れていくと思われます。
未記録の種を見つけていくことも重要ですが、このような種の県内での実在をあらためていくこともまた、県内の種多様性を理解していくうえで重要性の高い取り組みです。実際には近年の収集活動の中ですでに標本が確保されているものもありますが、ないものについては広く標本、難しければ日付や場所の分かる写真の提供をお願いしたいと考えています。
(2025年3月15日時点)
ギンザメ・ネコザメ・シマネコザメ・テンジクザメ・ニタリ・ナガサキトラザメ・タイワンザメ・ドタブカ・メジロザメ・ヒラガシラ・ツマリツノザメ・フトツノザメ・コロザメ・ノコギリザメ・シノノメサカタザメ・クジカスベ・ドブカスベ・ガンギエイ・テングカスベ・ヤッコエイ
ウツボ・オキイワシ・ホンフサアンコウ・ハマギギ・ニギス・ミツマタヤリウオ・ホシノエソ・フリソデウオ・トウジン・ナミマツカサ・ハリダシエビス・イトヒキカガミダイ・ウチダトビウオ・トゴットメバル・アブオコゼ・イゴダカホデリ・マツバゴチ・オキセミホウボウ・ホシセミホウボウ・スミクイウオ・コモンハタ・イヤゴハタ・モヨウハタ・ノミノクチ・テッポウイシモチ・キアマダイ・エビスシイラ・ギンカガミ・ブリモドキ・オアカムロ・ナンヨウカイワリ・ヒメヒイラギ・フエダイ・タカサゴ・セトダイ・ハマフエフキ・クログチ・フウセイ・キグチ・コハクヒメジ・イッテンアカタチ・スミツキアカタチ・イソスズメダイ・ギンユゴイ・エボシダイ・ツバメコノシロ・キツネダイ・ハタハタ・マツバラトラギス・ベラギンポ・シロクラハゼ・アマハゼ・カンランハギ・シロカジキ・マカジキ・クロカジキ・メカジキ・ウシサワラ・ビンナガ・メバチ・ヤナギムシガレイ・ミナミアカシタビラメ・サラサハギ・アカメフグ
計92種
その他、県内未記録の種についても収集しています。
提供いただいた標本や写真は北九州市立自然史・歴史博物館に所蔵資料として保管されます。
提供のご相談につきましてはyusukeelologyあっとgmail.comまでお願いいたします。
日本国内に近代分類学が導入され、主体的研究活動が始まったのは明治時代です。東京帝國大學の田中茂穂は全国に呼び掛けて魚類標本の収集活動を精力的に行いましたが、九州についてはほとんどの資料が長崎県のものに限られ、福岡県の標本が集められるのには同じく東京帝國大學の冨山一郎の登場を待たねばなりませんでした。1930年代前半、冨山は有明海を中心に、福岡市場でも収集活動を行ったのですが、冨山はその後ハゼ亜目の研究に傾倒し、この標本群に基づく魚類リストはまとめられませんでした。
福岡県での魚類研究は実質的に内田恵太郎の赴任以降に始まり、興隆します。内田は朝鮮総督府(直轄の水産試験場)より1942年に九州帝國大學に赴任し、1944年には水産学第二講座(のちの水産増殖学研究室)を開講します。内田は生活史研究を専門としましたが、多くの門下生を育てつつ、魚類相の研究や、その下地となる魚類標本の収集を行い、門下生たちや後任の塚原博とともに膨大な標本群を残しました。ただし、このような内田一派による標本収集と、保管が行われたのはおおむね1970年代までで、その後は研究分野が行動生態学へと移っていったことや、標本保管場所の課題、また標本を残す重要性にかんする考え方が引き継がれず、残る標本は散発的になっていきます。九州大学附属水産実験所ではときに九州大学農学部とは別に標本が収集されていました。
北九州市では市内での魚類化石発見を契機に、自然史博物館設立の気運が高まり、1978年には自然史博物館開設準備室が設置されます。広く自然史を扱う観点から、北九州市域を中心に少しずつ魚類標本の蓄積が始まりました。採集された魚類の一部は北九州自然史友の会(現北九州市立自然史・歴史博物館自然史友の会)が発行する会誌に報告され、記録としても残されています。現在は北九州市立自然史・歴史博物館に引き継がれ、博物館そのものも八幡駅舎から現在の地へと移転しました。
このような背景から、福岡県産の魚類標本の多くは福岡県(九州大学・北九州市立自然史・歴史博物館)にあり、その他にまとまったコレクションは東京大学総合研究博物館の冨山一郎と有明海水産試験場(現有明海研究所)が共同で収集した一群です。東京大学総合研究博物館のコレクションについては標本目録が続々と出版され、その中で福岡県産の標本についても随時言及されていますが、九州大学の標本群の全体像はいまだに不明な点が多いです。
地上部は県境が明確なのですが、水域は必ずしもそうではありません。特に海(潮間帯以下)には県境の線が引かれていませんので、どこからどこまでを福岡県内とするか、については様々な考え方があり得ます。陸水域は海に比べれば明解ですが、例えば川によって県境が設定されている場合、すなわち福岡県であれば筑後川や山国川については判断が難しいと言えます。目録では県域の考え方を園山ほか(2020)の山口県の例に準ずることとして、日本海東側については福岡県と山口県の漁業者の入会地(共同で漁業権をもつエリア)となっている藍島(福岡県に帰属)、馬島(福岡県)、六連島(山口県)、蓋井島(山口県)の海域、さらに福岡県と山口県を隔てる関門海峡を福岡県響灘の東限としました。玄界灘についても、園山ほか(2020)の定義を参考に、対馬東・北東海域までを福岡県内とみなしました。北端は排他的経済水域の端(つまり韓国との境界)です。なおこの考え方は同海域が長崎県、佐賀県および山口県に解釈されることを妨げるものではありません。また、海と陸との境界(海岸線)は満潮時の最高水位によって決められていますが、生物の分布記録としては馴染みませんので潮間帯までを含めてその隣接する陸域の県に帰属するとみなした方が自然です。
西側の境界については、壱岐島周辺島嶼域は佐賀県、ただし壱岐島東沖は福岡県となり得ます。具体的には姫島周辺や烏帽子島周辺までが福岡県と解釈され、そこから対馬の沖合まで延長されます。なお壱岐島の南東部海域は福岡県と佐賀県の入会漁場です。周防灘側の南端は山国川河口沖までとなります。有明海側の南端は、福岡県と熊本県との県境と、佐賀県と長崎県の県境とを結んだ直線までと考えます。一方で福岡県と佐賀県の境界については、両県漁業者の入会地が広範囲に存在するため山口県の例と同様に直線的に区分することは困難に思えますが、入会地の範囲は三点(筑後川河口・福岡ー熊本県境・佐賀ー長崎県境)で結ばれた三角形の中ですのでこの範囲までが福岡県ということになり、例えば鹿島市のすぐ沖合などは佐賀県に帰属します。既存の有明海の記録についてははっきりとした地点の不明な文献が多く、これら文献からの情報はまとめて福岡県域からの記録として扱っています。
なお、このように県域をどこまでとするか、はあくまである行政区域での種多様性把握をはっきりさせるために定義されるもので、生物学上の特別な意味は持ちません。また、これは何らかの公式見解ではありません。
福岡県域の概略図(網掛け部分)