九州の川魚

九州に来て以来、研究とはほとんど無関係に水辺をかけ巡るくらしをしています。ここでは、これまでに私が出会った川魚を標本写真に一文を添えて紹介します。(最終更新日:2024年4月22日)

ムギツク

ムギツクという魚のことをはじめて意識したのはいつの頃からだろう。この魚は、タナゴ類などとちがって図鑑ではあまり目立つ魚ではない。ただ、小学生の頃に読んだ『日本の淡水魚を訪ねて―川と魚をよむ』(富永浩史著、渡辺昌和監修)の中にあった、本種とモツゴとの交雑個体の写真がいやにくっきりと脳裏に残っている。また、今はなき関東の淡水魚のとあるホームページで目にしたこの魚の美しい姿、鰭のオレンジをみてその魅力に感じ入ったものだ。改めてまじまじ見てみると、かっこいいフォルムに口ひげを備えているのがちょっと可笑しい。口ひげは一対で、よく見ると先の方は黒っぽい。吻がよく尖り、体全体が菱形を引き伸ばしたような形をしている。モツゴに似て、地域的には混同されているケースもあるけれど、モツゴには口ひげがないし、受け口で、体中央を走る縦線の太さもまるきりちがう。あとは、鱗の剥がれにくさにもちがいがある。

この魚の自然分布は近畿地方より西の西日本だから、濃尾平野出身の私には縁遠い存在だった。そんな本種の姿をはじめて目にしたのは、修学旅行で訪れた、山口は萩の屋敷街だった。萩は美しい町並みが適切に保存され、家々の間を縫うように流れる用水路は美しい。この用水路の水を家の中に引き入れる、その入り口のところで、数匹の小さなムギツクがひらひらと、小雀のように動き回っていた。このときの感動は今でも手に取るように思い出せる。

ここ九州、特に北部九州において本種は里川の普通種だ。それでも、網に入るたびにどこかうれしい気持ちになる。これまでに本種を見つけられたのは流れのある河川中流域、それも石っぽくて河床にすき間の多いようなところや、用水路であってもたいていが川水を直接取り入れているような水系で、流れがあって水が澄み、あちこちにすき間があるようなところだ。淵の底に大きな個体がゆっくりと泳いでいるのを見かけることもあるが、こういう個体は潜って捕るしか方法がなく(しかも昼間はすぐに石のすき間に隠れるから難しい)、たいていは川岸の掘れたようなところだったり、川の中に沈んでいる瓦や雨どいの下から見つかる。石っぽい流れの激しいところでは、見た目には見えないのに投網一投で10匹以上も捕れたりすることがある。可憐な幼魚の時期とは打って変わって、成魚は太くて重量感があり、動きもなんとなく厚かましいかんじがする。肉厚だが、味は特に良いわけではなく、気が向いた時に塩焼きにする程度だ。実際、本種を食べるために狙って捕るような話は聞いたことがなく、小型のものがときたま甘露煮に混じっているくらいで、どちらかというと骨が硬いから取り除かれているような気もする。ちょっと不憫だ。北九州の紫川には「になすい」というすばらしい呼び名がある(北九州自然史友の会水生動物研究部会,2004)

文献

北九州自然史友の会水生動物研究部会.2004.北九州の淡水魚エビ・カニ.北九州市.

ムギツクPungtungia herzi Herzenstein, 1892 繁殖期のメス 福岡県内(タイプ産地:朝鮮民主主義人民共和国碧潼郡)2021年5月20日 記(2023年5月7日改訂)

エツ

福岡を代表する魚は何だろうか、と考えてみたときに、必ず候補に挙がるのがこのエツではないだろうか。独特の扁平な体に、小さな頭と口、対して細長い上顎骨が特徴的だ。長く伸長した胸鰭の軟条も変わっている。エツは日本で唯一の、カタクチイワシ科として遡河回遊型(註1)の生活史をもつ「淡水魚」だ(註2)。エツの親は5月から梅雨頃にかけて、有明海から川を遡って感潮域の上限近くにまでやってきて産卵する。産卵はもっぱら筑後川と佐賀県の六角川で行われ(他にもわずかながらあるようだ)、しかし量的には筑後川が圧倒的に多い。本種の卵や仔魚は塩分が濃すぎると死んでしまう。だから塩気の薄い、幅広い感潮域が欠かせないのだ。今は筑後大堰があるものだから、エツの産卵可能な範囲は往時に比べてごく狭まっている。空梅雨の年など、いくら卵を産んだってかなり死滅してしまうのではないかと心配になる。何年か前にエツの仔稚魚のサンプルを見せてもらって、ついでに写真も撮らせてもらった。ゴミがいっぱい付いていてあまりいい写真ではないけれど、臨場感ということで許してほしい。長さ50mmを超える頃(中段写真の個体)にはもうしっかりエツの形をしているから面白い。ここからもう少し育ったら川を出て、有明海でだいたい2、3年かけて成長する。

さて、このように大きな川、限られた川と有明海にしかいないものだから、(時期になると刺し網で漁獲されたものが手に入るとは言え)このエツを自分で採集することはかなり難しい。これでもカタクチイワシの仲間なのだから、サビキなんかで釣れたりしないのだろうかと思うけれども釣れた話を聞いた例しがない。釣れるとしたら、筑後川で引っ掛けるくらいしかないだろう。今、筑後川で商業的に捕る方法は刺し網だけだが、かつては川に突き出た石積みの脇などに溜まる個体を巨大な投網で捕っていたらしい。実際、この方法は今でも可能で、エツの遡上時期にこのような場所で闇雲に(濁っているので闇雲でしかありえない)投網をすれば入るし、もっと小規模な海とつながりのある小河川にたまたま入ってきている個体が捕れることもある。ただし、根掛かりには要注意で、いちばん水位が低くなる大潮の干潮時に行って、底まわりを先に確認しておく必要がある。

そのほか、棚じぶで捕ってみることも可能だ。棚じぶは大型の固定式四つ手網で、大きな櫓を組んでそこから網を操る。干満の差が5m以上と激しい有明海では、潮の流れに乗って通過する魚を掬いあげることができるのだ。網が大きいものだから、頻繁に何度も上げ下げするのには体力がいる。私はこれで運良く10匹ほどを捕まえることができた。日の出のあとのまだ薄暗い頃、妖しく紫がかった細長い魚が、網の上をスルスルっと泳いでは網中に囚われる。これも一度やったら病みつきになること間違いなしだ。エツは生きているとき、ほんのりと紫色を帯びているが、死んでしばらくすると消えてしまう。これが儚い。

かつてエツは筑後川下流域の人々にとっての、時季の日常魚であったらしい。行商が売りに来るのを買って、糸切り、煮付け、から揚げ、練り物などで食べていた。基本形は今も変わらないが、どちらかというと飲食店の魚になってしまった気がする。うっすらとうまみのある脂気のないイワシだから(味わいは若いタチウオやコノシロに近い)、糸切りが実にうまくて、また細かく骨切りしてから揚げもいい。未経験だけれど、エツの漁を見せながら料理を食べさせるというエツ舟にはいつか乗ってみたい。

(註1)一般に淡水魚と呼ばれる魚の中に、生涯のうちのどこかの期間に海を必要とするモノたちがいる。そのうちのひとつが遡河回遊魚で、海で成長し、川で産卵する魚のことを言う。代表的なものがサケ。

(註2)生活史の分かっている範囲の話なので、たとえば八重山の汽水域に生息するヤエヤマアイノコイワシStolephorus mercuriusも「淡水魚」だったりするのかもしれない。

エツCoilia nasus Temminck and Schlegel, 1846 繁殖期のメス・仔魚 いずれも福岡県内 協力:小宮春水・塚本辰巳・九州大学(タイプ産地:日本)2021年5月24日 記

ヤマノカミ

淡水魚の図鑑をめくると、その主役がサケ科、コイ科、ドジョウ科であることは誰にでも分かる。そもそも、図鑑というものの多くが分類学的な順序によって魚を整列させるせいもあって、これらのグループは図鑑の前の方にあるものだから、よりその印象を強くさせるし、生態写真が豊富なのもやはりサケ科やコイ科になる。「淡水魚」をどう定義するかにもよるけれども、実際のところ、先のエツのように生活のひとときに淡水、ないしは淡水の影響の大きい場所を利用するものを含めると、その種数はかなりのものになり、しかも多数派はサケ目でもコイ目でもなく、スズキ目になる。もちろんハゼの仲間が多いわけで、しかしスズキやギンガメアジ、フエダイ類など、さまざまな魚が淡水を利用している。

ヤマノカミは、そのような淡水魚の図鑑の中では後ろの方に載っている、異端の魚だ。同じような仲間のカジカすらほとんど目にすることのできない中部地方の低地に生まれた私にとって、図鑑のヤマノカミの鮮烈な印象は相当なものであった。異常に縦扁したぺたんこの体つきに、鮮やかな朱色を帯びた鰓もとが美しい。幼少の私は、こんな魚がいったい全体、どんな渓流の中を泳いでいるのだろうと空想したものだ。そりゃあ、カジカを基準に考えてみたらそういう発想になるのも仕方がない。しかし、はじめてこの魚と出会った場所はというと、透明度ゼロのドロドロの用水路だった、ということになる。

ヤマノカミはエツとは逆の降河回遊魚だ。一生のうちの大部分を川の中で過ごすけれども、産卵は海(国内では有明海)で行われる。海で生まれた本種は春、まだ2センチ程度の小さな体ながら、たくましく着実に川を遡ってくる。ヤマノカミの子供を捕まえることは、今のところそこまで難しいことではない。有明海北部の各所、とにかく淡水の流れ出しているところにやってくるから、5月頃にガタ(註)だらけのところに出掛けていって、干潮時に川底の障害物あたりを探ればハゼ類に混じって網に入ってくる。潮が登れるような用水路であれば、モツゴやフナ、アリアケスジシマドジョウに混じって本種が捕れることだってある。カジカ類のもつ清涼なイメージとはかけ離れた環境だ。本種は威嚇のためか、捕まえると鰓蓋を大きく広げることが多いので、鰓蓋(前鰓蓋部) の端にある棘が網地に引っ掛かる。頭は平たくて大きく見えるが、まだまだ華奢そのものだ。これだけ小さくても鰓もとにはほんのわずかに黄色みが差していて、これがあのヤマノカミになるのだ、というかんじがする。

本種を捕まえることが容易いのには、この種の生息範囲がまだそれなりに広いということに加えて、多くの場所で遡上の途中に越えられない障害物、要するに堰堤などがあって、その直下に溜ってしまうことにある。これは決して良いことではなく、このような障害が解消されないことが今後も続けば本種の存続にいっそうの陰りが出てくるだろう。そういうことだから子供は捕れても大きく成長した姿を見られる場所は決して多くはない。

本種は海中のカキ殻やタイラギ殻を産卵の基質に使う。有明海でタイラギが獲れなくなってもう20年にもなり、カキは激しい漁獲圧に見舞われている。豊かな有明海がないとヤマノカミは生きていけないのだ。晩秋から冬にかけて川を下る大きな親魚をこの目で見たいと思いながら、今のところ実現していない。本当に成熟した個体を捕るなら汽水域ということになるけれど、冬の汽水域は寒く、厳しい。

(註)有明海の潟泥のことを「ガタ」と呼ぶ。この「ガタ」は有明海の激しい潮汐に乗って内陸にまで押し寄せてくる。硬くて、つるっとして密度のある不思議な泥だ。

ヤマノカミTrachidermus fasciatus Heckel, 1837 幼魚 いずれも佐賀県内(上下は同サイズの別個体) 協力:岩﨑朝生(タイプ産地:?中華人民共和国)2021年5月30日 記

モツゴ

私にとっての身近な淡水魚とはなにか、と考えてみると、フナ、コイ、ドジョウ、メダカ、モツゴとなる。それぐらい、愛知県西部のクリーク地帯にモツゴという魚は普通種であり、場所によってはかなりの高密度でいるものだから、あまりこの魚の多寡について考えたことがなかった。そもそも愛知県西部では本種はウシモツゴに成り代わったインベーダーであり(註1)、愛着の対象となるものではなかったと思う。見た目のシルエットこそムギツクに似てはいるが、これと言った良さがない。ただし晩春に真っ黒の婚姻色をたたえたもの、頬部のすみれ色には言い知れぬ魅力がある。

モツゴは西日本の広い範囲に分布する普通の小魚で、ここ九州においても全県に分布している。ところが、実は九州では狙って捕るのがやや難しい魚でもあると考えている。濃尾平野には年中水の溜っている排水路がいくらでもあるので、水はたいへんに汚く底には黒々とした汚泥が溜っていても、あるいは三面がコンクリートに覆われていてもそれなりに数がいて、また採集場所の選択肢がいくらでもある。四つ手網に寄せ餌を放り込んで、1キロは大変でも500グラム程度であれば集められる場所も珍しくはない。公園の池にも多い。ところが、九州南部において本種はどちらかと言えば珍しい魚で、それはやはり上記のような環境に乏しいことにあるのだろう。その点、九州北部、特に有明海沿岸域では水路は山のようにあるものだから、どこにでもいる。ただし、どこにでもいながらどこでも数は多くないようなのだ。これはモツゴ以外の魚が多いためなのか、そもそも九州のモツゴの特性なのか、はてまた水利慣行上の理由があって繁殖が妨げられているせいなのか、よく分からない。このような状況なものだから、特に繁殖期の色づいた個体がふとした時、どちらかというと狙っていないような時に捕れてしまい、得てしてそういう時には標本にするような十分な余力がないものだから、なかなか綺麗な写真を押さえるに至っていない。

モツゴは流れのほぼ、あるいは全くない水の濁ったような水路に多くて、どちらかというとあまり環境のよろしくないところによくいる。そのような淡水魚採集としては期待薄の場所で、やはりあまり高くない密度で暮らしているのが網に入る。やっぱりここにはモツゴなのね、という、あまりよろしくない気持ちになる(たいていセットで捕れるのがゲンゴロウブナで、これまたうれしくない)。少なくとも、タナゴ類や縞のあるドジョウのようなうれしさは沸いてこない。あまりすばしっこくもないので、手網で簡単に、手を抜いても捕れる魚だ。大型の個体は投網でも捕れるが、その形のせいか、網目に刺さってしまうことが多くてきれいな状態で捕りづらい。

ところで、九州のモツゴは九州外からの遺伝的攪乱を受けているらしい(鬼倉・渡辺, 2016)(註2)。モツゴは小さいし、コイやフナを水ごと運搬した時に混じってしまうことが多いのかもしれない。私がはじめて九州でモツゴを捕まえたのは柳川の水路のはずだが、網に入ったものを瞬時にモツゴだと判断することができなかった。というのも、なんとなく縦線がはっきりしなくて、頭(背縁)に丸みがあり、各ヒレの先が丸みを帯びていたからだ。モツゴという魚は、近縁のウシモツゴやシナイモツゴに比べてヒレの先が尖っている。では柳川のモツゴは何なのか、と考えてみると、やはり在来系統の気配を残したモツゴなのではないかと思う。九州のモツゴの形態をきちんと調べた人間はまだいないはずだ。

(註1)モツゴが各地に(非意図的に)移植された結果、東海地方ではウシモツゴ、東日本ではシナイモツゴがモツゴに置き換わる事態が起きている。私の知る生息地では釣り大会のために放流されたコイに混じって侵入したと考えられ、かなり昔に置き換わってしまった。ため池の生息地が多く、肉食性外来種による影響も深刻。

(註2)鬼倉徳雄・渡辺勝敏.2016.国内外来種となった絶滅危惧種:その取り扱いと保全をめぐって.魚類学雑誌 63(2).詳細はまだのようで、今後の論文発表に期待したい。

モツゴPseudorasbora parva (Temminck and Schlegel, 1846) 性不明 上:福岡県内 下:宮崎県内 いずれも非繁殖期の雄(タイプ産地:日本)2021年6月7日 記

ニッポンバラタナゴ

淡水魚を追いかけるということは、季節の変化を追いかけるということだと思う。淡水魚には短命なものや、特定の時期にしか見られない婚姻色のような二次性徴、季節移動などがあるから、季節と魚の関係が海の魚よりいっそう深いように思えてくる。ここ福岡に住んで、毎年の春に一度は見ておきたいと思うものがニッポンバラタナゴの婚姻色である。

私の生まれた濃尾平野南部において、タナゴ類と言えばもっぱらタイリクバラタナゴのことを指していた。はじめて採集した時には他の淡水魚には見られない桃色と、体後半部を走る水色の縦線の美しさに感激したものだけれど、本種が大陸からやってきた移入種であるということ、在来のニッポンバラタナゴと交雑しては絶滅リスクの増大に貢献してしまっていることなどを理解するにつれ、その感情は濁ったものへと変わっていってしまった。そして関西、瀬戸内では絶滅寸前となっているこの魚が、九州北部では比較的豊富にいるというものの本の記述をにわかには信じられなかった。

ニッポンバラタナゴの繁殖期はだいたい4月上旬からになる。ヤリタナゴより少し遅れて色がついてくるがもっとも色が濃くなるのはだいたいゴールデンウィークから1月ほどの間だ。本種は流れのゆるやか、あるいは全くないような水路を好む。もちろん風光明媚な場所もあるが、多くの場所は二面を古いコンクリート護岸が覆っていて、見るからに“いい”水路というわけではない。たいていの生息地は水が濁っていて、水面から覗いても本種の姿を捉えることは難しい。水路の中に入って、タモ網を振るってしばらくの末に鮮烈な赤色、よく熟れたスイカのような赤が目に飛び込んでくる。この色がニッポンバラタナゴの色、日本固有の色である。ニッポンバラタナゴの婚姻色は、見慣れたタイリクバラタナゴのそれに比べて赤や朱の成分が強くて、範囲が広いように感じる。

北部九州には純系のニッポンバラタナゴがよく残っていて、福岡県、佐賀県の各所で採集することができる。ただし、タイリクバラタナゴとの交雑化は現在も少しずつ進んでいる。従来全域がニッポンバラタナゴだった遠賀川水系では下流部から交雑が徐々に広がっており、佐賀県でも佐賀平野域でタイリクバラタナゴとの交雑が確認されている(Miyake et al., 2008; Onikura et al., 2013)。分布範囲の広い筑後川・矢部川水系ではこれまでのところ公式には交雑した状況が報告されてはいないはずだが、こちらも時間の問題だろう。まことに残念なことに、タイリクバラタナゴを含むタナゴ類を放流する人間が全国各地におり、ここ九州にもいる。

圃場整備による影響も深刻だ。毎年、ニッポンバラタナゴのいる水路が干し上げられ、コンクリートを入れられているのを目にする。九州にはいい場所がたくさんある。いい場所が多いということは、それだけ失われる機会も多いということだ。この冬にもニッポンバラタナゴの子供がいくらでも捕れる水路がひとつ、改修の憂き目に遭った。農業用水路の役割の主は農業であり、その整備は労働からの解放だ。しかし、少なくとも希少な生物を保護する、ということが法的に決まっている以上、減りすぎてしまった生き物については何らかの法的根拠でもって、人的・金銭的コストをかけて人工繁殖や、域外保全、生息環境復元等々を行うことになる。すでに減少の一途にある生物が分かっている状況下において、このコストを増やすような施策をみだりに続けていくことは果たして十分有益なのだろうか。少なくとも、毎年少しずつ、しかし確実にニッポンバラタナゴと出会う機会は減っている。

文献

三宅琢也ほか. 2008. ミトコンドリアDNAと形態から見た九州地方におけるニッポンバラタナゴの分布の現状.日本水産学会誌, 74(6).

Onikura, N., et al. 2013. Predicting potential hybridization between native and non-native Rhodeus ocellatus subspecies: the implications for conservation of a pure native population in northern Kyushu, Japan. Aquatic Invasions, 8 (2). 

ニッポンバラタナゴRhodeus ocellatus kurumeus Jordan and Thompson, 1914 繫殖期のオス 佐賀県内(タイプ産地:福岡県久留米市筑後川)2021年6月14日 記

オイカワ

小学4年生の頃、はじめてまともな淡水魚の水槽をこしらえた。それまで飼っていた魚と言えば夜店で掬ってきたキンギョだけで、捕まえてきたフナやナマズを一時的にキープしていたことはあっても、きちんとした水槽ではなかったのだ。そのはじめての水槽に入れた魚が、親戚の家の近くの水路で掬ってきた、フナ、ドジョウ、タモロコ、モツゴ、そしてオイカワだった。私の家の周りにはオイカワの棲めるようなところがない。その採集水路も今思えばオイカワにとってはかなり過酷な環境だったが、いずれにせよこの魚を飽きずに眺めては、銀色の中に透けて見える模様に見入っていたものだ。そしてお決まりながら、2匹いたうちの1匹は水槽から飛び出して干物になり、もう1匹は換水の際にエアーポンプの下敷きになって死んでしまった。今も悲しい思い出だ。つまり、婚姻色が出るほど大きくする前に水槽からいなくなってしまったわけだ。その後、オイカワを再び拝んだのは中学生になってからのことで、暑い日の水路でびゅんびゅんと泳ぎ去る雄を汗だくになって追いかけていた。

オイカワと言えば派手な婚姻色の代名詞的存在で、九州にもたくさんいるのがうれしい。濃尾平野のゼロメートル地帯での普通種がモツゴなら、ここ九州北部での普通種は間違いなくこのオイカワということになる。なにかと稀少性でものの言われがちなこの世界で、本種については普通種ながらその美しさを誰もが認められている。スマートな体に青緑と朱色の不規則な縞。大きく伸長した嫋やかで、しかし隆々とした臀びれ、背びれや腹びれのラメ状の光沢。どこをとっても非の打ち所がない。頭部には追星という白い突起物(註1)がよく発達する。

オイカワは川らしい川ならどこにでもいて、水路にもたくさんいる。流水のイメージがある本種だが、不思議と流れのない水路(堀)にもいる。こんな泥しかないところで、一体どうやって卵を産むのだろう、と思うけれども、彼らなりの戦略があるのだろうし、あるいはそういう場所にいるものはもしかしたら無効分散のようなものだったりするのかもしれない。

北部九州の場合、早いところではゴールデンウィーク頃から、水温の低いところでは6月末くらいから繁殖期に入る。この時季になると、川の中の一番良い早瀬の頭に大きな、力の強い雄が陣取って、さらにその下手に2番手、3番手の雄が控えている。姿勢を低くして下流側から近づいて、ずばっと投網を打つ。タイミングが合うとこれでもかというほどに婚姻色を呈した雄が何匹も入る。これは感覚的なものでしかないけれど、一番強い雄が色も明瞭で、弱い雄は色がいくらか淡い。オイカワには強い追星がある。特に眼下の横列はメリケンサックのようで、狭いバケツに他の魚と一緒に入れておくとボロボロにされてしまう。

九州には「ハヤ釣り」の愛好家が多くて、その「ハヤ」とは基本的に本種のことを指す。まどろっこしいことのきらいな私はやることがないけれど、時折付け餌やフライでオイカワを釣る人に出会う。筑後川や矢部川水系では今も漁業対象種である。ただし、夏場の漁業対象種はもっぱらアユであるので、基本的に秋から冬の獲物となっている。この時季獲れる美しい銀白色のオイカワはもっぱら佃煮に加工され、八女や日田など一部の地域では販売されているものを購入できる。もちろんこれもうまいし、素焼きして泥酢をかけたり、ひぼかし(焼き干しのこと)にして二杯酢に浸して食べるのもいい。こちらも北部九州に普遍的な食べ方である。

(註)コイ科には追星の発達する種が多く、他にもカワムツ、タナゴ類、カマツカ(琵琶湖周辺のもの)などで発達する。基本的に雄にしか現れない。追星は皮膚の上にできるから、強く擦れば剥がれてしまうし、繁殖期が終わると次第になくなって跡も残らない。

オイカワZacco platypus (Temminck and Schlegel, 1846) 繁殖期のオス(上)とメス(下) 福岡県内(タイプ産地:日本)2021年6月22日 記 6月29日 一部修正

ムツゴロウ

ムツゴロウは紛れもなく九州を代表する魚のひとつだ。中国や台湾、朝鮮半島にもいて、国内では有明海と八代海に分布する。半水棲のハゼ科魚類で、体のシルエットは普通のハゼとたいして変わらないが、眼はかなり上の方にあって、大きな背びれを備えている。半水棲の本種は特殊な皮膚を持ち、遠目にはツルッとしていそうなものが拡大してみると小さな粒々が体表の全体を覆っているかのように見えてくる。また体と鰭とにある青白色のまだら模様が清純な印象を与える。

さて私が有明海を初めて見たのは、2008年1月のことだ。これは初めて九州を旅した日でもあって、佐賀県は鹿島の酒蔵通りでふな市(註1)を堪能したあと、九州の魚を見ようということになって鹿島の道の駅を訪れた。この道の駅は有明海に面したところにあって、今では小規模な水族館や、生物実験室が併設されている。この時に見た有明海の干潟は、まだ十分に引き潮になってはいなかったものの、想像していた以上に大きく、底泥がさらっとしていたことを思い出す。ムツゴロウは暖かい時期に活動し、寒くなると穴に入って越冬する。したがってこの時ムツゴロウの姿は見られず、ただただ広い干潟を眺めるだけに終わった。

この鹿島の道の駅の前に限らず、暖かい時期であれば有明海の干潟の各所、これは海岸に限られたものではなく、河川でもムツゴロウの姿を見ることができる(ただし岸から少し遠いところにいるので、双眼鏡がないと姿をはっきりと捉えることは難しい)。広い干潟の中に見える本種は、黙々と餌をとるものもあるが、雄については大きな背鰭を立てたり、口を大きく開けたりと忙しく他の雄を威嚇しているので、長く見ていても飽きることはない。見ることは簡単でも、捕まえることはかなり難しい。というのも、ムツゴロウは岸からは手の届かないところにいるうえに、苦労してある程度にまで近寄っても穴に素早く入り込んでしまい、またその穴のところまでどうにかたどり着き、ためしに泥を掘ってみたとしてもなかなか姿が見えない(註2)。同じように干潟にいるトビハゼに比べると採集の難易度ははるかに上だ。冬場であれば、ちょうど越冬中のムツゴロウを泥を掘って簡単に(?)捕まえることができるらしいが、私は冬の干潟が好きではない。そもそも、有明海の干潟にはね板(註3)なしで挑もうということ自体が無謀なのだ。したがって、ムツゴロウは有明海周辺に出かけたときに遠目に眺めるだけの存在、という状態がしばらく続いた。そんな折に、ムツゴロウを採集するチャンスが訪れた。棚じぶだ。

エツの項でも書いたとおり、棚じぶは固定式の巨大な四手網で、干潟の上を潮に乗って行き来する魚を、網の上を通った時に捕まえる方法だ。有明海の水は濁りが強くて、実際には干潟に置いた網の上を通っている生き物の姿を捕捉することはできないから、いくらかの間隔で闇雲に網を上下することになる。ムツゴロウは通常、潮の満ちている時間には穴の中にいて、潮が引いたときのみ穴から出て活動している。ところが、海が荒れたりすると、居心地が悪くなるのだろうか、穴から出て放浪する個体がいる。そういう個体が稀に棚じぶで捕れるのだ。幸運にも私はその稀な機会に見事遭遇した。この広い干潟の中に置かれた、ちりほどに小さい網の上を通ってくれたムツゴロウに感謝したい。ムツゴロウは遠目に見た印象とちがって、あまり体表がぬめっとしていなくて、むしろサラサラしていた。

漁業的にはタカッポという筒状の道具を使って漁獲されるものと、ムツ掛けによるものとが大半。ムツ掛けでは体表に穴が開いてしまうから標本にするには不向きだが、一度はやってみたい方法だ。

(註1)例年1月の初えびすの日、その前日に行われるフナを売る朝市のこと。

(註2)泥を鍬で横から掘りムツゴロウを捕まえる漁法もある。

(註3)押し板とも呼ぶ。いわゆるガタスキーのことだが、この呼び名は漁業者の前で使わない方がいい。

ムツゴロウBoleophthalmus pectinirostris (Linnaeus, 1758) オス 佐賀県内 協力:佐藤真央・鹿島市の方(匿名)(タイプ産地:中華人民共和国)2021年6月28日 記

ハス

今や、ハスの侵入していない地域を探す方が難しいかもしれない。九州では長崎県を除く全県にいて、全国的、秋田県以南の各所に侵入している。ハスという魚がこれほどまでに各地に広がってしまったのは、琵琶湖産のアユの放流によるものだ。

ハスはコイ科の淡水魚で、魚食に特化した魚だ。ときどき日本産コイ科魚類としては唯一の、と説明されるがそれは誤りで、ウグイの仲間やニゴイもよく魚を食べているし、ハスだって魚以外にも水生・陸生昆虫などを食べている。ただし、大きくてへの字に湾曲した口のインパクトは大きく、この魚がたしかに唯一らしい魅力を持っていることは理解できる。コイ科の魚には歯がない(註)から、他の肉食魚のように歯を使って魚に咬みつき、保持することが難しい。このハスは歯のかわりにアゴそのものの形を変化させて、この機能を持たせている。

ハスの繁殖期はほとんどオイカワと重なる。ゴールデンウィークではまだ少し早いが、6月にもなると各所で派手な色をした雄に遭遇する。この時期の雄には追い星がよく発達し、下あごから頬にかけて、ビスを打った鎧のようになる。九州北部ではクリーク環境によく適応していて、特に有明海側に流入する水系ではあちこちのクリークに、時にうんざりするほどハスがいる。クリークはたいてい川から分水したところが一番流れが速くて、先の方に向かうにつれてだんだん流れが遅くなり、(場所によっては)ほとんど止水になっていく。ハスが集まっているのは、その中でもっとも流れの速いところ、分水の直後だったり、あるいは途中にある堰堤の直下になる。このようなところで一番良い場所を取りたい大きな雄が小競り合いをしている。上から見ると体側のエメラルドグリーンと、胸びれ、腹びれ、臀びれの黄色と橙色がよく目立つ。深いところでは投網でないと捕まえることが難しい。クリークの脇を流しながら打つより、ハスの寄る場所の近くに立って、あるいはかがんで、寄ってきたところにここぞと網を打った方が捕りやすい。速い流れのせいで泡立って水面からでは全く魚が見えないような場所に打つのも良い。そういう場所ではどうやら彼らからもこちらの姿は見えていないようだから、捕まえるには都合がいいのだ。浅い場所なら水の中に入って追い込み、反転した個体が自分の方に向かってきては体の真横を通り過ぎるところをさっと網で捕まえるのも楽しい。興奮しきった個体はバケツに入れても暴れ回るばかりで、あっという間に大口を開けて死んでしまう。さながら、止まると死んでしまうマグロのようだ。このような個体もクーラーボックスにビニール袋を入れて水を入れ、壁に直接当たらないようにして暗くしておけばそのうち落ち着く。持って帰って飼うわけでもないのに、なんとなくいると捕まえて眺めたくなる。それがハスという魚だ。実際には国内移入種であるので、そういう理由から捕まえた個体は持ち帰るようにしている。ハスは移入先のクリークでタナゴ類など、あらゆる魚類を食害していることが分かっている(Kurita et al., 2008a, b)

本種は琵琶湖では重要な水産資源(漁獲対象種)で、塩焼き、から揚げ、背ごし、なれずしなどで食べられている。とてもおいしいものだが、ここ九州で捕れるものはいずれの産地のものもあまりうまくない。これはおそらく食べているエサが違うせいで、九州のものは概して痩せている。

(註)コイ科の魚はすべて両顎に歯を持たない。その代わりに咽頭歯というものを喉の奥に発達させて、硬い貝類などでもかみ砕いて食べることができる。

文献

Yoshihisa Kurita et al. 2008a. Analysis of the gut contents of the internal exotic fish species Opsariichthys uncirostris uncirostris in the Futatsugawa River, Kyuhsu Island, Japan. Journal of the Faculty of Agriculture Kyushu University, 53.

Yoshihisa Kurita et al. 2008b. Negative effect of the exotic species, Opsariichthys uncirostris uncirostris on indigenous species   -Report on the feeding habits of an exotic fish introduced by seed release the interior of Japan. 5th WFC Proceedings.

Opsariichthys uncirostris uncirostris (Temminck and Schlegel, 1846) 繫殖期のオス 福岡県内(タイプ産地:日本)2021年7月9日 記

アリアケギバチ

はじめて九州を訪れたとき、いちばん捕まえてみたかった魚が何を隠そうこの魚なのだ。アリアケギバチは九州に固有のナマズ目、ギギ科魚類で、その分布パターンは九州北部に偏る他の多くの固有種・亜種とはかなりちがう。すなわち九州の全県にいて、南限は薩摩半島の付け根あたりになる。

アリアケギバチの見た目は伊勢湾・三河湾集水域に分布するネコギギや、東日本のギバチとよく似ている。本種の特徴としてまず目に付くのが黄色の紋様で、頭部の首輪のような1本に加えて、体に2本の帯状紋がある。この模様はネコギギやギバチとも共通しているが、アリアケギバチではことさら鮮やかでよく目立つ。体が細長いことや、鰭の形にもちがいが見られる。

アリアケギバチが面白いのは、その生息環境の多様さにある。私は本種に、ネコギギと同じようなハビタットを想像していた。ネコギギは浮き石と淵のある中流的な環境を好み、この環境が失われるととたんに数を減らしてしまう、デリケートな魚だ。ところが、アリアケギバチももちろんそのような環境でも見られるけれども、底に泥のたまった、流れのほとんどないような農業用水路にもいて、かなりの山奥まで見られる。多少の溜砂があっても、どうやらある程度の水深や隠れ家が確保されていれば生きていけるように思われる。もっともこれは私の限られた経験に基づく印象論なので、実際には本種にとっての必須条件、このような一見高く見える適応性の理由をはっきりさせておくべきだろう。

本種の安定的な生息水域であれば、その年生まれのような小さな個体を捕まえるのは容易い。泳ぎも速いわけではないし、だいたいが岸際の草の集まったようなところに潜んでいるからだ。このような個体であれば場所を選びさえすれば冬場でも捕れる。ところが、大きなものになると話は別で、大岩の下にずっと潜んでいたりするものだから夜に潜って穴から出ているところへ手網を被せるか、あるいは置き針で捕ることになる。ただし後者ではウナギなどが外道になるから、アリアケギバチのみを狙うならやっぱり潜って被せ捕りだ。これまでで一番大きなものは25センチほどあった。これぐらい大きいものだと、黄色の帯状紋はほとんど目立たない。なお、手のひら程度の個体なら転石や草の中から捕れることも年に数回はある。こんなときはとてもうれしい。

元々、本種は九州北部の筑後川、矢部川、そして鹿児島の川内川に相当な個体数がいたらしい。ところが、近年ではその数を大きく減らしていることが明らかになっている。その原因とみられるのがギギへの置き換わり現象だ。筑後川水系には少なくとも2000年代初頭までにギギが侵入し、今や本種はほとんどの主要な支流に侵入することに成功している。この水系で私が今もアリアケギバチを確認できているのはたったの2支流に過ぎず(註)、現在進行形でギギが急速に分布拡大していると考えていい。矢部川については今のところ大丈夫だけれども、川内川もすでにギギの拡大期に入っていると推測される(古𣘺ほか,2020)。アユの漁師の多い川では魚道の整備がよく進んでいる。だからギギはこの魚道を伝って、上流方向にも簡単に分布を広げてしまうのだ。今は魚道を付ける場所、あるいはどういう形の魚道にするかも、国内外の移入種の事情を考慮しなければならない。

アリアケギバチは概して小さいからか、食習慣に乏しい魚だ。筑後川流域の田主丸では、かつてこの魚を薬として食べていた例がある。味はギギと同系統だろうが、もったいなくてまだ食べられていない。

(註)しょっちゅう出掛けているわけではないので全容は不明だが、本種に比べてギギのいる川、捕れる川は遙かに多い。

文献

古𣘺龍星・中村潤平・是枝伶旺・米沢俊彦・本村浩之.2020.鹿児島県北西部の川内川水系における定着が確認された 国内外来魚 2 種 (ハスとギギ) の標本に基づく記録.Nature of Kagoshima, 46.

Tachysurus aurantiacus (Temminck and Schlegel, 1846) 性不明 鹿児島県内 協力:岩﨑朝生(タイプ産地:日本)2021年8月17日 記

アオギス

アオギスはロマンの魚だ。そのロマンの魚がここ九州にいる。本種は日本ではもっとも大きくなるキスで、鹿児島県以北で普通に見られるシロギスがせいぜい手のひらくらい、全長25センチを超えれば大物という世界なのに対して、アオギスはそもそものアベレージサイズがふた回りほど大きく、最大で40センチを超える超大型の種なのだ。一方で本種の分布域の縮小は実に悲劇的だ。本種は従来、少なくとも東京湾から鹿児島県東シナ海側に至る日本の各地に生息していたことが分かっている(重田,2011)。それが日本の近代化に伴って、各地の生息地がひとつ、またひとつと消滅していったと考えられている。ヤギス(註1)の脚立釣りが季節の風物詩であった東京湾からは1970年代を最後に姿を消し、伊勢湾の生息地も木曽岬干拓が実施された同時期にいなくなった可能性が高い(註2)。生息地の現象は高度経済成長期のあともつづき、今確実に十分な繁殖が行われているのは山口県、福岡県、大分県のごく限られた範囲に過ぎない。アオギスの生息には泥化しすぎない、比較的清浄な干潟の存在が不可欠だ。ちょっとした埋め立てでも本種の生息を脅かすには十分であるし、良質な干潟環境を支える河川の環境(水質、底質の双方だ)もすべてがその存立に関わってくる。山、川、海のすべてに保全上の努力が必要になるという点でも、日本でもっとも絶滅のリアルに近い魚がこのアオギスだと言っていいだろう。

アオギスは青いキスだ。その青さをたしかめたくて、私は暑いある日の早朝から投げ釣りに出掛けることにした。とは言ってもこの魚を狙ったことなどないので、本種の好む環境を調べたうえで、本種が潮に合わせて川の河口に入ってくることをイメージしながら、ちょうど朝方が満潮になる日を選んでチャレンジした。アオギスは餌の豊かな河口干潟でゴカイやアナジャコ、アサリなどを飽食している。もし、私がアオギスなら、河口干潟の中でもこのような餌を得やすい場所に積極的に入り込むはずだ。そうして狙って釣り上げたアオギスは驚くほどに重く、そして体側にはたしかに青水色の輝きをたたえていた。背鰭には明瞭な黒点の模様があって、背面から見ると中央に虎模様があるかのように思えてくる。青いのは体側ばかりではなくて、体のいくつかの部分が青みを帯びている。体はわずかに透明感があって、スゴモロコやデメモロコのようにこの透明感が青を強調する。ただし、これも死ぬと急速に失われてしまい、生時のような清純さは簡単に失われてしまう。

アオギスは各地でキス同様に利用されてきた。福岡・大分では地物のキスの中に本種が稀に混じる。シロギスより味が劣るというのは確実に誤りで、鱗がやや剥がれにくい特徴をもっているものの、塩焼きにするとわずかに川魚を思わせる風味がいい。ただし私自身が食べるのは今回きりで、生涯で本種を二度と食べることはないだろう。いつまでも日本の海の豊かさとともにあって、あこがれとの出会いが長くつづいてほしいと願うばかりだ。

(註1)アオギスの東京湾での呼び名。古い図鑑にはこの名が書かれていることもある。シロギスに比べ神経質だとされる本種を干潟に脚立を立てて釣っていた。

(註2)1980年末までは木曽川で“キス”が釣れたという情報があり、これはアオギスだったのではないかと疑っている。

文献
重田利拓.2011.アオギス:干潟再生のシンボルとして.魚類学雑誌,58.

Sillago parvisquamis (Gill, 1861) メス 福岡県内 協力:安武由矢(タイプ産地:東京湾,横浜近郊)2021年10月13日 記

タビラクチ

九州の干潟というとつい有明海を思い浮かべてしまうけれども、実際には各地に良好な干潟環境が残されている。有明海特産種と言われる干潟の魚の多くが、有明海に多いというだけで、完全な固有種ではない。それはムツゴロウもそうだし、ハゼクチ、ワラスボだってそうだ。ただしこれらは国内では有明海と、隣り合った八代海にしかいない(ワラスボは大村湾からも記録がある)から、九州の外から見ればほとんど有明海だけのものと言っても差し支えない気がする。その点二番手になってくるのがタビラクチ、シロチチブ、ショウキハゼだろう。彼らはもちろん有明海に多い種ではあるけれども、いずれも有明海・八代海のみならず、伊勢湾や瀬戸内海といった九州外の海域に不連続に分布している。ただし多産するのはやはり有明海であり、タビラクチには「げんごろうはぜ」「めくらはぜ」(道津,1961)、ショウキハゼには「とらはぜ」という地方名がある。地方名の存在は、地域の人々との頻繁な出会いを示している。

タビラクチは似たもののない形で、一見ムツゴロウなどに似ている。特に口が下の方にあって吻が突き出しているところや、眼が上の方に突き出ていて、小宇宙のような碧色を湛えているところなどそっくりだ。ただ違うところもあって、体表はツブツブしていなくてぬめっとしているし、唇が側方、水平方向に少し飛び出して、前から見るとパーマンみたいな顔をしている。体には仄かな透明感があって、いくらか弱々しい。また特に意味はないと思うけれども、肛門のところが群青色で、単なる地味な土色の魚ではなく、細部にわたる美しさがあることが分かる。もちろん体側の「―|―|―」をなす独特の斑紋も素晴らしい。

私はこの魚を有明海で捕まえたことがなく、これまですべてが九州であっても瀬戸内海に面した小さな干潟だ。タビラクチは、普通に網で岸辺を探ったり、あるいは岩をひっくり返していても捕れない。彼らのすみかは河口にある泥っぽい干潟の、無数に開いている孔の中だ。胴長を履いて干潟に踏み入れると、ずぶりと一気に膝下まで嵌まる。手に取って擦ってみても少しも砂利っぽさを感じないまとわりつくような軟泥だ。このような場所で泥をシャベルでかき出すか、あるいはヤビーポンプを使って吸い出す。時には踏みつけた圧力で運良く(彼らにとっては運悪く)付近の孔から飛び出してくることがある。動きはとても遅いので、いったん孔から出てきさえすれば捕まえるのは容易い。実際には泥であればなんでもいいというわけではなく、汚染が進み嫌気層が形成されるといなくなってしまうらしい(和歌山県立自然博物館,2022)。道津(1961)によれば脂が多くムツゴロウと同様に蒲焼きにして食べられるというから、次に捕れたら食べてみたい。

文献

道津 喜衛.1961.タビラクチの生態・生活史.長崎大学水産学部研究報告,10

和歌山県立自然博物館.2022.ハゼの部屋.https://www.shizenhaku.wakayama-c.ed.jp/reserch/hirashima/res-hirashima.html(2022年2月8日参照)

Apocryptodon punctatus Tomiyama, 1934 性不明 福岡県内 協力:松重一輝(タイプ産地:有明海奥部)2022年2月8日 記

カワムツ

九州でもっとも繁栄している純淡水魚を一種だけ挙げるとしたら、それは間違いなくこのカワムツになる。九州には筑後平野・佐賀平野という全国有数の平野部があるけれども、海のきわ近くまで急峻な地形が続くところも多い(そもそも日本自体が全体的に見れば山地だ)。川の中を見てみても、博多湾流入河川のように真砂質の緩流域が発達する、あるいは有明海流入河川のように砂泥が堆積するような下流域をもつ河川の方が少なくて、海の近くまで岩や巨礫がごろごろしてて、あるところで急に干潟域に切り替わるような河川が多い。流程の長い大河川でも、さほど分け入れなくてもすぐに中流域に変わる。そんな風なものだから地点数で言えばとにかくカワムツの出現地点は膨大で、九州で川のあるところでまず捕れる魚なのだ。これほどにありふれた魚であるにも関わらず、私はカワムツの納得のいく写真を持っていない。ここに出している写真はやや若い雄だ。カワムツというと朱色の婚姻色の印象が強いが、体側や鰭の黄色が強く、背はわずかに緑みを帯びている。雄の頭部には追い星があるが、メリケンサックのような形をなすオイカワとは違い、カワムツでは丸っこいものがごつごつと、鎧のビスのように並んでいる。

カワムツは川にも、水路にもいて、特に狙ったりしなくても勝手に網に入ってくる。ただし立派に婚姻色の出た大型の雄となると話は別で、大きな川なら釣るのが簡単。水が落ち込んで深くなったようなところの一番前に陣取っているのがその群れの中で一番強い雄だから、これを狙って餌を流す。カワムツにはミミズがいいけれど、私は諸般の事情からアオイソメやこれを使って作る塩イソメを使うことが多い。小さな川や水路なら、堰堤を立てて流れに変化がついているようなところに集まるから、ここを狙ってたも網で挟み打ちにすると捕まえやすい。

カワムツによく似た魚にオイカワがある。九州では、どちらも区別なく「はや」と呼ばれるか、あるいは前者を「やまそばや」「やまぶき」後者を「はや」「しらばら」「あさでばや」などと呼んで区別している。区別する理由は生時の体色の違いだけではない。カワムツはオイカワに比べて、鱗と骨が硬く、炊いて食べるには余分に時間がかかるのだ。加えて甘露煮にしてみるとカワムツは縦帯が邪魔になって仕上がりが黒っぽくなる。だからところによってはオイカワよりも安いし、普通はオイカワを狙って捕り、あくまでカワムツはおまけ、外道扱いなのだ。ただし、これが山奥へ分け入ると様子が変わってくる。カワムツと山奥で共存しているのはオイカワの場合もないわけではないが、基本的にはタカハヤだ。不思議なことに、オイカワ・カワムツエリアでは瀬にオイカワが優占し、カワムツは流れの緩やかになったところや淵に群れている。ところが上流へ出てオイカワがいなくなると、カワムツが全体に優占して、タカハヤは淵の、さらに底の方で日陰暮らしをしている。ともかくこのような山中や、オイカワの分布しない河川で値打ちのある小魚とはカワムツになるのだ。

オイカワが一番うまくなるのは冬だけれども、冬のカワムツはやや痩せて、鱗に張りがないように感じることも少なくない。腹を割ってみるとオイカワにはたっぷりと藻類とフンが詰まっているが、カワムツでは空胃のこともある。カワムツは年中動物性のものを食べていて、それは餌になる水生昆虫などの少なくなる冬場にも変わりはない。しかも、夏の終わりまでだらだらと産卵・繁殖しているものだから、そこから回復しきっていないこともある。したがって、冬は単純に食べるものが足りていない。当然味も悪い。味がよくなるのは繁殖期を控えた春で、特にゴールデンウィークの頃から梅雨入りくらいのものがうまい。小さければ素焼きしたものを油で揚げて、大きなものは塩焼きになる。

Nipponocypris temminckii (Temminck and Schlegel, 1846) 繫殖期初期のオス 福岡県内(タイプ産地:日本)2022年2月12日 記

アリアケスジシマドジョウ

九州には4つのスジシマドジョウがいる。このうち、もっとも分布範囲が広いのがこのアリアケスジシマドジョウだ。基本的には雌雄共に体側に規則的な点列模様を持っている。ただし、繁殖期の5月頃になると全く様相が変わってくる。繁殖期の雄は点列が連続して見事な2本の細い縦条をなし、点列は見られない。また雌でも写真のもののように長円形の斑紋どうしが帯状の模様とつながることで、2本の縦条をなすものがある。ただし雄とは胸びれの骨質板(註1)の有無で見分けられるのはもちろんのこと、雌では腹側に近い方の縦条の幅が太い点で異なっているし、地色もわずかに違う。雄は繁殖を控えて全身に血がみなぎっているのだ。体側がわずかに黄ばむのは雌雄共通だ。

アリアケスジシマドジョウはその名の通り有明海に面した水系に分布していて、その範囲は佐賀県、福岡県、熊本県にまたがっている。ただし、多産地は多くはないような気がしていて、水系によってはかなり危機的な状態だ。基本的に多いのは筑後川水系や嘉瀬川、六角川水系で、他では少ない。おそらくは平地を流れる支流の多寡が効いていて、丘陵地になって流速が大きくなると、たちまち川は中流的な環境、すなわち砂の中に小礫や石が紛れるような環境になってヤマトシマドジョウばかりになる。アリアケスジシマドジョウはどちらかというと泥っぽいところ、あるいは泥そのもののようなところに多く住んでいる。それは川である場合も、水路である場合もあって、このためか確認できる場所は広い。泥っぽい水路とは言っても生活排水の影響が大きくヘドロ臭い場所では駄目で、田園地帯を縫うように走っている水路、しかもいくらか木柵板の崩れて鄙びた雰囲気を醸し出しているところに多い。川の場合は流れのあるところは泥が削れて粗い砂になるので、むしろ流れの複雑さによってたまたま泥が溜っているような、しかし汚くはなっていないような場所を探るとまとまっていることがある。泥であっても動きのない場所にはおらず、むしろこういうところでは泥を嫌って砂地に潜んでいる。

水路改修が進むと、流れが単純になって泥が汚くなったり、底質が失われたり、水路内のでこぼこ、あるいは護岸の綻びを利用して一時的水域(註2)に入り込んで産卵することが難しくなる。これが本種の生存をおびやかす最大の課題であり、毎年のように生息地点が減っていっている。本種に限ったことではないが、面的にいる種もいずれは点となり、最終的には我々の目の前から姿を消すことになる。河川内なら安心ということも当然なくて、浚渫が進むと本種の好む泥っぽい場所や水深に変化のある洲は消えていくことになる。度重なる九州北部での豪雨災害が確実にこのようなリスクを増大させている。

筑後川流域の人々は(地域にもよるだろうが)川(筑後川)にいる「かわどじょう」と、田や溝(水路)にいる「少しちいさいかわどじょう」ないしは「かたびらどじょう」の2種類を認識していた。前者はヤマトシマドジョウであり、後者がアリアケスジシマドジョウだ。彼らはアリアケスジシマドジョウが晩春に田のふちに産卵のために集まることを知っていて、これをショウケ(竹ざる)で捕って卵とじや砂糖醤油で煮て食べていた。卵がうまいらしい。湿田の乾田化が進むにつれてこのような光景は見られなくなり、本種の主要な生息環境から田が消えた。なおこの「かたびらどじょう」は江戸時代からの古名らしいが(中島,2013)、現在の話者はきわめて少ない。

(註1)胸びれの付け根にある骨で、雄のみが持つ。種あるいは種群によって形が異なり、持たない種もある。

(註2)普段は乾燥しているが降雨などで水位が上がると水域になる場所のこと。田んぼは今も一時的水域としての体裁を残しているが、川や水路との連続性が絶たれている場合が多く、魚類の利用できるところは限られている。

文献

中島 淳.2013.筑前国続風土記において貝原益軒が記録した福岡県の淡水魚類.伊豆沼・内沼研究報告,7.

Cobitis kaibarai Nakajima, 2012 繁殖期のオス(上)とメス(下) 福岡県内(タイプ産地:福岡県筑後川水系)2022年2月19日 記

カマツカ

ヘドロばかりだった故郷の水辺にカマツカという魚は珍しい魚だった。この魚はもっぱら木曽川と、木曽川から直接利水を受けるような用水だけにいて、捕れる大きさもせいぜいが小指くらいの大きさのものに限られていた。カマツカは腹部の断面が三角形に近くて、頭も上から見ると三角形。口にはヒゲばかりでなく唇に乳頭状突起が密集していて、きわめて独特な形をしている。 

さてこのカマツカは九州では大人気の魚だ。呼び名は「きっぐろ」(鹿児島)、「じょーとく」(佐賀)、「ぼうじょ」(佐賀)、「らんげそう」(福岡)などと色々あるが(註1)、意外に「かまつか」と呼ばれている範囲が広い。九州の大きな水系であればまず本種のことを利用していたと考えて良い。川や水路で魚を捕っていると、道行く人々に声を掛けられる。その時タナゴ類でもオイカワでもなく、バケツに大きなカマツカが入っていると、特に年配の男性からは興奮気味に昔話をされることが多い。福岡には幼少期に「カマツカ突き」を経験した年配の男性が多くて、その体験範囲は少なくとも紫川、御笠川、筑後川水系、矢部川水系、熊本菊池川水系と広範囲にわたっている。身近にカマツカがいない地域では、わざわざ川の上流まで出掛けていってカマツカ突きをしたらしい。カマツカは昼間は砂の中に潜っていてどこにいるのかよく分からないが、夜になると砂から出てきて姿が露わになるので格段に見つけやすくなる。そこをカンテラや松明を炊いて川に入り、箱眼鏡で覗きながら上からヤスで突くのだ。菊池川出身の野田知佑は冬場に足で砂を探りながらカマツカ突きをしたらしい(野田,2004)。筑後川では刺し網を使って夜に捕る。ただし、度重なる豪雨災害で川が荒れ、ここ数年は網を掛けられていないという。

カマツカが好むのはきれいな砂地で、特に大型のものは河川規模の大きい川の淵底や巨石のまわりに取り付いた砂だまりの中にいることが多い。小さなものは砂さえあればどこにでもいる。しかし捕まえても面白くないので、大きなものを狙いたい。川の荒れた日なら濁った水の中に当てずっぽうに投網を打つと何匹も大型の個体が捕れることがあるし、昼間に水中を泳いでいたら淵の入口でカワムツなどと共に中層を遊泳している姿を見たこともある。ただし、楽しくてかつ手っ取り早いのはやはり夜に潜水して捕まえることだ(註2)。夜のカマツカは必ずしも砂の上にいるとは限らなくて、切り立った岩肌に多数の個体が腰掛けていることもあってびっくりする。岩肌に張り付いて、小さな網で1匹ずつ掬う。

本種の体色はいかにも花崗岩質の真砂というか、白っぽいきれいな、やや粗い砂地にぴったりで、ここに隠れていたら捕食者にも見つかりにくいだろうと思う。ただし、実際には粒径の粗い砂から細かい砂、果てはやや汚い(と言ってもヘドロでは駄目だ)泥地の水路にも数は少ないながら普通に生息していることがある。昨今では河川の洲(砂泥の溜まった浅い陸地)を取り除き、川底を平坦にして単純化させ、水を流しやすくするような工事が相次いでいる。このような場所は全体が砂っぽくなりがちだから、カマツカにとっては安泰なのかもしれない(中島,2007)。ただし大型の個体は少ないか、少なくとも見つけにくいので、食べるために本種を捕まえることを考えたら不都合だ。そもそも、環境の単純化した川では身を隠せるような深場がなく、本種の餌となる生物も少なくなるだろうから、体サイズが小さくなるのも当然ではないだろうか。

カマツカは九州各地で刺身、塩焼き、甘露煮になっている。ただし購入できるのは運良く道の駅などに並んだ甘露煮のみであり、他は自家消費の一環でしかないから挑戦するには自分で捕まえる必要がある。

(註1)カマツカの全国の地方名についてはオイカワ丸氏が自身のブログ『湿地帯中毒』にまとめられている。呼び名の種類が多いのは本種が比較的大きく見つかりやすいこと、流通性の低い魚であること、習性に因んだ名と形に因んだ名のいずれもが存在することによるもので、必ずしも人気があるためとは言えない。しかし、本文で触れたとおり少なくとも九州では人気の魚である。https://oikawamaru.hatenablog.com/entry/2019/04/27/092923

(註2)県によっては禁止されているので注意されたい。

文献

野田知佑.2004.少年記.文藝春秋.

中島 淳.2007.カマツカPseudogobio esocinus esocinusの自然史.学位論文.

Pseudogobio esocinus (Temminck and Schlegel, 1846) おそらくオス 福岡県内(タイプ産地:日本)2022年2月28日 記(3月2日修正)

イチモンジタナゴ

タナゴ類は日本産淡水魚類を代表する一群で、その理由はもちろん雄の美麗な婚姻色にある。淡水魚の愛好家であれば一度はこの婚姻色に心奪われた経験を持っているだろうし、タナゴ釣りを専門に行うようなマニアも多い。九州北部は日本有数の在来タナゴ類の宝庫であって、在来のタナゴ類が6種分布する。しかも、ところによってはこのうちの5ないし6種、つまり全種が揃ってみられるような一帯も存在する。もちろん全種が完全に同所的に出現するということはなくて、それぞれの種が微妙なハビタットのちがいを使い分けているように思える。

そんな九州北部にも、残念なことに2種のタナゴ類が外来種として侵入、定着してしまっている。このうちの1種がタイリクバラタナゴであり、もう1種が今回取り上げるイチモンジタナゴだ。イチモンジタナゴは元来濃尾平野から近畿地方の限られた範囲に分布する魚だが、九州では緑川水系と那珂川水系に定着している。はじめて緑川水系の用水路を訪ねた時、透明な水底にでヒラを打つ(註)小さなタナゴ類がたくさんいるのに感激し、捕まえてみたらすべてがイチモンジタナゴであったときの驚きがまだ記憶に新しい。

本種の好む環境はゆるやかに流れる水路の、壁沿いに穴の開いた木柵などの障害物が豊富にあるようなところのようで、場所によっては黒い塊になって過ごしている。幼魚・若魚はともかく、繁殖期の雌雄を捕まえるとなるとこのような場所にたも網や投網はなかなか通用せず、やはり釣ってみるのが一番、ということになるのだろう。そうは言っても私はタナゴ釣りは不得手で、針の穴に糸を通すかのごとく釣り上げていただいたものを標本用に分けていただいた。本種の婚姻色が最高潮に達するのは九州ではゴールデンウイークから5月いっぱいくらいだと思う。この魚、釣り上げる瞬間、つまり水から出たその時から退色が始まるため、色を残して標本にすることはきわめて困難だ。

日本全国に多様なタナゴ類がいる。この多様に内包されるものは、必ずしも種や亜種といった分類学的単位だけを意図しない。広域分布種のヤリタナゴやアブラボテに地域的な色彩変異がみられることは愛好家にはよく知られた事実だが、我々の目には見えないような地域の歴史が遺伝的に保存され、受け継がれ、また日々変化している。このような繊細な自然の構造を破壊に導く外来種の放流は決してすべきではなく、それはタナゴだけではない色々な魚に言えることだ。自然分布地での減少が顕著なイチモンジタナゴについては、生息域外集団としての保全上の価値も論じられている(鬼倉・渡辺,2016)。しかしそれがただちに在来のタナゴ類を押しのけている免罪符にはなるわけではない。

全くの余談ながら、本種は食べてもあまりうまくない魚で、自然分布地の三方湖でも味の良いヤリタナゴ(現地ではアブラボテと呼ぶ)だけを食べ、本種は取り除いていたらしい。彦根では色が鮮やかすぎるので、気持ち悪くて捨てていたという話も拾っている。今の時代からすればぜいたくな話で、いずれの場所でも、イチモンジタナゴはほとんど、あるいはまったくみられなくなっている。

(註)小魚が体を横倒しにする動作を指して俗にこのように言う。一般には餌をついばむときや体を水底にこすり付けるときに生じる体勢で、底の方でキラキラと日の光を反射させる。

文献

鬼倉徳雄・渡辺勝敏.2016.国内外来種となった絶滅危惧種:その取り扱いと保全をめぐって魚類学雑誌,63.

Acheilognathus cyanostigma Jordan and Fowler, 1903 繫殖期のオス 熊本県内 協力:セボシックス(twitter: @seboshi_6/@seboshi_6_zakki)(タイプ産地:琵琶湖,松原近郊2022年5月20日 記

イシドジョウ

東海地方出身の私にとって、イシドジョウという魚は一切の馴染みのない生き物で、実際本種の分布は九州北部、福岡県の一部と中国地方の西側に限られている。一般に川の上・中流域にいるので、近畿から東海地方にかけて分布するアジメドジョウとよく比較されるが、アジメドジョウでは最大で全長10cmを超えるのに対し、イシドジョウではせいぜい7cmくらいにしかならない。またアジメドジョウは河川伏流水での越冬中に産卵するが、イシドジョウでは越冬を終えた後に産卵する。だから春には卵巣が発達し、薄桃色?を帯びた個体が捕れる。体は通常のシマドジョウ類に比べて細いうえに薄っぺらくて、いくらか透明感があって弱弱しい。小さくて目立ちにくい魚であるためか、固有の呼び名は聞き及んでいない(註)。北九州では単に「かわどじょう」「しまどじょう」と呼ばれており、これはヤマトシマドジョウと共通の名(混称)となっている。小さいうえに集めづらいので食べていた話も聞いていない。これは九州の外でも同様のようで、本種のタイプ産地で、水野信彦氏による発見の地となった島根県高津川水系では存在すら認知されていなかったことが水野(1975)で述懐されている。

イシドジョウは通常冬季の採集が困難で、狙ってみるなら水温の上がる4月以降が望ましい。冬場は河床の伏流水の中に潜ってしまうようで、掘っても掘っても出てこない。本種は明確に礫(正確にはその間隙)に依存していて、本州のニシシマドジョウが好むようなサラサラの砂や、あるいは多くのスジシマドジョウ類の見られる砂泥環境にはまずいない。言ってみればカワヨシノボリの好むような小礫を粗く敷き詰めたようなところにいて、瀬でも淵でも構わないがこの選好性から流れのある瀬や崩れやすい淵頭でまとまって捕れることが多い。裏を返せば、このような環境がなければ本種の生息には不向きだということになる。慣れてくると、川を歩くだけで本種がどのあたりに潜り込んでいるか分かるようになり、きわめて短時間で見つけられるようになる。すき間に潜ってばかりではいないで、天気のよい日に巨大な岩盤の上に何匹も群れているのを見たこともある。こういう個体は目の細かい小さな網を被せて捕まえることもできる。

今や日本中の河川が河床の固定化や間隙の喪失に苦しんでいる。本種もその影響を大きく受けているはずだが、一方で近年の洪水対策の一環として行われている河床掘削や堰堤の撤去といった改変によって副産物として良好な礫環境が生まれ、本種の増えているらしい川もある。ただし、ジェットコースターのようにすばやく流れるようになった川の行き着く先は環境の単純化、河床の岩盤化であり、本種の増加を手放しに喜ぶことはできない。上流にダムなどがあって新たな供給が見込めない場合、いずれは河床材料となる砂や礫が押し流されていき、底生魚類が住まうことが難しくなっていくことが危惧される。ゆったりと流れるところとすばやく流れるところという、二つの要素が複雑に作用しあうことが多様な生物を育むのであって、特定の一種だけが増えているというのは何か妙なことが起きているサインかもしれない

(註)イシドジョウをはじめて見出したのは広島県の小学校教員広瀬繁登氏で、「ほほすじどじょう」の名は彼によって名付けられたもののようだ(水野,1975;内藤,1983)。経緯を踏まえるとこれは地方名とは言い難いが、彼は地域の子供たちにこの名を教えていたということなのである程度の慣用性を持っていたのかもしれない。たしかに本種にはシマドジョウ属共通の眼を通る斜線に加えて、もう一本頬部にも斜線がある。つぶさな観察を通して生まれた名だ。

文献

水野信彦.1975.イシドジョウのこと.淡水魚,(1).
内藤順一.1983.地域の自然の教材化をめざして-広島県のイシドジョウ「人間と自然」の指導資料として.生物研究,22.

Cobitis takatsuensis Mizuno, 1970 性不明 福岡県内(タイプ産地:島根県高津川水系)2023年5月4日 記(匿名の情報提供を受け、2023年5月7日に改訂)

コノシロ

コノシロのことを淡水魚だと思っている人はあまりいないだろう。ただ汽水域での採集に慣れてくると本種は決して稀な“川魚”ではないことが分かってくる。私が初めて本種の姿を見たのは、木曽川でのハゼ釣りの只中のことだった。上げ潮の川で、コンクリートの面を集団でついばんでいる平たい魚がいる、それがコノシロだった。

九州の川には春から秋にかけて前年産まれくらいのものがたびたび侵入してくる。特に秋口には黒い団子のようになった群れに出会うこともあるくらい、玄界灘や有明海に注ぐ川ではありふれた魚となる。有明海北部ではつねに水が濁っていてたまたま捕れる魚というイメージがあるが、比較的水の澄んだ川にも入るのでいるところを見つけさえすれば、投網を打ってまとめて捕まえることも容易い。ただしこれを捕まえることに意味があるかというとそれは微妙で、この魚、体ににおいのたいへんつきやすい性質なもので、その繊細さはボラなどよりも上だ。したがって、食べるために川で採ることはあまりお勧めできない。ただ、潮汐の大きい筑後川で捕れたものはこの限りではなかった。

コノシロの特徴は大きく伸びる背びれ軟条や背側面の規則的な黒点列だろうが、魅力はというとなんといっても美しい金属光沢だ。銀白色のうちに跳ね返る色彩は仄かに紫、桃色、あるいは虹色を帯びていて、ニシン科の中でも特に際立っている。この光沢は鱗の一枚一枚に彩色されているがこの鱗は容易に剥がれ落ちるため鱗の揃った標本を得るのは難しい。小型の個体では、眼前に半透明の部分があることが面白い。

北部九州では伝統的に中型から大型の個体を塩焼きや、刺し身(小骨ごと糸切りにしたもの)、またその揚げ物などで食べてきた。身持ちもよく縁起もよいコノシロはたびたび姿寿司になるが、有明海、八代海、また山間にまでこの寿司の文化は広がり、特に球磨川流域では熟れる姿寿司(ねまりずし)があり、これは乳酸発酵の寿司としては最南端にあたるものかもしれない。かつて博多湾ではコノシロを専門に狙うコノシロ旋刺し網が盛んだったが、往時に比べると人気は落ち込んでいるとはいえ、今も魚屋で丸や糸切りを目にする機会はそこそこ多い。基本的にはコハダを脱した大きさのものばかりだ。

九州は小さいものを食べる文化とは本来無関係の土地ながら、実際には7月に入ると有明海では親指にも満たない大きさのシンコの投網漁が始まる。今や江戸前寿司におけるシンコは大半が有明海からやってくる。有明海西部の一部地域では小型のコノシロを「ちくじ」と呼んでいる。これは言ってみれば「築地」の“鎮西読み”だ。有明海で採れるシンコ・コハダはすべて現地の市場を経由しないで、空を飛んで東京に向かう。6月頃に棚じぶをすると産卵を終えてガリガリになった親魚と、かろうじてニシン科だと判別できるような稚魚が一緒に採れる。これがあっという間に成長して、7月から漁の対象となり、9月には(狭義のシンコは)全く捕れなくなる。間違いなく、有明海でもっとも高値を付けている魚だ。コノシロは甘い水(註)を好む。川と海とのつながりが、この魚の食文化を支えている。いつか、鱗の剝がれやすいシンコの美しい写真も撮ってみたい。

(註)海水と淡水が入り混じり、塩分が低くなったもののことをこのように呼ぶ。

Konosirus punctatus (Temminck and Schlegel, 1846) 若魚 福岡県内(河川産)(タイプ産地:日本)2023年5月11日 記

カゼトゲタナゴ

九州で随一の人気を誇る淡水魚は何を置いてもこのカゼトゲタナゴだろう。九州には6種のタナゴ類が(自然)分布するが、このうちここだけに分布するのはカゼトゲタナゴとセボシタビラに限られる。後者は現状福岡と熊本の一部水系、その中のごく限られた範囲でしか見られないのに対して、前者の分布範囲は広い。熊本県南部を南限として、福岡、大分、佐賀、長崎(壱岐)で見られる。残念ながら各地に放流された個体が定着している。この放流行為は九州の中だけにとどまらず、近縁別亜種(註)であるスイゲンゼニタナゴの棲息水系(山陽地方)にまで及んでいるというから恐ろしい(Miyake et al., 2011;田中・富永,2022)

カゼトゲタナゴの魅力は、小さな体いっぱいに現れる生命力そのものだ。春になると水の清らかな水路端に、なわばりを主張する本種の姿が目に留まる。背びれと臀びれだけでなく、まるで口紅を差したかのように上唇が濃い朱色に染まる。胸から腹部にかけて黒いタイを締め、特徴的な青色の縦線の、背側に沿った部分にも朱が浮かんでくる。もっとも、本種は非繁殖期においても青く太い縦線が鮮やかで、体側の鱗に現れる黒い縁取りによって作り出された網目模様のコンラストと相まって、他のタナゴとは異なる美しさを演出している。

カゼトゲタナゴが暮らしている環境には、人間活動との近さを感じる。流速の早い大河川の中流部や流水のはげしい幹線水路で見かけることはあまりなく、そこからさらに分枝した小水路であったり、いくらか流速が遅くなるところ、木柵の下手とか、幾段もの取水堰によってできる淀み、水田とフラットで、米作のため一時的には湛水に伴い全く流れがなくなるが、時期が過ぎると流水環境を回復するようなところ、河川であっても川の相に変化があって、水の動きの穏やかな箇所が残されている区画。水深のかなり浅い場所でも見られるうえに動きもさほど俊敏ではないので採集は容易いし、先述のように水の流れを追っていると「目に留まる」わけだ。生き物たちの溢れる鄙びた水路に本種が舞う景色は心を濯いでくれる。

さて同属のニッポンバラタナゴよりは流れのあるところが好きそうだが、それでも水を流すという行為の単調化とは相性の悪そうな場所に彼らの姿を多く認めることができる。つまり、昨今の「早く水を流してしまう」ための一連の施策は、確実に本種の減少に加担しているように見受けられる。実際に、私がはじめてカゼトゲタナゴと出会った場所ではすでに絶滅してしまっているし、狭い範囲内での絶滅が続いている。水辺を訪ね歩く限り、面でいたものが次第に点となり、その点が着実にひとつ、ふたつと灯を絶やしていく光景を、嫌でも目にすることになる。人気種であるとともに北部九州の長閑な水田地帯の代表種でもあった本種を手軽に見ることは年々難しくなっている。すでに博多湾(今津湾を含む)流入河川ではほぼ見られなくなり、北九州の紫川水系では全く姿が見られなくなった。紫川水系は早くに良好な水路環境を失っており、本流部については堰堤の撤去や浚渫に伴う速流化が著しい。タナゴ類の宿命である二枚貝類の減少にも目を配る必要がある。

筑後川・矢部川水系は九州の中でもタナゴ類を食用としてきた地域だが、本種についてはニッポンバラタナゴと共に、ヤリタナゴなどと比べ小さく、また泥臭いために食用とはなってこなかった(日比野ほか,2021)。ニッポンバラタナゴとたびたび混棲する一方、ニッポンバラタナゴのような鮮烈な婚姻色を呈さないために他のタナゴ類の子供、あるいは雌個体だと認識されている例もあった。特に固有の呼び名もなく、他のタナゴ類と合わせて「しびんた」「べんじゃこ」などと呼ばれている。

文献

Miyake, T., J. Nakajima, N. Onikura, S. Ikemoto, K. Iguchi, A. Komaru and K. Kawamura. 2011. The genetic status of two subspecies of Rhodeus atremius, an endangered bitterling in Japan. Conservation Genetics

田中康就・富永浩史.2022.兵庫県千種川水系における国内外来種カゼトゲタナゴの記録.魚類学雑誌,69 (2).

日比野友亮・金尾滋史・萩原富司.2021.絶滅に瀕するタナゴ文化:特に食文化に関する素描.魚類自然史研究会会報「ボテジャコ」,25.

(註)カゼトゲタナゴの分類と学名については諸議論があるが、ここではRhodeus atremius atremiusを採用した。今後適切な分類学的解決を望む。

Rhodeus atremius atremius (Jordan and Thompson, 1914) 繫殖期のオス 福岡県内 協力:岩﨑生(タイプ産地:福岡県久留米市筑後川2023年5月16日 記

ゼゼラ

ある日、水のきれいな、暗がりの水路を橋の上から眺めていると、白い鰭がふわり、ふわりと中層を舞っていることに気が付いた。もしかして、セボシタビラだろうか?しばらく眺めてみていてもたってもいられなくなり、そっと中に入って網を構えた。近づいてみるとなんのことはない、それはゼゼラの雄だった。

ゼゼラは底生性の小さな淡水魚で、普段は砂泥底に着地して暮らしている。ところが、繁殖期を迎える頃になると様子が変わってくる。雄は中層を時にせわしなく泳ぎ回るようになり、なわばりを強く主張するようになる。平時は目立たない砂色をしているゼゼラも、雄は体がモツゴのように黒みを帯び、さらに腹びれ、臀びれといったひれの先がはっきりと白くなる。単純な白ではなくて、青みのラメが散りばめられている。これが中層を泳ぐとタナゴ類が舞うように見えるわけだ。しかしよく見るとゼゼラの動きはタナゴ類のそれと比べると小刻みで若干ぎこちなく、それは普段の遊泳に慣れていないゆえかもしれない。

このようなゼゼラのさまが見られるところというのは、流れがゆるやかで、底が砂泥質で、たいてい水の中にヨシやマコモなどがもっさり生えている。彼らはこれらの植物に卵を産み付けるので、単に水があればいいというわけではない。さらに繁殖地となるには先のような植物の存在に加えてある程度の水深も必要そうだ。ちなみに、産み付ける対象は水中に落ちた陸上植物の塊のようなものでもいいらしい(川瀬ほか,2010)。私が先の行動を見かけた小水路では毎年春になるとたくさんのゼゼラが集まる様が観察できたが、それも水際の改修によって全く見られなくなった。卵を産み付ける対象がなくなってしまったからだろう。

ゼゼラの産卵にとって良好な環境は年々失われている。とは言え、今のところ数採りするでもない限り本種との出会いはそこまで難しくはなっていない。有明海に注ぐ各水系の砂混じりの水路を巡れば時たま網に入ってくる。特に魅力を感じない、無機質的な水路でも底面が護岸されていなければ本種を見つける機会がある。ただ、先のような繁殖行動を上から見られるような場所は極端に少なくなっていると考えていいだろう。得てして本種の見つかる残存地というのは水路の辻やその付近であることが多い。そこでは流れの速いメインの導水路と、流れの遅い分水路が交差し、適度に緩やかな流れが生まれている。その境目を彼らは巧みに利用しているように思われる。しかしどの水路も構造が単純化し、底面がコンクリートで覆われていく一方ではいつまで本種の姿を見られるか分かったものではない。だいいち、「どこでもいる」気がしていても、実は限られた繫殖地でかろうじて命をつないだものたちが成長期に分散していて、それらがたまたま見られるだけ、という可能性だってある。

網に擦れるとすぐに弱ってしまうので、投網で採ったものはすぐにバケツに放っても腹を上に向けてしまうことが多く、そのたび申し訳ない気持ちになる。味はよいので佃煮にするがわずかにしか採れないものを食べるというのもどうかと思う。手網で丁寧に掬ったものは元気だが、元より寿命の短い魚で飼育には向いていない。捕まえたときにはコントラストのはっきりしている婚姻色も、瞬く間に抜けていき銀と茶色とに変化していく。この魚の黒い化粧を標本として撮影するのは至難の業だ。

ゼゼラは元から北部九州にも自然分布していた種だが、実際には他の集団の侵入によってほぼすべての場所で交雑化している(堀川ほか,2007)

文献

川瀬成吾・乾 隆帝・鬼倉徳雄・細谷和海.2010.ゼゼラの繁殖生態に関する知見.魚類学雑誌,58 (2).

堀川まりな・中島 淳・向井貴彦.2007.九州北部のゼゼラにおける在来および非在来ミトコンドリアDNAハプロタイプの分布.魚類学雑誌,54.

Biwia zezera (Ishikawa, 1895) 繫殖期のオス 佐賀県内(タイプ産地:琵琶湖)2023年5月24日 記

アリアケシラウオ

九州特産と言われる種の中で、もっとも出会うことの難しいものは何だろう、と考えてみるとそのうちのひとつは間違いなくアリアケシラウオになる。アリアケシラウオは少なくとも中国から日本にかけて分布する種で、太湖三白のひとつに数えられる中国は太湖の特産種、オオシラウオProtosalanx chinensisに次いで大型になる。大型と言えどもシラウオ科の魚には間違いないので1年で生活史を完結する年魚だ。

日本国内で本種が認められるのは有明海とその流入河川の一部に限られている。本種の確実な産卵が知られているのは筑後川だけで、その生殺与奪をほとんど、筑後川の環境に左右されていると言っても過言ではない。本種は9月から12月にかけて筑後川に入って産卵し、孵化した仔魚は有明海へと流下して成長期を過ごすとされる。仔魚から稚魚は有明海の湾奥一帯で出現するものの、筑後川の河口から、西に向かうにつれて成長したものが採れていて、孵化からまもない前期仔魚は筑後川河口付近でしか採集されないらしい(東島ほか,2019)。有明海には反時計回りに流れる潮流があるので、このことは本種の再生産が筑後川のあたりに依存していることを状況証拠的に示している。

さて私は九州にやってきてから毎年のように筑後川へ通ってきた。それはもちろん、この魚を手にするためだ。11月から12月になると過去にアリアケシラウオの産卵親魚が採れているあたりに出かけて、魚の見えない濁った水めがけて投網を何十発と打ち続ける。しかし来る年も、また来る年も採れるのはアリアケヒメシラウオばかりで、アリアケシラウオに出会うことはできなかった。奇しくも、棚じぶでの偶然の採集が本種との初めての出会いとなった。棚じぶで採れる「とんさんいぉ」(アリアケシラウオの現地での呼び名)はまだ小さくて、大きめのシラウオくらいだった。

アリアケシラウオは、まったく予想もしないタイミングで目の前に現れた。初夏のある夜、この日は筑後川の水が不思議といつもよりも澄んでいて、濁りが薄いために水中のフナやナマズ、エツがうっすらながら見えるような状態だった。漂うクルメサヨリを探して水面を照らしていると、ダツの子のようなシルエットで、不審な動きをする魚がいる。ダツ(オキザヨリなど)の子は臀びれや尾びれが黒っぽくて、これをひらひらさせながら泳ぐので遠目にもよく目立つのだ。しかしこんな川の上流にダツの子がいるわけもなく、近づいてくる魚の尾はたしかに黒いが、体は完全に透き通っている。手元の網を進行方向にそっと差し入れると、網の中に現れたのが夢にまで見たアリアケシラウオだった。腹を切ってみると生殖腺(卵巣)が発達しつつあるメスで、つまりかなり早い時期から筑後川の、しかもかなり上流にやってきているものがいることが分かった(日比野・小林,2023)

筑後川の感潮域は筑後大堰が完成した1985年以降、大きく変容してきた。特に顕著なのが砂の減少で、今も砂質の川底が残っているのは大堰の直下と、河口の流心部だけで、残りは潮の上下によって運ばれてきたガタ土に変わっている。大堰建設前、感潮域全体で漁獲できたヤマトシジミは、その河口の流心部だけに漁場を残している。アリアケシラウオはかつて有明海にとって重要な水産資源のひとつで、本種を専門に狙うシゲ網(手押し網)という潮受け漁もあった。シラウオ科の種は砂質の水底に卵を産むので、筑後川感潮域の変化が、本種の激減を引き起こしたと考えて問題ないだろう。もしかすると、川の中に僅かに残った砂を求めて、上流にまでやってきているのかもしれない。本種の減少が始まったのは1980年代だ。

文献

東島昌太郎・木下 泉・広田祐一.2019.アリアケシラウオはどこで産卵するのか?.La mer,57.

日比野友亮・小林大純.2023.夏季に筑後川感潮域上部から得られたアリアケシラウオ(キュウリウオ目シラウオ科)の成長後期個体.Bull. Kitakyushu Mus. Nat. Hist. Hum. Hist. Ser. A, 21.

Salanx ariakensis Kishinouye, 1902 メス(腹面と背面は同一個体) 福岡県内(タイプ産地:有明海2023年613日 記

アマゴ

ここ九州においてアマゴとは稀有な存在で、釣ることができるのはすべてアマゴという、愛知県の山とは対照的だ。私が幼少期に初めて行った岐阜県の渓流で釣ったのもやはりアマゴで、一方のヤマメにはあまり馴染みがない。多少茂みのあるような岩がちの沢沿いを歩いて、小さなイクラ(これは共食いだと思ったものだ)を二つばかり鈎に刺して、水深に変化のあるチャラ瀬や小さな淵が連続するようなところを何度か流す。そうするとくくっと引っ張られる感触ののちにアマゴが水面を割って出る。これが大きな個体になると次第に警戒心が増して、一気に釣りづらくなる。川に潜って掴み取ることもなかなか難しくて、大きな岩の下の隙間に入っているものを岩肌に押し付けるようにして捕まえるより他ない。複雑な地形を自在に泳ぎ去る本種を、普通の魚のように網で掬い採るようなことはまず不可能だ。水面から飛び出したアマゴの鰭は美しい朱色から桃色をたたえていて、このように美しい魚が奥山に隠れていることを思うとまさしく宝石のように思われる。

我が国にはアマゴとヤマメという、対になる渓流魚がいる。アマゴは体に小さな朱点がちりばめられているが、ヤマメではこれがない。しかも、分布の境界線が綺麗に引けるので、朱点をもち、神奈川県酒匂川から大分県大野川にかけてに分布するものをアマゴ、朱点をもたず、酒匂川より北の太平洋岸、日本海岸に注ぐ川、そして九州の大部分に分布するものがヤマメとされてきた。ただし、地方名についてみてみると「あまご」「あめご」「やまめ」「やまべ」「えのは」など数多のものがあり、例えば岐阜県北部や京都府北部ではヤマメに対して「あまご」の呼称が長らく使われてきたのでややこしい。しかも、近年の研究によれば従来からのアマゴとヤマメを含むグループはこれらふたつの種もしくは亜種などとして認識することは系統的に見て不適当に見えるものでもあるらしい(岩槻ほか,2020)。少なくとも今のところは朱点の有無で区別されるアマゴ/ヤマメを認識しつつ、河川ごとの在来の系統をかき乱さない、つまりはそこにいる系統を守ることに集中して、無暗な放流行為を行わないことが大切だ。

さてここで改めて九州に視点を戻してみると、アマゴは九州におけるマイノリティであることが分かる。アマゴの分布は福岡県から大分県にかけ、瀬戸内海に注ぐいくつかの川と、福岡県と大分県の県境付近の筑後川水系の一部の山深い川に限定されていて、その他の河川はすべてヤマメだ。九州には広い範囲で慣用されている「えのは」という地方名があるが、これは概ねヤマメのことを指すと言っても過言ではない。写真のものは福岡県の許可を得たうえで、生息状況を調べた際に採集されたものだ。この川では今のところ絶滅するような状況にはないが、山奥にくらすアマゴたちは土砂崩れなどにより壊滅的な影響を受けることがあるので、注意を続けることが重要になる。近年は秋季が少雨になる傾向にあり、これが本種の産卵に与える影響を懸念している。

アマゴやヤマメの体側にはパーマークと呼ばれる小判型からほぼ円形の模様がある(特にこの川のものは正円に近いように思える)。この模様は標本にする際に地色が黒ずむなどして見えづらくなることが多く、生きた色彩を残すことの難しい、標本作成者泣かせの魚だ。いったん冷凍して解凍するとこの模様をくっきりと残すことができるが、それではいかにも「冷凍した死んだ魚」のようになってしまう。ここではとっておきの方法で生きた色彩を残すことができている。ヒミツの技を教えてくれた某氏に心から感謝したい。

文献

岩槻幸雄 ・田中文也 ・稻野俊直 ・関 伸吾 ・川嶋尚正.2020.サクラマス類似種群 4 亜種における Cytochrome b 全域(1141 bp)解析による 6 つの遺伝グループの生物学的特性と地理的遺伝系統(Iwatsuki et al., 2019 の解説). Nature of Kagoshima, 47: 5-16.

Oncorhynchus masou ishikawae Jordan and McGregor, 1925 若魚 福岡県内 協力:中島 淳2023年11月11日 記

ビリンゴ

福岡県にとってのご当地魚と言えばチクゼンハゼ、クルメサヨリ、ニッポンバラタナゴ(Rhodeus ocellatus kurumeus)であり、それはその名(標準和名または学名)に当地の名を冠しているからに他ならない。ただしビリンゴもまた、隠れた福岡県のご当地魚だと言える。なぜなら、ビリンゴなる標準和名は博多における本種の呼び名から採られたものだからだ。ただし、この名自体は単に小さい生き物、という意味合いでしかなく、実際に博多で本種のみを特定して「びりんご」が使われていたとは思えない。おそらくは人目に付きやすい港湾部や河口域の岸壁でぴょこぴょこと中層を泳ぐ本種の姿を見て「びりんご」と言ったものだろうし、例えばこの中に他のハゼ類、あるいはハゼですらない小魚が混在していたとしても不思議ではない(註)。ビリンゴは琉球列島を除く日本各地の沿岸から汽水域にいて、ウキゴリ、スミウキゴリに次ぐ普通種だ。ビリンゴの生活史は道津喜衛によって福岡市近郊で詳細に調べられている(道津,1954)。産卵は春、アナジャコ類の巣内に行われ、生まれた仔魚はしばらくの海中生活ののちに汽水域に加入してくる。初夏には潮止堰堤の直下などに集まるので、博多湾に流入する河川ではこれを四手網で集めて食べたりもしていたらしい。ただし、折しもの沿岸域、内湾域の埋め立てや河口の浚渫が進む昨今では、本種は広く薄くいる普通種でしかなく、食べるほど集めて採ることは難しい。なお、中島(2013)は江戸時代中期に編纂された『筑前国続風土記』中に書かれた「鱊魚」をビリンゴもしくはカジカのことではないかと推定しているが、「(旧暦)二三月川下よりむらがり上る」の記述を見るにスミウキゴリだと考えている。福岡県の小型のハゼ類にはこれまでにいくつかの呼び名が記録されており、中でも博多地域の「さなぶり」はまさに早苗饗(さなぶりorさなぼり:田植え終わりに田の神を送る祝宴)の時期に合わせて川を上ってくる小型のハゼのことを指すものだろう。これなどビリンゴや同時期にやってくる小さなマハゼの呼び名だったのではないかと思うが、もはや話者が確認できずたしかめることはできない。そもそも、ビリンゴの群泳自体、見ることが難しくなっている。

私がはじめてビリンゴを捕まえたのはやはり郷里木曽川の汽水域で、ここでは夏の終わりから晩秋にかけて中層を群泳する本種の姿を今でも見つけることができる。幼い頃の本種は特にこれと言った特徴のない色形で、体にモノトーンの絣模様があり、しいて言えば第一背びれにある縁取り状をなした黒色がやや目立つ。本種の装いが大きく変わるのは年が明けてからで雌は体が全体的に発色が強くなり、特に背びれ、臀びれ、腹びれ、さらには峡部が漆黒に変化する。ただし背びれにはよく見ると細かなラメ状の紋様が残っていて、たいへん美しいし、何より腹側に現れる黄色の横縞が本種のトレードマークだ。本種を含むウキゴリ属魚類では雌雄双方に婚姻色が出るか、または雌のみに強い婚姻色がみられる。ビリンゴについても雄は地味な色をしているはずだが、残念ながら私は繁殖期の雄に出会ったことがないので体験として知っているわけではない。手あたり次第に捕まえてみても出歩いているのはすべて雌で、雄はどうやら早くから巣穴に入り込んでしまっていると見える。雄を捕まえるためには干潟の孔をシャベルで掘り返す必要がありそうだが、目下取り込み中の彼らの邪魔をするのはなんとなく気が引けるので、まだしばらくは雄の姿を見ないままでいようと思う。

(註)『佐賀県の淡水魚』(田島正敏著,佐賀新聞社)や『雑魚の水辺』(http://zakonomizube.web.fc2.com/fish/biringo.html)でも指摘されているとおりだが「びりんご」あるいはよく似た「びりんちょこ」が山陰地方からメダカを指す名として『日本産魚名大辞典』(日本魚類学会編,三省堂)に採録されている。

文献

道津喜衛.1954.ビリンゴの生活史.魚類学雑誌.

中島淳.2013.筑前国続風土記において貝原益軒が記録した福岡県の淡水魚類.伊豆沼・内沼研究報告.

Gymnogobius breunigii (Steindachner, 1880) メス 福岡県内2024年4月4日 記

ヤリタナゴ

日本でもっともふつうなタナゴとはなんだろう。タイリクバラタナゴが日本中を席捲するまで、その地位はヤリタナゴのものだったと考えられる。環境省レッドリストにおいても長らく完全なランク外の位置にあったが、現在ではアブラボテと並んで準絶滅危惧種に選定されている(※準絶滅危惧種というのは、絶滅危惧種ではない)。とはいえ私が生まれる頃には愛知県西部では見られなくなっていたので、私には普通のタナゴという印象が強くはない。愛知県では西部だけでなく、県全体でほとんど幻の魚となっている。隣の岐阜・三重県とは対照的だ。

さて本題の九州ではどうかというと、きわめて普通のタナゴで、現在でもところによってはものすごい密度でいることがあり、やみくもに投網を打って4、50尾がまとまって採れることもあるくらい、普通にいる魚だ。特にたくさんいるのは遠賀川、矢部川水系だろう。流速の早い水路でたくましく暮らしていて、場合によっては三面をコンクリートで塗り固められたところにも出現する。多少なりとも底面に砂が堆積して、二枚貝が生存できさえすれば生き延びられるような頑健さが本種にはある。ただし博多湾流入河川ではほぼ絶滅状態であり、紫川でも最後まで確認されていた一区画から消滅して久しい。どれほど強い魚と言えど、産卵のための二枚貝がいなくなってしまえば消えるのは一瞬だ。矢部川水系でも着実に数を減らしている。

現在の本種の多産地の状況から流水を好むかのように考えがちだが、実際には藍藻によって緑化した止水で多数が群れていることを見かけることもあるし、老司大池など現在では外来魚ばかりの筑紫野のため池でも本種は多産していたという。これは古老の昔話ばかりではなくて、標本も残っている。標本と言えば、戦後すぐに柳川で採集された膨大な淡水魚の標本が今も九州大学に残されている。個体数にして7割近くを占めるのがヤリタナゴだ。

ヤリタナゴを捕まえるのに工夫はいらない。福岡や佐賀、熊本に行って、魚がいそうな流れのある水路に入る。そこにはだいたい彼らがいるので、遭遇そのものは至って簡単だ。入れるところならたも網で定石どおりに水中の水草や陸生植物のきわを狙い、投網ならやみくもか、あるいはある程度浅い場所であれば魚群を探して捕まえる。アブラボテとちがい開放面に出てきやすいから投網にも入りやすい。透明度の高い場所であれば、捕まえずに上から眺めているだけでも楽しい。

さて出会うことこそ容易な魚だが、こと婚姻色の写真を撮るとなるとたいへんだ。本種も多くのタナゴ類と同様に、峡部から腹部にかけて強い黒色を呈する。ところが、この黒色はバケツに入れておくと、あるいは個体によっては網の中の段階から瞬く間に退色が始まり、しかもそのまま標本にすると戻ることはない。さらに、タナゴ類の中ではおそらくカネヒラと同じくらい、体側の緑色が抜けやすい。頭部、腹面にある赤色もかなり早い段階で退色する。したがって、単にひれ先が赤いだけのタナゴになってしまうのだ。そもそも、婚姻色が100%出ている個体との遭遇確率がそこまで高いとも言えない。ここに出しているのはそういった数々の困難を乗り越えたもので、現状ではもっともよくできた写真だ。鱗の一部には乱れがあり、背びれにも奇形があるが、そこにはこの個体が生きてきた時間が体現されている。

ヤリタナゴは大きい上にたくさん採れるので、九州各地で食用になってきた。特に筑後川中部では「じゅめき」「じめっき」などと呼んで、醤油砂糖で煮付けたり、揚げ物にして食べている。「やきはや」(川魚の焼き干し。ひぼかしとも)にもやはり本種がかなり使われていて、ごく最近まで本種の「やきはや」(むくり)を作っている方がいた。腹の苦みも薄く、おいしいタナゴだ。

Tanakia lanceolata (Temminck and Schlegel, 1846) ス 福岡県内2024年4月22日 記

具体的に引用を示していない参考文献一覧


文献
細谷 和海(著,編)2015.日本の淡水魚.山と渓谷社,東京.川那部 浩哉(著,編)・水野 信彦(編).2001.改訂版 日本の淡水魚.山と渓谷社,東京.北村淳一・内山りゅう.2020.日本のタナゴ 生態・保全・文化と図鑑.山と渓谷社,東京.中坊徹次.2013.日本産魚類検索第三版.東海大学出版会,秦野市.中島 淳・内山りゅう.2017.日本のドジョウ 生態・保全・文化と図鑑.山と渓谷社,東京.
ウェブ情報
江津湖の水辺からhttp://kappabori.blog40.fc2.com/福岡県の希少野生生物.https://biodiversity.pref.fukuoka.lg.jp/rdb/日本のレッドデータ検索システム.http://jpnrdb.com/佐賀県の淡水魚.https://www.saganature.jp/tansuigyo/レッドデータブックおおいた2022.https://www.rdb-oita.jp/水中写真のすき間http://suityu-sukima.sakura.ne.jp/index.html雑魚の水辺http://zakonomizube.web.fc2.com/index.html