XXXX年XX月XX日更新
研究活動に関連した公開メモです。なんらかの都合で削除する可能性があります。
佐々木瑞希さん(当時旭川医科大学、現帯広畜産大学)に呼応して、九州で淡水魚を集めることになった。もともとの依頼は西日本にオイカワにつく固有かつ未知の寄生虫(吸虫類のMetagonimus)がいるようだから、九州での状況を把握したいというような趣旨で、約2年間、九州の各地を調査しながら、淡水魚を集めてはせっせと北海道へ送っていた。そもそもMetagonimusというのはいわゆる黒点病をもたらす吸虫の一群で、メタセルカリア周囲にメラニンが沈着することで魚体に黒点を呈する。よく知られた横川吸虫や高橋吸虫の他にも隠蔽種がいるということで、はじめはオイカワとカワムツということで集め出したが、一緒に採れるその他の魚類についてもできるだけ合わせて送るようにした。採集地には可能な限り非漁業権河川を選定した。これは遊漁料をケチるためではなく、(漁業権魚種)放流の影響を可能な範囲で抑えるためである。九州の全域を網羅することは難しかったが、宮崎県中部~大隅半島を除いて広域的に採集した。
結果的に一定の種特異的寄生性をもつ複数の隠蔽種の存在が明らかとなり、九州のMetagonimusは以下のように整理された。
・Metagonimus miyatai Saito, Chai, Kim, Lee and Rim, 1997(ミヤタキュウチュウ):ウグイ・アユに寄生(大分・宮崎県)
・Metagonimus saitoi Nakao and Sasaki, 2022(サイトウキュウチュウ):オイカワ・カワムツ・ハス・ウグイに寄生(九州全県)
・Metagonimus takahasii Suzuki, 1930(タカハシキュウチュウ):フナ類・カネヒラに寄生(福岡・佐賀・鹿児島県)
・Metagonimus kogai Nakao and Sasaki, 2022(コガキュウチュウ):ウグイに寄生(宮崎県)
・Metagonimus katsuradai Izumi, 1935 (カツラダキュウチュウ):ヤリタナゴに寄生(福岡県)
・Metagonimus shimazui Nakao and Sasaki, 2022(シマズキュウチュウ):カネヒラに寄生(福岡県)
・Metagonimus otsurui Saito and Shimizu, 1968(オオツルキュウチュウ):トウヨシノボリに寄生(福岡県)
・Metagonimus yokogawai (Katsurada, 1912)(ヨコガワキュウチュウ):アユに寄生(大分県)
なおこれらのうち新種として記載されたM. saitoiのタイプ産地は佐賀県である。この種は日本の広域から採集されたが、東日本では(西日本で広域に出現する)1ハプロタイプしか検出できず、もともとは西日本だけに分布する種だったと示唆されている。
面白かったのはたくさん送ったカマツカ(+その他のカマツカ亜科魚類)から全くMetagonimusが検出されなかったことだ。ただし、このことは「寄生しない」を意味しない。結果的にアユは大分・宮崎県の少数産地しか検討できていないので、九州全体ではどうなっているのかよく分からない。Metagonimus saitoiは移入種であるハスにも寄生していた。カネヒラには黒点病個体が多く、他のタナゴにはほとんど見られないことが前々から気になっていたが、そもそも彼らに寄生している種はちがうもので、他地域での結果を見てもM. simazuiはカネヒラに特異的に寄生し、M. katsuradaiはアブラボテ属に寄生する(ただし九州外ではハスからも検出)ようだ。ドジョウ科など全く調べられていないものや、タカハヤ、カワヒガイなどのようにごく少数個体しか検討できていないもあるので調査余地はある。
Apterichtusことゴマウミヘビ属に興味を持ったのはウミヘビ科の研究をはじめてわりと間もない頃で、最初に取り組んだ「キシュウゴマウミヘビ問題」とでも呼ぶべき問題のいきさつについては小文を『新種発見! 見つけて、調べて、名付ける方法』(馬場友希・福田宏編著 山と渓谷社)に書いた。ただその後日談についてはこの本の中では文字数の制約から十分に触れることができなかった。
キシュウゴマウミヘビ問題を解決していく過程でこの属には多くの分類学的課題があること、たとえば学名はあるが十分その形態が理解されていない種や、おそらく未記載種と考えられる標本があるものの、包括的な研究を行わなければ解決が難しい例といったことがおぼろげながら分かっていたわけで、太平洋域のApterichtusの分類学的再検討をさまざまな研究テーマと並行して走らせることにした。分類学的研究というのはある程度、グループを絞って取り組まないと十分な成果を得られないことが多い。ただし様々な”待ち時間”が発生しがちなのもこの研究のサガなのであって、そうなると複数のテーマを同時並行的に進めるということが当たり前になる。私の場合、修士課程の2年生の段階で修論のメインテーマとは別にふたつの属に関する研究(+小ネタをいくつか)を進めていた。Apterichtusに関する研究もはっきりとは覚えていないが少なくとも2012年にはスタートさせており、ただし諸般の事情からなかなかこればかりに取り組むことはできなかったが、地道にデータ集めを続けて数年後には少し大きめの論文になるのではないかと期待していた。ところが2014年にJohn McCosker博士(以下、敬称略)と台湾で会い、そこで彼がApterichtus全体の分類学的レビュー、つまり三大洋すべてを網羅したものを計画していること、すでに複数の未記載種を含むことが確定していることが判明してしまった。ここですべてが終わるか・・・・・と一瞬思ったものの、どうやらMcCoskerは太平洋については中央~オーストラリアについてはかなりの標本の検討を終えている一方(なので、あとから考えてみると借りてみたい標本が借りられない事態もあった)で、北西太平洋については不十分らしかった。そういうわけで私の持っていた北西太平洋+中央太平洋の情報と、McCoskerの持つ包括的な情報を合体させて、Apterichtus全体のレビュー原稿を話してから約7か月のうちに完成させた。この時は5新種を発表しており、うち2種が私が見つけたもの、3種がMcCoskerが見つけたものだ。残念ながら未記載種であることが確実視されながらも標本が発見できなかった(写真がDB上にあった)1種についてはそのレビュー論文に含められなかったのだが、実は出版後に発見され無事に追加の新種として記載することができた。McCoskerとの数か月にわたる原稿を介したディスカッションは実に楽しく、この経験がいっそう分類学的研究を邁進させたことは言うまでもない。もちろん、すべては彼のgentleと、深い教養のおかげである。大仕事は終わったものの、この属にはまだ研究の余白がある。
私が発見したApterichtusの新種のうち、2種には人名を付けてある。これだという種にこそ、献名をすべきだと当時の私は思ったし、それで功労者が喜んでいてくれたらうれしい。
当時九州大学、現長崎大学の松重一輝氏を筆頭として、ニホンウナギに対する光害の影響を検証した論文が昨年(2023年)に出版となった。もとになった釣行データは10年以上も前、私が学部生時代につけていた「ウナギ釣りデータ」で、ここに含まれていた釣行時間、個体ごとの釣獲時間をもとに、ウナギが釣れる、すなわち摂餌行動を積極的に行っている時間帯が、強い人工光の設置されている釣り場では変化することを統計的に示すことができた。釣り人の”執念”は、ときにサイエンスにも貢献しうる、ということが示せたこと、また学生時代の燻りがなんとなく解消されたような気がして、とてもうれしいできごとであった。
そもそも、日比野がこのような釣行記録をつけ始めたのは「蒲焼きで食べるに適したウナギを、思うがままに釣り上げられるようになるため」で、ウナギを守るとか、そういった動機とは全く関係がない。今となってはロガーを用いた調査によってウナギが主に活動する時間帯や、濁度との関係などの研究例がいくつか論文になっているが、少なくとも当時、ニホンウナギについてこのような科学的情報は皆無で、”ウナギ釣り玄人”による極秘の経験知の入手がよいウナギ釣りを知るための限られた方法だったわけだが、そのような玄人が他人においそれと情報を漏らすことはない。「蒲焼きで(略)」を実現するためにはまず基礎的なデータの積み上げを意識的に行って、釣れるパターンを分析することが一番の近道になると考えた。釣行日数としては今回の論文の解析に用いた2年間で100日以上あったのだが、データの記載には(これは趣味のデータならではかもしれない)若干のムラがあり、例えば正確な時間が書かれていないものが含まれていたこと(20時頃、のような記載)や、統計解析の性質上ボーズ(釣獲ゼロ)の日は対象としなかったので、研究に使用できたのは半分以下に留まった。この「ウナギ釣りデータ(ファイル名)」には釣行場所・釣行時間・釣獲時間・個体サイズ(長さと重さ)・使用した餌・努力量(竿数)・前日/当日の天候・潮汐・日没時間・濁度(目視による)が記録されており、このような網羅性は研究利用にも役立った。断片的ではあるものの、消化管内容物についても一部記録を付けてある。論文の本質とは関係がないが、結果として摂餌活性の高い時間帯は既往のロガーデータに基づく研究例と矛盾しないものであったし、ウナギの摂餌活性が潮汐とは関係がない(おそらく潮位とは関係がある)ことも示された。
ウナギ釣りを継続的かつ高頻度で行う上で、もっとも苦心したのはなんといっても釣り餌となるミミズの確保だ。大学構内を歩き回ってミミズの溜まりやすい側溝をすべて頭に入れ、毎回同じ場所で採りすぎないように工夫して集めていたのだが、時たま清掃が行われて入手が著しく困難になることや、夏になり降雨が少なくなると側溝が乾燥し、ミミズが採れなくなるという問題点があった。そこで構内の一角に落ち葉や古い段ボールなどを密かに集めて高密度にミミズが生息する場所を創出して餌場にしてやりくりをした。ただしこの場所は必ず蚊の猛攻に見舞われるので、痒みとの闘いでもあった。それでもどうしてもなんともならない時には、ウナギ釣り仲間からミミズを融通してもらうこともあった。当時の三重大学生物資源学部にはウナギ釣り師が私を含めて3人おり、ライバル関係にある一方で情報交換や餌の融通、共同でのミミズ確保もやっていたわけだ。私の知る限り、あの頃の三重大学でウナギ釣りばかりをしていたのはこの3人だけである。
スケジュールを組むのも今思い出してみるとかなり大変だった。ウナギ釣りをする時間、そして釣り場へ移動する時間を確保するために、アルバイト先は時間の融通が利きやすいところを選んでいたし、そうかと言って必ず釣れるわけでもない我慢の釣りも含まれる。研究上は役に立っていないが当時としては「釣れない日」のデータを蓄積することにも意味があると思っていたので、釣れないと半ば分かっていても無理やり、他のことをする時間を失ってまでウナギ釣りをしていたのだから今考えても実に空しい時間だった。なお冒頭の目的は概ね達成できたのだが、ウナギのレッドリスト入り(2013年)を機に趣味のウナギ釣りからは引退した。
中島淳さん(福岡県保健環境研究所)から福岡の魚類リスト(エクセルファイル)を引き継いだのは2017年か2018年かの頃で、たずねると元々は2014年の福岡県RDBの改訂時に出版することを目指してまとめていたが、海産魚類に関する情報の収集と整理が不十分で頓挫したからどうにかしてほしい、という由だった。エクセルファイル内にはすでに120件程の文献がリストされており、各魚種について記録された文献と紐づけられているように見えたため、「なるほど、ここに最近出た海産魚類の記録や分類学的変更を加えればいいのか。文献数は多く見積もって30~40程度、簡単じゃないか」というのが、当初抱いた感想だった。しかし結局、参照した文献数は600以上、このうち福岡県産魚類の分布記録を抽出できた文献は531件となり、当初の予測の10倍以上の大仕事となってしまった。
そもそも、魚類の分布記録の目録、魚類相は、目的や持てる資源の状況によってとりまとめの方針がかなり変わる。神奈川県のように標本や写真資料の蓄積が潤沢であれば、そうした証拠物に基づいたものだけをセレクトして目録として作成することができる。ところが福岡県ではそうした裏付けのある資料はきわめて少なく、2025年の現時点に至ってもまだ現実的ではない。むしろ、海産魚類と淡水・汽水性魚類の両方をRLの評価対象としている本県の特性を踏まえると、もう少し幅広に、まずは記録のある種をなるたけ多く盛り込むことが命題になると考えられた。
網羅作業はまず、本県での研究背景を把握することから始まった。福岡県での魚類研究は基本的に内田恵太郎の九州帝國大學への赴任に始まり、その後の研究者も多くが内田の門下生の系譜に連なっている。したがって、彼らの著作物を順を追って調べていくことが本県の魚類記録網羅への近道だと考えられ、この作業は私が福岡にやってきた1年目におおむね終えていた。彼らの研究は必ずしも分布調査を目的としたものではないが、生活史の研究、たとえばそれが水槽実験であっても、野外で採集した親魚を使っていればその採集地の情報がひとつの分布記録となる。さらに彼らの研究の引用文献を辿ることで、新たな研究例が発見される可能性も見込まれた。幸いにして、内田門下の研究例の多くは大学の研究紀要で発表されていたため、機関リポジトリを通じて氏名で検索し、アクセスすることができる。そこで入手ができないものについては、内田恵太郎が残し、九州大学図書館が保管する内田文庫、ではなく、そこからあぶれた廃棄予定の紙束や、国立科学博物館の動物研究部に蓄積されている、歴代の魚類研究者の別刷り交換によって取得された著作物を探索して入手した。他にも、九州大学図書館や国立科学博物館内の図書館での調査を行い、さらに国会図書館デジタルコレクションを通じて内田の古い著作物をひとつひとつ調べては、福岡県産魚類の使用の有無を確認した。
日本の魚類研究は江戸時代から始まっているが、海外からの標本の入手に制約があったことから、当時採集された福岡県産の魚類標本に基づく新種記載はない。明治時代から調べればよいわけで、田中茂穂やDavid Star Jordanの著作物も年を追って確認していき、いくつかの記録情報を発見した。ニッポンバラタナゴやクルメサヨリ(現在はシノニム)の記載者がJordanなので、ここに福岡県産標本の情報があることは分かっていたことだが、思っていたよりも多くの文献中に福岡県内の地名を認めることとなった。この作業にあたっては、BHL(Biodiversity Heriage Library)がたいへん役に立った。
福岡県では、生物系教員や生物クラブによる生物相の記録も存在する。このうち海域のものについては九州帝國大學で甲殻類の分類学を専門とした三宅貞祥がかなりを収集している。三宅の蔵書群(北九州市立自然史・歴史博物館書庫に保管)を隅から隅までめくり、魚類の分布記録が含まれるものをいくつも発見した。(旧)北九州自然史友の会が発行しつづけている会誌中にも魚類の記録が認められることが分かっていたので、創刊号から157号まですべて通読した(魚類学雑誌も創刊からすべて通読した)。このような作業を経たのち、福岡県立図書館を訪問して県内のすべての自然系、水産系図書、さらにすべての市町村史を確認して、魚類の分布記録を洗い出した。こうした作業の積み重ねにより、これまでにない量の文献を網羅することができた。記録の洗い直しの過程では、引用文献の間違い(例えば福岡県の地名を佐賀県とした;山口県の地名を福岡県としたなど)も見いだされ、それらも逐一訂正していくことになった。
文献網羅の過程では標本や写真など、種同定の証拠が残されているかについても確認した。実際の標本にたどり着けたものについては改めて種の再同定を行い、多くの誤りを訂正した。特に九州大学附属実験所所蔵標本の確認作業にはかなり骨が折れたし、それを目録に注記として反映していく作業にもかなりの時間を要した。また引き継いだエクセルファイルの紐づけは不完全で多くの意図的・非意図的記入漏れが含まれていたので、そのチェックのために先にリストされていた120件あまりの文献もすべて一から読み直す羽目になった。目録としての作業はいったん出版をもって終了したとはいえ、目録は出たその瞬間から過去になる。すでに2024年4月以降に出版、もしくは手元に届いた情報は反映できていないし、私が2018年から収集している標本の情報も今回は原則含めてはいない。実際のところ網羅的と言ってはいるが、抜けている文献もあるはずだ。今後いつの日か、このような情報のアップデート版が再び編纂されることになるだろう。まずはいったん、「福岡には何種の魚がいるか」という質問への、ひとつの回答例ができた。
私は方言、特に生物の地方名(名詞)を見聞きするのが大好きで、これらを記録・記憶することはおそらく中学生の頃からやっている。その収集の対象はほとんど身近な生き物や、淡水魚に限られていたのだが、大学に入り、研究室に入りという中で海の魚の地方名も理解する必要が生じた。というのも、私が大学で所属した研究室では海の魚の研究をする上で、様々な魚を標本にするために集めていた。入手先は地域の漁業者(水揚げ場・市場)や、魚屋ということになるわけだが、ここでは当たり前ながら標準和名は通用しない。むしろ、地域の共通認識のうちにある地方名を理解しておかないと、スムーズな会話が成立し得ないのだ。そういうわけで私が研究室に配属して、物理的にも移ったあと最初期にやった作業のひとつが「地方名と標準和名の対応表エクセルをつくること」だった。
この作業を始めたのは2010年2月の末だったと思うが、その後の一ケ月のうちに隣り合った集落や、話者によっても異なる地方名が使われているケースがあることが分かったので、4月からは聞き取った集落や場所などがある程度分かるように改めた。私の所属した研究室は三重県の志摩半島、いわゆる前島(さきしま)半島と言われる場所の中腹より少し先端に近いところの離れ小島にあって、和具・越賀・御座という三つの地区が近かった。すでにすべてが志摩市になっていたがいずれも元は別個の自治体で、道路が貫通した今も少しずつ言葉に違いがある。ここではその詳細(地区ごとの成り立ちや性質等)は割愛するが、研究室を出る2017年3月までと、プラスで2017年の何日かをこの地域に滞在して、計8年間かけて地方名の収集活動を行った。片手間ではあるけれども、ルーチンとして市場、水揚げ場、魚屋には毎週のように行くので、毎週収集の機会がある。ただし、収集はあくまで正確な種同定、つまりは地方名とそれが実際に指す種の合致を完璧にするために、よくある図鑑を用いた指差し(※)などは行わずに、あくまで話者と実物とが同じ空間に存在する状況でのみ、地方名を拾うようにした。セリ札(セリ場の魚に添えられている魚名を書いた札)もそれが指す魚種は明らかなので、これも極力拾うようにした。とは言っても当時、セリはまとめて和具で行われていたので、御座のものだろうが越賀のものだろうが、集められて和具の市場人が札に名前を書く。これは和具での収集名とした。結果的に、非効率ではあるけれども253種、261個の地方名を集めることができた。
さて集めたのはいいが三重県を去る頃になって何かにまとめて書き残しておきたいという気持ちが芽生えた。取りまとめて目録にするには、もちろん単に自分の結果だけを並べるでも十分価値はある、と思ってはいたものの、やはり過去に記録されている文献があれば、それを参照しようと思うのは研究者の業だ。ただその作業というのは結果が独りよがりなものに終始しないためにも重要だし、読んだ人、使う人たちにとっては有用となりうる。前島半島では和具地区にある鍋島医院の先代院長が趣味で聞き集めた方言をまとめた『和具の方言』という3冊組、2000ページを超える大著があって、これを避けて通ることはできそうにない。腹を括ってすべての語彙が五十音順になっているそれを頭から終わりまで全て読み込み、魚名語彙を抽出した。ただ抽出した語彙がそのまま使えるかというとそんなことはなくて、和具の方言では基本的にある語彙の意味を話者(基本は明治期生まれの海女)に尋ね、話してもらうという方式での語彙収集が行われており、さらに魚名については最終的に三重県立水産高校の教員の力を借りて、図鑑で絵合わせして種を決めてある(とある)。その同定には明らかな誤り、たとえば三重県に分布しない種が充てられているようなケースが散見されたので、すべて(約300個!)の種同定精度を見直す必要が生じた。
今書いたとおり、和具の方言には「その魚はどういう形や模様」「どういう場所で獲れる」みたいなことがそれこそ和具弁で書かれているので、これを頼りにして種同定を見直した。むしろ、これが大いにその見直しの助けになった。また、三重県全般の地方名を扱う「三重のさかなたち」についてもリンクさせておく必要があるだろうと思い、精読して反映させた。また、かつて魚類学会が編纂した『日本産魚名大辞典』にすでに採録されている地方名については、それがどこで記録されているかを併記することでそれぞれの地方名の地域的な広がりが可視化できるはずだ、と思い、これも一から読んで目録に反映させることにした。したがって、目録を出版できる形に整える、ということに色気を出してしまったあまり、膨大な紙資料のチェック作業が発生することとなった。ただ、少なくとも閲覧困難な『和具の方言』の採録語彙をきちんと反映させることによって、結果的に私自身は拾うことのできなかった、おそらく2010年代にはすでに話されることのなくなっていた地方名についても目録内で見られることになり、明治期~昭和中期生まれの人々が使っていた地方名を沢山網羅することができた。
2024年の6月、久しぶりに前島を再訪して、まだ多くの地方名が生きていることがうれしかった。地方名は、話者がいてはじめて生き残ることができる。好きな地方名は「びっくりがし」「かわさき」「ほて」「おばしまあじ」「やき」。よく使った地方名は「うるめ」「すぼた」「そま」「かめあじ」「はりふぐ」。