第1回「純水館・房全・敬三・藤村」学び講座の記録

   演題『養蚕書と出版文化~養蚕文化はどうわったのか~』

               講師:あつぎ郷土博物館元館長 大野一郎氏

                               場所:茅ヶ崎市南湖公民館

                  日時:令和5年10月15日(日)13時30分

                  共催:南湖公民館

 南湖公民館と茅ヶ崎純水館研究会との共催事業として、今回の講演会を開くことができました。会の初めには、南湖公民館館長よりお言葉をいただきました。

 あつぎ郷土博物館元館長の大野一郎氏 の講演です。沢山の資料を示しながら養蚕がそれぞれの時代にどのような資料により広められていったかを、詳しくご説明頂きました。

 多くの皆さんと、養蚕書について学ぶことができました。純水館茅ヶ崎製糸所を初めて知ったという方もいらっしゃいました。

今回の講演内容の一部を紹介します。


養蚕書は養蚕の技術書として書かれたものです。

木版本・肉筆本など色々あります。内容的にも絵が中心のものや文字だけの ものなど色々あります。

この養蚕書を村の指導者な立場の人が買い、村人に教えました。

『本邦蚕書に関する研究』によれば、木版のものから写本などを含めて養蚕書は100種程あります。


この養蚕書には物語としての養蚕のなりたちが最初に書いてあります。蚕が育つように金色姫という養蚕の神様をお祈りするところが、どの養蚕書にも書いてあり、その後技術書になっていきます。

 

養蚕書の中で一番ひろまったのが『養蚕秘録』でした。木版のものなど様々な異本があります。フランス語にも翻訳されました。 

 

養蚕書としては、1700年代、木版刷りで最初のものがあります。 これも金色姫の話から入っています。 『養蚕育境』というのがありますが、これは養蚕の経験を伝えています。

 

江戸時代に入ると出版文化が花ひらきます。 何でも知りたがった江戸の人たちにより、 百科事典のようなものがひろがりました。

 

養蚕書の絵を見るとカゴには竹の皮をまきつけて、風があたらないようにしている。そうしないとの桑の葉がしおれてしまう。そうすると蚕は桑の葉を食べなくなってしまう。そんな様子がわかる絵になっています。

 

また、すごろくで養蚕の手順が書いてあるものもあります。遊びながら学ぶということもありますが、蚕種を売る店の看板が、すごろくの絵の中にあって宣伝効果もねらっていたようです。

 

2 新しい養蚕書と海外へ伝わる養蚕書

 

養蚕書は都に出かけた人が、みやげとして持ちかえり地方に伝わっていきました。 上層の人が買い、村人に伝えました。

 

19世紀ヨーロッパでは微粒子病により蚕が全滅しました。 フランスは日本の蚕種に目をつけました。

『養蚕秘録』がフランス語に翻訳されたのも、 フランスで養蚕の技術が求められていたからだと言われています。

しかし、最近では、さし絵などにひかれ、中国趣味の一つとして出版されたのではないかと言われはじめています。なぜなら養蚕の技術書としてはとても高価だったようです。

 

江戸時代は民間で養蚕技術が進化しましたが、しだいに国が民間へ伝えるかたちとなり、養蚕書の類も国の作ったものになっていきました。