第2回「純水館・房全・敬三・藤村」学び講座

「純館・房全・敬三・藤村」学び講座 南湖公民館との共催

      『小山敬三とその作品』         

                          2022年5月15日(日)13時20分から  会場 南湖公民館

                          講師 茅ヶ崎市美術館 学芸員 月本寿彦氏

                             茅ヶ崎純水館研究会   名取龍彦

 最初に、純水館茅ヶ崎製糸所と小山敬三との関わりについて、茅ヶ崎純水館研究会の名取が解説をしました。純水館館主であった小山房全の妻、喜代野の弟が小山敬三でした。小山敬三は茅ヶ崎にアトリエ兼自宅を構えますが、それは小山家の別荘が南湖にあったからです。喜代野の父小山久左衛門が南湖に別荘を作った理由のひとつは、家族が南湖院に入院していたことです。

   茅ヶ崎市美術館の学芸員月本寿彦氏から、小山敬三の生涯と芸術・気韻生動について・「浜降祭」の緞帳についてと3つのポイントに分けてお話をいただきました。2月に予定していた講演会が、まん延防止措置のために5月に延期になったことで準備のやり直しをいただいたことと思います。ありがとうございました。

「浜降祭」の緞帳は茅ヶ崎市民文化会館の大ホールにあります。

   南湖公民館との共催で今回の講演会を開くことができました。公民館のご協力で、一番大きな講義室を使って開催することができました。最後に集まった皆様から、小山敬三が南湖に住んでいた時の様子など、貴重な情報もいただきました。今後はそれらの情報も掘り下げていきたいと考えています。

一部分を研究会が簡潔にまとめてみました。

当日は大きく3つの柱で話をいただきました。

 ①小山敬三の生涯と芸術

 ②気韻生動について

 ③浜降祭の緞帳について

 

小山敬三とその作品

茅ヶ崎市美術館 学芸員 月本寿彦氏

 

①小山敬三の生涯と芸術

少年時代(明治30年~)

父小山久左衛門は厳格な人であり、富岡鉄斎に傾倒していた。

良いものに触れることによって、自ずとの良くなるという考えで敬三を育てた。

身近にあった鉄斎の絵などから少なからず影響を受けていたかもしれません。

 

青年時代(大正4年~)

 画家を目指す決心を厳格な父に覚悟を持って伝える。

 「誠心を込めて描き続けます。そうすれば、貧しくても安心して墓に行けます」

 それに対し、意外にも父はその思いであればと認めた。

 厳格な父の座右の銘は「修誠」つまり、誠意を尽くす・真実さを尊ぶということ。これを大切にしていた父だったので、小山家の意識として敬三も共有していたのでしょう。

 島崎藤村への訪問

        姉喜代野と父久左衛門とのつながりがあった藤村へ画家になる上でのアドバイスを受ける。

     「世評を気にせず、真っすぐ自分の道を歩んでください。右顧左眄せず自分の信じた道を進んで欲しい」とはなむけの言葉をもらう。

       敬三は藤村を「心の師」と思っている。


フランス留学時代(大正9年~)

      フランス留学の成果

 シャルル・ゲランから基礎を学んだ。デッサンに繰り返し取り組んだ。

 貴族出身の妻マリー・ルイズとの結婚 フランス語の勉強

 スペイン旅行で出会ったエル・グレコ。旧市街の街並みやアルカンタラ橋など印象

       構成や構図に意識が向いて、構築的な画面作りに進んだ。

       敬三作品の特徴でもある、堅実、堅牢さがここにある。

       印象派が流行していた時にも関わらず、シャルル・ゲランを師事したことも、敬三の見識があったからこそでしょう。

 

茅ヶ崎アトリエの時代(昭和3年~)

 フランスでも画家として生活できていたのだが帰国

 小山敬三作品保有会結成される(有名な実業家や蒐集家達)

 フランスから良質の絵の具を大量に持ち帰る

 小山芸術の一側面として、画面の物質的耐久性がある。

 良い絵の具、良い油を使い、ゆっくり書き、絵の具が乾いてから塗り重ねているから、ひび割れたりせず、修復の必要のないものが多い。

 

軽井沢別荘時代(昭和21年~)

 茅ヶ崎のアトリエから6月から3か月は軽井沢へ

 終生のモチーフとして浅間山に取り組む(ダムや姫路城も同様)

 雄大な山肌、モチーフとして強靭、雄大、重量感のあるものは油絵で描くのにあっている

 日本の建物はやや繊細過ぎて油絵には向かない

 白鷺城を書いた時も当時城を描く人はいなかった

 紅浅間は実際に見た景色のようです。冬の朝早くに白々と夜が明ける時に、たまに見える。

 その感動を描いたものが紅浅間

 

②気韻生動について

 小山敬三は気韻生動の画家と言われる

4世紀ごろに中国で書かれた六法(絵画制作の要点を示したもの)の一番に気韻生動がある

気韻生動とは気の充実した生き生きとした表現

気とは、万物を構成するエネルギーの流れ。森羅万象を作り出す源。

つまり、生命の源である気のエネルギーを絵画に結実させることができる画家ということ。

洋画や、日本画だけでなく、深い歴史のある中国絵画を見てください。

同時代の山本鼎・安井曾太郎・川北倫明らの言葉から小山芸術を言うと

  単純な色彩、重厚な筆致、頑丈なマチエール、正確なヴぁルール、ダイナミックな画面構成、まともな基礎練習、絵画の本道をひた押しに行く…というのが小山芸術の評価

小山が芸術の理想としているクラシシスムは、小山の解釈の中で「気韻生動」と結びついていたようです。

小山は流行していた抽象絵画に行かず、ひた押しにクラシシスムを突き進んだところこそ小山芸術の本流と言えるでしょう。

 

③浜降祭の緞帳について

 茅ヶ崎の文化会館の第一緞帳は小山敬三の「海浜祭日」を原画としている

 海浜祭日の原画から手前にいる二人の女性を除き、少しひいた画角として後ろに烏帽子岩を描いている

 海浜祭日の原画は横浜美術館に所蔵されている