第4回「純水館・房全・敬三・藤村」学び講座の記録

『小山敬三と島崎藤村』講演会

主催:ちがさき丸ごとふるさと発見博物館(茅ヶ崎市教育委員会)・茅ヶ崎純水館研究会

場所:茅ヶ崎公園体験学習センター うみかぜテラス

2022年8月21日(日)  講演1  講師:名取龍彦(茅ヶ崎純水館研究会)

                 講師:月本寿彦氏(茅ヶ崎市美術館 学芸員)

             講演2  講師:小林秀夫氏(小諸市立小山敬三美術館 元館長)

 講演1では純水館茅ヶ崎製糸所とはどんなところだったのか、茅ヶ崎名誉市民でもある小山敬三と純水館がどのようにつながっているのかを名取龍彦会員が説明しました。また、特別展示された新発見の絵やスケッチについて、その絵の画法などを茅ヶ崎市美術館学芸員の月本寿彦氏に解説していただきました。 

 講演2では、小諸市立小山敬三美術館元館長の小林秀夫『小山敬三と島崎藤村』の『と』を小山敬三の生涯をたどりながら解説していただきました。お集まりいただいた100名を超える皆様を前に、豊富な写真と穏やかな語り口で小山敬三がなぜそこまで大成したのか、それに島崎藤村がどのようにかかわったのか、整理してお話いただきました。


 講演会会場には、純水館茅ヶ崎製糸所館長小山房全のご令孫からお借りした、房全の妻喜代野(関東大震災で震災死)の胸像に島崎藤村(喜代野の恩師)が書いた追悼文の拓本や、南湖にあった小山敬三のアトリエの管理をなさっていた方のご子息が、大切に保管していた敬三の絵(油彩画、スケッチ)写真をお借りし特別展示しました

本講演会が、タウンページ茅ヶ崎版に紹介されました。

講演の内容の一部を茅ヶ崎純水館研究会がまとめました。講演内容の概略として以下の報告をご覧ください。

8月21日 『小山敬三と島崎藤村』講演会

 

講演1 『純水館と小山敬三』   名取龍彦(茅ヶ崎純水館研究会)

 

 今から100年程前、現在のヤマダ電機の敷地を中心に約12000坪の純水館茅ヶ崎製糸所がありました。館長は小山房全です。大正6年から昭和12年までのわずか20年程の間ではありましたが、世界でも認められた高品質の生糸を作り出す工場でした。

 房全は、「糸もつくるが、人間もつくる」と言われていました。一人一人を大切にしながら工場を経営するとともに、茅ヶ崎の町の発展にも貢献しました。

 純水館茅ヶ崎製糸所は昭和天皇が皇太子時代に結婚するとき、全国に3700程あった機械製糸工場の中から、唯一生糸を献上した工場となりました。当時、アメリカ女性の靴下の原料となったのは、細くて、光沢のある均質の生糸でした。それを生産できたのは御法川多条繰糸機で、房全は他社に先駆けて導入しました。アメリカでの生糸の格付けは「スペシャル・ダブル・グランド・エキストラ」です。そんな優秀な工場が茅ヶ崎の地にあったのです。

 純水館は長野県小諸がスタートです。小諸の小山久左衛門が明治時代に製糸工場純水館を建てます。小諸の豪商であった小山家の家系図を見ると、茅ヶ崎とのつながりがわかります。

 小山久左衛門、妻の梅路、長女の喜代野、喜代野の婿養子になった房全、長男の邦太郎そして三男に小山敬三がいます。この家族のうち4人に共通しているのが、茅ヶ崎にあった南湖院に入院したことです。その関係で小山家の別荘が南湖にでき、その繋がりもあり、茅ヶ崎に純水館が建てられました。昭和4年には、小山敬三が小山別荘地内に自宅兼アトリエを建てました。

 

    『小山敬三の画法』   月本寿彦氏(茅ヶ崎市美術館 学芸員)

 南湖にあった小山敬三のアトリエの管理をなさっていた方のご子息、牛渡公海(うしわたひろみ)さんから、大切に保管していた敬三の絵や写真をお借りし特別展示しましたので、その絵の画法などについて解説していただきました。

 

 牧場のような野原に牛が点在する絵は、名前が牛渡だから牛の絵がいいだろうと言って渡されたと聞いています。小山敬三の絵は『気韻生動』と表現されることが多いですが、今回は敬三自身が良く言っていた、クラシシスムという観点で見たいと思います。クラシシスムとは古典様式とも言いますが、小山家で培われた『修誠』によるところもあり、正攻法に、奇をてらうことなく取り組むということが言えます。外国の風景だと思います。この絵を見ても、よどみなく、もともとの絵の具の美しさや、絵の具の上質さが伝わります。古い作品だが、コンディションはとても良い状態です。平たい筆で流れのよどみなさが小さい作品ながら感じられます。

 ペンで書かれた浅間山や、富士山の絵では、素早いタッチでドローイングを繰り返しています。的確な稜線などの造形把握と陰影が描かれています。何より力強い線に驚かされます。

 小山敬三の自宅での写真もありましたが、笑顔の敬三の写真は珍しいというよりとても稀です。敬三の人格とともにチャーミングな一面が見られます。 

講演2 『小山敬三と島崎藤村』  小林秀夫氏(小諸市立小山敬三美術館 元館長)

 

小山敬三の生涯をたどりながら、島崎藤村との「と」を探っていきます。

このつながりは結構強いです。

小諸には敬三美術館があります。敬三は、日本画も書いています。しっかりと勉強した日本画です。紅浅間を見ると、雲も造形に含めて描かれています。

ダムの絵も何枚か画いていますが、当時国策として作られたダムを、国に頼まれて描いていました。白鷺城はデフォルメされて描いています。藤村記念館も小諸にあります。

1 小山敬三の生家

   江戸時代からの豪商「小山家」が敬三の生家です。母の実家も小諸の豪商「掛川家」です。

   醸造業と畳表の仕事をしていた父の久左衛門正友は、鉄道開通を機に「純水館」を創業。

   鉄道の影響について、先見の明を持っていました。生糸は幅広い産業で多くの人の仕事と

なる。それによって多くの人が救われると考えた。

   父久左衛門は財界文化教育界でリーダーシップを発揮するような人でした。

2 小山敬三と父久左衛門

   「小山家の歴史ありて、この父あり。この父ありて、この子あり。また、この母ありて、この子あり」であった。

   生き方、人脈は家の中で引き継がれていったものがあった。

   久左衛門正友は若いころ京都へ遊学し、そこで知り合った富岡鉄斎と深い親交があった。

   小山家の家訓は鉄斎が贈っている。小山敬三はその家訓を自分で写し書いて茅ヶ崎に持ってきている。

   城下町で旅館はあったが、財界文化人は小山家に泊まった

   渋沢栄一も同様で、藍商人として小諸に来た渋沢は小山家に宿泊した。

   富岡製糸場に伝習生として一番多くの人が小諸から出ている。

   明治初期から純水館の糸は渋澤商店へ送られた。

3 小山家と小諸義塾

   私塾小諸義塾(中等教育)の支援を久左衛門は率先して行っている。補助金は、小諸や周辺の村々からも出され、校舎が建てられていった。

「女子学習舎」の創設にも尽力した。久左衛門は小山家の女子を教育することを希望した。

塾長木村熊二のもとに名だたる教授陣が揃う。

4 塾長熊二と島崎藤村

   藤村は熊二の教え子であった。キリスト教の洗礼も熊二から受けている。

   熊二は、藤村を英語・国語の教師として招いた。

   藤村の教え子が書いた本によれば藤村は真面目で静かな人だった。

5 小山家と島崎藤村

   小山家は小諸義塾を支援し、寄付の一番多かったのは久左衛門でした。

   母の実家から藤村は紙を買い、母の実家と敬三の生家も近かった。

   小山家には人が集まるところだったこともあり、藤村も家に行くことがあった。

   藤村は敬三の姉喜代野の先生だったこともあり、敬三は5歳の時には会っている。

6 小山敬三と絵

   敬三は富岡鉄斎の絵など「一流のもの」に囲まれて育つ。

   小山家を訪れた画家が、敬三初めての油彩画を見て、小諸にゴッホがいるといった。

   上田中学時代には水彩画に取り組んだ。

   兄邦太郎からフランス製の油彩画材をもらう。初めて描いた油彩画とともに写真館で写真を撮っている。小山家の豊かさがわかる。

7 島崎藤村と絵

   藤村は若いころ、画家を目指すか文学を目指すか迷ったほどで、敬三の画家への志を大変喜んだ。

   姉喜代野が紹介文を書き、父の助言で藤村を訪ねることとなる。

   訪ねてきた敬三に対し、藤村は、「右顧左眄することなく、信じた自分の道をまっすぐに」

  「日本で型にはまらないうちに、本場のフランスへ行きなさい」そして「スペインにも行ってグレコを見てきなさい」とアドバイスする。

8 島崎藤村の助言とその後の小山敬三

   藤村の助言を実行する。大戦後フランスに行き、右顧左眄することなく独自にデッサンに取り組み、スペインでグレコに触れて、画風を確立した。

   フランスに行くときには、超豪華客船で行っているが、そこでの人との出会いが後で大きくなっていく。関西の旅館経営者の西村氏は、後の敬三の絵の保有会を立ち上げる。また朝日新聞の記者の町田記者は後に信濃毎日新聞の社長となり敬三の特集を載せてくれたりした。

フランスに行ってからも敬三は、小山家で培ってきた「修誠」により、こまめに日本にいる人に手紙を送っている。

 フランスの画壇では、『フランスの真似をしようとはしていないし、あえて東洋人らしくもふるまっていない』と認められる。

9 訪れたスペイン、トレドでの収穫

   藤村の助言の一つである、トレド訪問が敬三の画風のもととなった。

   個人美術館をいくつか見ることで、自分も小諸に美術館を建てたいという想いを持つようになった。早くから、この考えがあったので、作品を貯めてあった。

10 帰国後の小山敬三と島崎藤村

   貴族だった女性マリー・ルイーズを妻として帰国したが、当時の敵国女性でもあった妻に対し、敬三の母は周りが支えるように発言していた。

   「小山敬三滞欧作個展(東京三越)」に藤村が序文を書く。

   フランスに長くいて、フランスでも確固たる実績を残していた。審査員にも任命された。

11 帰国後の画業

   絵を売らなくても済む画家にしようと、大阪の旅館経営者の西村氏の声掛けにより、関西を中心とした富豪による支援組織「保有会」が敬三を支援する。1か月に一枚1年に12枚の絵を描きそれを会員に渡す。それ以上描いた時は絵を燃やしていた。配った人の名前と絵は画集で残っている。

   二度目のフランス行きも「保有会」によるものでした。

12 生涯の師、島崎藤村

   姉喜代野の銅像の碑文は藤村(文字は藤村ではない)

附 茅ヶ崎と小山敬三

   茅ヶ崎に純水館があった関係から、自宅アトリエを建てた。

   「浜降祭」緞帳制作に至るまでには、スケッチの人物画がたくさんある。スケッチ画と言ってもそれなりに大きな油彩画である。

   (小山敬三原画の緞帳は、他に小諸市、長野市、大作は品川プリンスホテル壁画)

   茅ヶ崎の風景を描いている。晩年は自宅でバラを描くことが多かった。

   政界・財界の著名人が茅ケ崎のアトリエを訪れて自画像を描いてもらっている。

附 小山敬三と島崎藤村の作品集

   副読本「KOMORO ART」(55P)を小諸の中学一年生全員にプレゼントしている。

   小学校6年生には社会科歴史の副読本「KOMORO HISTORY」(58P)をプレゼントしている。

   小山敬三美術館の建物 藤村美術館の建物は「小諸故郷遺産」認定。

   ケーブルテレビ「E3探検隊」でそれぞれ歴史探訪番組にして放映した。

   敬三美術館は、崖に迫って立っているが、それは、敬三が少年時代におぼれた淵が臨めるように建てたからです。