CANNA PROJECT
公式ホームページ
世界中の人の心に平和と希望の花を咲かせましょう!
しちょうにも
カンナ・プロジェクトのことを知らなかった人が読んでくださいました。
お読みくださり、ありがとうございます。
さらに、このように感想をお伝えいただきさらに感謝です。
右に記録させていただきます。
【拙著の読後感に感謝】
「カンナ・プロジェクト」を読み終えて、
この本自体が、「カンナ・プロジェクト」のカンナの種だと思いました。
この本に描写されている「諦めない心」「行動による恕の自覚」
「大いなる存在の導き」などなどを語ることも大切ですが、
先ず静かこの本に向き合う時間が必要と思いました。
そこで、追加購入をして、私の今の活動の中で、
是非読んでいただきたい人にお渡し始めました。
1人でも多くの人が、この本を通じて、
地球とそこに暮らす生命を守る活動に参加される機会に出会えることを切に願っています。
そして、橘さんがくれぐれもお身体を大切にして、
お元気に活動し続けることを祈っています。
素晴らしい出会いをありがとうございました。
【11月17日 成人した次世代チームの子との夕食】
次世代チームの子が正社員になって、東京に出張なので、一緒に夜ご飯食べませんかとお誘いがありました。
成人後、初めての再会でしたから、正社員になったこと、結婚したこと、パパになったこと諸々お祝いしたくてお酒で乾杯しました。
カンナの拙著を読んでくれたことで連絡をくれたようでもあります。
当時の話に花が咲き、知らなかったこともあったと興味津々質問してくれたりと、懐かしい楽しい時を過ごしました。最後は正社員として、若年の彼が、パートさんやアルバイトさんを束ねなくてはならない苦労。成機も上げなくてはならないジレンマなど、仕事の悩みも相談してくれたり、尊敬できる先輩がいることや家族を大事にしていることなど、たくさん話してくれて、頑張っているんだなということもわかり、心から応援したいと思った次第です。恕の話にもなって、やはり拙著に恕のことも書いて良かったと思いました。
しかし、長い年月が流れたのだなあと感じました。
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【卒業生のエピソード】
大州小学校の卒業生のエピソードです。
仙台で暮らしているご次男とのエピソードを送ってくださいました。
仙台で見つけた花の写真を
「これってカンナだよね?」と言って送ってくれて、
後から調べて「やっぱりカンナだった!」
と。現在は22歳になっていらっしゃるそうです。
覚えていてくれたのですね。
気にかけてくれていたのですね。
カンナに関わってくれ子どもたちが
カンナのことを忘れずにいてくれることを願って
この活動を続けてきました。
そして、被曝から80年を過ぎた今、
被曝経験者の代わりに、子どもたちが平和を継承してくれることを切に願ってこの本を書きました。
自分が関わっていたカンナ・プロジェクトの全容を知ってくれることを願っています。
そして、あの頃のようにう、再び平和はどうしたらつくれるんだろう」を考えてくれると嬉しいです。
こちらのお母様も拙著を購入くださいました。
読み終えたら子どもたちにも読ませていただけるとのこと、本当に嬉しいです。
3人の子どもたちが小学生の時、カンナプロジェクトに参加してくれていたそうです。
本当に嬉しいです。
このカンナの咲いているところは、
仙台の地下鉄の「国際センター」の駅の側だそうです。
ありがとうございます。
その後、家族でカンナの話に花が咲いたそうです。
嬉しいエピソードに20年続けてきたことが報われました。感謝です。
【広島カンナ・プロジェクト2025を終えて】
今回お逢いできた大州小の当時の在校生のお母様からウォーキング中に見つけてくださった大州バス車庫に咲いていたカンナの写真を送って頂きました。
ありがとうございます
拙著をお読みいただき、その後のこのような状況に感謝しかありません。
【広島カンナ・プロジェクトを終えて】
原爆資料館の現館長にとお預けしてきた拙著をすぐに読んで下さり読後感を送って下さいました。
さすがと感じましたので、シェアさせて頂きます。
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橘 凛保 様
広島平和記念資料館の石田です。
昨日は御著「カンナ・プロジェクト 20年に学ぶ恕の心」をご寄贈いただきありがとうございました。
早速拝読させていただきました。
80年前の被爆の惨禍の中から希望の光を灯すように花開いたカンナの花は、正に原爆に打ちひしがれた人たちに生きる希望と勇気を与えてくれました。
「75年は草木も生えない」と言われた広島の大地から生まれ育まれた命が、人々の心を癒し励まし、生活の再建と街の復興の原動力になったことは想像に難くありません。
被爆者の方々は、人類の未来を見据えた「人類愛」と「寛容」の精神をもって悲惨な被爆の実相を語り核兵器廃絶を訴え続けてこられましたが、
被爆直後の爽やかな青空の下、慎ましくも美しく、逞しく咲いたカンナの花が、怒りや憎しみを乗り越えて“恕し”の精神で平和を希求する「ヒロシマの心」の原点だったのではないかと推察しています。
そうした恕の心を象徴するカンナを通して、20年にも渡り日本の子ども達はもとより世界各地にも恕し、思いやり、感謝の気持ちの大切さを伝えてこられた橘様のご活動に心から敬意を表します。
今世界では、核兵器をはじめ強大な軍事力を背景に相手を力づくで押さえつけるといった“強者の論理”、“自分本位の考え”がまかり通り、一歩間違えれば人類滅亡への道を歩みかねない危機的状況にあると認識していますが、こうした時代だからこそ、人間の本質に立ち返り、恕の心や謙虚な気持ち、人と人の繋がりやご縁、相手を思いやる心を大切に、相互の違いを乗り越え世界の人達と連帯して、誰しもが笑顔で過ごすことができる平和な世界を構築していく事が重要と思っています。
今後とも、本市そして当資料館の平和の取組にお力添えをいただく事ができれば幸甚に存じます。
時節柄くれぐれもご自愛いただき、益々のご活躍をお祈りしています。
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ありがたく心にきざみます。
館長 石田 芳文
著書紹介
「カンナを植えたあなたへ」
想いがつながりますように。
(Amazonアソシエイトリンク)
【広島カンナ・プロジェクト2025】3日目
市長に表敬訪問。
こちらに伺う前に、原爆資料館に寄り
館長に拙著を謹呈。
館長にはお逢いできませんでしたが、拙著をお預けしてかえりました。
市長への表敬訪問。拙著を謹呈させて頂きました。20年プロジェクト全容を知って頂けたらと思います。
恕を踏まえた市長のお話し。
本能とそのコントロールの話をしてくださいました。
いつもためになる話をしてくださいます。
【広島カンナ・プロジェクト2025】3日目
段原小から市役所へ。青少年非行防止の担当の花壇を見に行きました。この庁舎は取り壊されることが決まっていて、移転先はすでに用意されているとのこと。花壇はどうなるのかきになっています。子どもたちが植えて観察日記も書いてくれていました。もう10年以上前のことですが、それから毎年ご挨拶には伺っています。また、こちらのかだんには、教育長にバトンしたカンナも、退職の際移植されています。きれいに手入れされていました。あの時の担当の方が己斐小の校長先生だった方なのでつながりました。この日は、異動でお逢いできませんでしたが、職員の方々がご対応下さり、拙著はお預けすることができました。
【広島カンナ・プロジェクト2025】3日目
ご連絡はしていなかったのですが、花壇の写真だけでも撮り、拙著をお預けして行くことができたらと段原小学校に寄らせて頂きました。こちらの学校が、「カンナ子ども夢プラン」オリパラカンナの発祥の学校です。
ちょうど校長先生がお出かけのところにばったりお逢いできて、拙著と今年度の看板をお渡しすることができました。
昨年はゆっくりお話しができたので、まずはお読み頂けたらと思う次第です。看板も昨年のが張り替えられていました。
【広島カンナ・プロジェクト2025】3日目
基町小へご挨拶。教頭先生が己斐小でI先生と同じ時期に4年生の担任をしていらしたとお聞きして嬉しくなりました。こちらのカンナ・プロジェクトからは平和公園からの平和の軸線に平和の道を作りました。カンナ・プロジェクトのカンナがバトンされ植えられています。
壁の改修工事でシートで覆われていましたが、きれいになりますねカンナはずいぶん増えていました。今年度の看板もお持ちしました。
【広島カンナ・プロジェクト2025】3日目
己斐小から次の基町小の間に、いつも広島にいない私のためにカンナの情報をお知らせ下さるカンナ大使のばいやんさんと護国神社で落ち合うことになりました。ばいやんにも拙著を謹呈させて頂きました。
お仕事とお母様の介護の合間に会いに来て下さりありがとうございました。また、新しい情報を教えて下さいました。
基町小でのカンナ・プロジェクトは「平和の道」を作って下さいましたが、その道にもつながるような場所だということです。
カンナ咲いていました。タイトなスケジュールですので、なかなか正確な予定表は作成できないので、ほんとうに恐縮です。
これからお仕事とのこと。お逢いできてよかったです。
【広島カンナ・プロジェクト2025】3日目。
己斐小でカンナと恕の授業をさせて頂きました。この学校の子どもたちとは2009年からのお付き合いで、
オバマ大統領に資料館に来てカンナのパネルを見てほしいの手紙にも、宇宙カンナにも、オリパラカンナにも、サミットカンナにも全部参加して下さいました。さらには東北大震災の時はカンナをバトンするにとどまらず、自分たちで寄付を集めて、この学校と深い関係の「ズッコケ3人組」の本をシリーズでカンナのかれた冬にプレゼントしてくれました。翌夏休みには、
そんなバトンをした被災地の大谷地小学校が、青年商工会議所の招きで(偶然のお導き)両校の子どもたちが交流をするという大きなイベントにも参加しました。たくさんの思い出があります。そして、サミットの時の〈どうしたら平和はつくれるのか〉の発表に「自分がされて嫌なことをしないこと」だと言ってくれて、まさに恕の相手の身になるの一番大事な部分を言い当ててくれたのも印象的でした。
もうすぐ運動会ということで、体育館でソーランソーラン!と元気な声で練習したすぐ後の授業でしたが、集中して、たくさんメモを取り、発言もして充実したカンナ・プロジェクトとなりました。2009年から16年校長先生はもう何代目でしょう。
長いお付き合いになりました。この日は仕事ではなくてお逢いできなかったのですが、ずっとこちらで教えていらっしゃるI先生は今もこちらの学校の先生です。お逢いしたかったです。
【広島カンナ・プロジェクト2025】2日目
いつも広島で暖かく迎えて下さり、
「あんたがやらんで誰がやるんじゃ!」
と背中を押して下さる中本さん。
シベリアに抑留されて帰還され亡くなる94歳まで
応援してくださいました。
仏壇に拙著を供えご報告致しました。
夕食はやはりお好み焼きですね
カンナ大使さんたちと
最高に美味しいお好み焼きを頂きました
【広島カンナ・プロジェクト2025】2日目
広島植物公園に向かいました。
今年から園長が変わっています。
毎年ご挨拶に伺いますが、
新しい園長はどのような方でしょうと
ちょっとドキドキします。
とても穏和な方でした。
やはりお逢いするのが一番です。
カンナ・プロジェクトのことも理解して下さり、
これからもしっかりお世話して頂けることになりました。
「宇宙カンナ」は20校の参加校とこちらの植物公園、
須坂どうぶつ園とアンデルセン公園ですので
よろしくお願いしたいです。
広島原爆から1ヶ月で爆心地820mに咲いて人々に生きる力をくれたのに忘れられた「真っ赤なカンナ」を子どもたちと現在に蘇らせ、同じカンナから増えた球根をバトンすることで、違いを超えてお互いに想いを馳せ合うことを目的とします。同じ株を分かち合ったところに爆弾は落とせないと感じられる子どもたちであってほしいという思いです。
忘れられたのに全てを恕(ゆる)し、受け入れたカンナの妖精「かんなちゃん」が子どもたちと巻き起こす、「平和を願う活動」です。現在、33都道府県、世界16ヶ国194校、13幼・保育園、里親制度登録1398人につながりました。(2024年2月現在)
【広島遠征】2日目
大州小
を出て、コンビニでお昼のパンを頂き安田幼稚園に向かいました。安田小学校からバトンされた宇宙カンナがまだ咲いていました。安田とのご縁を頂いた当時の校長先生、その後幼稚園園長として毎年お逢いしてきましたが、今年は退いて、週に2度ほど来園されるとのこと、お目にかかることはできませんでしたが、拙著をお預けしてきました。現在園長とも懇意にして頂き今年もお逢いできました。
ありがとうございました。
【広島遠征】2日目
支援学校から、大州小学校に向かいました。今回は授業はできませんでしたが、校長、教頭先生にご挨拶して、拙著を謹呈。カンナの写真を撮らせて頂きました。そして、こちらの卒業生のお母様にもお逢いすることができました。カンナロードは今も花を咲かせてくださっています。ありがたいです。
その立役者の越智さんにもお逢いできました。その奇跡の出逢いのことも書いています。20年の時はどなたにも同じように降り注がれています。85歳になられていました。越智さんにも謹呈させて頂きました。
85歳になられてもなお、朝の交通安全の見守りを続けていらっしゃいます。尊敬の念でいっぱいです。これからも、どうぞお元気で朝の顔を子どもたちや通勤の方々、そしてドライバーの方々に向けて下さい。このような素敵な方に出会えて幸せです。カンナロードとともにいつまでもお元気でまた来年も会いに行きます。
【広島遠征】 2日目
広島特別支援学校で2時間のカンナ・プロジェクト。
広島に修学旅行に来る同年代の静岡の特別支援学校の高校生とのカンナを通した交流で、修学旅行がより有意義なものになるのではないかと思います。静岡では7月に授業をしました。その時もzoomで繋いで下さいました。今回もzoomで静岡の学校と繋いで下さいました。
せっかくなので、最後は生徒同士の交流の時間としました。実際に交流するのは2年生だそうです。休み時間になると、早速2年生にカンナ・プロジェクトのことを話していました。
こちらでも、「恕」についてもふれました。まずは、自分を受け入れること。恕(ゆる)すこと。自分を好きになることの話をしました。
学校でも、同じことを生徒たちに伝えているとのこと。
自分を受け入れられなければ、他者も認めることは難しいですよね。お互いにお互いを尊重することが、平和への一歩ではないでしょうか。
12月にはこちらのカンナの球根を静岡の生徒さんたちに1人ずつ差し上げてバトンをつなぎます。写真がまだ送られてこないので私の撮った校長先生たちとカンナの写真を載せます。新校舎の入り口に一株置いてくれていました。残りは本校舎の校庭で咲かせています。
こちらにも拙著を謹呈させていただきました
【広島遠征】1日目
カンナの授業が月曜日午前中なので、前日の広島入り。到着の午後はカンナ大使さん(カンナ・プロジェクト応援者)にお逢いできました。カンナの歌を3曲も作ってくださった三桝先生です。積もる話もあり、大事な話もありの時間を過ごすことができました。お忙しい中お時間をいただきありがとうございました。拙著を謹呈させて頂きました。
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【広島遠征2025 10月20】
カンナの授業が月曜日の午前中だったので前日に広島入りをしました。午後の到着後「ありんことカンナ」の作者にお逢いしました。FBでカンナ・プロジェクトを見つけて下さり、お友達になった毛利さん。「いつかカンナの絵本をつくる」とおっしゃって今年戦後80年に出版されました。昨年は折鶴タワーの壁画(壁画を描かれました)を案内下さいました。切り絵作家さんです。原爆投下の土の中でカンナの根っこを守ってくれたありさんたちです。
土の中を描くのは発想が素敵です。別のカンナ大使さん(カンナ・プロジェクトを応援してくださる方)がこの本の新聞記事を切り抜いておいて下さいました。ほんとうにありがたいです。新聞の記事に私とのことをお話し下さっているのもうれしいです記事には7〜8年前とありますが、友だちリクエストを頂いたのは2013年でしたのでもう12年になるのですね。
皆様も是非「ありんことカンナ」お読み下さい。
ちばてつやさんは満州からの引き上げ者だそうです。
満州での終戦後はつらいつらい毎日とお聞きしました。
2009年12月、栃木県に仕事に行く友人たちから「仕事が終わったら餃子を食べよう!」と誘われ、皆さんが仕事の間は待合室でローカルの雑誌を読んで待っていました。その雑誌にちばてつやさんと編集長の対談がありました。満州の引き上げのことや、最終的には戦争の事を描く。というようなことが書かれていました。仕事の打ち合わせを終えた友人たちが戻ってきましたので、その話をしました。すると、「この編集長なら下の階にいるから紹介するよ」と言ってお会いしました。「戦争のことを描かれる時、広島なら爆心地に真っ赤なカンナの咲いている一コマがあったらいいなと思うのです。」などと話していると、お手紙書いてみたらと住所を教えてくださったのです。『そんな簡単に教えていいのかしら・・・』と内心思い、すぐに手紙は書きませんでした。本当に手紙なんか送っていいのかしらと思い、
そのままにしていました。
年が明けしばらくして、せっかく教えてくださったのだからと考え直し、カンナ・プロジェクトの事を手紙に書いてみました。
それから数日後、登録のない電話が携帯に何度もありました。
ちょうど授業中でしたので、出られずに、休憩時間に折り返したのですが、今度はその相手が留守。
で、また授業に出ている間にも電話が入れ違いにあり、
今度は留守電が入っていました。なんと、ちばてつやさんでした。
「お手紙を読んで感動しました。電話ください。」という内容でした。
授業が終わりお電話しました。
「今、腰を悪くして休んでいます。こういう時でもないと、とても忙しくてお会いできないので、ぜひ家にお越しください。ぜひカンナ・プロジェクトの話を伺いたい」と。確か、そのあとお電話して、そのまま伺うことになったと記憶しています。授業がお昼過ぎで終わったのですぐに、言われた住所に向かいました。駅にご子息様が迎えに行くからということで最寄駅に着くと、迎えの車がついていました。ご自宅に案内されて、話がはずみ数時間が過ぎていました。
もう夕方です。辞去を申し上げますと、1冊の本をお持ちになりました。「これは友人知人に贈るために書いた600冊の1冊です。」
そうおっしゃってこの本をくださいました。
「カンナのことどのように扱ったら良いのか、自分に何ができるのかゆっくり考えてみたいと思います。」そう言ってくださったのです。
ご子息様が駅まで送ってくださり帰路につきました。
確か2010年の1月19日だったと思います。
写真も撮りませんでした。サインをとも申し上げませんでした。
すっかり暗くなっていました。
電車に乗って本を開くと、そこにはサインがしてあったのです。『あ〜、やはり言わないでよかった』と思いました。さらに裏表紙を開くと、
なんと、真っ赤なカンナの絵が書いてあるではないですか・・・・。
用意していてくださったのですね。
なんだかとても嬉しく思いました。
いつか、ちばてつやさんのお描きになる戦争のご著書に
真っ赤なカンナが咲くことを楽しみにしています。
そんなことを思い出しました。
恵比寿ガーデンプレイスの東京都写真美術館で
開催されていた「被爆80年企画展ヒロシマ1945」に
2016年リニューアルの際、
あのカンナの大きなパネルが壁ごと壊されると知り、
カンナ大使館さん3人の協力で助けだした時、
小さくてもよいのでパネルを残して頂くように
署名活動をして実現した小さい版のカンナのパネル(写真)が、この度の恵比寿での展示に使われました。
あの日のリニューアルのための大きなパネルの
壁ごとの取り壊し作業に2人のカンナ大使さんが
救出作業にかけつけてくださり、
東京で仕事中の私とのリモートのやり取りで
救い出しました。
このための当時の平和推進課長さんとのやりとりの末、工事で捨てられた物は、
どのように扱っても構わないという結論に基づく救出劇となりました。
工事関係者も事情を考慮して、
当初は壁ごと壊す予定を
一枚のパネルの形を残しての作業に変えて下さり
無傷のまま取り出すことができました。
救い出したという表現をさせて頂くのは、
ほんとうに壮絶な一連の問題をクリアしての
ことだったからなのです。
カンナ大使の男性2人はヘルメットを被り
一緒に作業に臨んで下さいました。
今現在、その壁一面の大きなパネルは
長野県須坂市のメセナホールに掲げられています。
救い出したところで、このように大きなパネルです、
引取り手の問題がありました。
その時の須坂市の市長さんのことばが、また素晴らしいのです。
「もし、他にほしいという方がなければ、
うちにください。」でした。
ふつう、他にほしい方がいなけれは、うちがもらいますのような表現をされると思いますが、ちょっとした表現の違いに、市長さんのお人柄があらわれていました。
この奥には、うちが欲しいけれど、
他にいらっしゃるならという控えめな気持ちが込められているのを感じて、
すぐにこちらに差し上げようと決めたのでした。
署名にはこの須坂の市民の方々からもたくさん頂きました
また、長野県須坂市までの陸送にひと役買って下さったカンナ大使さんも含め、ほんとうに3人には感謝ばかりです。
後日、広島の原爆資料館の館長はじめ平和推進課の方々にご尽力下さったカンナ大使さん3名はじめ数人で、この一連の記録を写真を添えて報告に伺いました。
この一連の記録は、
まもなく出版されるカンナ・プロジェクトの本にも
書きましたが、たくさんの方々の想いの込められた
救出劇でした。
この報告の後は、小さなパネルを資料館の地下に展示して下さっていますが、当時の館長さんから、
「小さくても残して良かったです。」と言って頂きました。
カンナのはなしを聞いた修学旅行生たちは、
この小さくなったパネルを探してくれます。
このような形で役に立っていると知るとまた、
あの日の心臓バクバクの日々がよみがえり、3人のカンナ大使さんたちにあらためて感謝の気持ちをお伝えしようと思うのです。
恵比寿での展示をご覧になって
写真付きでお知らせ下さった方もカンナ大使さんです。
お知らせ下さり感謝致します。
以下のお言葉もそえてありました。
「橘さんのことを思い出しながら拝見しました。カンナちゃん、カンナ大使のご活躍で、核廃絶が一日もはやく実現するようにとお祈り致します。」と。
ほんとうにそう思います。
このホームページ内のエピソードでご覧いただけます。
カンナパネルの救出劇は、https://sites.google.com/.../1yOAV9pN2UL9JgSMOKkjwQ1.../edit
8月30日【終戦から80年の8月が終わります】
生きたかったであろう命、
さっきまでふつうに生きていたのに突然奪われた命。
あのがれきの土の中から、
たくさんの尊い命の血潮を吸って、
生き返って咲いてくれた「真っ赤なカンナ」
カンナが咲いてくれたことを忘れることは、
そういった方々の尊い命を忘れることのように感じるのです
終戦から80年。
こうして平和に生きて来られた時代に生まれたことに感謝しつつ、
そのようにして奪われた命の過去を悼み、
今、一瞬、一瞬を愛おしく感謝して生き、
未来に命をつないでいきたいです。
子どもたちに残してやりたいです。
私たちが当たり前のように受けてきた平和を!
7月30日 メタバース空間での発表
先日、学校から、カンナの話や恕(じょ)の話を発表しても良いですか?
とメールをくださった学校のいよいよ発表の日がやってきました。
突然の津波警報に心落ち着かないままの新しいアプリの取り込みなど、ハラハラドキドキの時間でしたが、アーカイブになったら、ぜひ、もう一度ゆっくりと聴きなおしたいです。
素晴らしい発表でした。
大阪万博のSDGsのイベントで小学生から大学生までの発表がありました。
初めて使うアプリ「cluster」で、メタバース空間での視聴のイベントでした。
カンナ・プロジェクトに参加の小学6年生が
「恕とカンナ・プロジェクト」の話を発表してくれました。
大人でも、読めない・知らないこの「恕(じょ)」ですが、
カンナの子どもたちは小学1年生でも知っています。
今日の発表も素晴らしいものでした。
私はこれからの人生の仕事はこの「恕」を前面に出しての
研修をしてていこうと思うようになりました。
今日の子どもたちの発表に背中を押されました。
「恕」の究極は平和です。
カンナのバトンをつなぐのも「恕」の概念からです。
カンナに参加した子どもたちは理解してくれているのだと、
この発表を聞いて思いました。
お互いに違いを認め合い、受け入れるのゆるすは「許可の許す」ではないのです。「恕の恕(ゆる)す」なのです。
人生の最後の仕事と思い、「恕」を前面にした研修をしていきたいと思います。
戦争をなくすことは難しいですが、
自分たちの身の回りの人たちの関係を平和にすることはできると思います。
子どもたちに遅れないように、ぜひ、大人の皆様も、「恕」を知ってください。覚えてください。
まずは漢字を知ることからです。
暮れの清水寺の漢字ひと文字が「恕」になりますよう
カンナとともに伝えてまいります。
問いかけは
①カンナが教えてくれたことはなんですか?
②未来に向けて私たちがすることは何でしょう?
③印象に残っていることはなんですか?
校長先生からも、「今後の学校での平和学習や広島への修学旅行から、生徒たちの自己理解や卒業後の人生がゆたかになるような活動になるように取り組んでいきたい」とおっしゃって頂きました。バトンしたカンナの世話も積極的に取り組んでくれているのを聞いてうれしく思います。
感想の中でも多数の生徒さんが感じたものを抜きだしますね。
・どんな時もあきらめない
・全てを恕(ゆる)す
・相手の気持ちを考える。受け入れる。恕(ゆる)す。
・自分がされていやなことはしない
・自分のことを知り、自分を好きになる
・自分自身の行動を見つめなおす
・嫌なことがあっても前向きに
・地球は一つのおうち
・地球人は皆家族
恕の精神、やはり大切だと改めて感じました。
子供達はmちゃんと受け取ってくれています。
そして、昨年のカンナ・プロジェクトに参加した卒業生たちが全員就職して頑張っている事をお聞きして嬉しかったです。
一度ご縁を頂くと思いを馳せる人が増えますね。感謝です
【今年のカンナたち】
2025年、今、咲いているカンナたちです。
東京五輪2020に咲かせたいという小学生の夢を高校生たちが叶えました。7年の歳月がかかりました。2013年の広島の段原小学校の子どもたちから提案された夢を見事に実現させました。
なぜオリンピックに咲かせるのかという整合性を考えるところから始まり、プレゼン資料を作成。農林水産省花卉課、外務省、組織委員会などにプレゼンにいき夢を叶えました。
コロナの影響で開催は1年延期されたり、で公表することができない期間が続き、閉会後にようやく解禁になりました。咲いているところにもやたらには集うことができずに色々な苦労がありましたが、閉会後は、きれいに球根にして戻してくださいました。
今咲いているのは、その時のオリパラに咲かせたカンナの子孫になりますね。今年も参加校や里親さんたちのところでで咲いてくれています。
2020年3月〜8月の5ヶ月ISSに滞在した子どもたちが育てたカンナの帰還後の発芽です。「宇宙カンナ」と名付けられています。枚方市立東香里小学校。今年は4回目の宇宙カンナですね。非常に貴重な「宇宙カンナ」の存在です。子どもたちが育てたカンナが宇宙に行ったのです。
「宇宙カンナ」実現にはたくさんのエピソードがあります。
左は昨年の広島サミットのメディアセンターエントランスに展示した子どもたちのカンナから増えた株です。
右は2016年に都内某所にリレーしたカンナです。
非営利教育活動
「宇宙から見たら地球はひとつのおうちです」
Seen from space, the Earth is one house
原爆にも負けないで咲いて、復興を促したのに忘れられたカンナ
それでも恨んだりせずすべてを恕(ゆる)し受け入れたカンナ
宇宙から地球を見守ったカンナの妖精かんなちゃんの言葉です。
この実践活動がカンナ・プロジェクトです。
メインの活動は「カンナリレー 」です。
このカンナリレーは国内外の205校(幼稚園・保育園・学校)につなぎました
そのカンナたちは子どもたちの手でこんなことを成し遂げました
2020年、国際宇宙ステーション(ISS)に行きました 🚀 🛰
2021年、ISSとの交信成功。宇宙飛行士と直接話しました
2021年、平和の祭典「東京五輪2020」に咲きました 🌺
2013年から7年の年月をかけて、「カンナで叶えたい広島の小学生の夢」を
次世代チームの高校生たちが実現させました❣️
実現させた高校生たちはこんなことを学びました
①小学生の夢を叶えてあげよう!という思いやりが、実は自らの学びとなった
②普通では無理な大きな夢の叶え方を、ゴールドラット博士の手法から学んだ
③原爆にも負けないで咲いてくれたカンナから、諦めないという精神を学んだ
④創設者の「恕学アカデミー」から相手の身になるとはどういうことか学んだ
⑤「やればできる!」を実際に体験したことで、夢は夢ではないことを学んだ
カンナ・Pにはたくさんの小・中学生・高校生が参加しました
カンナ・Pの講演を聞いた小学校の児童たちは現在20代30代です。
問題点 卒業後は個人情報の関係でアクセスが取れない卒業生たち。
社会人となったその子たちが「カンナ・プロジェクト」を
見つけてくれることを願いこのホームページを作りました。
このホームページを見て、子どもの頃カンナ咲かせたなぁと思い出したら
是非連絡ください😋
cannaproject2022@gmail.com
世界中の人の心に平和の花を咲かせましょう!
平和は誰もが願います。
しかし、アクションを起こす人は少ないです
小さな優しいアクションをカンナリレー で!
こちらのホームページは2022年からのものです。
旧ホームページは右上の
「カンナ・プロジェクト活動記録編2004~2021」クリックしてください
閲覧できます。
講演の依頼はこちらへ cannaproject2022@gmail.com
講演費は若い世代の活動を支援する基金となります
講演のテーマ(例)
1、「恕(じょ)」について
2、一人真に発すれば=本気の力
3、「かんなちゃん語録」を紐解く
4、今、今、今を「ただ たんたんと」
5、1× 5000〈 5000 × 1の法則
6、19年の活動で得たこと・出遭いの不思議
7、できそうにない大きな夢を叶えるための方法
8、その他 他にもご希望のテーマをお寄せください
皆様の日常や仕事、子育てに役立つことをカンナの活動から紐解きます。
大学講師・研修講師として多数の講演をしてきた創始者が講演します。
カンナの妖精かんなちゃん プロフィール
1945年 9月 広島爆心地820m生まれ
復興の陰で刈り取られ忘れられたカンナ妖精
宇宙に上がり地球の平和を見守る
2004年 橘凛保と出遭う
2013年 橘デザインかんなちゃん人形となる
2014年 須坂市に抜擢 ゆるキャラになる
ゆるキャラの体をもらい、時々地球に来て子どもたちとカンナを植えている
*子どもたちとの活動の中で学んだことを
「かんなちゃん語録」として綴っています。
2020年のラスト全国ゆるキャラグランプリ
成績 58位/687キャラクター中
かんなちゃんLINEスタンプ
↓ ↓
https://store.line.me/stickershop/product/1318561/ja
橘 凛保(たちばなりほ) プロフィール
一般社団法人橘流恕学アカデミー 代表理事
カンナ・プロジェクト 創始者
大学講師・ビジネスマナー研修講師を経て、2011年、一 般社団法人橘流恕学アカデミーを設立。「恕学(じょがく)」創始者
孔子の教え「恕(じょ/ゆるす)」をマナーの根幹に据え、「相手の身 になる」「自分を受け入れ他者も受け入れる」「思いやりの心」を伝えている。
「 恕学」とは、 難しい「恕」の概念を「考える学習」を通して紐解く学びです
【社会貢献活動】
非営利教育活動 カンナ・プロジェクト
マナー文化教育協会本部講師
(テキスト・検定試験編纂、講師養成)
財団法人日本伝統文化保存歌舞伎指導者
(和の作法・ボイストレーナー)
教育のための TOC
クレデンシャルトレーニングファシリテータ
表千家茶道講師(教授課程修了)
【学校関係 講義 講演】
創英短期大学情報学科特任講師 秘書実務(必須科目)2012 年 3月短大部終了に伴い退職
学習院大学・東洋英和女学院大学・香 港大学日本語学科 HKUSPACE・大宮開成中学校・クラーク記念国際高等学校 (三浦雄一郎校長)
城西大学付属城西中学高・YMCA・国連ハノイ国際学校・山野愛子美容学校・ワタナベエンタープライズカレッジ・・・他
【ビジネスマナー研修・講演】
伊勢丹リクルート研修・毎日フレッシャーズ新人研修・東京ガス・東京水道 東京都中小企業組合士協会・ハローワーク・東京都水辺ライン
株式会社ドコモエンジニアリング・聖路加看護大学ルカナビ講座 一般社団法人広島青年会議所 その他医療機関 ・美容関係 ・・・他各種企業
【メディア関係】NHK「アナザーストーリズ」 フジテレビ「めざましテレビ ここ調」 朝日TV「ハナタカ優越感」フジテレビ「全国一斉!日本人クイズ」 フジテレビ「ノンスト ップ」(2015 年 12 月生放送部門視聴率1位) 広島ホームテレビ(2008 年ドキュメンタリーニュ ース賞受賞) ・他、
毎日放送・関西テレビ・NHK 広島・NHK ラジオなど出演
【書籍・執筆】 「大人の日本語力が身につく本」(晋遊舎)・学研「マナー大辞典」所作モデル・「日野原重 明 の FB のすすめ」掲載(小学館)
「新聞マナー記事」などに執筆
【web】
シュフィール ・マイナビ ・(株)ビズアップ総研
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平和な未来をつくる子どもたちを育む、創始者の自費による教育活動です。
企画・運営・事務処理は創始者1人ですが、行く先々にはたくさんの賛同者が同行下さいます。
その賛同者たちも純然たる自発的な活動です。
平和を希求する人たちの真のボランティア活動です。
同じカンナの株分けした球根でバトンを「つなぐ」ことが、カンナ・プロジェクト(以下カンナ・P)のコンセプトです。買った球根なら楽です。しかし、ここにこだわるのは、バトンを渡した人たち、受け取った人たちがお互いに思いを馳せ合えたら、平和の小さな一歩となるのではないかと考えたからです。そのお互いには、「違い」があるからこその「馳せ合う」です。
国を超えてバトンを繋いでいるのも、さまざまな宗教のところに繋いでいるのも、全ては、この違いを受け止める、受け入れる、違いも認め合って尊重し合うことが平和を築く上で大切なことだと思っているからです。
これは、本業(一般社団法人橘流恕学アカデミー)で伝えている「恕す(ゆるす)受け入れる」の概念です。創始者が30年来伝えている「恕」の精神です。その実践がカンナ・Pなのかもしれません。
原爆にも負けないで、爆心地にいち早く咲いた真っ赤なカンナ。
人々に「生きられるよ!」をくれた真っ赤なカンナ。
復興の陰で忘れられても全てを恕(ゆる)し、宇宙から地球を見守ってくれている妖精かんなちゃん。
カンナを通して、私どもは、この概念を学んでいます。
忘れられたカンナの事実
活動を始めた2004年当時は、広島の人でさえ知らないという「忘れられたカンナの事実(広島原爆投下から一ヶ月で爆心地820mに咲いた真っ赤な花)」(写真)を伝え、子どもたちとカンナの花を現在に蘇らせてつなぐ平和のバトンです。
プロジェクトのキャラクター:かんなちゃん
原爆にも負けないで咲いて、人々に「生きられるよ!」の希望をくれたカンナの妖精。
復興の陰で刈り取られ、人々の記憶からも消えたカンナ。
それでも、人々を恕(ゆる)し、宇宙から地球の平和を見守っている。
「宇宙から見たら地球はひとつのおうち」と妖精かんなちゃんは教えてくれました。
カンナリレー
1945年に咲いたカンナは復興とともに刈り取られ、人々の記憶からも消えました。
現在、カンナ・プロジェクト創始者の発案により、広島の子どもたちとカンナの花を蘇らせ、広島の土を吸ったカンナを世界16カ国・国内 33都道府県192校、里親さん1348人に繋ぐ。
雪にも強い球根を探し、長野県須坂市の花卉店経営 田辺雅夫さんと出あう。
田辺氏は3年の努力で寒冷地での越冬に成功。購入を申し出たところ、趣旨に賛同し約100株をご提供くださる。
2010年9月ご逝去。その後は、ご子息さま、そして、須坂市が2015年まで球根提供に協力。
一枚の写真から多くの子どもたちの手を経て宇宙へ行ったカンナ・プロジェクト
2004年、初めて訪れた広島の原爆資料館で、悲惨な展示にどうすることもできない思いに苛まれた。出口に掲げられた、壁一面の大きなモノクロ写真にカンナが咲いているのを見て救われた。このカンナにお礼がしたくて物語を書く。原爆とこのカンナについて調べ始める。
2005年、物語完成。知人の勧めで、広島で発表。120人が会場に参集。
ありふれたアンケートの結果に驚く。その120人の誰一人としてこのカンナの存在を知らないという。その後の調査でも「初めて聞いた」という声に驚き、周知活動を始める。
2006年、広島前市長より感謝の花束が贈られる。(毎年8月の公演で3年間 )
2007年、広島市立袋町小学校での講演の際、「カンナの花を見たことがない」と児童が発言。
カンナ植栽に向けて購入先を探す。
2008年、カンナの植栽活動。広島市内の小学校9校にて講演と植栽。
広島市にも寄贈。原爆ドームを見晴るかす元安川河岸にカンナの小径できる。
NHKラジオで世界に向けてカンナ・プロジェクトが伝えられる。
広島ファミリーテレビでは、「ドキュメンタリーニュース賞」を受賞。
2009年、球根は、広島の大地に根ざし、4〜5倍にも増えた。「カンナリレー 」が始まる。
沖縄はじめ、東京、大阪にバトンをつなぐ。
ルールは「必ず、広島の子どもたちが育てたカンナの球根をバトンとする。」こと。
2010年、初めて海外カンナ・プロジェクト。モン・サン=ミッシェルにバトンがつながる。
2009年暮れに広島五輪の話が持ち上がる。即座に、会場に、各国の選手とともにバトンをつないだ国々で咲いた真っ赤なカンナが会場に咲くイメージが浮かぶ。平和の祭典にふさわしい「広島五輪」のために、海外で咲かせることを思いつく。(その後、広島五輪の話は消える。)
2011年、東日本大震災。子どもたち自らが東北にバトンして欲しいと球根を託すようになる。
「被災地カンナリレー 」始まる。福島・宮城・岩手へと被災地をめぐる旅が始まる。
被災地でカンナを植えている子どもが天使に見えた。その子をモデルにしたイラストで羊毛フェルトの人形を作成、「かんなちゃん」と名付ける。
ゆるキャラかんなちゃん誕生 2013年、長野県須坂市長の目に留まり、須坂市議会を通して採択され、2014年「ゆるキャラかんなちゃん」として誕生する。
ゆるキャラという体をいただいたカンナの妖精は子どもたちの前に姿を見せることができ、保育園・幼稚園でも活動が広がる。かんなちゃん語録できる。
初めて子どもたちに伝えた言葉は「宇宙から見たら地球は一つのおうちです。」でした。
須坂市とのご縁は、2007年に広島の小学生がカンナの花を見たことがないということから、購入先を検討。広島でも雪の積もるところに案内され、「雪に強いカンナ」を探し求め、須坂の田辺さんと出遭う。趣旨に賛同した田辺氏は、無償で子どもたちに球根100個を提供くださる。
2010年9月田辺さんご逝去。ご葬儀の帰り道、ご子息からの「これからは僕が父にかわりカンナを送ります。」この言葉にカンナ・プロジェクトを続けることを田辺さんの墓前に約束。
須坂市長も、カンナの提供をお申し出くださり、2015年まで、カンナの球根のご提供いただく。(この頃には、バトンしたカンナがかなり増える。)
2011年夏、「福島で咲いたカンナが欲しい。」と、バチカンからオファーをいただき届ける。
その後、ベトナム、バリ、インド、オーストラリア、ミャンマーなど海外16カ国、国内33都道府県、192校でカンナリレー がつながる。
2011年晩秋、被災地の校長先生からの「忘れられていく・・・」の言葉に「カンナの花笑みに替えて、人の笑顔を届けます!」と約束。「カンナスマイル」が始まる。
千人ごとに印刷して被災地に届ける。2016年10月、一万人を超える。
2012年8月、広島商工会議所青年部の企画で、カンナをバトンした広島の己斐小学校と被災地石巻の大谷地小学生の児童たちの交流。広島原爆資料館見学。
2013年、広島市立段原小学校(当時6年生)で「カンナを使って叶えたい夢はありますか?」の問いに対して、「オリパラに咲かせたい!」「カンナ子ども夢プラン」始まる。
選手に持ち帰ってもらうために球根は重いので、「タネを渡そう!」というプランができる。
ちょうど、ベトナム行きの機内で、隣の席の方からいただいた「カンナのタネを宇宙へ持って行く」のプランと重ね、①オリパラにつなぐカンナリレー ②カンナ子ども平和宇宙ミッションの2つの「カンナ子ども夢プラン」できる。「カンナ・プロジェクト次世代チーム」を結成。名古屋・インド・東京の高校生たちと「小学生の夢」の実現に向けて取り組む。イスラエルのゴールドラット氏の「制約理論」を用いて(ファシリテーター有資格)、叶いそうにない大きな夢を叶える理論を高校生たちと展開。
企画書を作成する。
名古屋の次世代チームとの出逢いのご縁は、のちにファーストレディーとなった安倍昭恵さん。
カンナ・プロジェクトに関心を寄せられ、2013年、国立愛知大学附属中学校に講演・植栽。
プライベートで出かける。2016年には、次世代チームとともに首相公邸に植栽。
そこから、ワシントンの桜の会(当時のトランプ大統領夫人が総裁)、聴覚障害者の専門大学(世界で1つ)ギャロデット大学、ベルギーにバトンがつながる。
2021年には、オリパラにつなぐカンナとして咲く。
2014年「ゆるキャラかんなちゃん」誕生。
カンナの妖精がゆるキャラの体をもらったことで、子どもたちと植栽することができるようになり、幼稚園・保育園にもリレー が広がる。この年、北極圏にもカンナリレー 繋がる。
2015年、アフリカにカンナリレー 繋がる。
2016年3月、マルティンルターの宗教改革から500年の和解に、カンナ・プロジェクトでバトンをつないでいるカンナを「和解のシンボルフラワー」にとのオファーをいただく。
2016年、第1回組織委員会、外務省などへの次世代チームの高校生による「オリパラにつなぐカンナリレー」のプレゼンテーション始まる。その後、数回にわたりプレゼンテーションは続く。
2012年からの「カンナスマイルで東北を忘れない」が一万人に達する。国内、世界106カ国の人たちが参加。千人ごとに印刷して、東北にエールを届ける。
2017年、プレゼンテーションと並行して、採択された際に必要となるであろうカンナの球根栽培のため「カンナ里親制度」を作り、オリパラに向けて、子どもたちのみならず、一般市民のカンナ植栽への参加者を募る。現在1300人余の里親登録がある。
2017年2月、インドの学校3校、孤児院でカンナ・プロジェクト。
多宗教の子どもたちがカンナを植える。
2017年5月、宗教の壁を超え、広島の比治山神社にインドからのバトンつなぐ。
2017年10月、オーストラリアの高校でカンナ・プロジェクトの講演・植栽。
2017年11月23日、「マルティン・ルターの宗教改革」から500年の和解式典に招待を受け、次世代チーム東京の高校生と参列。シンボルフラワーに抜擢された「カンナ」を掲げ祈りを捧げる。宗教のわだかまりを超えて平和のバトンつながる。1200株の球根の提供に協力してくださった須坂市の中島さん率いる高梨地域とその地域の日の小学校とのご縁が深くなる。創立100周年記念の基調講演といて「カンナ・プロジェクトと恕の精神」という演題にて講演のオファーをいただく。
(のちの宇宙ミッションへとつながる)
2018年2月、ミャンマーでのカンナ・プロジェクト。
ミャンマーの僧院学校5校、公立学校1校で講演・植栽。
2019年、「カンナ子ども平和宇宙ミッション」の無償オファーが有料にかわる。
中止を子どもたちに相談。特別支援学校の高校1年生の一人の生徒の一言で、クラウドファンディングを決意。資金調達に挑戦する。
この時、実行委員会を設置。監査部を設けて資金の管理をお願いする。資金調達達成。
2020年3月7日、宇宙へ打ち上げ成功!
「カンナ子ども平和宇宙ミッション」カンナのタネ(他、長崎被爆クスノキのタネ・参加校30校の寄せ書き・参加者の自筆の名前など)ISSに滞在。
2020年8月3日、約5ヶ月のISS(国際宇宙ステーション)滞在を経て、初の民間ロケットにて、テスト宇宙飛行士3人とともに地球に帰還。2020年、コロナの蔓延で世界との行き来のできない中、奇跡の宇宙ミッション成功裏に終える。
2020年12月、コロナ禍で止められていたタネたちが日本に無事帰国。30校への報告とタネの返還。新たに進めていた植物園等公共機関への寄贈実施。
2021年7月〜9月、次世代チーム東京の高校生の頑張りが実り、東京五輪につなぐカンナリレー が認められました。オリパラのメダル獲得選手の表彰式・記者会見会場のホテルで咲きました。インド・バリ・ミャンマーからの里帰りカンナも含め、カンナ参加校、里親カンナ登録者からのカンナが咲きました。
2021年12月、組織委員会から東京五輪で咲いたカンナたちが届きました。現在、春からの各参加者の元へ戻すために東京で越冬中。これからのバトンには平和の祭典で咲いたカンナをバトンとしてつなぎます。
2021年春、「宇宙」を冠した「宇宙カンナ」の発芽に30校で挑戦。苗を4箇所(つくば科学博物館植物研究部・長野県須坂市立すざか動物園・船橋市立アンデルセン公園・夢の島植物公園)大島高校椿園に寄贈。見事に花を咲かせることに成功。
2021年12月3日、打ち上げ決定時から計画していた、「帰還後の子どもたちの宇宙との繋がり」を目的とした「宇宙との交信=カンナ・スクールコンタクト」(アマチュア無線協会とNASAとの教育プログラム。NASAの目的は宇宙飛行士への精神衛生を図るため)実施。カンナ子ども宙ミッション参加校から宇宙への質問を募集。代表校の長野県須坂市日野小学校にて、「次世代チーム須坂」の高校生たちと、無線で宇宙ステーション滞在中の宇宙飛行との交信に成功。
県内のアマチュア無線家の大人たちも協力。「無線家チーム」とのタイアップで、本格的な無線通信をISSとつなぐという偉業を成し遂げた。10分ほどの交信時間中に、15人の代表児童全員が質問を英語で伝え回答をいただく。アンテナ設置からライブ配信、宇宙飛行士の和訳まで、高校生たちの手によって行われた。コロナ真っ只中での約2年に渡るリモートでの打ち合わせにも関わらず、また、感染の増加による止む無しの中止、延期などに苛まれながらも、最後まで諦めず成功に導いた。
2022年春、オリンピック・パラリンピックに咲いたカンナ(組織委員会から返還)のバトン開始。