公認里親カンナ


Canna Project since2004とは(非営利実践教育活動)

平和な未来をつくることを育む教育活動。企画・運営・事務処理は1人ですが、行く先々にはたくさんの賛同者が同行。

創始者の「恕(じょ・ゆるす)」の講演を聞き、子どもたちと植栽する。

人と人の心のつながりだけで、手弁当で展開されるプロジェクトです。

忘れられたカンナの事実

活動を始めた2004年当時は、広島の人でさえ知らないという「忘れられたカンナの事実(広島原爆投下から一ヶ月で爆心地820mに咲いた真っ赤な花)」を伝え、子どもたちとカンナの花を現在に蘇らせてつなぐ平和のバトンです。

プロジェクトのキャラクター:かんなちゃん

原爆にも負けないで咲いて、人々に「生きられるよ!」の希望をくれたカンナの妖精。

復興の陰で刈り取られ、人々の記憶からも消えたカンナ。

それでも、人々を恕(ゆる)し、宇宙から地球の平和を見守っている。

「宇宙から見たら地球はひとつのおうち」と妖精かんなちゃんは教えてくれました。

カンナリレー


1945年に咲いたカンナは復興とともに刈り取られ、人々の記憶からも消えました。

現在、カンナ・プロジェクト創始者の発案により、広島の子どもたちとカンナの花を蘇らせ、広島の土を吸ったカンナを世界16カ国・国内 33都道府県192校、里親さん1348人に繋ぐ。


雪にも強い球根を探し、長野県須坂市の花卉店経営 田辺雅夫さんと出あう。

田辺氏は3年の努力で寒冷地での越冬に成功。購入を申し出たところ、趣旨に賛同し約100株をご提供くださる。


2010年9月ご逝去。その後は、ご子息さま、そして、須坂市が2015年まで球根提供に協力。




CannaProject since 2004    大まかな経緯

2004年、初めて訪れた広島の原爆資料館で、悲惨な展示にどうすることもできない思いに苛まれた

出口に掲げられた、壁一面の大きなモノクロ写真にカンナが咲いているのを見て救われた。

このカンナにお礼がしたくて物語を書く。原爆とこのカンナについて調べる。

2005年物語完成。知人の勧めで、広島で発表。120人が会場に参集。

ありふれたアンケートの結果に驚く。その120人の誰一人としてこのカンナの存在を知らないという。

その後の調査でも「初めて聞いた」という声に驚き、周知活動を始める。

2006年、広島前市長より感謝の花束が贈られる。(毎年8月の公演で3年間 )

2007年、広島市立袋町小学校での講演の際、「カンナの花を見たことがない」と児童が発言。

カンナ植栽に向けて購入先を探す。

2008年、カンナの植栽活動。広島市内の小学校9校にて講演と植栽。

広島市にも寄贈。原爆ドームを見晴るかす元安川河岸にカンナの小径できる。

NHKラジオで世界に向けてカンナ・プロジェクトが伝えられる。

広島ファミリーテレビでは、「ドキュメンタリーニュース賞」を受賞。

2009年球根は、広島の大地に根ざし、4〜5倍にも増えた。「カンナリレー 」が始まる。

沖縄はじめ、東京、大阪にバトンをつなぐ。

ルールは「必ず、広島の子どもたちが育てたカンナの球根をバトンとする。」こと

2010年、初めて海外カンナ・プロジェクト。モン・サン=ミッシェルにバトンがつながる。

2009年暮れに広島五輪の話が持ち上がる。即座に、会場に、各国の選手とともにバトンをつないだ国々で咲いた真っ赤なカンナが会場に咲くイメージが浮かぶ。平和の祭典にふさわしい「広島五輪」のために、海外で咲かせることを思いつく。(その後、広島五輪の話は消える。)

2011年、東日本大震災。子どもたち自らが東北にバトンして欲しいと球根を託すようになる。

「被災地カンナリレー 」始まる。福島・宮城・岩手へと被災地をめぐる旅が始まる。

被災地でカンナを植えている子どもが天使に見えた。その子をモデルにしたイラストで羊毛フェルトの人形を作成、「かんなちゃん」と名付ける。

ゆるキャラかんなちゃん誕生  2013年、長野県須坂市長の目に留まり、須坂市議会を通して採択され、2014年「ゆるキャラかんなちゃん」として誕生する。

ゆるキャラという体をいただいたカンナの妖精は子どもたちの前に姿を見せることができ、保育園・幼稚園でも活動が広がる。かんなちゃん語録できる。

初めて子どもたちに伝えた言葉は「宇宙から見たら地球は一つのおうちです。」でした。

須坂市とのご縁は、2007年に広島の小学生がカンナの花を見たことがないということから、購入先を検討。広島でも雪の積もるところに案内され、「雪に強いカンナ」を探し求め、須坂の田辺さんと出遭う。橘の趣旨に賛同した田辺さんは、無償で子どもたちに球根100個を提供くださる。

2010年9月田辺さんご逝去。ご葬儀の帰り道、ご子息からの「これからは僕が父にかわりカンナを送ります。」この言葉にカンナ・プロジェクトを続けることを田辺さんの墓前に約束。

須坂市長も、カンナの提供をお申し出くださり、2015年まで、カンナの球根のご提供いただく。(この頃には、バトンしたカンナがかなり増える。)

2011年夏「福島で咲いたカンナが欲しい。」と、バチカンからオファーをいただき届ける。

その後、ベトナム、バリ、インド、オーストラリア、ミャンマーなど海外16カ国、国内33都道府県、192校でカンナリレー がつながる。

2011年晩秋、被災地の校長先生からの「忘れられていく・・・」の言葉に「カンナの花笑みに替えて、人の笑顔を届けます!」と約束。「カンナスマイル」が始まる。

千人ごとに印刷して被災地に届ける。2016年10月、一万人を超える。

2012年8月、広島商工会議所青年部の企画で、カンナをバトンした広島の己斐小学校と被災地石巻の大谷地小学生の児童たちの交流。広島原爆資料館見学。

2013年、広島市立段原小学校(当時6年生)で「カンナを使って叶えたい夢はありますか?」の問いに対して、「オリパラに咲かせたい!」「カンナ子ども夢プラン」始まる。

選手に持ち帰ってもらうために球根は重いので、「タネを渡そう!」というプランができる。

ちょうど、ベトナム行きの機内で、隣の席の方からいただいた「カンナのタネを宇宙へ持って行く」のプランと重ね、①オリパラにつなぐカンナリレー ②カンナ子ども平和宇宙ミッションの2つの「カンナ子ども夢プラン」できる。「カンナ・プロジェクト次世代チーム」を結成。名古屋・インド・東京の高校生たちと「小学生の夢」の実現に向けて取り組む。イスラエルのゴールドラット氏の「制約理論」を用いて(ファシリテーター有資格)、叶いそうにない大きな夢を叶える理論を高校生たちと展開。

企画書を作成する。

名古屋の次世代チームとの出逢いのご縁は、のちにファーストレディーとなった安倍昭恵さん。

カンナ・プロジェクトに関心を寄せられ、2013年、国立愛知大学附属中学校に講演・植栽。

プライベートで出かける。2016年には、次世代チームとともに首相公邸に植栽。

そこから、ワシントンの桜の会(当時のトランプ大統領夫人が総裁)、聴覚障害者の専門大学(世界で1つ)ギャロデット大学、ベルギーにバトンがつながる。

2021年には、オリパラにつなぐカンナとして咲く。

2014年「ゆるキャラかんなちゃん」誕生。

カンナの妖精がゆるキャラの体をもらったことで、子どもたちと植栽することができるようになり、幼稚園・保育園にもリレー が広がる。この年、北極圏にもカンナリレー 繋がる。

2015年、アフリカにカンナリレー 繋がる。

2016年3月、マルティンルターの宗教改革から500年の和解に、カンナ・プロジェクトでバトンをつないでいるカンナを「和解のシンボルフラワー」にとのオファーをいただく。

2016年、第1回組織委員会、外務省などへの次世代チームの高校生による「オリパラにつなぐカンナリレー」のプレゼンテーション始まる。その後、数回にわたりプレゼンテーションは続く。

2012年からの「カンナスマイルで東北を忘れない」が一万人に達する。国内、世界106カ国の人たちが参加。千人ごとに印刷して、東北にエールを届ける。

2017年、プレゼンテーションと並行して、採択された際に必要となるであろうカンナの球根栽培のため「カンナ里親制度」を作り、オリパラに向けて、子どもたちのみならず、一般市民のカンナ植栽への参加者を募る。現在1300人余の里親登録がある。

2017年2月、インドの学校3校、孤児院でカンナ・プロジェクト。

多宗教の子どもたちがカンナを植える。

2017年5月、宗教の壁を超え、広島の比治山神社にインドからのバトンつなぐ。

2017年10月、オーストラリアの高校でカンナ・プロジェクトの講演・植栽。

2017年11月23日「マルティン・ルターの宗教改革」から500年の和解式典に招待を受け、次世代チーム東京の高校生と参列。シンボルフラワーに抜擢された「カンナ」を掲げ祈りを捧げる。宗教のわだかまりを超えて平和のバトンつながる。1200株の球根の提供に協力してくださった須坂市の中島さん率いる高梨地域とその地域の日の小学校とのご縁が深くなる。創立100周年記念の基調講演といて「カンナ・プロジェクトと恕の精神」という演題にて講演のオファーをいただく。

(のちの宇宙ミッションへとつながる)

2018年2月ミャンマーでのカンナ・プロジェクト。

ミャンマーの僧院学校5校、公立学校1校で講演・植栽。

2019年、「カンナ子ども平和宇宙ミッション」の無償オファーが有料にかわる。

中止を子どもたちに相談。特別支援学校の高校1年生の一人の生徒の一言で、クラウドファンディングを決意。資金調達に挑戦する。

この時、実行委員会を設置。監査部を設けて資金の管理をお願いする。資金調達達成。

2020年3月7日宇宙へ打ち上げ成功!

「カンナ子ども平和宇宙ミッション」カンナのタネ(他、長崎被爆クスノキのタネ・参加校30校の寄せ書き・参加者の自筆の名前など)ISSに滞在。

2020年8月3日、約5ヶ月のISS(国際宇宙ステーション)滞在を経て、初の民間ロケットにて、テスト宇宙飛行士3人とともに地球に帰還。2020年、コロナの蔓延で世界との行き来のできない中、奇跡の宇宙ミッション成功裏に終える。

2020年12月、コロナ禍で止められていたタネたちが日本に無事帰国。30校への報告とタネの返還。新たに進めていた植物園等公共機関への寄贈実施。

2021年7月〜9月、次世代チーム東京の高校生の頑張りが実り、東京五輪につなぐカンナリレー が認められました。オリパラのメダル獲得選手の表彰式・記者会見会場のホテルで咲きました。インド・バリ・ミャンマーからの里帰りカンナも含め、カンナ参加校、里親カンナ登録者からのカンナが咲きました。

2021年12月、組織委員会から東京五輪で咲いたカンナたちが届きました。現在、春からの各参加者の元へ戻すために東京で越冬中。これからのバトンには平和の祭典で咲いたカンナをバトンとしてつなぎます。

2021年春、「宇宙」を冠した「宇宙カンナ」の発芽に30校で挑戦。苗を4箇所(つくば科学博物館植物研究部・長野県須坂市立すざか動物園・船橋市立アンデルセン公園・夢の島植物公園)に寄贈。見事に花を咲かせることに成功。

2021年12月3日、打ち上げ決定時から計画していた、「帰還後の子どもたちの宇宙との繋がり」を目的とした「宇宙との交信=カンナ・スクールコンタクト」(アマチュア無線協会とNASAとの教育プログラム。NASAの目的は宇宙飛行士への精神衛生を図るため)実施。カンナ子ども宙ミッション参加校から宇宙への質問を募集。代表校の長野県須坂市日野小学校にて、「次世代チーム須坂」の高校生たちと、無線で宇宙ステーション滞在中の宇宙飛行との交信に成功。

県内のアマチュア無線家の大人たちも協力。「無線家チーム」とのタイアップで、本格的な無線通信をISSとつなぐという偉業を成し遂げた。10分ほどの交信時間中に、15人の代表児童全員が質問を英語で伝え回答をいただく。アンテナ設置からライブ配信、宇宙飛行士の和訳まで、高校生たちの手によって行われた。コロナ真っ只中での約2年に渡るリモートでの打ち合わせにも関わらず、また、感染の増加による止む無しの中止、延期などに苛まれながらも、最後まで諦めず成功に導いた。




固定記事
(写真は2023年度最初に咲いたカンナ)

こちらは2023年度のカンナ・P 公認里親カンナたちのページです。

*里親カンナsinnce 2017
2008年〜学校で展開して来た「カンナリレー 」目的は同じ株を分かち合ったカンナの平和のバトンをつなぐことでお互いの違いも受け入れて(恕のゆるす)お互いに想いを馳せ合うことで平和を築く一助とする。
以前より一般市民からもご希望があり2017年に次世代チームと作った里親制度です。登録制です。
球根・看板は無料でお分けしています。。
希望者側で受け取り送料のみ負担ください。

看板を立てて、カンナが咲いた事実を伝えること。カンナ・プロジェクトの株分けカンナを預かり、その目的を理解して育てること。写真を送ること。
(詳細は別ページ参照)です。

「オリパラにつなぐ子ども夢プラン」の準備段階として2017年公開募集開始しました。



オリパラに繋いだカンナが、今年1番に咲いたそうです。

今年から参加された広島安佐北区の里親カンナ

5月の広島遠征の折にご挨拶に参りました。
もうすぐ咲きますね。子どもたちが育てたカンナのバトンを大人たちもつないで、カンナが咲いた事実を皆様に伝えてください。そして、同じ株を分かち合う意味を次の方にもお伝えください。