カンナスマイル 2011年10月18日〜2016年10月16日
被災地カンナリレー 花笑みに替えて人の笑顔で被災地にエールを届ける活動
2011年、東北大震災の時、広島の子どもたち自らが、「東北に私たちの育てたカンナを届けてください!」と言ってくれました。
それぞれの学校から預かって、東北の被災地に届けました。
被災地の子どもたちにお話をして、一緒に植えました。
秋も深まりつつある10月下旬、宮城県石巻市立大谷地小学校の校長先生から1通のメールが届きました。
校長「秋になってカンナも枯れました。取材陣も少なくなりました。忘れられて行きます。」
橘 「そんなことありません。私たち、いつも思っています。」
校長「ありがとうございます。」
この「ありがとう」がとても無機質に感じられました。思わず
橘 「カンナの花笑みが枯れたのなら、花に替えて人の笑顔を届けます!
だから、どうか寒い冬を乗り越えてください。1000人の笑顔を送ります!」
言ってしまいました。1000人・・・・。一体どうやって・・・・。
とにかく、大学での授業の日でした。
看護学科の教授と学生が楽しそうに話している姿が見えました。
橘 「東北にその笑顔くださいますか?」
教授「えっ?」
橘 「被災地の方から、忘れられて行くと言われて、笑顔のエールを届ける約束をしてしまいました。参加してください!」
教授・学生 「喜んで^_^❤️」
これがカンナスマイルのスタートでした。
当時はパーティーなども多く、多くの人にお会いする機会がありました。
思い切って、この趣旨を伝えて写真を取らせていただきました。
その一人一人はブログに載せ、1000人集まったら被災地に届けに行こうと思いました。
一人一人に、「お顔を載せても構いませんか?」とその都度、確認しました。
お名前や職業は全く聞いたりせず、ただ、ただ、被災地の人を元気付けたくて、みなさん、本当にすぐに描いをくださいました。
98%の方が「OK !です。大丈夫です^_^とご快諾くださいました。
あの頃の一体感。不思議な力がありましたね。
ひと月で1000人集まりました。
12月2日、写真を印刷して、切り抜いて、A4の用紙にはりました。1000人分です。
枚数にして10枚。
これをコンビニでコピーして、ノリでつなぎ、夜中の12時に車で出発しました。
11セットができたところでタイムリミットです。
雪が降りだす前に東北に届けなくては、その使命感だけで頑張ることができました。
福島のカンナ大使さんが一緒に行ってくださることになりました。
一人では眠気との闘いに負けてしまったと思います。
感謝です。
夜中、東京を出て、朝方会津若松に着き、一緒に仙台を目指しました。
回れるだけ周り、当時はホテルもなかなか取れませんでしたが、
気仙沼大島に1件なんとか宿が取れました。
最終便のフェリーで渡り、始発便のフェリーで再び島を出ました。
仙台〜石巻〜雄勝〜鮎川〜気仙沼〜大船渡〜大鎚
ここまでで夕暮れでした。峠を越えて遠野に出て、一関から東北道。
仙台〜会津若松でカンナ大使さんとお別れして一路東京へ。
真夜中の高速道路、もう眠くて眠くて。「眠眠打破」も効かなくなりました(笑)
そんな思いをして撮り続けたカンナスマイル。
帰宅してよくよく数えたら1000を超えていました。
せっかくいただいたカンナスマイルです。
無駄にしてはいけない。届けなくてはという思いから、2000を目指すことになります。
2月の初めに2000カンナスマイル届けに行きました。
今度はアプリを使って、ハートの中に笑顔を収める方法にしました。
香港の寒鴉大使さんが作成してくださいました。
3000、4000。5000・・・と。
その頃になると、「私も友達の笑顔のエールを撮って送ります!」と言ってくださる方々が増えてきました。うれしかったですね。
その時生まれたカンナちゃん語録は、No.29『1×5000〈5000×1の法則です。
ひとりが5000人の笑顔をあつめることより
5000人がたったひとりずつでも5000人の笑顔を集めた方がそれは尊いです。
そう思いました
ブログ https://ameblo.jp/tachibanariho/entry-12409423068.html
そして、6000、7000、8000、9000と1000ごとに東北被災地を回りました。
そして、2016年10月、NSSA学生連盟のサーフィン大会の参加者の皆さんがカンナスマイルをくださいました。この時、カンナスマイルは10000人を超えました。