episode note 2

料亭での出遭い

2006年か2007年の夏のこと
カンナ・プロジェクトを応援してくださる福祉協議会会長の中本氏が夕飯を一緒にとお誘いくださいました。
この方の「あんたがやらんで誰がやるんじゃ」の一言で始まったのがカンナ・プロジェクトです。
その夕食会にはご親戚の方々までご一緒くださり、とても楽しい宴席になりました。その日、ずっと、おっしゃっていたことがありました。「凛保さん、あんたに合わせたい人がおるんじゃ!おるんじゃ!」でした。あまりにも始終おっしゃるのです。それほどまでに考えていてくださるということがとても嬉しく感じました。そして、その方が、トイレに立たれました。お戻りになると、「おったああ!、おったわ〜!」と言ってお連れになったのです。ちょうどトイレで会ったそうです。その方が、な、なんと、現総理大臣岸田さんだったのです。当時は安倍総理大臣の頃でしたが、秘書をお二人ご一緒にお連れになり名刺をくださいました。そして「いつでも尋ねてきてください」と言っていただきました。もちろん、そのようなお力を使うことのできない私ですから、その後は一度もお会いしたことはありませんでした。。
それから数年後の2017年の春のことだったと思います。。原爆資料館リニューアルの準備の頃、1階の正面のフリースペースに主な展示物が展示されていた時期があります。2016年に壁一面のカンナのパネルの救出劇がありましたが、その後、小さいサイズのパネルを作られたと報告をいただいておりましたので、見にいきました。東京で応援してくださっている方が「私も見たい」ということでご案内しておりました。新幹線の時間ギリギリでその場でおかえりになる其の方をお見送りして、ふと振り返ると、そこに岸田さんが立たれていらっしゃいました。思わず「こんにちは」とあいさつしていました。
私は、常日頃から、そういう時に言葉をかけるようなタイプではないのですが、流石に目の前にいらしたら挨拶をするものです。すると当時は厚生労働大臣だった岸田さんはSP を携えて要人をご案内して資料館に来館されていたそうです。
「こんにちは」のあとで、こうおっしゃったのです。
「中本さん、お元気でいらっしゃいますよ」と。
私との出会いのことを覚えていてくださり、関係性まで記憶なさっていらしたことがわかり、驚きとともに、そのお人柄に感じ入ってしまいました。
広島に行くと、必ずおよりして、それまでの報告をさせていただいていた中本さんですから、この日も寄らせていただきました。岸田さんとのことをお話ししました。すると「そうかそうか、そういう人なんじゃ岸田さんという人は。」そうおっしゃいました。
世界中のあんなにたくさんの要人を覚えなくてはならない人なのに、凛保さんや自分のことをそんな風に関係性まで覚えていてくださったとは・・・」そうおっしゃいました。名前は名乗ったわけでもない、ただ「こんにちは」と言っただけなのに、凛保と自分との関係性まで覚てていてくださり、一瞬ののちに思い出してくださる。それが岸田さんなのだと大いによろこばれたのを思い出します。ちょうど次期総理大臣の候補に上がっていた時期でありましたので、そのような人間的に優しく良いお人柄の方ですから、総理大臣になったらさぞやご心労も多いことではないかと心配だとおっしゃっていました。中本さんは、岸田さんのお父様の頃からの後援会長さんでした。岸田さんは義義理堅い方で、そんな中本さんの奥様が亡くなってからは、東京から広島に帰えらえられると必ず、仏壇に手を合わせに来てくださるような方だとお聞きしていましたので、私も、岸田さんに対して良い印象を持っていましたが、この日の出来事から、さらにお人柄を感じるようになりました。総理になられるひと月ほど前に中本さんはご逝去されました。天国で喜ばれたと同時に、ご案じ申し上げていらっしゃることと感じております。天国から見守られていらっしゃると思います。為政者のあり方を考えさせられる出来事でした。中本さんへの報告の時、いつも「凛保さんが一生懸命伝えているからこんなに広がったんじゃ」と褒めてくださいました。そんな時いつもおっしゃる言葉があります。それがこの写真です。写真は中本さんの筆によるものです。2019年の広島で書いていただいたものです。そのあとはコロナの蔓延により、遠征もできなくなり、お会いすることもできないままご逝去のお知らせが届きました。2023年、コロナも制約が緩められ、ようやく遠征も可能になった2023年5月、ようやくお墓参りをさせていただきました。
「至誠は天に通じる」
*至誠とは辞書によると、この上なく誠実なことだそうです。