8月10日 終戦から80年 ちばてつやさんとのこと
ちばてつやさんは満州からの引き上げ者だそうです。
満州での終戦後はつらいつらい毎日とお聞きしています。
2009年12月、栃木県に仕事に行く友人たちから「仕事が終わったら餃子を食べよう!」と誘われ、皆さんが仕事の間は待合室でローカルの雑誌を読んで待っていました。その雑誌にちばてつやさんと編集長の対談がありました。満州の引き上げのことや、最終的には戦争の事を描く。というようなことが書かれていました。仕事の打ち合わせを終えた友人たちが戻ってきましたので、その話をしました。すると、「この編集長なら下の階にいるから紹介するよ」と言ってお会いしました。「戦争のことを描かれる時、広島なら爆心地に真っ赤なカンナの咲いている一コマがあったらいいなと思うのです。」などと話していると、お手紙書いてみたらと住所を教えてくださったのです。『そんな簡単に教えていいのかしら・・・』と内心思い、すぐに手紙は書きませんでした。本当に手紙なんか送っていいのかしらと思い、
そのままにしていました。
年が明けしばらくして、せっかく教えてくださったのだからと考え直し、カンナ・プロジェクトの事を手紙に書いてみました。
それから数日後、登録のない電話が携帯に何度もありました。
ちょうど授業中でしたので、出られずに、休憩時間に折り返したのですが、今度はその相手が留守。
で、また授業に出ている間にも電話が入れ違いにあり、
今度は留守電が入っていました。なんと、ちばてつやさんでした。
「お手紙を読んで感動しました。電話ください。」という内容でした。
授業が終わりお電話しました。
「今、腰を悪くして休んでいます。こういう時でもないと、とても忙しくてお会いできないので、ぜひ家にお越しください。ぜひカンナ・プロジェクトの話を伺いたい」と。記憶が確かではないですが、確か、そのあとお電話して、そのまま伺うことになったと記憶しています。授業がお昼過ぎまでだったのですぐに、言われた住所に向かいました。駅にご子息様が迎えに行くからということで最寄駅に着くと、迎えの車がついていました。ご自宅に案内されて、話がはずみ数時間が過ぎていました。
もう夕方です。辞去を申し上げますと、1冊の本をお持ちになりました。「これは友人知人に贈くるために書いた600冊の1冊です。」
そうおっしゃってこの本をくださいました。
「カンナのことどのように扱ったら良いのか、自分に何ができるのかゆっくり考えてみたいと思います。」そう言ってくださったのです。
ご子息様が駅まで送ってくださり帰路につきました。
確か2010年の1月19日だったと思います。
写真も撮りませんでした。サインをとも申し上げませんでした。
すっかり暗くなっていました。
電車に乗って本を開くと、そこにはサインがしてあったのです。『あ〜、やはり言わないでよかった』と思いました。さらに裏表紙を開くと、
なんと、真っ赤なカンナの絵が書いてあるではないですか・・・・。
用意していてくださったのですね。
なんだかとても嬉しく思いました。
いつか、ちばてつやさんのお描きになる戦争のご著書に
真っ赤なカンナが咲くことを楽しみにしています。
そんなことを思い出しました。